最強の女/鹿島茂著

最強の女とはだれか?それは吉田沙保里!というのは冗談ですが、鹿島茂の選んだ五人の最強の女とは?カバー裏の説明によれば「恋人、愛人、夫の名前を並べるとその時代の有名人の名鑑が出来上がる。」

舞台は19世紀末から20世紀初頭のパリ。その五人は
(1)ルイーズ・ド・ヴィルモラン
(2)リー・ミラー
(3)ルー・ザロメ
(4)マリ・ド・エレディア
(5)ガラ

この中で最も有名なのはルー・ザロメでしょう。1861年2月12日、ロシアの首都サンクトペテルブルクで六人兄弟姉妹の長女として生まれた。彼女については自伝、評伝もあり「ルー・サロメ -善悪の彼岸 」という映画にもなっている。監督は『愛の嵐』のリリアーナ・カヴァー二監督。ルー・サロメ役のドミニク・サンダが怪しい雰囲気を醸し出している。

ルー・ザロメには「三位一体」という妙な計画があった。「要するにルー・ザロメが夢見たのは、女一人と男二人がセックス無しで共に勉学に励むという三位一体(トリニテ)の計画である。(後略)」。その一人が当時32歳、気鋭の哲学者でルー・ザロメに一目ぼれしたパウル・レーであった。しかし、彼女は求婚をつれなく拒絶する。パウルは彼女の三位一体計画を知り悩んだあげく師と仰ぐニーチェに手紙を書いた。ニーチェは彼女に会った途端に恋に落ちた。ニーチェも彼女に結婚を迫ったが、拒否され仕方なく彼らは三位一体の生活を始める。

彼らはニーチェの発案で三位一体完成記念写真を撮影した。右端がニーチェ。彼女は鞭を持っているが、二人の男が指揮されているという意味であろうか。映画にもこの写真を撮る場面が出てくる。

三人のヌード。この写真のオリジナルには全身が写っている。三人の共同生活はニーチェが強い結婚願望を抱いたのを彼女が嫌悪し1ヶ月で終焉した。彼女はニーチェと別れ、パウロ・ルーとベルリンで5年に及ぶ共同生活を始めた。パウロ・ルーは彼女との結婚を諦めてはいなかったが、やはり拒絶された。彼女は同棲しているにも関わらずベルリン社交界の花となり、名士の多くが彼女に求婚した。数々の求婚を断ってきたが、1887年突如としてフリードリヒ・カール・アンドレスというベルリン東洋語学研究所のトルコ語教授と結婚した。アンドレスは彼女に一目惚れし、ナイフを持って彼女の家に押しかけテーブルの上にそのナイフを置き、そのナイフで自分の胸を刺した。アンドレスは一命を取り留めたが、自分が犯人だと疑われるのを恐れ彼女は結婚を承諾した。

アンドレスとの結婚生活はアンドレスが84歳で没するまで43年間続いたが「それは、結局のところ、フランス語で言うところの『白い結婚(マリアージュ・ブラン)』つまり肉体関係の伴わない結婚に終わったのである。」この揉め事を避けるため彼女はアンドレアスに代理妻を用意した。

しかし、1897年ミュンヘンで詩人のリルケと知り合った時は「二人は肉体的にも『完全合体』を遂げ、高度な次元へ到達したと感じたのである。」中略「リルケは純粋な詩人であると同時にジゴロのような性的テクニシャンであって、おそらく、ルーを初めて性的なオルガスムスへと導き、恍惚感を与えたということになる。」

1899年4月彼女はリルケにアンドレアスと三人でのロシア行を提案した。彼女はロシア語が母語であり、リルケにロシア文学を学ばせるという名目でロシア語教師となっていた。リルケはこの提案にのり、彼女とアンドレアス、リルケの三位一体のロシア旅行に出発した。帰国後彼女はリルケと別れるため二人だけで二度目のロシア旅行へ出かける。

