昭和と師弟愛/小松政夫著

博多生まれの小松政夫(本名:松崎雅臣)は昭和31年俳優を目指し兄を頼って横浜に出てきたが俳優座の月謝が払えず、俳優を断念。横浜トヨペットのセールスマンを経て昭和39年1月より植木等の運転手兼付き人となる。セールスマン時代は口八丁・手八丁で売りまくり月給12万円を稼いだが、付き人となっては世間並みの月給7千円。当時既に植木等は大スターで多忙を極め、付き人の小松は1週間の睡眠時間が10時間しかなかった事もあった。しかし、小松は植木等の傍に居るだけで嬉しく、全然つらくなかったそうだ。現在NHKで土曜夜放送中の「植木等とのぼせもん」には本書にあるエピソードが、上手く映像化されている。

付き人になってからは植木等のはからいで、しばしばチョイ役を貰い3年10ヶ月後遂に「シャボン玉・ホリデー」でデビューできた。本書によると最初の映画は昭和40年のクレージーキャッツの「大冒険」とあるが、小松が出ていたのは覚えていない。もう一回DVDを見直してみましょう。

その後は独立して「小松の親分さん」で一世風靡。伊東四朗とのコンビでも笑わせてくれた。昭和50年に始まった「前略おふくろ様」に出ていたのは良く覚えている。板前修業中のショーケンの先輩役で意外にシリアスな演技だったと記憶している。これももう一回DVDを見てみよう。

植木等の遺作は平成19年の「舞妓Haaaan!!!」で画面では矍鑠とした老人に見えたが、この時は既に車椅子+酸素吸入状態であったらしい。その時の植木は車椅子に座っていても本番になるとシャキッと腰が伸びたと書かれている。これもDVDもう一度見てみましょう。

全般的に植木等がなんとか小松を助けて一人前にしてやろうという気持ち、気配りが素晴らしい。また小松が植木を慕う気持ちが溢れている。小松のどうしたらウケるか必死に工夫し淀川長治のギャグが生まれたエピソード等々実に興味深い。

以前赤塚不二夫の長年の編集者で手塚治虫も一時担当していた人の本を読んだことがある。赤塚不二夫がアシスタントを何とか一本立ちさせてやろうと色々と図らう気持ちが植木等と殆ど同じであった。一方手塚治虫は俺のアシスタントになれただけでも有難く思え的な正反対の性格だったそうである。

 

デンジャラス/桐野夏生著

谷崎潤一郎の「細雪」は鶴子、幸子、雪子、妙子の4姉妹の物語である。時代は昭和11年から16年。その後の谷崎と周りの女たちを谷崎の三人目の妻である松子の妹の重子が語る。

松子は「春琴抄」のモデルであり「細雪」の幸子のモデルでもある。重子は縁遠かった雪子のモデルである。谷崎文学のモデルになったことを誇りに思い、特に重子は谷崎から言い寄られたこともあり、二人は谷崎の寵愛を欲していた。

重子はかなり年上(43歳)であるが生活力の無い田邉弘と結婚する。冒頭に重子がベットに座る男が弘と認識できず、キャっと叫ぶ場面がある。弘は総入歯で、入歯を外した顔が別人に見えたようだ。その後色々あったが死別した。(映画(1983)の吉永小百合と江本孟紀とは全くイメージが違う)田邊の死後、子供のいなかった重子は松子の前夫の息子、清一を養子に迎えた。

時は昭和26年となり、既に谷崎の「細雪」は高い評価を受けていた。下鴨神社の糺の森に隣接する「後の潺湲亭」には、谷崎、松子、重子、清一と嫁の千萬子、松子の前夫の娘、美恵子と女中が住んでいた。云わば谷崎と彼を取巻く女たちの谷崎王国であり、松子が家事を差配していた。ところが千萬子が来て以来、松子の自信は21歳の若妻に脅かされ、それは重子も同じだった。

その後の「鍵」は千萬子がモデルは無いかと疑われる。また谷崎が千萬子に入れあげ頻繁に手紙をやり取りしている事を知り、谷崎の手紙の反古を盗み見ると金銭を与えるまでになっている。松子と重子の焦燥感は更に募り、重子は酒に溺れていく。「瘋癲老人日記」のモデルも千萬子か?

