やっぱ志ん生だな/ビートたけし著

本書の前書きのタイトルは「はじめに 突然変異の化け物か!?」で曜変天目の茶碗が努力だけで出来るものではなく偶然の要素が必要であることになぞらえて「古今亭志ん生にもああいうもと同じ凄さを感じてしまう。」と書いている。確かに志ん生の落語が好きな人は大なり小なり、著者と同じことを感じていると思う。

前書きの後、全五章に渡って志ん生の芸を分析している。その中で「弥次郎」、「粗忽長屋」、「鰻の幇間」、「道具屋」、「お見立て」、「富久」、「黄金餅」、「寝床」、「火焔太鼓」、「あくび指南」、「大工調べ」、「人情八百屋」、「芝浜」、「幾代餅」、「野ざらし」を例に挙げ、その凄みやギャグが紹介されている。ビートたけしのそれぞれの解説を読むとすぐにでも聞いてみたくなるが「人情八百屋」だけは全く笑う要素がないので後回しにしましょう。この中から私なりにベスト5を選ぶとすれば「富久」、「あくび指南」、「火焔太鼓」、「黄金餅」、「寝床」というところか。

私としてはこれ以外に「三軒長屋 上、下」を加えたい。これを初めて聞いたのは高校生の時にオールナイトニッポンが終わった後の「早起きもいちど劇場」の録音であったが、自分なりにスゴイと思い、それ以降、何度も聞いた。だがラジオの録音で音が悪かったので就職してからNHKのCDを買ってまた聞いた。

全体的に解説はきめ細かいとは言えないので音を聞いたことが無い人にはちょっと伝わりにくい。もう少し丁寧に書いて欲しかった。(ちゃんとしたゴースト・ライターが居ればそうなったかもしれないが)。例えば「黄金餅」で金を包んだ餅を食って死んだ乞食坊主、西念の死体を下谷の山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺まで運ぶ途中にどの道をどう通って、どこの角を曲がって等々を全て喋る(これを道中立て、という)という見せ場があるが筆足らずで、その面白さと凄さが伝わりにくい。「富久」、「寝床」も同様。この辺については少々長いが立川談志の「5大落語家論」の方が分かりやすいかも知れない。

志ん生論といえば必ず出てくるのが「間」。本書でも志ん生の間が絶妙としてその例がいくつか挙げられているが、これには少々異論がある。「間」というのは「え~」とか「あ~」とか「う~」と言ったり、喋りの途中での短いポーズであったりするが、これらを志ん生がいちいち計算でやっているようには思えないのだ。確かに噺の始めのマクラの部分では、その日の客の入り、小ネタの受け具合によって「間」を作っていたかもしれない。しかし、志ん生は50過ぎてから売れたので、慣れた噺でも次のセリフがすぐ出てこないことがあり、それがポーズすなわち「間」になっている。この巧まざる「間」が志ん生独特のテンポになって笑いを誘うのではあるまいか。そうであるからこそ誰も真似できず、またビートたけしが「越えられない」という所以だと思う。

志ん生論は数々あるが「富久」の久蔵が旦那宅の火事に駆けつける場面描写を「落語を『画』と『カット』でとらえる」として遠景、ミドルサイズ等のカット割で説明しているのはさすがに世界の北野監督。こんな落語解説は初めてだ。生前の志ん生にこの説明を聞かせたらどんな顔をしただろう?「なにぃ、お前さんねえ、活動てぇものと落語てのは全然違うもんだ、てぇんだよ。そんなことも分んねぇのかよ。ここんとこ、活動の方が人気出ちゃったりして、寄席の客が減っちまったぢゃねえか。どうしてくれるんだよぉ、えぇ~。」なんて言うかね?

尚、志ん生の音はメニュー中の「落語」からのリンクを辿れば聞けます。

セックスと恋愛の経済学/マリア・アドシェイド著 酒井泰介訳

著者はカナダのブリティッシュコロンビア大学の経済学教授で”Dollars and Sex”というタイトル(分かりやすいタイトルです)で彼女の講義を纏めたものです。セックスと恋愛に関する問題を経済学的知見を持って解くことが目的であり、そのため多くの調査、文献の検討を行い、問題の解と今後の見通しを記述しています。例えば娘を大学に行かせるにあたり親としては貞操が心配である。この場合どちらの大学へ行かせるべきか?
(1)男子学生の割合が多い大学
(2)女子学生の割合が多い大学
答えは(1)。何故か?「物価は需要と供給によって決定される」という原則が適用され(1)では男子学生数が多いため、需要過多となるので女子学生は安売りする必要が無い。(2)では逆に供給過多になり、女子学生間の競争が発生するため、どうしても安売りとなる。

