夕陽の中で/長谷川きよし

長谷川きよしはデビュー作「別れのサンバ」が大ヒットし、それを聞いてファンになりました。盲目でありながら、ギターの奏法に迫力があり、凄い歌手が出てきたもんだ、と思った記憶があります。その後のアルバムは皆良い出来で、初期のLPは全部CDで買い直しました。彼は銀巴里がスタートという事もあり、シャンソンが得意なので、こんな曲も上手く歌いこなせるのだろうと思います。

しかしながら、その後中山千夏や「話の特集」の矢崎泰久のような妙な連中と付き合い始め、私風に言うならグレてしまい、訳分からん左翼的言辞を弄する迄になってしまいました。(民進党の辻本清美を見ると中山千夏を思い出すのは私だけ?)本人の主義主張は自由ですし、デビュー後、前と全然違う形の歌手に変化した人も沢山います。しかし、自分としてはいつまでも、あの感じで歌い続けて欲しいと思ってました。

最近は京都にお住いのようで、そのせいか枯淡の境地に近いものがあり、静かに音楽活動を続けられているようです。京都でライブがあれば、是非見に行きたいものであります。

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彼女は最初からこの夏だけの事にしたかったんです。でも若い彼氏は夢中になってしまいました。秋になれば忙しくなるんだと言っても諦めてくれそうにもありません。なんたって薄く残った水着の跡はたまりませんものねえ。でも彼女の信念に揺らぎはありません。遂に言ってしまいました「ねぇ、分るでしょう?」

最近は説明過多の歌詞が多いですが、これくらいだと色々妄想が膨らみます。また、バックのトロンボーンのアレンジも素晴らしく、初秋の感じが出ている気がします。

お嫁にゆけないわたし/三浦弘とアローシックス

「不倫は文化」で有名な石田純一氏が週刊新潮8月10日号に「迷言誕生から20年余!『不倫は文化』の検証ガイド」と題して寄稿されました。この名言は1996年長谷川理恵との不倫がフォーカス誌にバレた時、ゴルフ場で記者に追いかけられ「…でも、不倫を完全に否定してしまったら、世界からどれだけの芸術が無くなってしまうと思いますか。不倫という恋愛から生まれる音楽や文学もあるじゃなですか。苦しみや葛藤から生まれる文化もあるんです。云々」等と答えたそうです。これをスポニチが「何が悪い、不倫は文化!石田純一」と見出しに書き、ここから「不倫は文化」だけが独り歩きしてしまったと述べています。

次に「不倫から生まれた芸術や文化は、実に多彩なのです。」として、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、1950年の映画「イヴの総て」、中上健次の「枯木灘」等が紹介され、特にワーグナーについては「さて、ここからが大事ですが、ワーグナーがこういう作品を創ることができたのは、自分自身も運命的な出会いに身を委ねていたからに違いありません。」としてワーグナー自身の女性(人妻)遍歴が詳しく書かれています。その他、と不倫から文化となった種々の例を挙げています。

次に【不倫の魔力を糧に】という見出しの下「…それでも、こと芸術についていえば、不倫の魔力は強力なパワーやインスピレーションになる。不倫は背後に破滅的なものを背負っているがゆえに、決してほめられませんが、不倫を糧に生まれた作品が、100年、200年たったいまも、ロダンやクローデルの彫刻のように、僕たちに感動を与えてくれているのも事実なのです。」と本論を結んでいます。

最近は不倫報道が盛んで、またか、と思う反面興味津々ですが、餌食となった人は不運ですねぇ。私同様、石田氏と同意見であっても、周囲の顔色を伺いつつ本人を叩く評論家、コメンテーターという構図は見飽きた感があります。石田純一氏におかれましては、より深い「不倫と文化」に関する論考を上梓される事を期待しております。

という訳で不倫ソングですが、改めて見直すと不倫の歌多いですね。もっとも二人が出会って愛し愛され、目出度くゴールイン、今の私たちトッテモ幸せ!なんて歌作っても面白くも何ともないのも事実。やはり、少しは暗く悲しい面がないと入り込めないのかもしれません。

