クリムト 官能の世界へ/平松洋著

今年は1862年生まれのクリムトの没後100年だそうです。この本は世紀末のウィーンで活躍したクリムトの170点の絵とその生涯を解説しています。

クリムトに題材を採った映画には「クリムト(2006)」と「黄金のアデーレ  名画の帰還(2015)」があります。「クリムト」は臨終寸前のクリムトが過去を思い出す形で彼の生涯が語られます。クリムトの弟子のエゴン・シーレ役が病的な表情を旨く出していました。(エゴン・シーレには『エゴン・シーレ 死と乙女』(2017)という映画があります。)

この映画には焼失した壁画や正方形の風景画が出てきて、ほぼ史実に沿って進行します。が全体的にどうも妖しい雰囲気で余り後味は良くありませんでした。正方形のキャンバスには印象派のような点描で風景が描かれておりクリムトにも印象派の影響があったようです。キャンバスを正方形にしたのは何かの拘りがあったんでしょうか。

クリムトは映画「クリムト」にもあるように、アトリエに裸の美女を何人も待機させ、気の赴くままにスイッチして独特の裸女画を多数描いていたようです。そのモデル全員と寝たという噂もありますが、真偽のほどは定かではありません。

「黄金のアデーレ 名画の帰還」は大戦でドイツに接収されたクリムトの絵を取り戻すという実話に基づいた映画で、明るいハリウッド映画です。実際に取り戻された「アデーレ・ブロッホ=バウァーの肖像Ⅰ」は私がロサンジェルスに居る時に公開され運良く見ることが出来ました。当時のヨーロッパ画壇にはジャポニズムと呼ばれる日本画ブームがあり、クリムトもその影響を受けていますが、金箔を上手く作品に取り入れたのは彼だけでしょう。和洋に限らず金箔の輝く絵というものは見るものを圧倒します。

本書は新書サイズにクリムトの代表作が殆ど網羅されています。普通の画集や写真集は最低でもA4サイズで、判型が大きい方が絵も写真も迫力がでますが、ちょいと持ち歩くには大きすぎます。それに比べ本書は扱いやすい画集という感じでクリムトに興味のある方にはお勧めします。

乙女の絵画案内/和田彩花著

絵画の入門書といえば殆どが大学の美術の先生が学問的、歴史的に系統立てて説明され、最も教科書的な敢えて言えばオジサン目線の解説となる訳です。

これに対し、最近は中野京子先生の「怖い絵」や「名画の謎」で、絵の中のパーツの意味、物語、エロさが解き明かされ、オジサン先生方と違って奥歯にものが挟まっていない解説で楽しめました。

そして遂に、オジサンでも無くおばさんでも無い、アイドルが書いた絵画入門書が出ました。キーワードは今や世界を席巻している”kawaii”です。最近の女子は文物をカワイイかカワイクないかで二分する傾向があり、この本では彼女がカワイイと思ったであろう20の絵が彼女視線で解説されています。

まず、最初にマネの「鉄道」が出てきます。パリのサン・ラザール駅の鉄柵の前に座る母と後ろ向きの少女が描かれています。彼女はこの絵によって、絵画に目覚めたと言っています。特に後ろ向きの少女の服がカワイイと早速キーワードが出てきました。

次はベラスケスの「ラス・メニ―ナス」です。この中で「人それぞれ、絵のどこに注目するかというのは違うと思いますが、私の場合、まずやっぱり『かわいい!』と思ったポイントに目が行っちゃいます。」と言って真ん中の少女がカワイイと感じたようです。この絵の解説は色々ある中で可愛いと思った人もいた筈ですが、堂々とカワイイと表現したのは始めてだと思います。

セザンヌやフェルメールの解説の中では、自分がモデルになって描いてもらいたいと如何にもアイドルらしい感想がありました。自分は少年の時分に絵描きになりたいと思った事がありますが、その時は多分こういう状況を想像し色んな美人モデルとのお付き合いを夢想していたのかもしれません。ここに実際に描いて欲しいというアイドルの証言がある訳ですから、自分の妄想もあながち的外れでは無かったような気がしました

意外にもアングルの「泉」が選ばれています。前向きの全裸の女性が左肩上に壺を持ち、その壺から水が流れ落ちているという絵です。19世紀央までは絵に筆の刷毛目を残すのは下手だとされており、アングルは完璧に滑らかに肌を描いています。思わず触って見たくなる程です。しかし彼女は「きれいすぎて人間じゃないみたい」だそうで、これに比べてセザンヌの裸女の方が人間らしく見え、アングルはまるで陶器のように見える。だからアングルよりセザンヌの裸の方が「生身の女性の裸をみているよう」で恥ずかしいそうです。この辺は自分と感覚が真逆なんですが、皆さん如何でしょう?