こんな調子で恋愛、結婚、不倫、売春、離婚、LGBT等が論じられていく。各検討には米国とカナダのデータが使われており、これらのデータの中で重要な因子は学歴、人種、宗教、収入である。イケメンがブサイクかは定量的に表しにくいが、勿論検討の因子加えられており特にSNSの婚活サイトでは豊富なデータが収集できている。

米国やカナダのような学歴社会では学歴によって就職、ひいては生涯年収が決まってしまう。しかしながら大学の授業料は非常に高く、優秀であれば奨学金を得られるが、そうでない場合は我が家の収入を考えて進学を諦める場合も多い。十代の妊娠が白人と黒人では黒人、富裕層と貧困層では貧困層の方が多いが、これは大学進学の見込みのある女子高生は妊娠によって大学進学に支障が出る可能性があるため慎重になる。しかし、進学を諦めている女子高生はそのような抑止力が働かない。

米国で生徒の妊娠を防ぐため無料コンドームを配布した高校がある。しかし妊娠は増加した。著者は「初体験は経済学的に言えば固定費用を払うことと心理的に似たところがあります。(中略)学校がコンドームを置くようになると、純潔喪失の期待費用が下がり、すると短期的にも長期的にも性行動を促すようになるのです。学生たちは早く性体験に踏み切るようになり(短期的反応)その後もセックスをし続ける(長期的反応)のです。短期的にはコンドームの装着率が上がり妊娠率は下がるかもしれません。しかし、長期的な妊娠率は上がる可能性があります。コンドームはえてして間違った装着法をされるからです。」(ここで費用はコスト、すなわちリスクと読み替えると分かりやすい。)

その他に面白いのはネットの婚活サイトの調査。例えば女性は貧乏イケメンと金持ちブサイクの二者択一なら金持ちブサイクを選ぶ。では貧乏イケメンと金持ちイケメンではどちらが交渉成立しやすいか?答は貧乏イケメン。彼女達は金持ちイケメンの方が浮気の危険性が高いが貧乏イケメンは安心できると考えているらしい。

一般的に婚活サイトに登録する男女は、共に自身のプロフィール(身長、体重、学歴、年収等)をある程度盛る傾向があり、写真も少し若い頃の写りの良いものをアップする。婚活サイトではまず自分の理想とする身長、年収、学歴等をキーとして検索するため、まずはその検索に残る必要があるからだ。勿論検索する方も盛っているためお互い様だが、どちらもある程度自分の希望に合う人を探し出せる筈である。しかしながら、成立したカップルという婚活市場の平衡状態を調べると、男女とも当初に描いていた好み通りの相手と結婚しているとは限らない。彼らは結果的には自分と結婚してくれる相手と結婚している。要するに妥協の産物という事になります。(これ位の事は研究しなくても分かるような気がしますが)

これ以外に著者は今後の研究課題も提起しています。例えば好景気になると豊胸手術が増加する。景気後退局面には口紅がよく売れる。不景気な時は整形手術は高いので口紅を買う位にしておくという事らしい。そうであるならば不景気な時は買春を諦めてお手軽な性玩具が売れるのではないか?すなわち「性玩具の市場動向が景気の先行指標たりえるか?」という問題です。新しい研究が纏まれば彼女のホームページに公開される筈ですので、それまで楽しみに待ちましょう。

このように本書は統計的、経済学的手法により様々な問題を解き明かしており、結局セックスも恋愛も「費用対効果」の観点から説明できる事が良く分かります。

しかしながら、これらの研究は全て、米国、カナダでのデータに基づいて分析されているため米国ほどの学歴社会では無い日本ではどうなのか、が分かりません。巻末に約100件の参考文献がリストされていますが、この中に日本の研究成果は一篇もありませんでした。(一つだけ共著者に日本人らしき名前が見つかりましたが、本当に日本人かどうかは不明です。)もっとも日本人研究者が「性玩具市場動向調査」という名目で文科省に科研費を申請しても、通る見込みは無いと思いでしょう。