三浦弘とハニーシックスの「お嫁にゆけないわたし」は相手に妻子がある故、お嫁にゆけない、という当たり前の話ですが、既にムード歌謡が絶滅危惧種になった今、白いスーツにエナメルの靴、中条きよしみたいに結び目の太いネクタイで決めたグループがとても懐かしく思えてきます。「不倫と文化」に加え、ムード歌謡も研究してみる価値がありそうです。

King of 52nd Street / Melody Gardot

今年はチャーリー・パーカー没後62年で、これを記念して彼のヒット曲を新アレンジで色々な歌手が歌うという面白い趣向のアルバムが6月央に発売されました。(没後60年記念の予定が遅れて62年になってしまったようです。)私の好きなメロディー・ガルド―が入ってる事もあり軽い気持ちで買ってみましたが、これが予想外の曲者でした。

プロデューサーのラリー・クライン(この人は元妻がジョニ・ミッチェル、現妻がルシアナ・ソウザ)の解説によれば、このアルバムの12曲全体でチャーリー・パーカーの生涯を描く、言わばミュージカル仕立てになっているそうです。セントルイスで生まれ、ニューヨークでビバップの開祖と言われて大評判を取り、カリフォルニア移住、欧州公演とそれぞれの場面をチャーリー・パーカー作曲に歌詞を付け、それぞれ新進気鋭のジャズメンとボーカリストが「今」のジャズに仕上げています。

ラリー・クラインは、もしチャーリー・パーカーが今生きていたら、こんな演奏をしただろう、というコンセプトで編曲したそうです。よって、昔のビバップのようにシンバルでチーンチッキ、チーンチッキと拍子を取るシンバル・レガートはありません。また、チャーリー・パーカーの楽器であるアルト・サックスが全く出てこないというのも、かなりの冒険です。この大胆な企画で、これまでのチャーリー・パーカー トリビュートとは全く違ったアルバムが出来上がりました。

12曲をそれぞれ違うボーカリストが歌っていますが、メロディー・ガルド―が歌う”King of 52nd Street”はマンハッタン52通りにあったジャズクラブ「バードランド」で活躍したパーカーを偲んだ曲。もちろん店名は彼のニックネームである「バード」に因んでいます。原曲は”Scrapple From The Apple”で、オリジナル録音(1947年ダイヤル盤)もリンクしておきます。

メロディーガルド―のボーカルは軽やかなさえずり感と同時に漂う妖しさが彼女特有の雰囲気を醸し出しています。ただ自分の頭が固いせいか、パーカーが今生きていたら、というラリー・クラインの制作意図が、すんなり腑に落ちませんでした。最初に彼のインタビューを読まなければ素直に聞けたのかもしれません。

元歌となったScrapple From The Appleのオリジナル(ダイヤル1021)

デンジャラス/桐野夏生著

谷崎潤一郎の「細雪」は鶴子、幸子、雪子、妙子の4姉妹の物語である。時代は昭和11年から16年。その後の谷崎と周りの女たちを谷崎の三人目の妻である松子の妹の重子が語る。

松子は「春琴抄」のモデルであり「細雪」の幸子のモデルでもある。重子は縁遠かった雪子のモデルである。谷崎文学のモデルになったことを誇りに思い、特に重子は谷崎から言い寄られたこともあり、二人は谷崎の寵愛を欲していた。

重子はかなり年上(43歳)であるが生活力の無い田邉弘と結婚する。冒頭に重子がベットに座る男が弘と認識できず、キャっと叫ぶ場面がある。弘は総入歯で、入歯を外した顔が別人に見えたようだ。その後色々あったが死別した。(映画(1983)の吉永小百合と江本孟紀とは全くイメージが違う)田邊の死後、子供のいなかった重子は松子の前夫の息子、清一を養子に迎えた。

時は昭和26年となり、既に谷崎の「細雪」は高い評価を受けていた。下鴨神社の糺の森に隣接する「後の潺湲亭」には、谷崎、松子、重子、清一と嫁の千萬子、松子の前夫の娘、美恵子と女中が住んでいた。云わば谷崎と彼を取巻く女たちの谷崎王国であり、松子が家事を差配していた。ところが千萬子が来て以来、松子の自信は21歳の若妻に脅かされ、それは重子も同じだった。

その後の「鍵」は千萬子がモデルは無いかと疑われる。また谷崎が千萬子に入れあげ頻繁に手紙をやり取りしている事を知り、谷崎の手紙の反古を盗み見ると金銭を与えるまでになっている。松子と重子の焦燥感は更に募り、重子は酒に溺れていく。「瘋癲老人日記」のモデルも千萬子か?