谷崎はリューマチで右手が効かなくなり原稿は口述筆記していたが千萬子への手紙だけは毎日のように自筆で書き、女中に速達で出させる。谷崎は転居を繰返したが例え離れていても頭の中には千萬子しかいなかったようだ。千萬子と示し合わせ、家人に見え透いた嘘をついて上京したり、既に健康とは言えない体でありながら、情熱は失せていない。

そんな谷崎に業を煮やした重子は、松子と私を取るか、それとも千萬子を取るかと病床の谷崎に迫り、えっと驚くラストシーンになる。この物語はフィクションであるが、ラストシーンを含め、ひょっとしてこんな事があったのかなあ、と思わせるリアリティを感じる。

もし文豪たちがカップ焼そばの作り方を書いたら/神田桂一、菊池良著

著者は文豪がカップ焼そばの作り方を書いたらどうなるか?というテーマで幾多の文体模写をツィッターで公開していた。これが面白いという事になり、本書に纏められた。書いてある事は只、ひたすらカップ焼そばの作り方のみ。出てくる文豪は、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、菊池寛、芥川竜之介から相田みつお、又吉直樹等々多彩である。また、週刊文春、読売新聞編集手帳等もあり、他には自分の知らない作家もいる。全般的に良く出来ていて、かなり笑える部分もある。(余談ですが、この本の腰巻の出来は今市としか言いようがないですね。)

論より証拠、本書のトップバッターである村上春樹を引用してみる。
  
   「1973年のカップ焼そば」

きみがカップ焼そばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。

勝手に液体ソースとかやくを取り出しせばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。

読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けてたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
        
 ただ一つだけ確実に言えることがある。
        
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
 
こんな感じで次々に色んな人の文体模写が繰り広げられる。芸はまず真似る事から始まると言われるが、これだけの模写が出来るのは大したもんだと思う。そこで、読んでいるだけでは面白くないので自分でも作ってみた。もし古今亭志ん生がカップ焼そばの作り方を喋ったら。
 

「カップ焼そば指南」

エェ~江戸っ子てぇものは蕎麦をしょっちゅう食ってたんですな。なんたって、そば清なんて人がいたぐらいですからな。

エ~、江戸が御一新となって、食い物も文明開化てぇんで、カップ焼そばなんてぇものが出きたらしい。なんでも喰う前にこの周りに被ってる紙みてえなものを破くてえんですよ。エエ、破くくらいなら、最初から被せなきゃ良いだろう。(小笑)

おーい、急いで湯沸かしてくれ
何だねぇ藪から棒に、やいやいお言いでないよ、そんなにすぐにゃ沸きゃあしないよ。
なんだと、急いでっていうのは早いてぇ事を言うんだ。とろとろ、とろとろしやがって、お前の耳は逆についてるのかあよお。(笑)

湯が沸いたらこの中に入れるってえんだが、おやおや、中にかやくとスープなんてものが入ってるよ。かやくったって二〇三高地を取るってえ時に火を付けてドカンとやった奴ぢゃあないよ。(笑)江戸っ子なら具と言えてぇンだよ。これを外に出して、それから湯を入れろって、なんだいこりゃ、最初から出しときゃいいだろう、エ~。(小笑)

それから、どうしろってんだ、エー、中の干乾びた麵に湯を掛けて五分待てだとさ。
ア~五分たあ、何時だ。
おーい、爺さんが大事にしてた和時計、大急ぎで出して来てくれよう。
そんなもん、どこにあるか知りゃあしないよ。
なにい、お前喰っちまったんだろ。ほんとにお前は替り目の女房みてえだな。(笑)
馬鹿お言いでないよ、そんなもん喰えるかい。

さあてと、湯を入れて、まあ、五分経ったとしよう。
エ~それから、湯切りぃ、湯切りってなんだよお。湯を切るのかよ。(小笑)
何言ってんだい、中の湯だけ捨てりゃあいいんだよ。
なんだとお、捨てるう、折角沸かした湯を捨てンのかよ。(笑)
お前さん何にも知らないんだねぇ、 後は全部混ぜて食やあ良いんだよ。
エェ何だよう、焼そばっつうのに、肝心の焼きがねえぢゃねえか、どうなってるんだよう。(小笑)
お前さん、それが文明開化つぅもんだよ、分かったかい。