パウル・レーは1901年10月イン川で溺死した。自殺とみられている。これを聞いたルー・ザロメは彼とは別れて14年になるが、原因は自分にあると考えた。精神的に衰弱した彼女は主治医のフリードリッヒ・ピネーレス博士の勧めにより転地療法としてチロルへ移住した。ピネーレスは同行し、彼女は41歳にして初めて妊娠した。ピネーレスは驚いて夫のアンドレアスのもとに赴いて離婚を懇願しようとしたが、夫の性格を知りぬいている彼女は強く反対し、結局堕胎した。その後1902年にピネーレスと別れアンドレアスの元に戻った。

1911年ワイマールで彼女の愛人の紹介でフロイトに出会う。この時点でルー・ザロメは既に女流作家として名前が通っており「エロティーク」という著作を著した時からフロイトに興味を持っていたようである。このため1912年からフロイトのいるウィーンに滞在し「集中学習」を開始した。しかし、この二人の間には肉体関係はあり得なかった。「なぜなら、『失われた父』を求め続けたルーにとってフロイトはまさに『見出された父』あり、その『父』と関係を持つことは忌まわしい近親相姦となったからである。」

最後に紹介されているガラは1894年帝政ロシアのカザンで生まれた。彼女はポール・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリのシュールレアリスムの三巨頭を手に入れたと言って良い。ポール・エリュアールとマックス・エルンストとは三角関係が長く続いた。その後ダリとは正式に結婚している。これまで紹介された4人は自身で詩や小説或いは写真等による表現者でもあった。しかし、ガラは自身で創作する事はせず、金の為にダリに絵を描かせた。

彼女がスペインでダリに初めて会ったのは1930年。25歳で童貞であったダリが一目惚れ。同行したエリュアールがダリの背中を押し、ガラは「いやいやながら」ではあったが、海辺を何度か散歩していると遂には「ねぇ坊や、わたしたちもう離れられないんじゃない?」と呟くに至った。エリュアールは当時ガラと結婚しており、ダリを3Pの代打位にしか思っていなかった。エリュアールはガラとダリの仲に気付かず、彼女を置いてフランスに帰った。

その後二人はマルセイユのアパートに移り、ダリを画作に没頭させた。ガラはなんとかダリの絵を売ろうとするが、中々商売にならず、暫くの間極貧性格を余儀なくされる。その後ガラのマネージメントの手腕が発揮され徐々に絵が売れるようになるが、スペイン内乱、第二次世界大戦勃発の混乱を避け、二人はアメリカに亡命した。

ガラは金の為にダリの尻を叩いて絵を描かせた。Mであったダリは絵を描けと責められる事に快感を感じていたが肉体的接触は極端に嫌った。鹿島茂はダリは裸体のガラを視るだけで満足する「搾視症のオナニスト」と断じている。次第にシュールレアリスムがブームとなってダリの絵が巨額で取引されるようになり、生活は潤ったがガラはダリに対するSだけでは満足できなかった。ガラがニューヨークで若い男に声を掛けている姿が何度か目撃されているそうだ。

ダリとガラ(ガラが特に美人とは思えない)

ルー・ザロメ、ガラ以外の三人も波乱万丈の生涯を送っている。5人に共通するのは一人の男では満足できない、しかしセックスだけでは無い、という処でしょうか。本書は数々の自伝、評伝、資料を纏め5人のファムファタール(運命の女)の生涯が簡潔に紹介されており、類書の無い、面白い読み物になっている。

蛇足ですが、著者は本書の装丁に満足されているんでしょうか?

タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド/タブレット純著

タブレット純は幼少よりムード音楽やムード・コーラスが大好きで、高校卒業後、古書店員、歌声喫茶店員等を経て27際の時に遂に憧れのマヒナスターズ団員となることができました。マヒナスターズ解散後は一人でギター漫談、声帯模写で寄席に出ていますので、TVでご覧になった方も多いかと思います。声帯模写は夏木ゆたか、とかジャパネットの高田元社長なんかが得意なんですが、似てるかと言われると微妙。漫談では顔の半分で笑えるくらいの半笑いを提供してくれています。

本書はタブレット純が毎週土曜日17:55~20:00にラジオ日本で放送されている「タブレット純の音楽の黄金時代」という番組でオンエアした曲を中心に昭和の名曲が紹介されています。選曲はかなりマニアックで、ディレクターからもっと、ベタな曲を選べ、と𠮟られる事もあるそうです。(12月9日放送分はリクエスト特集だったので、私が知ってる曲が沢山かかり、実に懐かしかったんです。)

最初の章にアルフィーの高見沢俊彦氏との対談があります。タブレット純の専門はムード歌謡ですが、GSもかなり研究しており、彼は昭和49年生まれながら高見沢氏より詳しいのには驚きました。尚、本書発売と同時に「夜のペルシャ猫」という新曲が発売されています。

しかし、タブレット純を発掘し、一人で2時間の番組をやらせたラジオ日本ディレクターの慧眼は大したもんです。
……………………………………………………………………
タブレット純「音楽の黄金時代」

平成29年11月25日

平成29年12月2日

平成29年12月9日

文豪の女遍歴/小谷野敦著

「どうでも良いと思いつつ、やっぱり気になる他人の色ごと」特に昨今不倫報道が色々出てくるとつい古い諺を思い出してしまいます。「人のフリン見て我がフリン直せ」

この本、買うか否か少々迷いました。男女文士62人の女遍歴、男遍歴、男色が語られており、これだけの色事を読まされては胸焼けしそうな気がしたんです。

小谷野敦は国文学者・文芸評論家で実に多くの資料に当たり、真実を究明しています。文体が簡潔なのは綿密な調査の裏付けがあるからでしょう。例えば夏目漱石の項では「(前略)漱石は一度しか結婚せず、多くの子供をなしたが、妻以外の女とはセックスせず、娼婦を買ったこともない。(中略)なぜ漱石が『国民作家』になったかといえば、東大卒の英文学者で東大講師をしており、明治四十年代以降、自然主義が盛んになって、性的な経験を描く作家が増えた中で、漱石は性的なことがらを書かなかったから、中産階級の家庭で、漱石なら読んでもいいということになったからである。」これ以上簡潔な漱石論は他にないでしょう。

佐藤春夫の項で、谷崎潤一郎が佐藤の求めに応じて妻千代を譲渡した事件については「(前略)だが、深読みをすれば、佐藤が好きだったのはもともと千代でなく、谷崎のほうだったのだろう。ホモーソーシャルでホモエロチックなもので、芥川も谷崎に惹かれていたし、谷崎というのは男に崇拝される質なのである。谷崎が好きだったからその妻の千代も欲しかった、ということだろう。」と述べている。

男色と言えばまず「仮面の告白」の三島由紀夫が思い浮かぶが、彼は本物のゲイでは無いという論もあり、本書ではバイセクシャルとしている。しかし「ヒタメン 三島由紀夫が女に逢うとき…」という著作のある岩下尚史はTVで、ちゃんとしたゲイの方はご家庭とお子様をお持ちなの、と言っていた。自身が独身である事を卑下しての発言であるが、妻子があるからゲイでは無いとは言えないというのが本意であろう。川端康成も同様であるらしい。

宇野千代の項では「『徹子の部屋』に出た時は、黒柳徹子が『尾崎士郎さん…』というとすかざす『寝たっ!』と言うので、あとで黒柳が、あんなにお昼寝をするように寝た寝た言う方は初めてだと笑っていたという。ところが小林秀雄だけは、寝たでも寝ないでもなく口を濁したので、あとで訊いたら、雑魚寝をした、という。」宇野は色んな男と寝た話をするが、瀬戸内寂聴が宇野を京都の自宅に接待した時も小林秀雄だけは濁したそうです。