谷崎はリューマチで右手が効かなくなり原稿は口述筆記していたが千萬子への手紙だけは毎日のように自筆で書き、女中に速達で出させる。谷崎は転居を繰返したが例え離れていても頭の中には千萬子しかいなかったようだ。千萬子と示し合わせ、家人に見え透いた嘘をついて上京したり、既に健康とは言えない体でありながら、情熱は失せていない。

そんな谷崎に業を煮やした重子は、松子と私を取るか、それとも千萬子を取るかと病床の谷崎に迫り、えっと驚くラストシーンになる。この物語はフィクションであるが、ラストシーンを含め、ひょっとしてこんな事があったのかなあ、と思わせるリアリティを感じる。

うわさのカム・トゥ・ハワイ/ザ・ナンバーワンバンド

8月になると終戦記念日もあり、その手の話題が増える。だからという訳でもないが、この歌を思い出した。

戦前広島からハワイに移住した農民が真珠湾攻撃を目撃し、驚き悲しんだ様子を、広島県出身の小林克也が広島弁で作詞した。流石に広島弁が上手くメロディに乗っている。かつてハワイで起業した友人によれば、日系在ハワイの老人の喋り方にそっくりだそうです。

……<2011.10.10>
小林克也が結成したザ・ナンバーワンバンドの傑作。広島出身の小林克也が広島からのハワイ移民に扮して広島弁と広島訛の英語で真珠湾攻撃の直前の模様を活写する。80年代の録音であるが、既にこれだけエンルギーのある日本語のラップが成立していたのは驚きと言える。コミカルなラップ調であるが、なかなか中身の濃い歌である。

トホホ度 ★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度

アロハ! マイネーム イズ バッキーコバヤシ
アイム ア 三世 フロム ホノルル ハワイ
アイド ライク トゥ ミート マイ グランド・ファーザー

わしらがの ハワイへの 初めて来た時の
みんながの ウェルカムの ナイス トゥ シーユー
わしらはの その時の ベリーハッピーでの
ジャパンの ホントの 百姓魂 みせてやったんじゃ

エブリデイ 耕す 水をやる
パイナップル パパイヤ グァバジュース
バイ ザ ウェイ わしらのの 原地の友達じゃ
カメハメハ アイザック ハウ アー ユー トゥナイト
ヒラヒラキラキラホロホロ カア

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらは みんな ヒロシマじゃけん
イン サイド アウト サイド
シーサイド ヒルサイド
ウィー アー オール フラ フラ シェイキン

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらは みんな クマモトじゃけん
インサイド アウトサイ
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

わしらのの ハワイでの はじめての経験じゃ
みんながの 畠での 草を刈っとっての
わしらはの その時の ナンにも アイ ドント ノウ

アサヒのかわりに 吸うたらの ええ気持じゃあ
マウイ ワウイ ゆう ダイナマイトだったんじゃ
あれはいけんの だめじゃの
ネバー ハップンじゃ

ラハイナ ルナ カイマナヒラ ホノルル ルウ
チャイナコリャ ジャパン エアーライン
パンナメリカン ヘイ

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんなヒロシマじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんな トモダチじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

あの日はの 悪夢じゃの
ベリー ベリー ソーリー
わしらはの その時の
ナンにも アイ ドント ノウ
メニーメニー エアプレイン
日の丸エアープレイン
ジャパンのの 真珠湾の 攻撃だったんじゃ

その夜の わしらはの ふとんで泣いたんじゃ
ハワイは 平和なアイランド
フラワーアイランド
ブーゲンビリア ハイビスカス
プリティ ジンジャーレイ ヘイ
ハイナ イワマイ アナ カプ アナー