おいと呼びやいと答えて五十年。これが本当のやいおい(相生)の松。(シーン)

 

煌/志村節子著

 新刊書はその下部に帯がついている。これを昔は(今も?)腰巻と呼んでいた。腰巻は勿論販売促進ツールであって、読者の目を惹く惹句、写真、イラストが散りばめられている。売行きによって、重版の際に腰巻を変える事もある。昔「面白半分」という雑誌が「日本腰巻文学大賞」を主催していた。(もっとも、洋書には腰巻はないので日本と態々名乗る必要もないが)我が国固有の文化として再開して貰いたいものである。本書は表紙絵と腰巻が上手く調和しており、腰巻付きの写真にしてみた。

本書には六編の書き下ろし短編がある。作者は江戸時代の情緒をテーマを決めて連作するのが得意のようで、煌(きらり)では、光と音、花火をテーマにして遊女、船問屋、紙問屋、簪職人、花火師、旅駕籠屋、それぞれの人間模様を描いている。

面白いのは夫々の短編に年号が決められており、その時代を調べてみると、地震や飢餓或いは大火事であったりと、その時代の出来事を背景にして物語が進んでいく。当時は大川(隅田川)の川開きが有名で、その花火職人が出てくる一遍もあるが、作者は愛知県豊橋、吉田神社の紅蓮の如く燃え盛る手筒花火に登場人物の熱い心情を投影しているようである。
全六篇、三遊亭圓朝作人情話の抜き読みを聞いているような錯覚を覚えた。

春画で学ぶ江戸かな入門/車浮代・吉田豊著

江戸の春画を意識し始めたのは田中優子法政大学長の著作を読んだのが切っ掛けでした。その後永青文庫で春画展が開かれ、色々な画集等も発行され巷では春画ブームの様相を呈しており、自分もその渦中にいるようです。

田中先生の本には江戸の風俗と春画の書かれた背景とが丁寧に解説されており、少々美化しすぎの感もありますが、色々と勉強になりました。

しかしながら、春画の中に細かい字でくだくだと書かれている詞書(かな文字)についての説明は殆どありません。

そこに何が書いてあるか知りたいのは人情ではありますが、勘を働かせても類推しても到底読めず、どうせ大した事書いてないよ、とか思いつつも何か気になっておりました。そんな私の心情を見透かしたかのように本書が発行され、これは読まないわけにはいかないでしょう。流石幻冬舎。

著者によれば「享保七年(1722)八代将軍・徳川吉宗が『享保の改革』の一環として『好色本禁止令』を発布して以降、春画および春本は秘密裡に売買されるようになりました。公に販売される印刷物は検閲を通さなければならなくなり、題材や色数などが制限されてしまいましたが、裏で売られる春画は検閲を通さないので、贅沢のし放題。どれほど重ねても、金・銀・雲母(きら)などの高価な材料を使っても、エンボス加工(型押し)や仕掛け(細工)をしてもお構いなしです。」
よって結論として
「現代ではエロティックな商業印刷物は低俗と見られがちですが、春画は逆です。浮世絵芸術の頂点に君臨していたのが春画で、精巧な根付けなどと同じく、持っていることがステイタスで、自慢の種でもありました。」
木版画である浮世絵技術の粋を集めた春画が浮世絵の頂点である、という事らしいです。そしてこの本を読めば浮世絵の頂点たる春画の詞書が読めるようになるんです。

春画に限らず江戸かなを読むにはまず基本の八文字を覚える事。これが出来れば八割は読めるそうです。これを筆者は「八文字呪文」と呼んでいます。テーマが春画なので、これを並べ替えて
「は た か に わ け す れ」(裸にわ毛擦れ、と覚える)
これを覚えたら次にレベルアップの八文字呪文として
「を す き は つ の ほ り」(を好き初登り、と覚える)
これもマスターすれば9割方は読めるようになるそうです。

