兄貴のブギ/萩原健一

最近、芸能人の訃報が続いていますが、ショーケンは意外でした。デビュー当時のテンプターズでは、ジュリーと競い合う大変な人気でした。ヒット曲はたくさんありますが〽オーママ、ママと歌った「おかあさん」が当時のレコード大賞にあった「童謡賞」を取りそうになったのには半笑いでした。水谷豊と共演した「傷だらけの天使」は当時としては斬新で、カッコ良く見えました。共演の水谷豊がアーニキィ~と言ってショーケンについて行くところは毎回お約束でした。このドラマを撮った代々木会館は、昭和、平成、令和(まで後一ヶ月)と三代生き延びて未だ現役です。

「前略おふくろ様」では口数少ない板前姿が決まってました。梅宮辰雄はこの番組の為に板前修業をし、それ以降調理に嵌ったそうです。海ちゃん役の桃井かおりは既に日活ロマンポルノに出ていましたがTVは実質デビュー作で、強烈なキャラクターがインパクトありました。独特な話し方を真似た清水ミチ子には笑わせて頂きました。つらつら書いていくとキリが無いですが、色々事件も起こし、危なげなところがショーケンの魅力(?)でしょうか。今ではこういう芸能人は棲息できません。

この歌は「傷だらけの天使」の頃のハチャメチャ感があります。但し、B面という事もあり歌そのものの作りは今市で歌詞も聞き取りにくいところがありますが、友情出演の水谷豊が萩原健一との掛け合いで昔なつかしい、アーニキィ~を聞かせてくれてるお宝音源です。採点は水谷豊の出演があるがのでトホホ度は二つ星になりました。

トホホ度 ★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★

梅はさいたか/美空ひばり

春が来るというので、何かそれらしいのを探していたら、美空ひばりが歌う端唄が出てきました。歌は色々あるけど、その区別は難しい。都都逸は七七七五という形があるし長唄は長い歌でいいんですが、端唄と小唄の違いが分かりません。そこでネットで検索してコピペしてみました。特にはっきりとした区別は無いようです。

・ 端唄が流行したのは天保の改革以後とされる。天保の改革で庶民が三味線を弾く事が禁止されたが 禁が解けた後、短くて簡単に弾ける端唄が人気となった。
小唄は端唄から派生した俗謡である。一般には江戸小唄とされる端唄の略称。略称として定着したのは、明治・大正期である。
・小唄は爪弾きであるが端唄は撥を使う。小唄は四畳半で弾いてうるさくないよう爪弾きになったと思われる。

〽梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳なよなよ風次第
山吹ゃ浮気で  色ばっかり しょんがいな~

梅にしようか 桜にしよかいな
色も緑の松ヶ枝に
梅と桜を 咲かせたい しょんがいな~

恋の浅草 二人で行こかいな
何を言問 都鳥
末は千鳥で 泪橋 しょんがいな~

「 しょんがいな~」は「しょうがない」というほどの意味。歌詞は伝統的な「梅は咲いたか」と少し変わっています。三番の歌詞はしゃれが効いていて粋ですね。 尚、泪橋は荒川区と台東区を分ける思川にかかっていた橋で、その下に丹下段平の丹下拳闘クラブがあったそうです。

ところでこの歌を歌っている美空ひばりは何歳くらいでしょうか?CDには詳しい説明はありません。これもネットで検索してみると昭和49年の録音らしいです。このときひばりは37歳。ネットには20代という記述もありましたが、録音がステレオで割と音質が良いので、37歳が正解と思われます。しかし、これを聞いてみると、私が言うまでもなく美空ひばりは天才歌手だったんですね。

大阪的/井上章一著

井上章一氏には京都に関する著作が色々ありますが、前作「京都ぎらい」は今市でした。今度は方向を変えて大阪です。一般に大阪人は
(1)いつも面白いことを言って笑っている。
(2)阪神タイガースのファン
(3)エロい
(4)食いだおれ
(5)がめつい
等と言われています。

(1)いつも面白いことを言って笑っている。
関東大震災後、谷崎潤一郎は阪神間に居を構えた。そこで昭和7年に「私の見た大阪及び大阪人」という随筆を残している。「関西の婦人は凡べて(中略)言葉少なく、婉曲に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞こえ、非常に色気がある。(中略)猥談などをしていても、上方の女はそれを品よくほのめかしていう術を知っている。東京語だとどうしても露骨になる。」