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんなヒロシマじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんな トモダチじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン
カム トゥ ハワイ アロハ アヒ アヒ
カム トゥ ハワイ オコノ
カム トゥ ハワイ ハワイ ノー
カム トゥ ハワイ カイウラニ
カム トゥ ハワイ ジャパン エアーライン
カム トゥ ハワイ ホリディイン
カム トゥ ハワイ ヒルトン シェラトン

涙のパンダ/黒柳徹子

6月12日(私の誕生日)に上野動物園でリーリー(父)とシンシン(母)の子(メス)が誕生しました。シンシンに妊娠の兆候が表れたという事で5月25日に展示中止となりましたが、その後意外に早い出産でした。尚、その間も父親のリーリーはこれまで通り休みなく仕事しておりました。(通常展示)今のところ順調に成長しているようで、名前の公募も始まったようです。

最初のパンダは1972年の日中国交回復を記念して中国から寄贈されていますが、寄贈と言っても実際には貸与で所有権は中国側にあり、現在のレンタル料金は二頭、10年間で八億円余りだそうです。

そんなパンダ(オス)が泣いています。でんぐり返しをしてもターザンの真似しても笑ってもくれない。ひとつ年上のパンダ(メス)とどうも上手く行ってないようです。Lover Come Back To Meなどと英語を使ってますが、その後どうなったんでしょう?余談ですが、このパンダは「エマニュエルごっこ」をしたと言ってます。一体どんな遊びだったんでしょうか?謎です。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★

ジャマイカ・ムーン/ミルキィ・ウェイ

 この曲はニック・デカロが作曲した”Under The Jamaican Moon”のカバーで彼の”Italian Graffiti”というアルバムの一曲です。このアルバムがAOR (Adult Oriended Rock) の元祖とか言う人がいますが、どうなんでしょう。私個人的にはオリジナルよりこっちのカバーの方が出来が良いと思ってます。ミルキィ・ウェイというのは信田一男(kyd,vo)と松下誠(g,vo)という二人の有能なスタジオ・ミュージシャンが作ったバンド(?)でアルバムはこの”SUMMER TIME LOVE SONG”一枚限りです。この曲以外にもパーシーフェイスでお馴染みの「夏の日の恋」アントニオカルロスジョビンの「波」ナベサダが作曲し出門英が歌った「白い波」等全9曲、選曲も素晴らしい。

全般的に爽快感のあるコーラスまたは斉唱で、この夏の暑さに閉口している諸兄にはお勧めです。木陰でビールでも飲みながら昼寝するのにピッタリぢゃないでしょうか。 ジャケットは浅田慎平撮影だそうですが、真夏にゴロワーズというのは何だか暑苦しい感じがするのは私だけ?

もし文豪たちがカップ焼そばの作り方を書いたら/神田桂一、菊池良著

著者は文豪がカップ焼そばの作り方を書いたらどうなるか?というテーマで幾多の文体模写をツィッターで公開していた。これが面白いという事になり、本書に纏められた。書いてある事は只、ひたすらカップ焼そばの作り方のみ。出てくる文豪は、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、菊池寛、芥川竜之介から相田みつお、又吉直樹等々多彩である。また、週刊文春、読売新聞編集手帳等もあり、他には自分の知らない作家もいる。全般的に良く出来ていて、かなり笑える部分もある。(余談ですが、この本の腰巻の出来は今市としか言いようがないですね。)

論より証拠、本書のトップバッターである村上春樹を引用してみる。
  
   「1973年のカップ焼そば」

きみがカップ焼そばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。

勝手に液体ソースとかやくを取り出しせばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。

読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けてたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
        
 ただ一つだけ確実に言えることがある。
        
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
 
こんな感じで次々に色んな人の文体模写が繰り広げられる。芸はまず真似る事から始まると言われるが、これだけの模写が出来るのは大したもんだと思う。そこで、読んでいるだけでは面白くないので自分でも作ってみた。もし古今亭志ん生がカップ焼そばの作り方を喋ったら。
 

「カップ焼そば指南」

エェ~江戸っ子てぇものは蕎麦をしょっちゅう食ってたんですな。なんたって、そば清なんて人がいたぐらいですからな。

エ~、江戸が御一新となって、食い物も文明開化てぇんで、カップ焼そばなんてぇものが出きたらしい。なんでも喰う前にこの周りに被ってる紙みてえなものを破くてえんですよ。エエ、破くくらいなら、最初から被せなきゃ良いだろう。(小笑)

