Blue Christmas / Elvis Presley

最近、平野ノラのネタや荻野目洋子の「ダンシングクイーン」に合せて、バブル時代の衣装で踊りまくる高校生が出て来たりでバブル時代が再度脚光を浴びている(ような気がする)。

バブル時代とは公式には1986年から1991年迄を指すようだ。あの頃のクリスマス・イブと言えば赤プリを始め、都内の一流ホテルは全て満室。当時の男子はホテル代や食事代は勿論の事、プレゼントにティファニーのオープンハートを買って、かなりの無理をしていたようだ。

そんな風潮を見聞きしてはいたが、自分はどうも関係なかったようで、あの頃のクリスマスに何していたか、全く思い出せない。多分歌舞伎町の飲み屋でクダ巻いてたんだと思うが、派手に騒いでる周囲を見回し、アホみたいとか言いながら一人寂しく、寒さを堪えながら止まらないタクシーに必死で手を振っていたような気がする。

そんな事を考えていたら、この歌を思い出した。クリスマス・ソングは数あれど、ハッピー!メリークリスマス!等と言う莫迦に明るい歌よりは、ひねくれた自分にはこういうブルーな歌の方がしっくりくる気がする。この歌は歌詞がストレートで分かりやすく、歌詞の分量も少ないので覚えやすい。やっぱり、こういう素直な歌が一番です。

I’ll have a blue Christmas without you
僕は君が居ないブルーなクリスマスを過ごすんだ
I’ll be so blue just thinking about you
僕は君を想うととってもブルーになってしまう。
Decorations of red on our green Christmas tree
僕たちの緑のクリスマスツリーの上の赤い飾り

Won’t be the same dear, if you’re not here with me
もし、君がここで僕と一緒で無かったら、同じぢゃないよね

And when those blue snowflakes start fallin’
そして、青い雪が降り始めた時

That’s when those blue memories start callin’
それは、青い、悲しい思い出が蘇る時

You’ll be doin’ all right, with your Christmas of white
君はホワイトクリスマスで上手くやってるだろう

But I’ll have a blue, blue, blue, blue Christmas
でも、僕はとってもブルーで悲しいクリスマスなんだ

You’ll be doin’ all right, with your Christmas of white
君はホワイトクリスマスで上手くやってるだろう

But I’ll have a blue, blue, blue, blue Christmas
でも、僕はとってもブルーで悲しいクリスマスなんだ

タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド/タブレット純著

タブレット純は幼少よりムード音楽やムード・コーラスが大好きで、高校卒業後、古書店員、歌声喫茶店員等を経て27際の時に遂に憧れのマヒナスターズ団員となることができました。マヒナスターズ解散後は一人でギター漫談、声帯模写で寄席に出ていますので、TVでご覧になった方も多いかと思います。声帯模写は夏木ゆたか、とかジャパネットの高田元社長なんかが得意なんですが、似てるかと言われると微妙。漫談では顔の半分で笑えるくらいの半笑いを提供してくれています。

本書はタブレット純が毎週土曜日17:55~20:00にラジオ日本で放送されている「タブレット純の音楽の黄金時代」という番組でオンエアした曲を中心に昭和の名曲が紹介されています。選曲はかなりマニアックで、ディレクターからもっと、ベタな曲を選べ、と𠮟られる事もあるそうです。(12月9日放送分はリクエスト特集だったので、私が知ってる曲が沢山かかり、実に懐かしかったんです。)

最初の章にアルフィーの高見沢俊彦氏との対談があります。タブレット純の専門はムード歌謡ですが、GSもかなり研究しており、彼は昭和49年生まれながら高見沢氏より詳しいのには驚きました。尚、本書発売と同時に「夜のペルシャ猫」という新曲が発売されています。

しかし、タブレット純を発掘し、一人で2時間の番組をやらせたラジオ日本ディレクターの慧眼は大したもんです。
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タブレット純「音楽の黄金時代」