巻末にリストされている文献でインターネット検索でヒットしたものを少し眺めてみましたが面白いです。試しに本書の最初に引用されている文献を紹介しましょう。全文を引用する紙幅はないため結果を纏めたグラフのみを貼り付けています。タイトルは「男性の器官と経済成長:サイズが問題か?」

Westling, Tatu. “Male Organ and Economic Growth: Does Size Matter?”
Helsinki Center of Economics Research Discussion Paper, 2011

Figure 1は少々見にくいですが横軸を各国の平均男根長(cm)、縦軸をGDP($)としてプロットし、最小二乗法によって近似曲線を描いたものである。Figure 2は横軸は同じであるが、縦軸は1960年と1985年のGDPの比(伸び率)とし、近似直線を描いている。Figure 1によれば平均男根長が長すぎても短すぎても良くないようで13~14cm位の国がGDPが高いことが分かる。図より加、豪、ニュージーランドがこの範疇に入っている。日本は短いながら良く検討していると言える。Figure 2を見ると平均男根長が長い国は伸び率が悪く、短い国のほうが高い。平均男根長の短いアジア諸国が伸び率が高く長めのアフリカ諸国が低いという結果が出ている。この論文はまだDiscussion Paperという位置付けで、サイズとGDPの関係についての最終的な結論に至っていない。今後の研究が期待される。

週刊文春「シネマチャート」全記録/週刊文春編

大昔は多くの本を読んでいる学生が偉いとされたものであるが、自分の学生時代は沢山映画を見ている事を自慢する輩が多かった。その頃の私はレコードを買う事ばかりで、余り映画を見ていない。よって映画好きのJDと話が合わず、恋人どころか友人にもなれないという残念な事案も発生した。最近はTSUTAYAで借りたり、映画館に行ったりして、結構見ているが、やはり若いころ映画を余り見ていないという事実が我が人格形成にどのような好又は悪影響を及ぼしたのか、考えてみたが、良く分らない。

この本は週刊文春に連載されている映画評を再集計し、洋画ベスト200、邦画ベスト50を選出したものである。洋画のNo.1はルキノ・ビスコンティ監督の「イノセント」。見た覚えはあるが良く覚えていない。邦画のNo.1は大島渚監督の「愛のコリーダ 2000」。これは日本初公開時に掛かっていたボカシの殆どを取って、オリジナルに近づけたそうである。以前見えなかったものが見えるようになったのは誠に喜ばしい事ではあるが、これが邦画No.1というのはどうも違和感が残る。

本書の巻末に年度毎の興行収入ベスト3、キネマ旬報ベスト3が掲載されている。これと本書のリストを見比べるとかなりの違いがある。例えば興行収入上位の「スター・ウォーズ」、「スーパー・マン」、「インディー・ジョーンズ」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ジュラシック・パーク」、「タイタニック」、「ハリー・ポッター」、「ミッション・インポッシブル」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」等々の有名な映画は本書のベスト200に入っていない。

私は「売れているものはやはり良いものだ」と考えており、ビルボードのTOP40や書籍のベストセラー、TVの視聴率等は常に気にしている。小学生の頃はTVのザ・ヒット・パレードのランキングを毎週一所懸命ノートに書き写していた。しかし、本書を見ると文春の評者はこれらの売れている映画には興味が薄いようで、見下している訳ではないと思うが、やや通好みの評価になっている。例えば同率1位の「地獄の黙示録」は良しとしても同じく1位の「フンクイの少年」、「トントンの夏休み」などは全く分からない。これに比べ、キネマ旬報のリストは興行成績上位の作品がリストアップされており自分の感覚に近い。

これから益々暇になるので、暇つぶしに映画を見るためのガイドと思ってこの本を買ってみたが、どうもしっくりこない。最初からキネマ旬報のベストテンを検索すべきであった。

孤狼の血/柚月裕子著

最近映画「孤狼の血」の宣伝がTVやネットで繰り返し放送されている。最初はボヤッと見ていたが、著者の柚月裕子が「『仁義なき戦い』なくしてはありえなかった作品」と述べているのを知って興味が湧いた。自分はヤクザ映画を沢山見ている訳ではないが「仁義なき戦い」には強烈な印象がある。著者はこれをレンタル店で借りて「世の中にこんな凄い映画があったのかと、脳天をかち割られるほどの衝撃を受けた」ので、すぐにDVDで「仁義なき戦い」全巻を購入したそうです。

