September Song / Bing Crosby

朝、寝惚けてラジオを聴いていたら9月という事もあり ”September Song” が流れてきた。これがボケている脳を刺激し、何だったっけか、、と考えているうちにWoody Allenの映画 “Radio Days”の挿入歌だという事を思い出しました。ついでに、この歌が画面に良くマッチしていると感じた事まで出てきました。忘れてた記憶がふとしたきっかけで蘇るという事は良くあるようです。

歌っているのはビング・クロスビーです。サビから歌いだしてるので歌詞の意味が分かりにくいですが、これ以上深入りしません。映画に挿入されたのはWalter Houstonというカナダ人の歌です(どういう人か良く分りません)。後年フランク・シナトラも吹き込んでいますが、米人の評論家によればビング・クロスビーの方が出来が良いと言っています。

Woddy Allenはこの曲が事の外お気に入りのようで、彼のインタビューを纏めた “Woody Allen on Woody Allen”というペーパーバックの中に “Allen has stated that the song may be the best American popular song ever written.”(アレン曰く 、この歌がこれまで書かれた最も素晴らしいアメリカのポピュラーソングだろうと。)という件があるそうです。

Oh, it’s a long, long while from May to December
ああ、5月から12月はとても長い。

But the days grow short when you reach September
でも、9月になれば日は短くなる。

When the autumn weather turns the leaves to flame
秋の気候が木の葉を燃えさせる時

One hasn’t got time for the waiting game
もう、待機している時間は無い

Oh, the days dwindle down to a precious few
ああ、日々は徐々に極めて少なくなっていく

September, November
9月、11月
And these few precious days I’ll spend with you
そして、これからの極めて少ない日々をあなたと過ごしたい

These precious days I’ll spend with you
これからの極めて少ない日々をあなたと過ごしたい

 

Radio Days Sound Track:

By The Time I Get To Phoenix / Glen Campbell

山下達郎のサンデー・ソングブックを毎週録音して聞いています。今週の番組の最後に、来週はグレン・キャンベルでもやるか、どうしようか、、等と言っているのを聞いて、ふと思い出しました。彼は今年の8月に亡くなっています。しかし、グレン・キャンベル追悼とか、特集とかが無かったような気がします。

この曲はジム・ウェッブの作曲で、彼らしいスッキリした覚えやすいメロディに好感を持てます。近年、日本ではカントリー&ウェスタン(C&W)が余り人気が無いのですが、米本国では根強い人気があります。謂わばアメリカ人の演歌というところでしょうか。

C&Wは牧場で牛を追う強い男のイメージが底流にあるからか、男性中心、女が泣いてお終い、という男尊女卑的な歌詞が多いです。それでも全米でヒットするのは(都会住まいでない)アメリカの女性は意外にこういう強い男を求めているのではないでしょうか。これが根強いトランプ支持に繋がるものがあるような気がします。

By the time I get to Phoenix she’ll be rising
俺がフェニックスに着く頃,彼女は起きているだろう。
She’ll find the note I left hangin’ on her door
彼女はドアに貼ってあるメモに気が付くだろう。
She’ll laugh when she reads the part that says I’m leavin’
彼女はメモの中の「出て行く」って部分を読んで笑ってるだろう。
‘Cause I’ve left that girl so many times before
だって以前何度も,この娘から離れたことがあるから。

By the time I make Albuquerque she’ll be working
俺がアルバカーキに着く頃,彼女は仕事をしてるだろう。
She’ll probably stop at lunch and give me a call
彼女は多分昼飯時に仕事を止め,俺に電話する。
But she’ll just hear that phone keep on ringin’ off the wall that’s all
しかし、彼女は,壁の受話器の呼出し音が鳴り続けるのを聞く、それだけさ。

By the time I make Oklahoma she’ll be sleepin’
俺がオクラホマに着く頃,彼女は寝ているだろう。
She’ll turn softly and call my name out loud
彼女はゆっくり寝返り打って,大声で俺の名前を呼ぶだろう。
And she’ll cry just to think I’d really leave her
そして彼女は俺が本当に出て行ったと思っただけで、泣き出すだろう。
Though time and time I try to tell her so
俺は今まで事あるごとにそう言って来た。
She just didn’t know I would really go
彼女は俺が本当に出て行くなんて知らなかった。