この八文字を基本に実際の春画の詞書が解説されています。成程、裸にわ毛擦れ、が分かるだけでも随分読めるものだと感心します。逆にいうと筆が滑ってちょっと曲がったようにしか見えない線もちゃんとかな文字だったんです。

本書には付録としてちょっと大型の栞が付いており、これの片面に、裸にわ毛擦れ、裏面に、を好き初登り、が印刷してあり、私の場合は、この栞をカンニングしながらなんとか着いていくという感じでした。

勿論これ一冊読めばかな文字が全て読めるようになる訳ではありませんが、駄目だと思っていたのが不可能ではないと分かり、少々嬉しく感じた次第です。

 

BUTTER / 柚木麻子著

2009年に発覚した結婚詐欺及び3件の連続不審死事件で逮捕された木嶋佳苗(42)は4月14日最高裁判決により死刑が確定した。終始一貫犯行を否認しており状況証拠しかない為、判決に疑義を唱える向きもある。本書は犯人の名前を梶井真奈子とし、この事件を下敷きにしているがノン・フィクションでは無い。

梶井は中年男性から色仕掛で多額の金を巻き上げ、豪奢な暮し、特に美食を堪能していたようである。女性週刊誌記者の里佳(33)は、この事件に興味を持ち拘置所で面会するため梶井へ何度も手紙を書くが拒否される。大学同期で現在は退職し、妊活に励む怜子(33)の家を訪問した際、美食の話、レシピの話に持ち込めば興味を示すかも、との助言を受け面会に成功する。

梶井はマーガリンを忌嫌い、バターに対する思い入れを縷々述べる。炊立てのご飯に有塩のエシレバターを乗せ、醤油を一たらし。バターが溶ける前に掻きこむバター・醤油ご飯の旨さ。恵比寿のロブション、新宿靖国通りのラーメン屋(ホープ軒?)。里佳は梶井に言われるままに追体験していく。こうして梶井への取材を重ねるうち、里佳は欲望に忠実な梶井の言動に振り回されるようになっていく。

30人以上と言われる詐欺の被害者達はなぜ美人でもなく(被害者は一様にブスと言う)ポッチャリ型の梶井に騙されるのか?一回一万五千円のセレブ料理教室に通い、高級食材を潤沢に使って振舞う数々の料理で男の気を引く。そして自画自賛の性技。これら食欲、性欲そして金銭欲が絡み合ってグルグル廻り、ちびくろサンボ状態になる。それが溶けて遂にバターとなる。

物語はその後、里佳と梶井の心理戦が続くかと思いきや、意外に大きい振れ幅があり、怜子の意外な動きと相まって最後まで気が抜けない。里佳は遂に取材とインタビューを纏め自社週刊誌に連載することができた。しかし梶井の支援者と思われる男が里佳を全否定する記事を他の雑誌に載せ、里佳は追われるように出版社の他部署に異動となる。最後までハラハラするストーリーとレシピや調理の詳細な描写が興味を引く。特に最後に里佳が10人前の七面鳥を焼く件りはかなりくどいが面白い。

木嶋佳苗は昨年3月60代の支援者と獄中結婚している。彼女は多分この支援者の手を借りてブログをアップしていたが、現在でも「木嶋佳苗の拘置所日記」を公開しており最新の記事「バターってなんやねん 2017年5月11日」では著者の柚木麻子を強烈に詰っている。この小説の続きを読んでいるような錯覚を覚えた。

大人のお作法/岩下尚史著

TOKYO MX TVで平日午後5時からの「5時に夢中」は今年で13年目に突入し、これまでミッツ・マングローブやマツコ・デラックスを世に送り出し、オネエブームの一翼を担って来ました。連日かなり濃いキャラクタの方々が出演されますが、最近一番面白いのはハコちゃんこと、岩下尚史氏であす。

ハコちゃんの最新刊は若手編集者の質問に答えるという体裁です。いつも「ウッスラ不機嫌」なハコちゃんらしく、若造を甘やかすこと無く、自論を展開しています。

編集者の質問は他愛ないもので、料亭に行ってみたい、寿司を喰う作法、歌舞伎の見方、宴席の張り方等々。まず、昨今の食通、グルメブームには辟易としており、寿司なんてものは出てきたものをサッと喰ってサッと出てくれば良いのだ、ネタの順番なんて自分の好きなように注文すれば良い、等とあっさり料理しています。