平成29年11月25日

平成29年12月2日

平成29年12月9日

Christmas In Kyoto / Michael Franks

米国では感謝祭の翌日の11月第4金曜日をBlack Fridayと言い、多くの小売店が大売り出しを始めます。競争が激しいため、各店舗が開店時間を徐々に繰り上げた結果、最近では午前4時や5時開店という店も珍しくなくなりました。ワカイシは徹夜で騒いで、年寄はもう目を覚ましているので店は朝から大変な騒ぎになり、この日から米国はクリスマス歳末モードになります。以前勤務していたロサンジェルスの会社ではワカイシが大きなCDラジカセをオフィスに持ち込み朝から晩までクリスマス・ソングを流していましたが誰も咎める人はいませんでした。もう仕事する気はありません。
マイケル・フランクスはボサノバを歌っていたので、何となく夏のイメージがありますが、冬でもチャンと歌っています。京都の小さなホテルで彼女と過ごすクリスマス。忘れられない思い出になったようです。黒澤明が出てきますが、発音が難しいんでしょうか、黒澤明に聞こえません。また、クリスマスのご馳走にカッパ巻というのも何となくかわゆいです。

I can’t forget the time we spent Christmas in Kyoto
僕は京都でクリスマスを過ごした時間を忘れられない。
At that small hotel overlooking the pagoda
五重塔を見下ろす小さなホテルで
with a thousand statues standing at attention
直立不動の姿勢で立っている数千の仏像と、
and not one the same like in one of those films by what’s-his-name?
そしてそれはどれも違っていて映画の一つに出てくるのに似ている、彼の名前は?
Ah, Akira Kurosawa
ああ、黒澤明
Who could forget the time we spent Christmas in Kyoto
誰が僕たちが京都で過ごしたクリスマスの一時を忘れる事ができようか。
Ornaments so fine in a silk of your kimono
絹の着物の飾り物が綺麗だ
Though we have no tree
僕たちにツリーは無いけれど
I feel certain you remember
僕は君が確かに覚えていると感じてる
how your touch sublime
君がどのようにして崇高なものを得、
and your holiday spirit lit up mine
そして君の休日の精神が僕を高揚させる

That Christmas in Kyoto
京都のクリスマス
That Christmas in Kyoto
京都のクリスマス
That perfect Christmas in Kyoto with you
君と一緒の完璧な京都のクリスマス

Celebrating Christmas in Kyoto
京都でクリスマスを祝う
All in telephoto only you and me has convinced me it is worth believing
全てが僕と君の望遠写真がそれは信ずるに足るものだと確信させてくれる
In giving and receiving unreservedly
率直に分かち合う事によって

And last but sure not least
そして大事なことを言い忘れたが、
The hotel provided sake and our Christmas feast kappa-maki with wasabi
ホテルがくれたお酒とクリスマスのご馳走、山葵のついたカッパ巻
Through the window we noticed snowflakes started falling
窓越しに雪が降り始めた事に気づいた
They were right on cue
合図通りに
Cinematically falling for me and you
映画のように僕と君の為に降っている

It’s highly unlikely I’ll soon forgets
僕がすぐに忘れることはないだろう
That Christmas in Kyoto
京都でのクリスマス
All up and down the chimney
煙突を上り下りしていたのは
Just Santa and you
サンタと君だけ

 

Tickle Toe / Lambert Hendricks & Ross + Count Basie Orchestra

最近はどうも新聞の死亡記事が気になります。最近見つけた訃報が今日の主人公であるジョン・ヘンドリックスです。

彼はデイブ・ランバートとアニー・ロスとの三人組(以下LH&R)でボォーカリーズを完成させました。ボォーカリーズとは器楽演奏を歌で再現するという非常に難しい芸です。元々は戦前の曲に歌詞を付けて歌っていましたが、それを聞いたカウント・ベイシーがいたく気に入り、彼のバンドをバックに3人が歌うという豪華企画が実現しました。尚、ジャケットに見えるJoe Williamsはブルースが得意であった当時のベイシー楽団専属歌手です。

取り上げる曲は勿論ベイシー楽団のヒット曲ですがその中でもこのティックル・トー(むず痒い足)は忘れられません。当時ベイシー楽団に在籍していたテナーのレスター・ヤングのソロをコピーして歌っています。