これまでの絵の本と違った感覚が全編に見られ、楽しい読み物でありました。新書でありながら、カラー写真のカバーを作って頑張ってますが、カバーの上に村上龍の意味不明な文句が入っています。これ見た途端に村上龍のゴツゴツした顔が思い浮かび、折角の綺麗なカラー写真が台無しです。有名人の名前を出せば本が売れるだろうという担当編集者の貧相な発想が如何にも残念です。

陳平 ここだけの話/野末陳平

ニッポン放送で高田文夫が野末陳平が出した新しい本を読んで「これが、おもしれぇんだよ」と喜んでいた。陳平は今年アラナインの86歳。最近見ないけどもうボケたのかと思っていた。高田文夫によればTBSラジオの「爆笑問題の日曜サンデー」に出るらしい。(しかし、どうでも良いけどこのタイトルなんとかなんないかね。日曜はサンデーに決まってるだろう。)

そこで普段聞かない日曜サンデーを聞いてみた。本当に陳平が来るのかね、どうせ来てもまともな話できないんぢゃないか、と思っていたが、とんでもない。声だけ聞いていると昔と同じ喋り。「チンチン・ルンバ」が聞こえて来るような気がした。(チンチン・ルンバは昔の陳平の番組のテーマソング。長い事探しているが、未だに音が見つからない)話の中身は基本的に本の宣伝であるが、話にちゃんと掴みとオチがついており、爆笑問題のご両人もバカ受けであった。

本は学生時代から今日まで交友関係の面白い話を纏めている。陳平は学生時代から放送作家をしていたが、当時は野坂昭如の方がはるかに売れていた。その野坂の発案でワセダ中退、落第のコンビ名で漫才をやったが全く受けない。そこに同じ劇場で漫談をやっていた柳家こゑん時代の立川談志が出てきて「下手くそッ、笑いのコツ教えてやらぁ」といきなり言われたのが談志との初対面だったようです。

談志との交流は長く、東京MX TVでは「談志・陳平の言いたい放だい」という番組を長くやっていた。この歳で二人がハリセンで頭を叩きあったり、また、ゲストに吉村作治やこないだ自殺した西部邁なんかが出て来て中々面白い番組であった。(youtubeで見られます)

談志とのエピソードで笑えるのはふとしたことから「陳平と大げんかした。あいつが来てももう楽屋に入れるな。めしも食わすな。絶交だ!」と喚き、弟子は師匠の命令に忠実に従うが、談志本人は寂しくなったのか、そうっと陳平の家に言って呼鈴を押してみる。しかし、呼鈴は切れていて陳平は気が付かない。電話してみるが留守電なので、何も言わずに切ってしまう。しかし、何度も掛かっていた無言電話を聞いて、陳平は談志からだと直感する。陳平から談志に電話して元に戻った。これを聞いていた太田光が「これぢゃ、まるきり傘碁ぢゃねえか」と大笑い。(傘碁は古典落語の演目。これ知ってると結構受けるエピソードです。)

久方ぶりに陳平の元気な喋りを聞き、簡潔に纏まった本を読み、なんとなく、嬉しいような気がした次第であります。

最強の女/鹿島茂著

最強の女とはだれか?それは吉田沙保里!というのは冗談ですが、鹿島茂の選んだ五人の最強の女とは?カバー裏の説明によれば「恋人、愛人、夫の名前を並べるとその時代の有名人の名鑑が出来上がる。」

舞台は19世紀末から20世紀初頭のパリ。その五人は
(1)ルイーズ・ド・ヴィルモラン
(2)リー・ミラー
(3)ルー・ザロメ
(4)マリ・ド・エレディア
(5)ガラ