おしぼりをまるめたら/阿佐ヶ谷姉妹

土曜日の朝の徳光さんのラジオ番組に「夜明けのムード歌謡」というコーナーがあります。既に絶滅危惧種となったムード歌謡、ムードコーラスの名曲が、徳光さんの当時のエピソードも加味して紹介されます。最近こういう歌を余り聞かないので、何となく懐かしいような、しかし新鮮なような妙な感じで聞いています。

かつて、このコーナーにタブレット純がゲストとして出演した事があります。彼は子供の頃からムード歌謡が好きで、それが嵩じて遂に憧れのマヒナスターズに入団したそうです。現在は一人でギターを持ってTVや寄席に出ています。

中野に住んでいるタブレット純と阿佐ヶ谷の六畳一間に二人で住んでいる阿佐ヶ谷姉妹とはご近所の誼ということもあり、タブレット純が彼女達の為に作詞作曲したのがこの歌です。阿佐ヶ谷姉妹はいつも薄いピンク系統の長いドレスを着て軽い漫才をやっており、私としてはこういう半笑いが好みであります。阿佐ヶ谷姉妹はなかなか歌が上手く、阿佐ヶ谷パールセンター裏辺りの少々ジメッとしたバーでおしぼり(手で叩くとパンと音のする袋に入った奴では無い)を巻いたり、広げたりするホステスさんの健気さを描いて哀歓を誘います。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★☆

熟女B/五月みどり

世の中に珍盤・奇盤と呼べる曲は沢山ありますが、言うまでも無く玉石混交で全く意味不明のものから、永く後世に伝えていきたい傑作まで将に千差万別です。

熟女Bは以前のブログにも載せましたが、消えてしまいましたので再登場です。言うまでも無く中森明菜の少女Aに対する当時流行ったアンサーソングの一種です。アンサーソングは元歌に乗っかって話題性があり、取り上げられ易いのですが、その分安直に作られている場合が多く、名曲は少ないようです。当時カマキリ夫人と呼ばれた五月みどりは熟女Bに最も適切なキャスティングで歌詞もメロディも覚えやすい佳曲です。

「熟女」という言葉は現在完全に市民権を得て普通に使われていますが、広辞苑(第六版)にはありません。ネットで検索すると殆どエロい関係しか出てきません。しかし、日本語俗語辞書にはありました。

「熟女 Jyukujo
熟女とは、円熟した年頃の女性のこと。
【年代】 1983年   【種類】 -
『熟女』の解説
熟女とは円熟した年頃の女性のことで、1970年代後期に作られた造語「熟年」の派生語である。1983年には中森明菜のヒット曲「少女A」に対し、五月みどりが「熟女B」という曲を発表し、話題となる。熟女は年齢ではなく、風貌や雰囲気から区分されるため、具体的な年齢は定義されていないが、この言葉が使われ始めた1980年代初めには20代後半から40代辺りの女性を指した(これは目安であり、最近では30~50代という意見も多い)。」

なんと熟女Bが引用されています。これだけでもこの曲を後世に伝える価値がありそうです。解説では熟年の派生語とされていますが「熟女」があれば「熟男」があってもよさそうな気もしますが、聞いた事がありません。「熟男」は使い道がないが「熟女」は色々と需要があるという事でしょう。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★

夕陽の中で/長谷川きよし

長谷川きよしはデビュー作「別れのサンバ」が大ヒットし、それを聞いてファンになりました。盲目でありながら、ギターの奏法に迫力があり、凄い歌手が出てきたもんだ、と思った記憶があります。その後のアルバムは皆良い出来で、初期のLPは全部CDで買い直しました。彼は銀巴里がスタートという事もあり、シャンソンが得意なので、こんな曲も上手く歌いこなせるのだろうと思います。

しかしながら、その後中山千夏や「話の特集」の矢崎泰久のような妙な連中と付き合い始め、私風に言うならグレてしまい、訳分からん左翼的言辞を弄する迄になってしまいました。(民進党の辻本清美を見ると中山千夏を思い出すのは私だけ?)本人の主義主張は自由ですし、デビュー後、前と全然違う形の歌手に変化した人も沢山います。しかし、自分としてはいつまでも、あの感じで歌い続けて欲しいと思ってました。