言うまでも無くジャズの醍醐味はアドリブ・ソロですが、名奏者は素晴らしいメロディを紡いでおり、昔は上手いソロの事を「良く歌っている」と表現していました。レスター・ヤングは独特の斬新なアドリブを吹いており、多くの人がこれを丸暗記しています。私もいつでも脳内で再生できます。

戦前のテナーサックスはコールマン・ホーキンスに代表される力強い堂々とした奏法が主流でした。処がレスター・ヤングは線が細く、なよなよした新しい奏法で油井正一はかつて「つながると思えば切れ、切れると思えば繋がる」という分かったような分からないような解説をしていました。この新スタイルに当時の若いミュージシャンが追随し、後年主として米国西海岸で盛んになったクールジャズの源流になったと言われています。また、レスター・ヤングこそがモダンジャズの原点だという人もいます。

レスター・ヤングは1944年に徴兵され殆どのミュージシャンは軍楽隊に配属されるのが通例でしたが彼は兵役に従事。
大東亜戦争終戦後に除隊し演奏活動に復帰しましたが大和明氏は「軍隊で黒人差別による精神的なダメージを受けたので除隊後の演奏には採るべきものは無い」と批判していました。これに対し、レスター・ヤング命の大橋巨泉氏は「大和君はそういう事を言うけどそんな事は無い」と強く反論していました。私は大橋巨泉氏に一票。

レスター・ヤングのソロに魅せられた後輩たちは彼へのトリビュートを録音しています。リー・コニッツは本業のアルトからテナー・サックスに持ち替えてレスター・ヤングのソロを再現しており、これを始めて聞いたときはジワッ、ウルッと来たことを覚えています。ベイシー楽団のオリジナルとLH&Rの歌、そしてリー・コニッツとアート・ペッパーの録音を聞き比べてみてください。先輩のレスター・ヤングを敬慕する素晴らしい演奏です。

LH&R / Tickle Toe with Count Basie Orchestra (聞き取り不能の為、歌詞は省略) 

Count Basie 楽団オリジナル(1940年録音)

Lee Konitzのアルバム 「Duets」のTickle Toe. 共演しているのは Richie Kamuca

Art Pepperのアルバム 「Surf ride」のTickle Toe.

スタコイ東京/菊池正夫

数ある珍盤・奇盤の中でこの歌は忘れる訳には行かないでしょう。何弁か分からない非標準語で歌われていますが、今風に言えばラップとも言えます。

問題はタイトルの「スタコイ」の意味がハッキリしない事です。ネットで検索するとなんと、WEBLIOに用例がありました。鳥取弁だそうです。
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《品詞》形容詞
《標準語》すばしっこい、立ち回りが機敏だ、手が早い、要領がよい
《用例》「あのもんは、なかなかすたこいもんだぞ」(あやつは、なかなか機敏な奴だ)
《用例》「お前はとろいけ、もうちいとすたこーならないけん」(もう少し、機敏で要領よくならなきゃいけない)
………………………………….

一方津軽弁という説もあります。以下は「阿修羅♪」というサイトからの引用です。スタコイの意味を議論しています。

…………………………………….
私は津軽に住んでます。これは津軽弁だと思うのですが・・・
「スタコイ、スタコイ」は「たいした怖い、たいした怖い」という意味で使っています。

「~はんで」は「~なので」
ちなみに「ダッキャッダッキャ節」のダッキャは「そうだねそうだね節」という意味です。
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菊池正夫には「ダッキャッダッキャ節」という歌がありますが、ダッキャッダッキャも津軽弁だそうです。これから見ると津軽弁に軍配が上がるような気がします。後に彼は東芝に移籍していますが、東芝から「スタコイ・ポップス」というオムニバスアルバムが2枚出ています。

この2枚のアルバムは当時の東芝所属の和製ポップスを集めたものですが、それにスタコイというタイトルを付けているという事は当時は誰でも知ってる言葉だったんでしょうか?