この中で最も有名なのはルー・ザロメでしょう。1861年2月12日、ロシアの首都サンクトペテルブルクで六人兄弟姉妹の長女として生まれた。彼女については自伝、評伝もあり「ルー・サロメ -善悪の彼岸 」という映画にもなっている。監督は『愛の嵐』のリリアーナ・カヴァー二監督。ルー・サロメ役のドミニク・サンダが怪しい雰囲気を醸し出している。

ルー・ザロメには「三位一体」という妙な計画があった。「要するにルー・ザロメが夢見たのは、女一人と男二人がセックス無しで共に勉学に励むという三位一体(トリニテ)の計画である。(後略)」。その一人が当時32歳、気鋭の哲学者でルー・ザロメに一目ぼれしたパウル・レーであった。しかし、彼女は求婚をつれなく拒絶する。パウルは彼女の三位一体計画を知り悩んだあげく師と仰ぐニーチェに手紙を書いた。ニーチェは彼女に会った途端に恋に落ちた。ニーチェも彼女に結婚を迫ったが、拒否され仕方なく彼らは三位一体の生活を始める。

彼らはニーチェの発案で三位一体完成記念写真を撮影した。右端がニーチェ。彼女は鞭を持っているが、二人の男が指揮されているという意味であろうか。映画にもこの写真を撮る場面が出てくる。

三人のヌード。この写真のオリジナルには全身が写っている。三人の共同生活はニーチェが強い結婚願望を抱いたのを彼女が嫌悪し1ヶ月で終焉した。彼女はニーチェと別れ、パウロ・ルーとベルリンで5年に及ぶ共同生活を始めた。パウロ・ルーは彼女との結婚を諦めてはいなかったが、やはり拒絶された。彼女は同棲しているにも関わらずベルリン社交界の花となり、名士の多くが彼女に求婚した。数々の求婚を断ってきたが、1887年突如としてフリードリヒ・カール・アンドレスというベルリン東洋語学研究所のトルコ語教授と結婚した。アンドレスは彼女に一目惚れし、ナイフを持って彼女の家に押しかけテーブルの上にそのナイフを置き、そのナイフで自分の胸を刺した。アンドレスは一命を取り留めたが、自分が犯人だと疑われるのを恐れ彼女は結婚を承諾した。

アンドレスとの結婚生活はアンドレスが84歳で没するまで43年間続いたが「それは、結局のところ、フランス語で言うところの『白い結婚(マリアージュ・ブラン)』つまり肉体関係の伴わない結婚に終わったのである。」この揉め事を避けるため彼女はアンドレアスに代理妻を用意した。

しかし、1897年ミュンヘンで詩人のリルケと知り合った時は「二人は肉体的にも『完全合体』を遂げ、高度な次元へ到達したと感じたのである。」中略「リルケは純粋な詩人であると同時にジゴロのような性的テクニシャンであって、おそらく、ルーを初めて性的なオルガスムスへと導き、恍惚感を与えたということになる。」

1899年4月彼女はリルケにアンドレアスと三人でのロシア行を提案した。彼女はロシア語が母語であり、リルケにロシア文学を学ばせるという名目でロシア語教師となっていた。リルケはこの提案にのり、彼女とアンドレアス、リルケの三位一体のロシア旅行に出発した。帰国後彼女はリルケと別れるため二人だけで二度目のロシア旅行へ出かける。

パウル・レーは1901年10月イン川で溺死した。自殺とみられている。これを聞いたルー・ザロメは彼とは別れて14年になるが、原因は自分にあると考えた。精神的に衰弱した彼女は主治医のフリードリッヒ・ピネーレス博士の勧めにより転地療法としてチロルへ移住した。ピネーレスは同行し、彼女は41歳にして初めて妊娠した。ピネーレスは驚いて夫のアンドレアスのもとに赴いて離婚を懇願しようとしたが、夫の性格を知りぬいている彼女は強く反対し、結局堕胎した。その後1902年にピネーレスと別れアンドレアスの元に戻った。

1911年ワイマールで彼女の愛人の紹介でフロイトに出会う。この時点でルー・ザロメは既に女流作家として名前が通っており「エロティーク」という著作を著した時からフロイトに興味を持っていたようである。このため1912年からフロイトのいるウィーンに滞在し「集中学習」を開始した。しかし、この二人の間には肉体関係はあり得なかった。「なぜなら、『失われた父』を求め続けたルーにとってフロイトはまさに『見出された父』あり、その『父』と関係を持つことは忌まわしい近親相姦となったからである。」