最近は京都にお住いのようで、そのせいか枯淡の境地に近いものがあり、静かに音楽活動を続けられているようです。京都でライブがあれば、是非見に行きたいものであります。

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彼女は最初からこの夏だけの事にしたかったんです。でも若い彼氏は夢中になってしまいました。秋になれば忙しくなるんだと言っても諦めてくれそうにもありません。なんたって薄く残った水着の跡はたまりませんものねえ。でも彼女の信念に揺らぎはありません。遂に言ってしまいました「ねぇ、分るでしょう?」

最近は説明過多の歌詞が多いですが、これくらいだと色々妄想が膨らみます。また、バックのトロンボーンのアレンジも素晴らしく、初秋の感じが出ている気がします。

お嫁にゆけないわたし/三浦弘とアローシックス

「不倫は文化」で有名な石田純一氏が週刊新潮8月10日号に「迷言誕生から20年余!『不倫は文化』の検証ガイド」と題して寄稿されました。この名言は1996年長谷川理恵との不倫がフォーカス誌にバレた時、ゴルフ場で記者に追いかけられ「…でも、不倫を完全に否定してしまったら、世界からどれだけの芸術が無くなってしまうと思いますか。不倫という恋愛から生まれる音楽や文学もあるじゃなですか。苦しみや葛藤から生まれる文化もあるんです。云々」等と答えたそうです。これをスポニチが「何が悪い、不倫は文化!石田純一」と見出しに書き、ここから「不倫は文化」だけが独り歩きしてしまったと述べています。

次に「不倫から生まれた芸術や文化は、実に多彩なのです。」として、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、1950年の映画「イヴの総て」、中上健次の「枯木灘」等が紹介され、特にワーグナーについては「さて、ここからが大事ですが、ワーグナーがこういう作品を創ることができたのは、自分自身も運命的な出会いに身を委ねていたからに違いありません。」としてワーグナー自身の女性(人妻)遍歴が詳しく書かれています。その他、と不倫から文化となった種々の例を挙げています。

次に【不倫の魔力を糧に】という見出しの下「…それでも、こと芸術についていえば、不倫の魔力は強力なパワーやインスピレーションになる。不倫は背後に破滅的なものを背負っているがゆえに、決してほめられませんが、不倫を糧に生まれた作品が、100年、200年たったいまも、ロダンやクローデルの彫刻のように、僕たちに感動を与えてくれているのも事実なのです。」と本論を結んでいます。

最近は不倫報道が盛んで、またか、と思う反面興味津々ですが、餌食となった人は不運ですねぇ。私同様、石田氏と同意見であっても、周囲の顔色を伺いつつ本人を叩く評論家、コメンテーターという構図は見飽きた感があります。石田純一氏におかれましては、より深い「不倫と文化」に関する論考を上梓される事を期待しております。

という訳で不倫ソングですが、改めて見直すと不倫の歌多いですね。もっとも二人が出会って愛し愛され、目出度くゴールイン、今の私たちトッテモ幸せ!なんて歌作っても面白くも何ともないのも事実。やはり、少しは暗く悲しい面がないと入り込めないのかもしれません。

三浦弘とハニーシックスの「お嫁にゆけないわたし」は相手に妻子がある故、お嫁にゆけない、という当たり前の話ですが、既にムード歌謡が絶滅危惧種になった今、白いスーツにエナメルの靴、中条きよしみたいに結び目の太いネクタイで決めたグループがとても懐かしく思えてきます。「不倫と文化」に加え、ムード歌謡も研究してみる価値がありそうです。

King of 52nd Street / Melody Gardot

今年はチャーリー・パーカー没後62年で、これを記念して彼のヒット曲を新アレンジで色々な歌手が歌うという面白い趣向のアルバムが6月央に発売されました。(没後60年記念の予定が遅れて62年になってしまったようです。)私の好きなメロディー・ガルド―が入ってる事もあり軽い気持ちで買ってみましたが、これが予想外の曲者でした。

プロデューサーのラリー・クライン(この人は元妻がジョニ・ミッチェル、現妻がルシアナ・ソウザ)の解説によれば、このアルバムの12曲全体でチャーリー・パーカーの生涯を描く、言わばミュージカル仕立てになっているそうです。セントルイスで生まれ、ニューヨークでビバップの開祖と言われて大評判を取り、カリフォルニア移住、欧州公演とそれぞれの場面をチャーリー・パーカー作曲に歌詞を付け、それぞれ新進気鋭のジャズメンとボーカリストが「今」のジャズに仕上げています。