尚、菊池正夫は後年城卓矢と名前を変えて歌った「骨まで愛して」が大ヒットになりました。

この歌は、ちあきなおみがカバーしています。彼女は引退してしまいましたが、改めて聞いてみると中々上手い歌手でした。少なくとも女性で「スタコイ東京」を歌いこなせる人は他に居ないでしょう。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★☆

You’d Be So Nice To Come Home To / Helen Merrill + Clifford Brown

クリフォード・ブラウンのレコードはマックス・ローチとのBrown Roach Quintetのアルバムを何枚か持っていますがLPなので、少々聞きにくい状況になっています。クリフォード・ブラウンはどのアドリブを聞いても全く破綻が無く、上手すぎるという感じです。酒やスリクにも縁が無く、その人柄の良さからミュージシャンたちの信頼を得ていました。彼の死後、Lee Morganは”I Remember Clifford”という素晴らしい追悼歌を作曲し、スタンダードとなって今でも時折演奏されます。この歌のタイトルは解釈が難しいので、忘れないために過去のブログ記事を復活・再掲しておきます。
………….2011.08.18
26歳の若さで同僚リッチーパウエルと共に自動車事故で夭折した天才トランペッタークリフォードブラウンが24歳の時の録音です。24歳とは思えない艶っぽいソロを聞かせています。歌っているのは当時「ニューヨークの溜息」と渾名されたヘレンメリルでその名に恥じないセクシーな名唱を聞かせています。クリフォードブラウンとヘレンメリルの相性もピッタリで、ジャズファンなら知らない人はいないという名盤が生まれました。ジャケ写も良い仕事してます。

You’d be so nice to come home to/あなたの待つ家へ帰れたらどんなにすてきでしょう
You’d be so nice by the fire/あなたが暖炉のそばにいてくれたらどんなに素敵でしょう
While that breeze on height sang a lullaby/そよ風が高くまいながら、子守唄を歌ってくれて
You’d be all that I could desire/私が求めるものがあるとしたら、それは、あなただけ
Under stars chilled by the winter/冬の寒さに震える星の下でも
Under an August moon burning above/空で燃えさかる真夏の月の下でもYou’d be so nice you’d be paradise to come home to and love/帰って行くところとして、そした愛する相手として、あなたがいてくれたら素敵で、どんなに楽園のようでしょう

「帰ってくれたらうれしいわ」という邦題が付いていますが、大分前に大橋巨泉がこのタイトルはおかしい、なぜなら最後に”to”がついているからだと言ってました。しかし、彼も明確に誤りを指摘できた訳ではありませんでした。長い間謎が解けませんでしたが、最近、江口裕之という英語の先生のホームページに詳しい解説があり、やっと納得できました。要は家で待っているのは私なのかそれとも彼(または夫)なのか?という事です。ちょっとくどくなりますが江口先生の解説の一部を引用します。
It is hard to drive on this road/この道路は運転しにくい。という文章をThis road を主語にして書き換えると;
This road is hard to drive on となります。最後のonが無いと文章になりません。(This road が主語となれない)もう一つ;
It is easy to live in this city/この町は住みやすい をThis cityを主語にして書き直すと;
This city is easy to live in となります。やはり文末のinは落とせません。では応用問題;
It would be so nice to come to you/貴方のそばに行くのはとっても素敵なこと(でも仮定法だから出来ない)これに副詞のhomeを入れると;
It would be so nice to come home to you/あなたの待つ家へ帰れたらどんなに素敵でしょう。となります。これをYouを主語にして書き換えると;
You would be so nice to come home toとなります。すなはち、待っているのは彼で彼が待っている家に帰れたらどんなに素敵な事でしょう、という意味になります。解説を読んでなる程と納得しましたが、自力では発見できませんでした。何はともあれ、20年来の疑問が解けて非常にスッキリした今日この頃です。

I remember Clifford / Lee Morgan (Lee Morgan Vol.3)