本作は「仁義なき戦い」同様、広島県を舞台に県警のベテラン刑事大上(映画では役所広司)とその部下になった新米刑事日岡(松阪桃李)が架空の町である広島県呉原市で暴力団抗争を防ごうと必死の立ち回りを繰り広げる。そこに居酒屋の女将(真木よう子)が絡んでくる。大上は暴力団の内情を通じていると共に癒着が噂されており、日岡は大上の違法捜査に不服ながらもついていく。

このプロットは名作と言われる「県警対組織暴力」(笠松和夫脚本 深作欣二監督 菅原文太 松方弘樹 梅宮辰夫 佐野浅夫等)に倣っており、ここでは菅原文太が暴力団と癒着した刑事を演じていた。これは実録物であるが、本作は完全に創作である。全編に渡り、だれ場が無く、現場での捜査、組の事務所に乗り込んでの交渉、県警での取調べなど緊張感をもって進行していく。最終章近くになって県警の汚職が明らかになり「ナヌ!」最後に「エェ!」という意外な結末。著者の巧みな構成力を感じる。最後の2頁のプロローグも洒落ている。

DVDで初めて「仁義なき戦い」を見た女性が取材の賜物とはいえ、これだけのヤクザ小説を書けるとは全くの驚きである。広島県警内の上司と部下のやり取り、ヤクザ組織の構成や抗争、広島弁のヤクザ言葉等々大したものだと思う。

話は変わるが、昨年5月に広島県警で証拠として保管していた8,500万円が盗まれるという事件があった。どう見ても県警内部の犯行としか思われず、職員全員を虱潰しにあたればすぐに犯人を検挙出来そうなものであるが、未だに解決していない。この小説を読んで、同じ広島県警という事もあり、この事件をふと思い出した。

クリムト 官能の世界へ/平松洋著

今年は1862年生まれのクリムトの没後100年だそうです。この本は世紀末のウィーンで活躍したクリムトの170点の絵とその生涯を解説しています。

クリムトに題材を採った映画には「クリムト(2006)」と「黄金のアデーレ  名画の帰還(2015)」があります。「クリムト」は臨終寸前のクリムトが過去を思い出す形で彼の生涯が語られます。クリムトの弟子のエゴン・シーレ役が病的な表情を旨く出していました。(エゴン・シーレには『エゴン・シーレ 死と乙女』(2017)という映画があります。)

この映画には焼失した壁画や正方形の風景画が出てきて、ほぼ史実に沿って進行します。が全体的にどうも妖しい雰囲気で余り後味は良くありませんでした。正方形のキャンバスには印象派のような点描で風景が描かれておりクリムトにも印象派の影響があったようです。キャンバスを正方形にしたのは何かの拘りがあったんでしょうか。

クリムトは映画「クリムト」にもあるように、アトリエに裸の美女を何人も待機させ、気の赴くままにスイッチして独特の裸女画を多数描いていたようです。そのモデル全員と寝たという噂もありますが、真偽のほどは定かではありません。

「黄金のアデーレ 名画の帰還」は大戦でドイツに接収されたクリムトの絵を取り戻すという実話に基づいた映画で、明るいハリウッド映画です。実際に取り戻された「アデーレ・ブロッホ=バウァーの肖像Ⅰ」は私がロサンジェルスに居る時に公開され運良く見ることが出来ました。当時のヨーロッパ画壇にはジャポニズムと呼ばれる日本画ブームがあり、クリムトもその影響を受けていますが、金箔を上手く作品に取り入れたのは彼だけでしょう。和洋に限らず金箔の輝く絵というものは見るものを圧倒します。

本書は新書サイズにクリムトの代表作が殆ど網羅されています。普通の画集や写真集は最低でもA4サイズで、判型が大きい方が絵も写真も迫力がでますが、ちょいと持ち歩くには大きすぎます。それに比べ本書は扱いやすい画集という感じでクリムトに興味のある方にはお勧めします。

乙女の絵画案内/和田彩花著

絵画の入門書といえば殆どが大学の美術の先生が学問的、歴史的に系統立てて説明され、最も教科書的な敢えて言えばオジサン目線の解説となる訳です。

これに対し、最近は中野京子先生の「怖い絵」や「名画の謎」で、絵の中のパーツの意味、物語、エロさが解き明かされ、オジサン先生方と違って奥歯にものが挟まっていない解説で楽しめました。