著者がかなり細かい事情まで把握できるのは昔は私小説という形態が多く、自身あるいは実在の人物がモデルになっているので本編、周辺資料、書簡からかなり正確に実際を推定出来るようです。例えば田山花袋の「蒲団」は本人の実話であると断じており国文学の研究とはこういう事かと得心した次第であります。全体を通じて、本人及び周囲の女性の自殺或いは精神異常が多いのが驚きです。全ての自殺、精神異常が色絡みとは言えないでしょうが、やはり当時は不倫するのも命がけといった処でしょうか。
一読三嘆当世文豪気質。

昭和と師弟愛/小松政夫著

博多生まれの小松政夫(本名:松崎雅臣)は昭和31年俳優を目指し兄を頼って横浜に出てきたが俳優座の月謝が払えず、俳優を断念。横浜トヨペットのセールスマンを経て昭和39年1月より植木等の運転手兼付き人となる。セールスマン時代は口八丁・手八丁で売りまくり月給12万円を稼いだが、付き人となっては世間並みの月給7千円。当時既に植木等は大スターで多忙を極め、付き人の小松は1週間の睡眠時間が10時間しかなかった事もあった。しかし、小松は植木等の傍に居るだけで嬉しく、全然つらくなかったそうだ。現在NHKで土曜夜放送中の「植木等とのぼせもん」には本書にあるエピソードが、上手く映像化されている。

付き人になってからは植木等のはからいで、しばしばチョイ役を貰い3年10ヶ月後遂に「シャボン玉・ホリデー」でデビューできた。本書によると最初の映画は昭和40年のクレージーキャッツの「大冒険」とあるが、小松が出ていたのは覚えていない。もう一回DVDを見直してみましょう。

その後は独立して「小松の親分さん」で一世風靡。伊東四朗とのコンビでも笑わせてくれた。昭和50年に始まった「前略おふくろ様」に出ていたのは良く覚えている。板前修業中のショーケンの先輩役で意外にシリアスな演技だったと記憶している。これももう一回DVDを見てみよう。

植木等の遺作は平成19年の「舞妓Haaaan!!!」で画面では矍鑠とした老人に見えたが、この時は既に車椅子+酸素吸入状態であったらしい。その時の植木は車椅子に座っていても本番になるとシャキッと腰が伸びたと書かれている。これもDVDもう一度見てみましょう。

全般的に植木等がなんとか小松を助けて一人前にしてやろうという気持ち、気配りが素晴らしい。また小松が植木を慕う気持ちが溢れている。小松のどうしたらウケるか必死に工夫し淀川長治のギャグが生まれたエピソード等々実に興味深い。

以前赤塚不二夫の長年の編集者で手塚治虫も一時担当していた人の本を読んだことがある。赤塚不二夫がアシスタントを何とか一本立ちさせてやろうと色々と図らう気持ちが植木等と殆ど同じであった。一方手塚治虫は俺のアシスタントになれただけでも有難く思え的な正反対の性格だったそうである。

 

デンジャラス/桐野夏生著

谷崎潤一郎の「細雪」は鶴子、幸子、雪子、妙子の4姉妹の物語である。時代は昭和11年から16年。その後の谷崎と周りの女たちを谷崎の三人目の妻である松子の妹の重子が語る。

松子は「春琴抄」のモデルであり「細雪」の幸子のモデルでもある。重子は縁遠かった雪子のモデルである。谷崎文学のモデルになったことを誇りに思い、特に重子は谷崎から言い寄られたこともあり、二人は谷崎の寵愛を欲していた。

重子はかなり年上(43歳)であるが生活力の無い田邉弘と結婚する。冒頭に重子がベットに座る男が弘と認識できず、キャっと叫ぶ場面がある。弘は総入歯で、入歯を外した顔が別人に見えたようだ。その後色々あったが死別した。(映画(1983)の吉永小百合と江本孟紀とは全くイメージが違う)田邊の死後、子供のいなかった重子は松子の前夫の息子、清一を養子に迎えた。