あ~五十肩/智子

6月半ば、朝起きた時に左の肩にピリッと痛みが走り、暫くして右肩にも同じ痛みが発生。暫く肩をグルグル回したりなんかしてみても、逆に痛くなるばかり。仕方なく新宿駅近くの大病院の整形外科へ。出てきた先生はかなり若いのに、貫禄があり、かつ怖そう。今時珍しい昔風の医者って感じ。まずレントゲンを撮って「骨には異常なし」という診断。「五十肩ですか?」と聞くと「いや、四十肩」という返答。四十肩だから若い、とか言って喜んでる場合では無い。先生の威厳のある物言いにとうとう四十肩と五十肩はどう違うんですか?と聞けず仕舞。「飲み薬と貼り薬出しときます。」と言って、はよ帰れと言わんばかりの態度。「次はいつ来たら良いでしょうか?」と聞くと「もう来なくてよろしい、一年位すれば治る。」と冷たく見放されてしまいました。

幸いにも近所にリハビリ施設のある整形外科を見つけたので、今はそこに通っています。若いおねーさんが引っ張ったり、押したり、揉んだりしてくれて快適。ちゃんと分度儀で腕の上がる角度も計ってくれます。しかも保険適用で鍼より安い。だから不精な私でも週に1~2回通う意欲が湧いてくるんです。

この歌を歌っている智子さんは九州博多で活動しておられる専業主婦シンガーソングライター。写真を見ると若そうですが、ブログには昭和30年生まれと書いてありました。かつてはヤマハのポプコンに出たこともある実力派。子育てに目途が付き50歳になった時に音楽活動を再開したそうです。
この歌は多分ご自身の体験でしょう。彼女も四十肩と五十肩はどう違うか悩んでいます。アレンジが昭和のムード歌謡風で、カラオケで歌いたくなります。

トホホ度 ★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★

 

Dixie Jass Band One-Step / ODJB (Original Dixieland Jass Band)

色々な人がジャズの歴史を研究しているが、その起源はクラシック音楽と違い、ちゃんとした譜面や記録が無いので、推測の域を出ません。現存する最古の記録としては、この曲を含む1917年のODJB (Originail Dixieland Jass Band)の録音があり、他にこれといった資料も無いので、この録音をもって嚆矢としました。(当時はJAZZではなくJASSと綴っていた)よって、今年はジャズが誕生して100年になります。

ところで、ジャズのルーツはアフリカだと言われています。アフリカの黒人が奴隷として米国に連れて来られ綿花畑での労働歌がブルースとなり、これがジャズの源泉となったというのが定説です。当時の黒人は楽器はありませんでしたが1861年に始まった南北戦争で廃物となった軍楽隊の楽器が黒人が持った最初の金管楽器だろうという説もあります。初期はトランペットがジャズの花形楽器であったのも軍楽隊のラッパから来ているのでしょう。

米国の作家アレックス・ヘイリーの「ルーツ」(1976)はベストセラーとなり、映画やTVドラマにもなりました。アフリカにルーツを持つ黒人が先祖であるクンタ・キンテを探すというノン・フィクションです。処が出版後これは事実では無いとか盗作であるとか多数の異議が出ました。例えば当時、殆どの奴隷はアフリカー米国間が長距離であるためアフリカ西岸から南米へ運ばれ、その後南米から米国へ移送されていました。しかしながら「ルーツ」ではアフリカから直接米国に上陸した事になっており、これが不自然だという指摘です。

私は奴隷は直接米国に来たものだと思っていましたが、この論争の中で一旦南米に上陸し、そこですぐに米国に移動した者もあれば長く南米に留まった例もあるという事を知った訳です。米国の黒人ジャズメンが直接アフリカを示唆するような演奏よりも南米に親和性を見せている例が多いのは、彼らの先祖が経由地の南米で南米音楽を吸収したDNAのなせる業でしょうか。