最後に紹介されているガラは1894年帝政ロシアのカザンで生まれた。彼女はポール・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリのシュールレアリスムの三巨頭を手に入れたと言って良い。ポール・エリュアールとマックス・エルンストとは三角関係が長く続いた。その後ダリとは正式に結婚している。これまで紹介された4人は自身で詩や小説或いは写真等による表現者でもあった。しかし、ガラは自身で創作する事はせず、金の為にダリに絵を描かせた。

彼女がスペインでダリに初めて会ったのは1930年。25歳で童貞であったダリが一目惚れ。同行したエリュアールがダリの背中を押し、ガラは「いやいやながら」ではあったが、海辺を何度か散歩していると遂には「ねぇ坊や、わたしたちもう離れられないんじゃない?」と呟くに至った。エリュアールは当時ガラと結婚しており、ダリを3Pの代打位にしか思っていなかった。エリュアールはガラとダリの仲に気付かず、彼女を置いてフランスに帰った。

その後二人はマルセイユのアパートに移り、ダリを画作に没頭させた。ガラはなんとかダリの絵を売ろうとするが、中々商売にならず、暫くの間極貧性格を余儀なくされる。その後ガラのマネージメントの手腕が発揮され徐々に絵が売れるようになるが、スペイン内乱、第二次世界大戦勃発の混乱を避け、二人はアメリカに亡命した。

ガラは金の為にダリの尻を叩いて絵を描かせた。Mであったダリは絵を描けと責められる事に快感を感じていたが肉体的接触は極端に嫌った。鹿島茂はダリは裸体のガラを視るだけで満足する「搾視症のオナニスト」と断じている。次第にシュールレアリスムがブームとなってダリの絵が巨額で取引されるようになり、生活は潤ったがガラはダリに対するSだけでは満足できなかった。ガラがニューヨークで若い男に声を掛けている姿が何度か目撃されているそうだ。

ダリとガラ(ガラが特に美人とは思えない)

ルー・ザロメ、ガラ以外の三人も波乱万丈の生涯を送っている。5人に共通するのは一人の男では満足できない、しかしセックスだけでは無い、という処でしょうか。本書は数々の自伝、評伝、資料を纏め5人のファムファタール(運命の女)の生涯が簡潔に紹介されており、類書の無い、面白い読み物になっている。

蛇足ですが、著者は本書の装丁に満足されているんでしょうか?

タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド/タブレット純著

タブレット純は幼少よりムード音楽やムード・コーラスが大好きで、高校卒業後、古書店員、歌声喫茶店員等を経て27際の時に遂に憧れのマヒナスターズ団員となることができました。マヒナスターズ解散後は一人でギター漫談、声帯模写で寄席に出ていますので、TVでご覧になった方も多いかと思います。声帯模写は夏木ゆたか、とかジャパネットの高田元社長なんかが得意なんですが、似てるかと言われると微妙。漫談では顔の半分で笑えるくらいの半笑いを提供してくれています。

本書はタブレット純が毎週土曜日17:55~20:00にラジオ日本で放送されている「タブレット純の音楽の黄金時代」という番組でオンエアした曲を中心に昭和の名曲が紹介されています。選曲はかなりマニアックで、ディレクターからもっと、ベタな曲を選べ、と𠮟られる事もあるそうです。(12月9日放送分はリクエスト特集だったので、私が知ってる曲が沢山かかり、実に懐かしかったんです。)

最初の章にアルフィーの高見沢俊彦氏との対談があります。タブレット純の専門はムード歌謡ですが、GSもかなり研究しており、彼は昭和49年生まれながら高見沢氏より詳しいのには驚きました。尚、本書発売と同時に「夜のペルシャ猫」という新曲が発売されています。

しかし、タブレット純を発掘し、一人で2時間の番組をやらせたラジオ日本ディレクターの慧眼は大したもんです。
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タブレット純「音楽の黄金時代」