しかし、歌舞伎に関しては流石に深い。発言を拾ってみると
「しかし、とりわけかぶき芝居は、贔屓役者と交際し、幕内の事情に通じなければ、そのほんとうの妙味はわからない」
そして必ず祝儀や心づけを切る。
「しかし、男が独りで芝居見物というのは傍から見ても寒々しく、なんだか色気がないのでねぇ」
「『わたくしは伝統芸能が好きで』などと、しおらしい言い立てをしながら、世間の目褄を掻い潜り、本当のところは役者の色気に惹かれ、悩ましい思いで劇場に通う婦人客こそ、かぶき芝居の見物の本格に違いありません」
「だいたい貴方、かぶき芝居というのは新劇や現代演劇と違い、ぞっこん惚れぬいた役者を見に行くものだったんです。(中略)今の客だって本当のところはそうなんでしょうが、昔の芸者衆や奥様たちのように芸の素養がありませんから分かりませんし、まして『わたしゃ、あの役者をみると買ってみたくなるわ』なんてことは言いにくい」

それに加え観客もある程度踊りや三味線、小唄程度の経験が無いと舞台は完全に理解できない。そして、それら芸や作法の淵源は茶の湯であるらしい。要するに、観客と演者の境界が曖昧なんだと。

後半で昭和21年に発表された桑原武夫の「第二芸術」に言及しています。私は寡聞にして知りませんでしたが、第二芸術論というのは一口で言えば、西洋のものは芸術であるが、日本の伝統的な芸能は単なる芸事であって、西洋より劣る。特に俳諧などというもは誠に低劣なものであるという論のようです。

オペラ座のような劇場で青筋立てて声張り上げるのは玄人のみが出来る技ですが、お座敷での小唄、端唄、或いは和歌俳諧、川柳、狂歌などは素人でもそれなりに楽しめる。すなわち玄人と素人の境界が曖昧であることが桑原先生はお気に召さなかったのでしょうか?ハコちゃんは第二芸術論については単に紹介するだけで是も非も述べていません。本音のところはどうなんでしょう?

そして結論は本書の幅広の腰巻にある通り、貯金なんでせこい事は考えず「大事なのは身銭を切ること」でした。

京都のおねだん/大野裕之著

最近京都を題材に採った書籍が色々でているが、これは最近でた本で、他の京都本のように京都独特の風俗・習慣を扱いながら、類書にあまり出てこないおねだんを詳らかにしている。

チャップリンが泊まったという、麩屋町御池の柊屋旅館のお値段とか、地蔵盆の時のお地蔵さんレンタル料とか具体的な値段が紹介されている。

しかし、京都のお値段として一番謎であり、一番知りたいのは舞妓・芸妓を揚げて遊んだ時のお値段であろう。

この謎を解明すべく筆者は自腹で取材を敢行。勿論一見では無理なので紹介者を探し、その人の縁で取材が実現した。事前にお茶屋に値段の探りを入れたが、紹介者による、とか、お茶屋によると思います、とかいう返答ばかりで要領を得ず。 

六時頃、筆者と紹介者が現場に到着すると程なくして舞妓さん、芸妓さん、地方さん(三味線)が到着し宴会スタート。仕出しの京懐石で水菓子までのフルコース。お酒もたらふく飲み、踊りやお遊びで、お開きは十二時。 後に送られてきた御祝儀込みの請求書の実物写真が載っている。

一応明細はあるが意味が良く分らず、女将に無理に頼んで説明して貰った。仔細に検討してみると、今回はかなり安く上がっているようで、これも紹介者のお陰だそうである。私としては値段の見こみも判然としない状況で突撃した筆者の勇気を讃えると共に本書の印税で取材費が回収されることを祈るのみである。

尚、今年一月に「京女の嘘」 井上章一著(PHP新書)というのが出ているが、これは看板に偽り有。本屋で最初の数頁だけ立読みして買うと後悔必至。