録音は1877年にエジソンが発明した蝋管式蓄音機で始まり1917年時点では蝋管でなく現在のように円盤になっていました。但し、電気録音の発明は1925年であり、この時点では蓄音機のラッパへの直接吹き込みでした。ここに取り上げたODJBの演奏は電気録音では無いにも係わらず意外にも各楽器の音がそれぞれ捉えられている。当然マイクは無いので、蓄音機のラッパの前に立ち、音の大きい太鼓は少し後ろに配置したりしてバランスを取ったのでしょう。尚ODJBのメンバーは全て白人です。人種差別意識の強かった時代に黒人が録音する事は考えられず、仮に録音してもそのレコードを買う人は無かったようです。

黄色いさくらんぼ/スリー・キャッツ

今年は浜口庫之助(通称ハマクラ)生誕100年なんだそうです。浜口氏は戦前学生バンドでプロとなり、戦後は主として作曲家として数多くのヒット曲を出しています。「黄色いさくらんぼ」は多分最初のヒットだと思います。同時期に守屋浩の「僕はないちっち」も大ヒットしてます。また日本のフォークの黎明期にマイク真木が歌った「バラが咲いた」もハマクラさんでした。

作詞は星野哲郎ですがお熱い話に ンー おしゃれな話に ヘエー おいしい話に ウァー」なんて中々上手いと思いますしかし黄色いサクランボというのが何か、今市良く分りません。これは未だ熟れていなく赤くないサクランボという意味で、要するに熟れる前の可愛い娘という事でしょうか?

サクランボは英語でチェリーですが、チェリーにはバージンという意味があります。(蛇足ですが、英語では男女共にvirginと言います)という事は未だバージンにもならないサクランボという事でしょうか?(それぢゃ、まるでガキ)
余談ですが山形県で栽培されている「月山錦」という品種は正真正銘の黄色いサクランボです。しかし希少品種のため、余り市場に出回らないようです。

若い娘は ウフン
お色気ありそうで ウフン なさそで ウフン ありそで ウフン
ほらほら 黄色いサクランボ
つまんでごらんよ ワン
しゃぶってごらんよ ツー
甘くてしぶいよ スリー
ワンー ツー スリー ウーン
黄色いさくらんぼ

若い娘が ウフン
三人揃えば ウフン ペチャクチャ ウフン ペチャクチャ ウフン
コロコロ 黄色いさくらんぼ
お熱い話に ンー
おしゃれな話に ヘエー
おいしい話に ウァー
ワンー ツー スリー ウーン 黄色いさくらんぼ

若い娘は ウフン
お脈がありそで ウフン なさそで ウフン ありそで ウフン
なんだか 黄色いさくらんぼ
さわっちゃいやいや ワン
はなしちゃいやいや ツー
ふざけてすまして スリー
ワン ツー スリー ウーン 黄色いさくらんぼ

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★☆

The Changing Lights / Stacey Kent

毎年ノーベル文学賞発表時期になるとハルキストなる人々が謂集し、吉報を待つ。しかし今年も村上春樹の受賞は無く、ハルキスト達はクラッカーを鳴らし、アーとかウーとか言って去って行った。

受賞したKazuo Ishiguroは長崎県で生まれ、5歳の時に英国に移住し、現在は英国籍であるが、まるで日本人が受賞したような騒ぎになっている。英国は二重国籍を容認する国なので、もし現時点で英国と日本の二重国籍であったら、どんな騒ぎになっていたか。余談であるが、Kazuo Ishiguroの著作と今年のノーベル経済学賞のリチャード・セイラー及び同物理学賞のライナー・ワイス、キップ・ソーン、バリー・バリッシュの3氏の著作は共に早川書房の出版であり、二人しかいない営業部員はてんてこ舞いの忙しさであるらしい。

ステーシー・ケントは米国東部生まれで22歳の時に音楽の勉強のために英国に渡り、以降ロンドンを中心に音楽活動を続けている。彼女のアルバム”Breakfast on the Morning Tram”は大ヒットし、グラミー賞にもノミネートされた。このアルバムではKazuo Ishiguroが4曲作詞している。最新作である”I know, I dream”では”The Changing Lights”と新幹線を題材にした”Bullet Train”の2曲を作詞している。