時は昭和26年となり、既に谷崎の「細雪」は高い評価を受けていた。下鴨神社の糺の森に隣接する「後の潺湲亭」には、谷崎、松子、重子、清一と嫁の千萬子、松子の前夫の娘、美恵子と女中が住んでいた。云わば谷崎と彼を取巻く女たちの谷崎王国であり、松子が家事を差配していた。ところが千萬子が来て以来、松子の自信は21歳の若妻に脅かされ、それは重子も同じだった。

その後の「鍵」は千萬子がモデルは無いかと疑われる。また谷崎が千萬子に入れあげ頻繁に手紙をやり取りしている事を知り、谷崎の手紙の反古を盗み見ると金銭を与えるまでになっている。松子と重子の焦燥感は更に募り、重子は酒に溺れていく。「瘋癲老人日記」のモデルも千萬子か?

谷崎はリューマチで右手が効かなくなり原稿は口述筆記していたが千萬子への手紙だけは毎日のように自筆で書き、女中に速達で出させる。谷崎は転居を繰返したが例え離れていても頭の中には千萬子しかいなかったようだ。千萬子と示し合わせ、家人に見え透いた嘘をついて上京したり、既に健康とは言えない体でありながら、情熱は失せていない。

そんな谷崎に業を煮やした重子は、松子と私を取るか、それとも千萬子を取るかと病床の谷崎に迫り、えっと驚くラストシーンになる。この物語はフィクションであるが、ラストシーンを含め、ひょっとしてこんな事があったのかなあ、と思わせるリアリティを感じる。

もし文豪たちがカップ焼そばの作り方を書いたら/神田桂一、菊池良著

著者は文豪がカップ焼そばの作り方を書いたらどうなるか?というテーマで幾多の文体模写をツィッターで公開していた。これが面白いという事になり、本書に纏められた。書いてある事は只、ひたすらカップ焼そばの作り方のみ。出てくる文豪は、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、菊池寛、芥川竜之介から相田みつお、又吉直樹等々多彩である。また、週刊文春、読売新聞編集手帳等もあり、他には自分の知らない作家もいる。全般的に良く出来ていて、かなり笑える部分もある。(余談ですが、この本の腰巻の出来は今市としか言いようがないですね。)

論より証拠、本書のトップバッターである村上春樹を引用してみる。
  
   「1973年のカップ焼そば」

きみがカップ焼そばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。

勝手に液体ソースとかやくを取り出しせばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。

読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けてたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
        
 ただ一つだけ確実に言えることがある。
        
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
 
こんな感じで次々に色んな人の文体模写が繰り広げられる。芸はまず真似る事から始まると言われるが、これだけの模写が出来るのは大したもんだと思う。そこで、読んでいるだけでは面白くないので自分でも作ってみた。もし古今亭志ん生がカップ焼そばの作り方を喋ったら。
 

「カップ焼そば指南」

エェ~江戸っ子てぇものは蕎麦をしょっちゅう食ってたんですな。なんたって、そば清なんて人がいたぐらいですからな。

エ~、江戸が御一新となって、食い物も文明開化てぇんで、カップ焼そばなんてぇものが出きたらしい。なんでも喰う前にこの周りに被ってる紙みてえなものを破くてえんですよ。エエ、破くくらいなら、最初から被せなきゃ良いだろう。(小笑)

おーい、急いで湯沸かしてくれ
何だねぇ藪から棒に、やいやいお言いでないよ、そんなにすぐにゃ沸きゃあしないよ。
なんだと、急いでっていうのは早いてぇ事を言うんだ。とろとろ、とろとろしやがって、お前の耳は逆についてるのかあよお。(笑)