現在の大阪のおばちゃんとはかなり違います。最も谷崎が座談を交わしたのは阪神間の山手婦人だったのでこういう感想になったのかもしれません。大阪のご婦人方が変わったのはテレビ大阪で昭和58年から10年間続いた「まいどワイド30分」という夕方のワイドショーから。夕餉の買い物に来ているおばちゃん達を映し、色々と喋らせた。在阪のテレビ局は有名な俳優や芸人を呼ぶには予算が足りず、素人をテレビに出すことを考えたという訳です。その後「夫婦善哉」「新婚さんいらっしゃい」「プロポーズ大作戦」等、様々な低予算の「視聴者参加番組」が製作された。勿論素人を出すと言っても事前に予選を行い、おもろい事を言える素人を選んで使っています。こんな番組を連日連夜見せられた大阪人は素人でも笑いをとらなきゃいけないと思い込み、日常生活にお笑いを持ち込み、現在に至る。(これは著者の仮説です。)

(2) 阪神タイガースのファン
阪神タイガースが戦後初めて優勝したのは甲子園球場での昭和37年10月3日の広島戦。甲子園球場は大変な騒ぎだったと思われますが、観衆は2万人と発表されています。しかし当時の映像を見るととてもそれだけ入ったとは思えません。それに比べ巨人阪神戦は常に4万人を超えていました。テレビの野球中継は巨人戦ばかりで当時は巨人ファンが多かったようです。

昭和43年に神戸でサンテレビが開局しました。しかし資金力が無いので苦肉の策として放送権料の安い阪神戦の全試合中継を始めた。これがKBSや他の民放にも広がり、これ以降多くの大阪人が阪神ファンになったようです。熱狂的な阪神ファンも実は意外に歴史が浅いんですねぇ。

(3) エロい
ここで著者はノーパン喫茶について熱く語っている。一般にノーパン喫茶は大阪発祥と言われているが実は京都なんだと。昭和54、5年頃京都西賀茂で第一号店が営業開始し、昭和55年の週刊プレイボーイにルポとして取り上げられている。ノーパン喫茶といえば大阪の「あべのスキャンダル」が有名だが、それはもっと後の話。私がちゃんと見ているんだから間違いない。ストリップも大阪と思われるが、これはご承知の通り浅草が始まり。

昭和60年に悪名高い新風営法が発効し、法の網目をくぐって、ありとあらゆる助平な店が大阪に出現する。しかし著者よれば、殆どの助平商売は東京人がアイデアを出し、大阪に出店したそうです。著者は大阪がエロい街というのは風評であって事実でないと力説しております。

(4) 食いだおれ
大阪は食いだおれ、京都は着だおれ、と言われてきた。しかし京都の和食が世界遺産になったこともあり、大阪の企業が接待に使うのは京都の料亭。それに比べ大阪名物はホルモン焼きかタコ焼き。著者は悔しそうです。「あんまりやと思いませんか。京都に来たら料亭の湯豆腐やのに、大阪ではタコ焼き。みんなどんだけ大阪をみくびってんねんって、そう思いますよ。」

本来大阪は商都で、新鮮な食材も豊富に入ってくる。だからこそ食いだおれと言われるほど、旨いものが沢山あった。昔は「あそこの料理おいしいやろ。板前さん、大阪で修業しはったんやて。」などという会話が実際にあったそうです。ああそれなのに。

(5)がめつい
「がめつい」という言葉は昭和34年に初演された「がめつい奴」(菊田一夫作)が発祥で、それ以前にはこんな言葉はなかったとは知りませんでした。その後、花登筺作のドラマ「土性っ骨」「売らいでか!」「どてらい男」が銭に執着する大阪商人のド根性を全国に流布した。これに対し、田辺聖子は「大阪人というと、金と物欲のことしか考えていないように世間は思うが、それは安モノの大阪弁小説が、一時氾濫したせいで(後略)」言うまでもなく安モノとは花登筺を指しています。

これら以外にも大阪弁や阪急沿線美人、ビリケンさん、くいだおれ太郎、或いは大阪の歴史等々について語っています。世間に誤解されている大阪人像を正したいという著者の大阪愛が溢れる一冊でした。蛇足ですが「大阪的」というタイトルはどうでしょう?もう少し工夫できたように思います。

ハッピーじゃないか/笠井紀美子&デューク・エイセス

NHKの朝ドラ「まんぷく」はカップヌードルの開発が佳境に入り、いよいよラストスパートです。カップヌードルはドラマの中でもあるように確かに画期的な商品でした。チキンラーメンが30円の時にカップヌードルは100円という強気の値付けでしたが、昭和47年のあさま山荘事件で機動隊を指揮した佐々 淳行が現場に持込み、機動隊員が食べている場面が全国に中継されました。これをきっかけに売り上げが急増したそうです。