彼女とKazuo Ishiguroの出会いは英国 Independent紙の
How we met: Stacey Kent & Kazuo Ishiguro によると、スステイシーは2002年に”Unconsoled” 「充たされざる者」と”The Remains of the Day”「日の名残り」を読んで彼のファンになり夫でサックス奏者・作曲家のMr. Jim Tomlinson と共に彼が出ているラジオ番組を聴いていた。するとKazuo Ishiguroが私の歌をかけたのを聞いて驚いた。とても嬉しかったので、早速礼状を書き、それから電子メールのやりとりが始まった。その後ランチを共にする機会があった。彼女はKazuoに畏敬の念があったため、当初は委縮していたがすぐに打ち解けた。同年”In Love Again”のライナーノーツ執筆を依頼した。それは全く素晴らしい出来であり、夫と共にお礼のランチに招待した。その席で突然夫がKazuoにステイシーの為の作詞を依頼したところ快諾された。(以下略)

Were we leaving Rio or were we in New York?
私たちがリオを離れる時、それともニューヨークにいた?
I remember bossa nova on the breeze
私はそよ風に乗ってるボサノバを覚えてる

We were in the back seat of a cab we couldn’t afford
私たちは払えないタクシーの後部座席にいた
You were holding my old rucksack on your knees
あなたは私の古いリュックサックを膝の上に抱いていた

You leaned towards your window to see the traffic up ahead
あなたは先に行く車を見ようと、窓にもたれかかってた
“These commuters here,” you said “Could be the walking dead”
これらの通勤者は生ける屍かもしれないとあなたが言った

And we vowed to guard our dreams
私達は自分の夢を守ると誓った
From all the storms that lay ahead from the winds of fear and age and compromise
この先待ち構えるのが嵐と恐怖と年齢と妥協の強風だったとしても
And we laughed about the hopelessness of so many peoples lives
そして、渡地たちは多くの人々の人生の絶望を笑った
As we slowly moved towards the changing lights.
私たちが変わろうとする信号に向かってゆっくり進んでいる

It was near Les Invalides or perhaps Trafalgar Square
それはアンヴァリッドの近くか、もしかしたらトラファルガー広場
It was late at night the city was asleep.
夜は更け、街は深い眠りの中

You were clowning in the back seat with some friends we’d found somewhere
あなたは何処かで出会った友人たちと後部座席でふざけていた
The kind, back then, we always seemed to meet
あの頃、私たちが知り合うのはそんな人たちだった
There were those in this great world you said “Just fated to go far”
この広い世界には遠くに旅するように運命づけられている人々がいる、とあなたは言った
And among the lucky ones were we inside that car
そして車に乗っている私たちが恵まれてる者という事ですね.

And your friends began to sing “When You Wish Upon A Star”
そしてあなたの友達が「星に願いを」を歌い始めた
And you clapped along like you didn’t have a care
そしてあなたは何も気にしていない素振りで手を叩き続ける
But once I turned to glance at you as we drove across the square
でも車が広場を横切る時ふとあなたを見ると

And your face looked haunted in the changing lights
あなたの顔は変わりかけた信号の中、何かに取り憑かれているように見えた

Was it last September?
あれは去年の9月?
It was autumn more or less
秋の頃
You were waiting to cross some busy boulevard talking on your phone to your family I guess
あなたは多分あなたの家族に電話しながら込み合った大通りを渡ろうと待っていた
Your briefcase tucked up high beneath your arm
あなたは小脇にブリーフケースを抱えて

As I approached you turned around
私が近づくとあなたは振り返り
A question in your eye
怪訝な眼差し
As though I might ignore you and just simply walk on by
まるで私が無視して歩き去ったかのように

But we smiled and talked awhile about each others lives

でも私たちは微笑み暫くお互いの近況について話をした
And once or twice I caught a wistful note
そして、一度か二度私はあなたの知りたげな様子に気づいたけれど
Then you moved towards the crossing as the cars slowed to a halt
車が速度を落として近づくと、あなたは横断歩道へと歩いて行った
And we waved and parted beneath the changing lights
そして変わりつつある信号の下で手を振って別れたの


The Changing Lights / Stacey Kent