平成29年11月25日

平成29年12月2日

平成29年12月9日

文豪の女遍歴/小谷野敦著

「どうでも良いと思いつつ、やっぱり気になる他人の色ごと」特に昨今不倫報道が色々出てくるとつい古い諺を思い出してしまいます。「人のフリン見て我がフリン直せ」

この本、買うか否か少々迷いました。男女文士62人の女遍歴、男遍歴、男色が語られており、これだけの色事を読まされては胸焼けしそうな気がしたんです。

小谷野敦は国文学者・文芸評論家で実に多くの資料に当たり、真実を究明しています。文体が簡潔なのは綿密な調査の裏付けがあるからでしょう。例えば夏目漱石の項では「(前略)漱石は一度しか結婚せず、多くの子供をなしたが、妻以外の女とはセックスせず、娼婦を買ったこともない。(中略)なぜ漱石が『国民作家』になったかといえば、東大卒の英文学者で東大講師をしており、明治四十年代以降、自然主義が盛んになって、性的な経験を描く作家が増えた中で、漱石は性的なことがらを書かなかったから、中産階級の家庭で、漱石なら読んでもいいということになったからである。」これ以上簡潔な漱石論は他にないでしょう。

佐藤春夫の項で、谷崎潤一郎が佐藤の求めに応じて妻千代を譲渡した事件については「(前略)だが、深読みをすれば、佐藤が好きだったのはもともと千代でなく、谷崎のほうだったのだろう。ホモーソーシャルでホモエロチックなもので、芥川も谷崎に惹かれていたし、谷崎というのは男に崇拝される質なのである。谷崎が好きだったからその妻の千代も欲しかった、ということだろう。」と述べている。

男色と言えばまず「仮面の告白」の三島由紀夫が思い浮かぶが、彼は本物のゲイでは無いという論もあり、本書ではバイセクシャルとしている。しかし「ヒタメン 三島由紀夫が女に逢うとき…」という著作のある岩下尚史はTVで、ちゃんとしたゲイの方はご家庭とお子様をお持ちなの、と言っていた。自身が独身である事を卑下しての発言であるが、妻子があるからゲイでは無いとは言えないというのが本意であろう。川端康成も同様であるらしい。

宇野千代の項では「『徹子の部屋』に出た時は、黒柳徹子が『尾崎士郎さん…』というとすかざす『寝たっ!』と言うので、あとで黒柳が、あんなにお昼寝をするように寝た寝た言う方は初めてだと笑っていたという。ところが小林秀雄だけは、寝たでも寝ないでもなく口を濁したので、あとで訊いたら、雑魚寝をした、という。」宇野は色んな男と寝た話をするが、瀬戸内寂聴が宇野を京都の自宅に接待した時も小林秀雄だけは濁したそうです。

著者がかなり細かい事情まで把握できるのは昔は私小説という形態が多く、自身あるいは実在の人物がモデルになっているので本編、周辺資料、書簡からかなり正確に実際を推定出来るようです。例えば田山花袋の「蒲団」は本人の実話であると断じており国文学の研究とはこういう事かと得心した次第であります。全体を通じて、本人及び周囲の女性の自殺或いは精神異常が多いのが驚きです。全ての自殺、精神異常が色絡みとは言えないでしょうが、やはり当時は不倫するのも命がけといった処でしょうか。
一読三嘆当世文豪気質。

昭和と師弟愛/小松政夫著

博多生まれの小松政夫(本名:松崎雅臣)は昭和31年俳優を目指し兄を頼って横浜に出てきたが俳優座の月謝が払えず、俳優を断念。横浜トヨペットのセールスマンを経て昭和39年1月より植木等の運転手兼付き人となる。セールスマン時代は口八丁・手八丁で売りまくり月給12万円を稼いだが、付き人となっては世間並みの月給7千円。当時既に植木等は大スターで多忙を極め、付き人の小松は1週間の睡眠時間が10時間しかなかった事もあった。しかし、小松は植木等の傍に居るだけで嬉しく、全然つらくなかったそうだ。現在NHKで土曜夜放送中の「植木等とのぼせもん」には本書にあるエピソードが、上手く映像化されている。

付き人になってからは植木等のはからいで、しばしばチョイ役を貰い3年10ヶ月後遂に「シャボン玉・ホリデー」でデビューできた。本書によると最初の映画は昭和40年のクレージーキャッツの「大冒険」とあるが、小松が出ていたのは覚えていない。もう一回DVDを見直してみましょう。

その後は独立して「小松の親分さん」で一世風靡。伊東四朗とのコンビでも笑わせてくれた。昭和50年に始まった「前略おふくろ様」に出ていたのは良く覚えている。板前修業中のショーケンの先輩役で意外にシリアスな演技だったと記憶している。これももう一回DVDを見てみよう。