そして遂に、オジサンでも無くおばさんでも無い、アイドルが書いた絵画入門書が出ました。キーワードは今や世界を席巻している”kawaii”です。最近の女子は文物をカワイイかカワイクないかで二分する傾向があり、この本では彼女がカワイイと思ったであろう20の絵が彼女視線で解説されています。

まず、最初にマネの「鉄道」が出てきます。パリのサン・ラザール駅の鉄柵の前に座る母と後ろ向きの少女が描かれています。彼女はこの絵によって、絵画に目覚めたと言っています。特に後ろ向きの少女の服がカワイイと早速キーワードが出てきました。

次はベラスケスの「ラス・メニ―ナス」です。この中で「人それぞれ、絵のどこに注目するかというのは違うと思いますが、私の場合、まずやっぱり『かわいい!』と思ったポイントに目が行っちゃいます。」と言って真ん中の少女がカワイイと感じたようです。この絵の解説は色々ある中で可愛いと思った人もいた筈ですが、堂々とカワイイと表現したのは始めてだと思います。

セザンヌやフェルメールの解説の中では、自分がモデルになって描いてもらいたいと如何にもアイドルらしい感想がありました。自分は少年の時分に絵描きになりたいと思った事がありますが、その時は多分こういう状況を想像し色んな美人モデルとのお付き合いを夢想していたのかもしれません。ここに実際に描いて欲しいというアイドルの証言がある訳ですから、自分の妄想もあながち的外れでは無かったような気がしました

意外にもアングルの「泉」が選ばれています。前向きの全裸の女性が左肩上に壺を持ち、その壺から水が流れ落ちているという絵です。19世紀央までは絵に筆の刷毛目を残すのは下手だとされており、アングルは完璧に滑らかに肌を描いています。思わず触って見たくなる程です。しかし彼女は「きれいすぎて人間じゃないみたい」だそうで、これに比べてセザンヌの裸女の方が人間らしく見え、アングルはまるで陶器のように見える。だからアングルよりセザンヌの裸の方が「生身の女性の裸をみているよう」で恥ずかしいそうです。この辺は自分と感覚が真逆なんですが、皆さん如何でしょう?

これまでの絵の本と違った感覚が全編に見られ、楽しい読み物でありました。新書でありながら、カラー写真のカバーを作って頑張ってますが、カバーの上に村上龍の意味不明な文句が入っています。これ見た途端に村上龍のゴツゴツした顔が思い浮かび、折角の綺麗なカラー写真が台無しです。有名人の名前を出せば本が売れるだろうという担当編集者の貧相な発想が如何にも残念です。

陳平 ここだけの話/野末陳平

ニッポン放送で高田文夫が野末陳平が出した新しい本を読んで「これが、おもしれぇんだよ」と喜んでいた。陳平は今年アラナインの86歳。最近見ないけどもうボケたのかと思っていた。高田文夫によればTBSラジオの「爆笑問題の日曜サンデー」に出るらしい。(しかし、どうでも良いけどこのタイトルなんとかなんないかね。日曜はサンデーに決まってるだろう。)

そこで普段聞かない日曜サンデーを聞いてみた。本当に陳平が来るのかね、どうせ来てもまともな話できないんぢゃないか、と思っていたが、とんでもない。声だけ聞いていると昔と同じ喋り。「チンチン・ルンバ」が聞こえて来るような気がした。(チンチン・ルンバは昔の陳平の番組のテーマソング。長い事探しているが、未だに音が見つからない)話の中身は基本的に本の宣伝であるが、話にちゃんと掴みとオチがついており、爆笑問題のご両人もバカ受けであった。

本は学生時代から今日まで交友関係の面白い話を纏めている。陳平は学生時代から放送作家をしていたが、当時は野坂昭如の方がはるかに売れていた。その野坂の発案でワセダ中退、落第のコンビ名で漫才をやったが全く受けない。そこに同じ劇場で漫談をやっていた柳家こゑん時代の立川談志が出てきて「下手くそッ、笑いのコツ教えてやらぁ」といきなり言われたのが談志との初対面だったようです。

談志との交流は長く、東京MX TVでは「談志・陳平の言いたい放だい」という番組を長くやっていた。この歳で二人がハリセンで頭を叩きあったり、また、ゲストに吉村作治やこないだ自殺した西部邁なんかが出て来て中々面白い番組であった。(youtubeで見られます)