この曲は小林亜星作曲、 阿久悠作詞の初代カップヌードルCMソングです。(CMなのでジャケ写はありません。ハービー・ハンコックと共演した “Butterfly” のジャケットを張付けてみました。) 歌っているのは当時新進気鋭のジャズ歌手、笠井紀美子 で歌い方からファッションまで最先端でした。国内だけでなく、しばしばニューヨークで当時の世界的ジャズメンと共演しており、当時を代表するジャズ歌手と云えます。今風に言えば物凄いオーラがあり、ちょっと近づくのも怖いような、そんな笠井がラーメンのCMをやっていると知って驚いたものです。

この曲は小林亜星のアレンジが今市です。笠井はジャズ歌手らしいソウルフルな歌い方を指向しているようですが、バックと上手くマッチしていません。運よくYOUTUBEに当時の画像がありましたのでリンクしてみました。今みるとやはり時代を感じます。

伯爵夫人/蓮實重彦著

蓮見重彦は元東大総長という事もあり、書店に並んでいる著作にはなんとなく近寄りがたい雰囲気があった。本作は三島由紀夫賞を受賞したが、その記者会見が話題になった。受賞の感想を聞かれ「 まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております。」とか、ありがちな質問に「 あの、馬鹿な質問はやめていただけますか。 」などと不勉強な記者を煙にまいたが「受賞がはた迷惑なら断れば良いと思われるが」という質問には「答えられません」と返答している。この問答は面白いと思っていたが最近文庫本になったので、買ってみた。

帝大法科受験前の旧制高校生である二朗は聖林の映画を見た帰りに二朗の家に仮寓してる伯爵夫人に逢う。憲兵が来たので誰何されぬように木の陰で抱擁してやりすごす。その時二朗が汚してしまったパンツを洗うため、伯爵夫人の手引きで帝国ホテルに入る。開戦前夜の暗い雰囲気の中で二朗は伯爵夫人やその他の知人とホテルの色んな所で色んな事を経験した。 翌朝帰宅し、夕方5時過ぎに目を覚ますと夕刊で日米開戦を知る。目が覚めてみると一昼夜の夢であったようだ。色々な描写で直截な用語が随所に現れる。引用しようかとも思ったが、やっぱりやめときます。文芸評論家や文学の先生方には色々な解釈、分析があるんでしょうが私レベルでは所謂ひとつのポルノ小説です。

著者は三島賞受賞会見で「この小説は、私が書いたものの中では、一番女性に評判がいいものなんです。私は細かいことは分かりませんが、たぶん今日の選考委員の方々の中でも女性が推してくださったと私は信じています。 」と語っている。「はた迷惑」と言ったものの実は受賞を喜んでいるんぢゃあないでしょうか。もし、これが映画化されるなら是非見たいですが、著者が映画の専門家であり、色々と注文を付けられたり、批判されたりするのは必定なので、手を挙げる監督はいないでしょう。

本書は巻末に三篇の解説がある。著者の一人がジャズ評論家の瀬川昌久で、解説執筆時93才であるが、いまだに元気良く評論活動を継続中です。瀬川氏からは戦前、戦後のビッグバンドジャズの系譜、戦後勃興したビバップというコンボ形式のジャズについてその著作から随分勉強させてもらいました。作中に三島由紀夫と思しき青年が出てきますが、瀬川氏は学習院から東大法科まで三島の同級で良き友人であったそうです。

著者は会見で、瀬川昌久が昭和16年12月8日にトミ-・ドーシー楽団のレコードを大きな音で聞いていたら、両親から今晩だけはおやめなさい、とたしなめられたという話を紹介し「(中略)私はその方に対する大いなる羨望を抱きまして。結局、『1941年12月8日の話を書きたいなぁ』と思っていたんですが、それが『伯爵夫人』という形で私の元に訪れたのかどうかは、自分の中ではっきりいたしません。 」と語っている。この年代の方はよく、押し入れの中でジャズレコードを聞いていたとか、自作した鉱石ラジオにかじりついて進駐軍放送を聞いた、というような話をされますが、昭和11年生まれの著者にとってみれば、自分が体感できなかった諸先輩の心情や所行に羨望したという事でしょうか?