植木等の遺作は平成19年の「舞妓Haaaan!!!」で画面では矍鑠とした老人に見えたが、この時は既に車椅子+酸素吸入状態であったらしい。その時の植木は車椅子に座っていても本番になるとシャキッと腰が伸びたと書かれている。これもDVDもう一度見てみましょう。

全般的に植木等がなんとか小松を助けて一人前にしてやろうという気持ち、気配りが素晴らしい。また小松が植木を慕う気持ちが溢れている。小松のどうしたらウケるか必死に工夫し淀川長治のギャグが生まれたエピソード等々実に興味深い。

以前赤塚不二夫の長年の編集者で手塚治虫も一時担当していた人の本を読んだことがある。赤塚不二夫がアシスタントを何とか一本立ちさせてやろうと色々と図らう気持ちが植木等と殆ど同じであった。一方手塚治虫は俺のアシスタントになれただけでも有難く思え的な正反対の性格だったそうである。

 

デンジャラス/桐野夏生著

谷崎潤一郎の「細雪」は鶴子、幸子、雪子、妙子の4姉妹の物語である。時代は昭和11年から16年。その後の谷崎と周りの女たちを谷崎の三人目の妻である松子の妹の重子が語る。

松子は「春琴抄」のモデルであり「細雪」の幸子のモデルでもある。重子は縁遠かった雪子のモデルである。谷崎文学のモデルになったことを誇りに思い、特に重子は谷崎から言い寄られたこともあり、二人は谷崎の寵愛を欲していた。

重子はかなり年上(43歳)であるが生活力の無い田邉弘と結婚する。冒頭に重子がベットに座る男が弘と認識できず、キャっと叫ぶ場面がある。弘は総入歯で、入歯を外した顔が別人に見えたようだ。その後色々あったが死別した。(映画(1983)の吉永小百合と江本孟紀とは全くイメージが違う)田邊の死後、子供のいなかった重子は松子の前夫の息子、清一を養子に迎えた。

時は昭和26年となり、既に谷崎の「細雪」は高い評価を受けていた。下鴨神社の糺の森に隣接する「後の潺湲亭」には、谷崎、松子、重子、清一と嫁の千萬子、松子の前夫の娘、美恵子と女中が住んでいた。云わば谷崎と彼を取巻く女たちの谷崎王国であり、松子が家事を差配していた。ところが千萬子が来て以来、松子の自信は21歳の若妻に脅かされ、それは重子も同じだった。

その後の「鍵」は千萬子がモデルは無いかと疑われる。また谷崎が千萬子に入れあげ頻繁に手紙をやり取りしている事を知り、谷崎の手紙の反古を盗み見ると金銭を与えるまでになっている。松子と重子の焦燥感は更に募り、重子は酒に溺れていく。「瘋癲老人日記」のモデルも千萬子か?

谷崎はリューマチで右手が効かなくなり原稿は口述筆記していたが千萬子への手紙だけは毎日のように自筆で書き、女中に速達で出させる。谷崎は転居を繰返したが例え離れていても頭の中には千萬子しかいなかったようだ。千萬子と示し合わせ、家人に見え透いた嘘をついて上京したり、既に健康とは言えない体でありながら、情熱は失せていない。

そんな谷崎に業を煮やした重子は、松子と私を取るか、それとも千萬子を取るかと病床の谷崎に迫り、えっと驚くラストシーンになる。この物語はフィクションであるが、ラストシーンを含め、ひょっとしてこんな事があったのかなあ、と思わせるリアリティを感じる。

もし文豪たちがカップ焼そばの作り方を書いたら/神田桂一、菊池良著

著者は文豪がカップ焼そばの作り方を書いたらどうなるか?というテーマで幾多の文体模写をツィッターで公開していた。これが面白いという事になり、本書に纏められた。書いてある事は只、ひたすらカップ焼そばの作り方のみ。出てくる文豪は、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、菊池寛、芥川竜之介から相田みつお、又吉直樹等々多彩である。また、週刊文春、読売新聞編集手帳等もあり、他には自分の知らない作家もいる。全般的に良く出来ていて、かなり笑える部分もある。(余談ですが、この本の腰巻の出来は今市としか言いようがないですね。)