談志とのエピソードで笑えるのはふとしたことから「陳平と大げんかした。あいつが来てももう楽屋に入れるな。めしも食わすな。絶交だ!」と喚き、弟子は師匠の命令に忠実に従うが、談志本人は寂しくなったのか、そうっと陳平の家に言って呼鈴を押してみる。しかし、呼鈴は切れていて陳平は気が付かない。電話してみるが留守電なので、何も言わずに切ってしまう。しかし、何度も掛かっていた無言電話を聞いて、陳平は談志からだと直感する。陳平から談志に電話して元に戻った。これを聞いていた太田光が「これぢゃ、まるきり傘碁ぢゃねえか」と大笑い。(傘碁は古典落語の演目。これ知ってると結構受けるエピソードです。)

久方ぶりに陳平の元気な喋りを聞き、簡潔に纏まった本を読み、なんとなく、嬉しいような気がした次第であります。

最強の女/鹿島茂著

最強の女とはだれか?それは吉田沙保里!というのは冗談ですが、鹿島茂の選んだ五人の最強の女とは?カバー裏の説明によれば「恋人、愛人、夫の名前を並べるとその時代の有名人の名鑑が出来上がる。」

舞台は19世紀末から20世紀初頭のパリ。その五人は
(1)ルイーズ・ド・ヴィルモラン
(2)リー・ミラー
(3)ルー・ザロメ
(4)マリ・ド・エレディア
(5)ガラ

この中で最も有名なのはルー・ザロメでしょう。1861年2月12日、ロシアの首都サンクトペテルブルクで六人兄弟姉妹の長女として生まれた。彼女については自伝、評伝もあり「ルー・サロメ -善悪の彼岸 」という映画にもなっている。監督は『愛の嵐』のリリアーナ・カヴァー二監督。ルー・サロメ役のドミニク・サンダが怪しい雰囲気を醸し出している。

ルー・ザロメには「三位一体」という妙な計画があった。「要するにルー・ザロメが夢見たのは、女一人と男二人がセックス無しで共に勉学に励むという三位一体(トリニテ)の計画である。(後略)」。その一人が当時32歳、気鋭の哲学者でルー・ザロメに一目ぼれしたパウル・レーであった。しかし、彼女は求婚をつれなく拒絶する。パウルは彼女の三位一体計画を知り悩んだあげく師と仰ぐニーチェに手紙を書いた。ニーチェは彼女に会った途端に恋に落ちた。ニーチェも彼女に結婚を迫ったが、拒否され仕方なく彼らは三位一体の生活を始める。

彼らはニーチェの発案で三位一体完成記念写真を撮影した。右端がニーチェ。彼女は鞭を持っているが、二人の男が指揮されているという意味であろうか。映画にもこの写真を撮る場面が出てくる。

三人のヌード。この写真のオリジナルには全身が写っている。三人の共同生活はニーチェが強い結婚願望を抱いたのを彼女が嫌悪し1ヶ月で終焉した。彼女はニーチェと別れ、パウロ・ルーとベルリンで5年に及ぶ共同生活を始めた。パウロ・ルーは彼女との結婚を諦めてはいなかったが、やはり拒絶された。彼女は同棲しているにも関わらずベルリン社交界の花となり、名士の多くが彼女に求婚した。数々の求婚を断ってきたが、1887年突如としてフリードリヒ・カール・アンドレスというベルリン東洋語学研究所のトルコ語教授と結婚した。アンドレスは彼女に一目惚れし、ナイフを持って彼女の家に押しかけテーブルの上にそのナイフを置き、そのナイフで自分の胸を刺した。アンドレスは一命を取り留めたが、自分が犯人だと疑われるのを恐れ彼女は結婚を承諾した。

アンドレスとの結婚生活はアンドレスが84歳で没するまで43年間続いたが「それは、結局のところ、フランス語で言うところの『白い結婚(マリアージュ・ブラン)』つまり肉体関係の伴わない結婚に終わったのである。」この揉め事を避けるため彼女はアンドレアスに代理妻を用意した。

しかし、1897年ミュンヘンで詩人のリルケと知り合った時は「二人は肉体的にも『完全合体』を遂げ、高度な次元へ到達したと感じたのである。」中略「リルケは純粋な詩人であると同時にジゴロのような性的テクニシャンであって、おそらく、ルーを初めて性的なオルガスムスへと導き、恍惚感を与えたということになる。」