自転車にのって/添田唖蝉坊+高田渡

NHK大河ドラマの「いだてん~東京オリムピック噺~」では金栗四三の幼馴染役で綾瀬はるかが出演している。彼女は颯爽と自転車に乗っていたが、当時女性が自転車に乗るという事はかなり裕福な家庭で育ち、かつ勇気がなければ出来ない珍しいことであった。熊本の田舎ではかなり目立ったろうと思われる。

彼女は「チリリン チリリン と 出てくるは・・」と歌いながら自転車に乗っている。これは明治の演歌師である添田唖蝉坊の歌である。私は学生時代、添田唖蝉坊について調べた事があり、懐かしく思えた。そこで、そのオリジナル音源を探してみたが、ありそうで無い。仕方がないので高田渡のアルバム「ごあいさつ」に収録されている「自転車にのって」をリンクした。この曲は前半に添田唖蝉坊の歌があり、それに続けて高田渡が自作の「自転車にのって」を歌っている。

この歌は演歌師の神長瞭月(かみなが りょうげつ)が明治42年に流行らせた「ハイカラソング」の一節であると言われている。残念ながら神長のオリジナル音源も探し出すことはできなかったが唖蝉坊の歌からも当時の雰囲気が伝わってくる。これ以外にも唖蝉坊の歌は色々なフォーク歌手が取り上げているが、その中では、やはり高田渡がぴったりとはまっている。

〽チリリン チリリン と
出てくるは 自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手離した しゃれ男
あっちいっちゃあぶないよ
こっちいっちゃあぶないよ
それあぶないと言っている間に
転がり落っこった  

(当時、自転車は高価だったので、時間借りで乗る人も多かった。)

添田知道は添田唖蝉坊の長男で戦後「演歌の明治大正史」や「日本春歌考」等の著作がある。こういう本をゆっくり読んでみたい気がする。

【蛇足】演歌は「演説する歌」という意味であるが、最近は「艶歌」と書かれる事が多く、演説とは関係なくなっている。これは「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と目から火を噴いて叱るチコちゃんによれば昭和41年の五木寛之の小説「艶歌」がベストセラーとなり、それから「艶歌」という表記が定着したそうです。

なぜか埼玉/さいたまんぞう

「翔んで埼玉」という映画を見た、一人で。コンセプトは単純で東京、千葉、神奈川などからディスられる「ださいたま」を大袈裟にして映像化したという感じである。原作を読んでいないので、事前の想像とは違っていたが、さいたまが云われなき差別に負けずに頑張る、かつBL絡み、という大活劇となった。 配役は豪華で、二階堂ふみは原作の漫画に合わせてはまり役に見えた。しかし、GACKTと京本政樹と伊勢谷友介の3人が揃うと中々の迫力である。麿赤児にも笑えました。

気楽に笑える映画ではあるが、自分としてはもう少しエグイ、ディすり方を期待していた。例えば春日部と聞いただけで気分が悪くなるというシーンがあったが「春日部は〇〇だから気分が悪くなる」と理由を付けてキチンとディスって欲しかった。この映画を見てディスられている埼玉県人は喜んでいるらしいが、東京でありながらチクッとディスられた田無市(現西東京市)や狛江市の住民はひょっとしたらムカついているかもしれない。

映画が始まると程なく、娘の結納のために熊谷から東京へ軽4ワゴンで農道を走るシーンがあり、カーラジオ(NACK5)が都市伝説と称して話を始め、これが物語の前振りとなる。(軽4ワゴンを運転していたのはブラザートムで久々に元気な姿を見られました。) そこでいきなりこの歌が流れた。この歌がどこかで出てくるとは思っていたが、冒頭からとは意外であった。さいたまんぞうは最近は見かけないが、元気に草野球の審判をやっているという噂を聞いている。さいたまんぞうの歌は玉石混交であるが、このブログでは以前、彼の「さいたまオリンピック音頭」を取上げている。なんとか埼玉に五輪を誘致したいという埼玉愛溢れた佳曲です。

この映画の主題歌は「はなわ」の歌う「埼玉県」でエンドロールに被せて流れた。しかし、歌詞が変わっているような気がする。過激な部分は変更されているようだ。歌詞は変更されているけれど悪くはない。〽さいたま市はひらがな 漢字読めないのかな〽という部分は笑った。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★★☆

Mr. TENG/渚まゆみ

みうらじゅんからの天狗繋がりでこの歌にしてみました。 ジャケ写の右下をよ~く見てください。小さい字で “SIDE B/Mr. TENG”とあります。B面だからと云ってこの扱いは小さすぎませんか? しかし、実際に聴いてみると確かに特筆大書できる歌では無いことが納得できます。しかも、余り真面目に歌っているという感じもありません。