論より証拠、本書のトップバッターである村上春樹を引用してみる。
  
   「1973年のカップ焼そば」

きみがカップ焼そばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。

勝手に液体ソースとかやくを取り出しせばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。

読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けてたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
        
 ただ一つだけ確実に言えることがある。
        
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
 
こんな感じで次々に色んな人の文体模写が繰り広げられる。芸はまず真似る事から始まると言われるが、これだけの模写が出来るのは大したもんだと思う。そこで、読んでいるだけでは面白くないので自分でも作ってみた。もし古今亭志ん生がカップ焼そばの作り方を喋ったら。
 

「カップ焼そば指南」

エェ~江戸っ子てぇものは蕎麦をしょっちゅう食ってたんですな。なんたって、そば清なんて人がいたぐらいですからな。

エ~、江戸が御一新となって、食い物も文明開化てぇんで、カップ焼そばなんてぇものが出きたらしい。なんでも喰う前にこの周りに被ってる紙みてえなものを破くてえんですよ。エエ、破くくらいなら、最初から被せなきゃ良いだろう。(小笑)

おーい、急いで湯沸かしてくれ
何だねぇ藪から棒に、やいやいお言いでないよ、そんなにすぐにゃ沸きゃあしないよ。
なんだと、急いでっていうのは早いてぇ事を言うんだ。とろとろ、とろとろしやがって、お前の耳は逆についてるのかあよお。(笑)

湯が沸いたらこの中に入れるってえんだが、おやおや、中にかやくとスープなんてものが入ってるよ。かやくったって二〇三高地を取るってえ時に火を付けてドカンとやった奴ぢゃあないよ。(笑)江戸っ子なら具と言えてぇンだよ。これを外に出して、それから湯を入れろって、なんだいこりゃ、最初から出しときゃいいだろう、エ~。(小笑)

それから、どうしろってんだ、エー、中の干乾びた麵に湯を掛けて五分待てだとさ。
ア~五分たあ、何時だ。
おーい、爺さんが大事にしてた和時計、大急ぎで出して来てくれよう。
そんなもん、どこにあるか知りゃあしないよ。
なにい、お前喰っちまったんだろ。ほんとにお前は替り目の女房みてえだな。(笑)
馬鹿お言いでないよ、そんなもん喰えるかい。

さあてと、湯を入れて、まあ、五分経ったとしよう。
エ~それから、湯切りぃ、湯切りってなんだよお。湯を切るのかよ。(小笑)
何言ってんだい、中の湯だけ捨てりゃあいいんだよ。
なんだとお、捨てるう、折角沸かした湯を捨てンのかよ。(笑)
お前さん何にも知らないんだねぇ、 後は全部混ぜて食やあ良いんだよ。
エェ何だよう、焼そばっつうのに、肝心の焼きがねえぢゃねえか、どうなってるんだよう。(小笑)
お前さん、それが文明開化つぅもんだよ、分かったかい。

おいと呼びやいと答えて五十年。これが本当のやいおい(相生)の松。(シーン)

 

煌/志村節子著

 新刊書はその下部に帯がついている。これを昔は(今も?)腰巻と呼んでいた。腰巻は勿論販売促進ツールであって、読者の目を惹く惹句、写真、イラストが散りばめられている。売行きによって、重版の際に腰巻を変える事もある。昔「面白半分」という雑誌が「日本腰巻文学大賞」を主催していた。(もっとも、洋書には腰巻はないので日本と態々名乗る必要もないが)我が国固有の文化として再開して貰いたいものである。本書は表紙絵と腰巻が上手く調和しており、腰巻付きの写真にしてみた。

本書には六編の書き下ろし短編がある。作者は江戸時代の情緒をテーマを決めて連作するのが得意のようで、煌(きらり)では、光と音、花火をテーマにして遊女、船問屋、紙問屋、簪職人、花火師、旅駕籠屋、それぞれの人間模様を描いている。

面白いのは夫々の短編に年号が決められており、その時代を調べてみると、地震や飢餓或いは大火事であったりと、その時代の出来事を背景にして物語が進んでいく。当時は大川(隅田川)の川開きが有名で、その花火職人が出てくる一遍もあるが、作者は愛知県豊橋、吉田神社の紅蓮の如く燃え盛る手筒花火に登場人物の熱い心情を投影しているようである。
全六篇、三遊亭圓朝作人情話の抜き読みを聞いているような錯覚を覚えた。