ラリー・クラインは、もしチャーリー・パーカーが今生きていたら、こんな演奏をしただろう、というコンセプトで編曲したそうです。よって、昔のビバップのようにシンバルでチーンチッキ、チーンチッキと拍子を取るシンバル・レガートはありません。また、チャーリー・パーカーの楽器であるアルト・サックスが全く出てこないというのも、かなりの冒険です。この大胆な企画で、これまでのチャーリー・パーカー トリビュートとは全く違ったアルバムが出来上がりました。

12曲をそれぞれ違うボーカリストが歌っていますが、メロディー・ガルド―が歌う”King of 52nd Street”はマンハッタン52通りにあったジャズクラブ「バードランド」で活躍したパーカーを偲んだ曲。もちろん店名は彼のニックネームである「バード」に因んでいます。原曲は”Scrapple From The Apple”で、オリジナル録音(1947年ダイヤル盤)もリンクしておきます。

メロディーガルド―のボーカルは軽やかなさえずり感と同時に漂う妖しさが彼女特有の雰囲気を醸し出しています。ただ自分の頭が固いせいか、パーカーが今生きていたら、というラリー・クラインの制作意図が、すんなり腑に落ちませんでした。最初に彼のインタビューを読まなければ素直に聞けたのかもしれません。

元歌となったScrapple From The Appleのオリジナル(ダイヤル1021)

デンジャラス/桐野夏生著

谷崎潤一郎の「細雪」は鶴子、幸子、雪子、妙子の4姉妹の物語である。時代は昭和11年から16年。その後の谷崎と周りの女たちを谷崎の三人目の妻である松子の妹の重子が語る。

松子は「春琴抄」のモデルであり「細雪」の幸子のモデルでもある。重子は縁遠かった雪子のモデルである。谷崎文学のモデルになったことを誇りに思い、特に重子は谷崎から言い寄られたこともあり、二人は谷崎の寵愛を欲していた。

重子はかなり年上(43歳)であるが生活力の無い田邉弘と結婚する。冒頭に重子がベットに座る男が弘と認識できず、キャっと叫ぶ場面がある。弘は総入歯で、入歯を外した顔が別人に見えたようだ。その後色々あったが死別した。(映画(1983)の吉永小百合と江本孟紀とは全くイメージが違う)田邊の死後、子供のいなかった重子は松子の前夫の息子、清一を養子に迎えた。

時は昭和26年となり、既に谷崎の「細雪」は高い評価を受けていた。下鴨神社の糺の森に隣接する「後の潺湲亭」には、谷崎、松子、重子、清一と嫁の千萬子、松子の前夫の娘、美恵子と女中が住んでいた。云わば谷崎と彼を取巻く女たちの谷崎王国であり、松子が家事を差配していた。ところが千萬子が来て以来、松子の自信は21歳の若妻に脅かされ、それは重子も同じだった。

その後の「鍵」は千萬子がモデルは無いかと疑われる。また谷崎が千萬子に入れあげ頻繁に手紙をやり取りしている事を知り、谷崎の手紙の反古を盗み見ると金銭を与えるまでになっている。松子と重子の焦燥感は更に募り、重子は酒に溺れていく。「瘋癲老人日記」のモデルも千萬子か?

谷崎はリューマチで右手が効かなくなり原稿は口述筆記していたが千萬子への手紙だけは毎日のように自筆で書き、女中に速達で出させる。谷崎は転居を繰返したが例え離れていても頭の中には千萬子しかいなかったようだ。千萬子と示し合わせ、家人に見え透いた嘘をついて上京したり、既に健康とは言えない体でありながら、情熱は失せていない。

そんな谷崎に業を煮やした重子は、松子と私を取るか、それとも千萬子を取るかと病床の谷崎に迫り、えっと驚くラストシーンになる。この物語はフィクションであるが、ラストシーンを含め、ひょっとしてこんな事があったのかなあ、と思わせるリアリティを感じる。

うわさのカム・トゥ・ハワイ/ザ・ナンバーワンバンド

8月になると終戦記念日もあり、その手の話題が増える。だからという訳でもないが、この歌を思い出した。

戦前広島からハワイに移住した農民が真珠湾攻撃を目撃し、驚き悲しんだ様子を、広島県出身の小林克也が広島弁で作詞した。流石に広島弁が上手くメロディに乗っている。かつてハワイで起業した友人によれば、日系在ハワイの老人の喋り方にそっくりだそうです。