一体何なんだと思い、調べてみたところ、これは「天狗」という居酒屋チェーン のイメージ・ソングとして作られたのではないか、と思われます。コマーシャルソングとして流されたという記録は無いので「天狗」で飲みながら歌うという事でしょうか?しかし「天狗」チェーンのホーム頁を見てもこの歌については何も書いてありません。(不確かな情報で申し訳ない。)

渚まゆみさんは故浜口庫之助の奥様で、このEPを最後に歌手を引退したそうです。しかし、浜口庫之助の作詞、作曲とはいえ、最後のシングルB面がこれで良いんでしょうか?。評価としては久々のトホホ度満点を献上したいと思います。

トホホ度 ★★★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★☆

Longest Nose No. 1 / Jun Miura

今年のNHK大河ドラマ「いだてん 東京オリムピック噺」は日本初の五輪出場選手である金栗四三の物語で、現在はストックホルム五輪への旅費、滞在費を兄が工面してくれて感激しているところです。「いだてん」には日本初のスポーツ倶楽部である天狗倶楽部の面々が登場し、前半の筋立てを盛り立てて (?) いるようです。

これを見たみうらじゅんは、やっぱ来たでしょ!天狗に最初に目を付けたのは俺なんだ、と自慢していました。「いだてん」の視聴率が振るわないこともあって本当に天狗が来ているかどうかは分かりませんが、前回紹介した「マイ遺品」のひとつとしてオワコン感溢れる天狗のお面や玩具を密かに収集していたみうらじゅんはやはり大したもんだと思います。

彼は天狗好きが昂じて遂にこんな歌まで出してしまいました。天狗と言わず “Longest Nose No. 1” という題名はかなりトホホ度が高いですが、曲はイマイチで、お笑い度は高得点という訳にはいきませんでした。しかし「テ~ント張ってグー」とか「ボーンと鳴ってノオー」という意味不明のオシャレなリフレインがありましたので、意味不明度は4つ星にしておきました。

ジャケットは彼自身のイラストです。ペンギンが天狗のお面を被っているようですが、それにしては背中が白く、背と腹が逆転しています。実はペンギンではないらしく、これはこれで良いんだそうです。

 

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★★

マイ遺品セレクション/みうらじゅん著

みうらじゅんと言えば漫画家、イラストレーター、フォークシンガーから始まり、いとうせいこうとの「見仏記」、「スライドショー」、安齋肇との「勝手に観光協会」 。その他、ゆるキャラ、マイブームと多岐に渡り訳分からん活動を続けています。それが嵩じてついには昨年夏 「第52回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞」を受賞したそうです。この賞がどんなもので、どれ位マジなのか(失礼)分かりませんが、たいしたもんです。

この本は還暦を迎えたみうら氏がこれまでの収集品を新聞で公開しており、これを纏めたものです。全部で56種類の「トホホ」感溢れる 「マイ遺品」が紹介されていますが、新聞連載はまだ続いているところを見ると今後更に種類は増えそうです。メインは観光地や温泉の土産物屋で売っている、こんなの誰が買うんかしら、というような人形やペナント、また変軸と名付けている軸物、木彫り等です。またゴムで出来た蛇の玩具である「ゴムヘビ」の収集は彼しかいないでしょう。

新聞連載が元ネタなので、各収集品の白黒写真が載っています。カラーで品物がハッキリ見えるようにすれば良いとも思いますが、そうすると本が厚くなり、値段が上がるにも関わらず、そうやって一所懸命見るほどの物でもないので、これでヨシとしましょう。

これらの中で素晴らしいのは「アウトドア般若心経」。般若心経の278文字を街場の看板から見つけて撮った写真を張り合わせたもので、字によっては中々発見出来ず、完成に3年かかったそうです。タモリ倶楽部で紹介されましたが、これは努力と忍耐の賜物で仏様もさぞ喜んでおられることでしょう。また “Since” に目を付けたのは慧眼と言えます。創業何年という意味で、”since 1954″ とか商店の看板にあります。中には “since 2020” とか “since 320 などという楽しいシンスもありました。

彼は昨年「『ない仕事』の作り方」 という本を出し、かなり売れたようです。アマゾンの読者感想を見ると、人が目を付けないところをビジネスにしてしまう斬新な発想、等のビジネス本としての高評価が寄せられています。また、NHK BSで今月初に放映された「みうらじゅんの最後の講義」では学生や若い社会人に彼の今までの人生をスライドショーのような形で紹介し、聞いていたワカイシはかなり感動してる様子でした。しかし、私に言わせれば本にせよ最後の講義にせよ、要は単なる半笑いのネタであって感動するほどのものではありません。本人はハッキリとは言いませんが、彼の本心は分かります。ワカイシを騙すのは意外に簡単な事のようです。