おーい、急いで湯沸かしてくれ
何だねぇ藪から棒に、やいやいお言いでないよ、そんなにすぐにゃ沸きゃあしないよ。
なんだと、急いでっていうのは早いてぇ事を言うんだ。とろとろ、とろとろしやがって、お前の耳は逆についてるのかあよお。(笑)

湯が沸いたらこの中に入れるってえんだが、おやおや、中にかやくとスープなんてものが入ってるよ。かやくったって二〇三高地を取るってえ時に火を付けてドカンとやった奴ぢゃあないよ。(笑)江戸っ子なら具と言えてぇンだよ。これを外に出して、それから湯を入れろって、なんだいこりゃ、最初から出しときゃいいだろう、エ~。(小笑)

それから、どうしろってんだ、エー、中の干乾びた麵に湯を掛けて五分待てだとさ。
ア~五分たあ、何時だ。
おーい、爺さんが大事にしてた和時計、大急ぎで出して来てくれよう。
そんなもん、どこにあるか知りゃあしないよ。
なにい、お前喰っちまったんだろ。ほんとにお前は替り目の女房みてえだな。(笑)
馬鹿お言いでないよ、そんなもん喰えるかい。

さあてと、湯を入れて、まあ、五分経ったとしよう。
エ~それから、湯切りぃ、湯切りってなんだよお。湯を切るのかよ。(小笑)
何言ってんだい、中の湯だけ捨てりゃあいいんだよ。
なんだとお、捨てるう、折角沸かした湯を捨てンのかよ。(笑)
お前さん何にも知らないんだねぇ、 後は全部混ぜて食やあ良いんだよ。
エェ何だよう、焼そばっつうのに、肝心の焼きがねえぢゃねえか、どうなってるんだよう。(小笑)
お前さん、それが文明開化つぅもんだよ、分かったかい。

おいと呼びやいと答えて五十年。これが本当のやいおい(相生)の松。(シーン)

 

煌/志村節子著

 新刊書はその下部に帯がついている。これを昔は(今も?)腰巻と呼んでいた。腰巻は勿論販売促進ツールであって、読者の目を惹く惹句、写真、イラストが散りばめられている。売行きによって、重版の際に腰巻を変える事もある。昔「面白半分」という雑誌が「日本腰巻文学大賞」を主催していた。(もっとも、洋書には腰巻はないので日本と態々名乗る必要もないが)我が国固有の文化として再開して貰いたいものである。本書は表紙絵と腰巻が上手く調和しており、腰巻付きの写真にしてみた。

本書には六編の書き下ろし短編がある。作者は江戸時代の情緒をテーマを決めて連作するのが得意のようで、煌(きらり)では、光と音、花火をテーマにして遊女、船問屋、紙問屋、簪職人、花火師、旅駕籠屋、それぞれの人間模様を描いている。

面白いのは夫々の短編に年号が決められており、その時代を調べてみると、地震や飢餓或いは大火事であったりと、その時代の出来事を背景にして物語が進んでいく。当時は大川(隅田川)の川開きが有名で、その花火職人が出てくる一遍もあるが、作者は愛知県豊橋、吉田神社の紅蓮の如く燃え盛る手筒花火に登場人物の熱い心情を投影しているようである。
全六篇、三遊亭圓朝作人情話の抜き読みを聞いているような錯覚を覚えた。

第一回テーブルゲーム選手権大会(於青森)/タモリ

タモリのファーストアルバムです。これをカセットテープに入れて繰り返し、何度も聴きました。殆ど覚えています。

—-<2005.01.09>
 デビュー当時のタモリの得意ネタであった4ヶ国麻雀です。今聞いても十分笑える名作です。当初四ヶ国麻雀と言ってましたが、レコード化の時にこの変なタイトルに変更されてしまいました。於青森というのは、青森県出身の寺山修司を出したいがための設定のようです。ちなみに、4人目のネチネチした喋り方をするのはベトナム人です。
 

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★★☆
意味不明度 ★★★