1899年4月彼女はリルケにアンドレアスと三人でのロシア行を提案した。彼女はロシア語が母語であり、リルケにロシア文学を学ばせるという名目でロシア語教師となっていた。リルケはこの提案にのり、彼女とアンドレアス、リルケの三位一体のロシア旅行に出発した。帰国後彼女はリルケと別れるため二人だけで二度目のロシア旅行へ出かける。

パウル・レーは1901年10月イン川で溺死した。自殺とみられている。これを聞いたルー・ザロメは彼とは別れて14年になるが、原因は自分にあると考えた。精神的に衰弱した彼女は主治医のフリードリッヒ・ピネーレス博士の勧めにより転地療法としてチロルへ移住した。ピネーレスは同行し、彼女は41歳にして初めて妊娠した。ピネーレスは驚いて夫のアンドレアスのもとに赴いて離婚を懇願しようとしたが、夫の性格を知りぬいている彼女は強く反対し、結局堕胎した。その後1902年にピネーレスと別れアンドレアスの元に戻った。

1911年ワイマールで彼女の愛人の紹介でフロイトに出会う。この時点でルー・ザロメは既に女流作家として名前が通っており「エロティーク」という著作を著した時からフロイトに興味を持っていたようである。このため1912年からフロイトのいるウィーンに滞在し「集中学習」を開始した。しかし、この二人の間には肉体関係はあり得なかった。「なぜなら、『失われた父』を求め続けたルーにとってフロイトはまさに『見出された父』あり、その『父』と関係を持つことは忌まわしい近親相姦となったからである。」

最後に紹介されているガラは1894年帝政ロシアのカザンで生まれた。彼女はポール・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリのシュールレアリスムの三巨頭を手に入れたと言って良い。ポール・エリュアールとマックス・エルンストとは三角関係が長く続いた。その後ダリとは正式に結婚している。これまで紹介された4人は自身で詩や小説或いは写真等による表現者でもあった。しかし、ガラは自身で創作する事はせず、金の為にダリに絵を描かせた。

彼女がスペインでダリに初めて会ったのは1930年。25歳で童貞であったダリが一目惚れ。同行したエリュアールがダリの背中を押し、ガラは「いやいやながら」ではあったが、海辺を何度か散歩していると遂には「ねぇ坊や、わたしたちもう離れられないんじゃない?」と呟くに至った。エリュアールは当時ガラと結婚しており、ダリを3Pの代打位にしか思っていなかった。エリュアールはガラとダリの仲に気付かず、彼女を置いてフランスに帰った。

その後二人はマルセイユのアパートに移り、ダリを画作に没頭させた。ガラはなんとかダリの絵を売ろうとするが、中々商売にならず、暫くの間極貧性格を余儀なくされる。その後ガラのマネージメントの手腕が発揮され徐々に絵が売れるようになるが、スペイン内乱、第二次世界大戦勃発の混乱を避け、二人はアメリカに亡命した。

ガラは金の為にダリの尻を叩いて絵を描かせた。Mであったダリは絵を描けと責められる事に快感を感じていたが肉体的接触は極端に嫌った。鹿島茂はダリは裸体のガラを視るだけで満足する「搾視症のオナニスト」と断じている。次第にシュールレアリスムがブームとなってダリの絵が巨額で取引されるようになり、生活は潤ったがガラはダリに対するSだけでは満足できなかった。ガラがニューヨークで若い男に声を掛けている姿が何度か目撃されているそうだ。

ダリとガラ(ガラが特に美人とは思えない)

ルー・ザロメ、ガラ以外の三人も波乱万丈の生涯を送っている。5人に共通するのは一人の男では満足できない、しかしセックスだけでは無い、という処でしょうか。本書は数々の自伝、評伝、資料を纏め5人のファムファタール(運命の女)の生涯が簡潔に紹介されており、類書の無い、面白い読み物になっている。

蛇足ですが、著者は本書の装丁に満足されているんでしょうか?

タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド/タブレット純著

タブレット純は幼少よりムード音楽やムード・コーラスが大好きで、高校卒業後、古書店員、歌声喫茶店員等を経て27際の時に遂に憧れのマヒナスターズ団員となることができました。マヒナスターズ解散後は一人でギター漫談、声帯模写で寄席に出ていますので、TVでご覧になった方も多いかと思います。声帯模写は夏木ゆたか、とかジャパネットの高田元社長なんかが得意なんですが、似てるかと言われると微妙。漫談では顔の半分で笑えるくらいの半笑いを提供してくれています。

本書はタブレット純が毎週土曜日17:55~20:00にラジオ日本で放送されている「タブレット純の音楽の黄金時代」という番組でオンエアした曲を中心に昭和の名曲が紹介されています。選曲はかなりマニアックで、ディレクターからもっと、ベタな曲を選べ、と𠮟られる事もあるそうです。(12月9日放送分はリクエスト特集だったので、私が知ってる曲が沢山かかり、実に懐かしかったんです。)

最初の章にアルフィーの高見沢俊彦氏との対談があります。タブレット純の専門はムード歌謡ですが、GSもかなり研究しており、彼は昭和49年生まれながら高見沢氏より詳しいのには驚きました。尚、本書発売と同時に「夜のペルシャ猫」という新曲が発売されています。

しかし、タブレット純を発掘し、一人で2時間の番組をやらせたラジオ日本ディレクターの慧眼は大したもんです。
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タブレット純「音楽の黄金時代」

平成29年11月25日

平成29年12月2日

平成29年12月9日

文豪の女遍歴/小谷野敦著

「どうでも良いと思いつつ、やっぱり気になる他人の色ごと」特に昨今不倫報道が色々出てくるとつい古い諺を思い出してしまいます。「人のフリン見て我がフリン直せ」

この本、買うか否か少々迷いました。男女文士62人の女遍歴、男遍歴、男色が語られており、これだけの色事を読まされては胸焼けしそうな気がしたんです。

小谷野敦は国文学者・文芸評論家で実に多くの資料に当たり、真実を究明しています。文体が簡潔なのは綿密な調査の裏付けがあるからでしょう。例えば夏目漱石の項では「(前略)漱石は一度しか結婚せず、多くの子供をなしたが、妻以外の女とはセックスせず、娼婦を買ったこともない。(中略)なぜ漱石が『国民作家』になったかといえば、東大卒の英文学者で東大講師をしており、明治四十年代以降、自然主義が盛んになって、性的な経験を描く作家が増えた中で、漱石は性的なことがらを書かなかったから、中産階級の家庭で、漱石なら読んでもいいということになったからである。」これ以上簡潔な漱石論は他にないでしょう。

佐藤春夫の項で、谷崎潤一郎が佐藤の求めに応じて妻千代を譲渡した事件については「(前略)だが、深読みをすれば、佐藤が好きだったのはもともと千代でなく、谷崎のほうだったのだろう。ホモーソーシャルでホモエロチックなもので、芥川も谷崎に惹かれていたし、谷崎というのは男に崇拝される質なのである。谷崎が好きだったからその妻の千代も欲しかった、ということだろう。」と述べている。

男色と言えばまず「仮面の告白」の三島由紀夫が思い浮かぶが、彼は本物のゲイでは無いという論もあり、本書ではバイセクシャルとしている。しかし「ヒタメン 三島由紀夫が女に逢うとき…」という著作のある岩下尚史はTVで、ちゃんとしたゲイの方はご家庭とお子様をお持ちなの、と言っていた。自身が独身である事を卑下しての発言であるが、妻子があるからゲイでは無いとは言えないというのが本意であろう。川端康成も同様であるらしい。

宇野千代の項では「『徹子の部屋』に出た時は、黒柳徹子が『尾崎士郎さん…』というとすかざす『寝たっ!』と言うので、あとで黒柳が、あんなにお昼寝をするように寝た寝た言う方は初めてだと笑っていたという。ところが小林秀雄だけは、寝たでも寝ないでもなく口を濁したので、あとで訊いたら、雑魚寝をした、という。」宇野は色んな男と寝た話をするが、瀬戸内寂聴が宇野を京都の自宅に接待した時も小林秀雄だけは濁したそうです。

著者がかなり細かい事情まで把握できるのは昔は私小説という形態が多く、自身あるいは実在の人物がモデルになっているので本編、周辺資料、書簡からかなり正確に実際を推定出来るようです。例えば田山花袋の「蒲団」は本人の実話であると断じており国文学の研究とはこういう事かと得心した次第であります。全体を通じて、本人及び周囲の女性の自殺或いは精神異常が多いのが驚きです。全ての自殺、精神異常が色絡みとは言えないでしょうが、やはり当時は不倫するのも命がけといった処でしょうか。
一読三嘆当世文豪気質。