湯が沸いたらこの中に入れるってえんだが、おやおや、中にかやくとスープなんてものが入ってるよ。かやくったって二〇三高地を取るってえ時に火を付けてドカンとやった奴ぢゃあないよ。(笑)江戸っ子なら具と言えてぇンだよ。これを外に出して、それから湯を入れろって、なんだいこりゃ、最初から出しときゃいいだろう、エ~。(小笑)

それから、どうしろってんだ、エー、中の干乾びた麵に湯を掛けて五分待てだとさ。
ア~五分たあ、何時だ。
おーい、爺さんが大事にしてた和時計、大急ぎで出して来てくれよう。
そんなもん、どこにあるか知りゃあしないよ。
なにい、お前喰っちまったんだろ。ほんとにお前は替り目の女房みてえだな。(笑)
馬鹿お言いでないよ、そんなもん喰えるかい。

さあてと、湯を入れて、まあ、五分経ったとしよう。
エ~それから、湯切りぃ、湯切りってなんだよお。湯を切るのかよ。(小笑)
何言ってんだい、中の湯だけ捨てりゃあいいんだよ。
なんだとお、捨てるう、折角沸かした湯を捨てンのかよ。(笑)
お前さん何にも知らないんだねぇ、 後は全部混ぜて食やあ良いんだよ。
エェ何だよう、焼そばっつうのに、肝心の焼きがねえぢゃねえか、どうなってるんだよう。(小笑)
お前さん、それが文明開化つぅもんだよ、分かったかい。

おいと呼びやいと答えて五十年。これが本当のやいおい(相生)の松。(シーン)

 

煌/志村節子著

 新刊書はその下部に帯がついている。これを昔は(今も?)腰巻と呼んでいた。腰巻は勿論販売促進ツールであって、読者の目を惹く惹句、写真、イラストが散りばめられている。売行きによって、重版の際に腰巻を変える事もある。昔「面白半分」という雑誌が「日本腰巻文学大賞」を主催していた。(もっとも、洋書には腰巻はないので日本と態々名乗る必要もないが)我が国固有の文化として再開して貰いたいものである。本書は表紙絵と腰巻が上手く調和しており、腰巻付きの写真にしてみた。

本書には六編の書き下ろし短編がある。作者は江戸時代の情緒をテーマを決めて連作するのが得意のようで、煌(きらり)では、光と音、花火をテーマにして遊女、船問屋、紙問屋、簪職人、花火師、旅駕籠屋、それぞれの人間模様を描いている。

面白いのは夫々の短編に年号が決められており、その時代を調べてみると、地震や飢餓或いは大火事であったりと、その時代の出来事を背景にして物語が進んでいく。当時は大川(隅田川)の川開きが有名で、その花火職人が出てくる一遍もあるが、作者は愛知県豊橋、吉田神社の紅蓮の如く燃え盛る手筒花火に登場人物の熱い心情を投影しているようである。
全六篇、三遊亭圓朝作人情話の抜き読みを聞いているような錯覚を覚えた。

春画で学ぶ江戸かな入門/車浮代・吉田豊著

江戸の春画を意識し始めたのは田中優子法政大学長の著作を読んだのが切っ掛けでした。その後永青文庫で春画展が開かれ、色々な画集等も発行され巷では春画ブームの様相を呈しており、自分もその渦中にいるようです。

田中先生の本には江戸の風俗と春画の書かれた背景とが丁寧に解説されており、少々美化しすぎの感もありますが、色々と勉強になりました。

しかしながら、春画の中に細かい字でくだくだと書かれている詞書(かな文字)についての説明は殆どありません。

そこに何が書いてあるか知りたいのは人情ではありますが、勘を働かせても類推しても到底読めず、どうせ大した事書いてないよ、とか思いつつも何か気になっておりました。そんな私の心情を見透かしたかのように本書が発行され、これは読まないわけにはいかないでしょう。流石幻冬舎。