……<2011.10.10>
小林克也が結成したザ・ナンバーワンバンドの傑作。広島出身の小林克也が広島からのハワイ移民に扮して広島弁と広島訛の英語で真珠湾攻撃の直前の模様を活写する。80年代の録音であるが、既にこれだけエンルギーのある日本語のラップが成立していたのは驚きと言える。コミカルなラップ調であるが、なかなか中身の濃い歌である。

トホホ度 ★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度

アロハ! マイネーム イズ バッキーコバヤシ
アイム ア 三世 フロム ホノルル ハワイ
アイド ライク トゥ ミート マイ グランド・ファーザー

わしらがの ハワイへの 初めて来た時の
みんながの ウェルカムの ナイス トゥ シーユー
わしらはの その時の ベリーハッピーでの
ジャパンの ホントの 百姓魂 みせてやったんじゃ

エブリデイ 耕す 水をやる
パイナップル パパイヤ グァバジュース
バイ ザ ウェイ わしらのの 原地の友達じゃ
カメハメハ アイザック ハウ アー ユー トゥナイト
ヒラヒラキラキラホロホロ カア

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらは みんな ヒロシマじゃけん
イン サイド アウト サイド
シーサイド ヒルサイド
ウィー アー オール フラ フラ シェイキン

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらは みんな クマモトじゃけん
インサイド アウトサイ
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

わしらのの ハワイでの はじめての経験じゃ
みんながの 畠での 草を刈っとっての
わしらはの その時の ナンにも アイ ドント ノウ

アサヒのかわりに 吸うたらの ええ気持じゃあ
マウイ ワウイ ゆう ダイナマイトだったんじゃ
あれはいけんの だめじゃの
ネバー ハップンじゃ

ラハイナ ルナ カイマナヒラ ホノルル ルウ
チャイナコリャ ジャパン エアーライン
パンナメリカン ヘイ

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんなヒロシマじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんな トモダチじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

あの日はの 悪夢じゃの
ベリー ベリー ソーリー
わしらはの その時の
ナンにも アイ ドント ノウ
メニーメニー エアプレイン
日の丸エアープレイン
ジャパンのの 真珠湾の 攻撃だったんじゃ

その夜の わしらはの ふとんで泣いたんじゃ
ハワイは 平和なアイランド
フラワーアイランド
ブーゲンビリア ハイビスカス
プリティ ジンジャーレイ ヘイ
ハイナ イワマイ アナ カプ アナー

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんなヒロシマじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン

きんさい きんさい ハワイにきんさい
わしらはみんな トモダチじゃけん
インサイド アウトサイド
シーサイド ヒルサイド
ウィーアーオール フラフラ シェイキン
カム トゥ ハワイ アロハ アヒ アヒ
カム トゥ ハワイ オコノ
カム トゥ ハワイ ハワイ ノー
カム トゥ ハワイ カイウラニ
カム トゥ ハワイ ジャパン エアーライン
カム トゥ ハワイ ホリディイン
カム トゥ ハワイ ヒルトン シェラトン

涙のパンダ/黒柳徹子

6月12日(私の誕生日)に上野動物園でリーリー(父)とシンシン(母)の子(メス)が誕生しました。シンシンに妊娠の兆候が表れたという事で5月25日に展示中止となりましたが、その後意外に早い出産でした。尚、その間も父親のリーリーはこれまで通り休みなく仕事しておりました。(通常展示)今のところ順調に成長しているようで、名前の公募も始まったようです。

最初のパンダは1972年の日中国交回復を記念して中国から寄贈されていますが、寄贈と言っても実際には貸与で所有権は中国側にあり、現在のレンタル料金は二頭、10年間で八億円余りだそうです。

そんなパンダ(オス)が泣いています。でんぐり返しをしてもターザンの真似しても笑ってもくれない。ひとつ年上のパンダ(メス)とどうも上手く行ってないようです。Lover Come Back To Meなどと英語を使ってますが、その後どうなったんでしょう?余談ですが、このパンダは「エマニュエルごっこ」をしたと言ってます。一体どんな遊びだったんでしょうか?謎です。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★