著者によれば「享保七年(1722)八代将軍・徳川吉宗が『享保の改革』の一環として『好色本禁止令』を発布して以降、春画および春本は秘密裡に売買されるようになりました。公に販売される印刷物は検閲を通さなければならなくなり、題材や色数などが制限されてしまいましたが、裏で売られる春画は検閲を通さないので、贅沢のし放題。どれほど重ねても、金・銀・雲母(きら)などの高価な材料を使っても、エンボス加工(型押し)や仕掛け(細工)をしてもお構いなしです。」
よって結論として
「現代ではエロティックな商業印刷物は低俗と見られがちですが、春画は逆です。浮世絵芸術の頂点に君臨していたのが春画で、精巧な根付けなどと同じく、持っていることがステイタスで、自慢の種でもありました。」
木版画である浮世絵技術の粋を集めた春画が浮世絵の頂点である、という事らしいです。そしてこの本を読めば浮世絵の頂点たる春画の詞書が読めるようになるんです。

春画に限らず江戸かなを読むにはまず基本の八文字を覚える事。これが出来れば八割は読めるそうです。これを筆者は「八文字呪文」と呼んでいます。テーマが春画なので、これを並べ替えて
「は た か に わ け す れ」(裸にわ毛擦れ、と覚える)
これを覚えたら次にレベルアップの八文字呪文として
「を す き は つ の ほ り」(を好き初登り、と覚える)
これもマスターすれば9割方は読めるようになるそうです。

この八文字を基本に実際の春画の詞書が解説されています。成程、裸にわ毛擦れ、が分かるだけでも随分読めるものだと感心します。逆にいうと筆が滑ってちょっと曲がったようにしか見えない線もちゃんとかな文字だったんです。

本書には付録としてちょっと大型の栞が付いており、これの片面に、裸にわ毛擦れ、裏面に、を好き初登り、が印刷してあり、私の場合は、この栞をカンニングしながらなんとか着いていくという感じでした。

勿論これ一冊読めばかな文字が全て読めるようになる訳ではありませんが、駄目だと思っていたのが不可能ではないと分かり、少々嬉しく感じた次第です。

 

BUTTER / 柚木麻子著

2009年に発覚した結婚詐欺及び3件の連続不審死事件で逮捕された木嶋佳苗(42)は4月14日最高裁判決により死刑が確定した。終始一貫犯行を否認しており状況証拠しかない為、判決に疑義を唱える向きもある。本書は犯人の名前を梶井真奈子とし、この事件を下敷きにしているがノン・フィクションでは無い。

梶井は中年男性から色仕掛で多額の金を巻き上げ、豪奢な暮し、特に美食を堪能していたようである。女性週刊誌記者の里佳(33)は、この事件に興味を持ち拘置所で面会するため梶井へ何度も手紙を書くが拒否される。大学同期で現在は退職し、妊活に励む怜子(33)の家を訪問した際、美食の話、レシピの話に持ち込めば興味を示すかも、との助言を受け面会に成功する。

梶井はマーガリンを忌嫌い、バターに対する思い入れを縷々述べる。炊立てのご飯に有塩のエシレバターを乗せ、醤油を一たらし。バターが溶ける前に掻きこむバター・醤油ご飯の旨さ。恵比寿のロブション、新宿靖国通りのラーメン屋(ホープ軒?)。里佳は梶井に言われるままに追体験していく。こうして梶井への取材を重ねるうち、里佳は欲望に忠実な梶井の言動に振り回されるようになっていく。

30人以上と言われる詐欺の被害者達はなぜ美人でもなく(被害者は一様にブスと言う)ポッチャリ型の梶井に騙されるのか?一回一万五千円のセレブ料理教室に通い、高級食材を潤沢に使って振舞う数々の料理で男の気を引く。そして自画自賛の性技。これら食欲、性欲そして金銭欲が絡み合ってグルグル廻り、ちびくろサンボ状態になる。それが溶けて遂にバターとなる。

物語はその後、里佳と梶井の心理戦が続くかと思いきや、意外に大きい振れ幅があり、怜子の意外な動きと相まって最後まで気が抜けない。里佳は遂に取材とインタビューを纏め自社週刊誌に連載することができた。しかし梶井の支援者と思われる男が里佳を全否定する記事を他の雑誌に載せ、里佳は追われるように出版社の他部署に異動となる。最後までハラハラするストーリーとレシピや調理の詳細な描写が興味を引く。特に最後に里佳が10人前の七面鳥を焼く件りはかなりくどいが面白い。

木嶋佳苗は昨年3月60代の支援者と獄中結婚している。彼女は多分この支援者の手を借りてブログをアップしていたが、現在でも「木嶋佳苗の拘置所日記」を公開しており最新の記事「バターってなんやねん 2017年5月11日」では著者の柚木麻子を強烈に詰っている。この小説の続きを読んでいるような錯覚を覚えた。

大人のお作法/岩下尚史著

TOKYO MX TVで平日午後5時からの「5時に夢中」は今年で13年目に突入し、これまでミッツ・マングローブやマツコ・デラックスを世に送り出し、オネエブームの一翼を担って来ました。連日かなり濃いキャラクタの方々が出演されますが、最近一番面白いのはハコちゃんこと、岩下尚史氏であす。

ハコちゃんの最新刊は若手編集者の質問に答えるという体裁です。いつも「ウッスラ不機嫌」なハコちゃんらしく、若造を甘やかすこと無く、自論を展開しています。

編集者の質問は他愛ないもので、料亭に行ってみたい、寿司を喰う作法、歌舞伎の見方、宴席の張り方等々。まず、昨今の食通、グルメブームには辟易としており、寿司なんてものは出てきたものをサッと喰ってサッと出てくれば良いのだ、ネタの順番なんて自分の好きなように注文すれば良い、等とあっさり料理しています。

しかし、歌舞伎に関しては流石に深い。発言を拾ってみると
「しかし、とりわけかぶき芝居は、贔屓役者と交際し、幕内の事情に通じなければ、そのほんとうの妙味はわからない」
そして必ず祝儀や心づけを切る。
「しかし、男が独りで芝居見物というのは傍から見ても寒々しく、なんだか色気がないのでねぇ」
「『わたくしは伝統芸能が好きで』などと、しおらしい言い立てをしながら、世間の目褄を掻い潜り、本当のところは役者の色気に惹かれ、悩ましい思いで劇場に通う婦人客こそ、かぶき芝居の見物の本格に違いありません」
「だいたい貴方、かぶき芝居というのは新劇や現代演劇と違い、ぞっこん惚れぬいた役者を見に行くものだったんです。(中略)今の客だって本当のところはそうなんでしょうが、昔の芸者衆や奥様たちのように芸の素養がありませんから分かりませんし、まして『わたしゃ、あの役者をみると買ってみたくなるわ』なんてことは言いにくい」

それに加え観客もある程度踊りや三味線、小唄程度の経験が無いと舞台は完全に理解できない。そして、それら芸や作法の淵源は茶の湯であるらしい。要するに、観客と演者の境界が曖昧なんだと。

後半で昭和21年に発表された桑原武夫の「第二芸術」に言及しています。私は寡聞にして知りませんでしたが、第二芸術論というのは一口で言えば、西洋のものは芸術であるが、日本の伝統的な芸能は単なる芸事であって、西洋より劣る。特に俳諧などというもは誠に低劣なものであるという論のようです。

オペラ座のような劇場で青筋立てて声張り上げるのは玄人のみが出来る技ですが、お座敷での小唄、端唄、或いは和歌俳諧、川柳、狂歌などは素人でもそれなりに楽しめる。すなわち玄人と素人の境界が曖昧であることが桑原先生はお気に召さなかったのでしょうか?ハコちゃんは第二芸術論については単に紹介するだけで是も非も述べていません。本音のところはどうなんでしょう?

そして結論は本書の幅広の腰巻にある通り、貯金なんでせこい事は考えず「大事なのは身銭を切ること」でした。