すごい言い訳!/中川越著

著者は文豪の手紙から言い訳を選び出し、そのいくつかを紹介しています。言い訳とは何かという事を著者は明確にしてはいませんが、この本から纏めると「有言不実行を詫びながら、原因を他に転嫁し、相手に自分は(あんまり)悪くないと思わせる。」というところでしょうか。

第一章の「男と女の恋の言い訳」では二股疑惑をごまかしたり、女と絶縁したり、と色々ありますが詳細な事情が分からないので、何とも言えません。第二章「お金にまつわる苦しい言い訳」では金を借りる、或いは借りているという立場が明確なので、言い訳の苦しさが際立ちます。しかしながら皆さん卑屈になっていないところが素晴らしい。例えば武者小路実篤の金を借りる手紙です。

用事だけ書く、実は相変らず貧乏神がとついているので僕が大事にしていたロダンのスフィンクスを手放そうと思うのだが 中々良い買い手が見つからないので、君には拝借した金があるのでたのみ憎いのだが 七、八百円に売りたいと思っているのだが君に前のは拝借したことにして 五百円で良かったら買ってもらいたいのだ 千円でも僕は売りたくなかったのだが今の場合そう云ってはいられないのだ。

これ意味分かりますか?「スフィンクス」はブロンズ像でこれを五百円で買ってくれと言っています。しかも、以前の借金は返す気はありません。さらに本来は千円以上の「スフィンクス」を特にあなたに五百円で譲りますのでお買い得ですよと恩を着せています。要するに 悪いのは貧乏神なんで、僕ぢゃないんですと。何でも人のせいにしなくてはいけません。

宮沢賢治は親に借金の手紙を書いています。長いので引用しませんが「中に泥が入ったので靴を買った、毛布をつい二枚買ってしまった、背中がほころびたので普段着を買った、芝居も見に行った、本も買った、音楽やタイプ教室へ通った、だから金が無い。」と訴えています。この時賢治三十歳。 いい加減自立する年です。賢治の場合は相手が親という事もあり、余計な言辞を弄することなく、金が無い理由を率直に羅列しています。しょうがない息子だなあと思わせるにはこの方が良いようです。その著作から清貧の塊のように思える賢治も実態はかなり違っていたようです。

第六章「『文豪あるある』の言い訳」にパクってみたくなる一文がありました。

小生が心中は狂乱せり筆頭は混雑せり貴兄は気を落ち着けて読んで呉れたまえ

正岡子規が病床から門下生に、自分の後継は河東碧梧桐でなく高浜虚子だと指名し本人にそう伝えたにも関わらず、進歩が無く失望した、という手紙の書きだしが上の引用文です。まず、こう書いてから続ければどんな酷いことも書けてしまうような気がします。自分が遺書を書くときはこれで始めましょう。

同じ章に志賀直哉の完璧な言い訳がありました。一度書くと約束した原稿の断り状です。

拝呈 岡倉天心さんの事何か書くよう朝日の斎藤君を通してお約束致しましたが精神的にも体力的にもどうしてもペンを握る気分にならず甚だ申訳なく思いますが違約お許し頂きたく思います。 敬具

この時志賀直哉81歳。著者によれば文中「どうしても」が決め手になって承諾されたようです。このように「どうしても」も言い訳に必要な強力な武器です。志賀直哉は31歳の時に当時47歳だった夏目漱石から朝日新聞への連載小説を依頼され、一度は引き受けながら断った事があったそうです。 その詫び状は長いので引用しませんが、 この時も「どうしても」が威力を発揮したようです。これについて後日漱石が同僚に送った手紙が残っています。

志賀の断り方は道徳上不都合で小生も全く面喰いましたが 芸術上の立場からいうと至極尤もです。今迄愛した女が急に厭になったのを強いて愛したふりで交際しろと傍からいうのは少々残酷にも思われます。

漱石が「 芸術上の立場からいうと至極尤もです。 」という意味不明の理屈で志賀直哉の言い訳を大目に見てやっています。しかし厭になった女を愛したふりで交際しろ云々というのは一体なんなんでしょうか?

第七章は「エクスキューズの達人・夏目漱石の言い訳」と題して漱石の色々な言い訳が陳列されています。この中でちょっと面白いと思ったのは漱石47歳の時の手紙です。ある婦人が漱石宅を訪問したが漱石不在のため住所を残していきました。この頃は漱石絶頂期で非常に忙しかった筈ですが、この未知の女性に手紙を書いています。ちょっと長いが引用します。

こないだは御出で下さった処留守で失礼いたしました あなたは私の書物を愛読してくださるそうですが、感謝いたします、しかし、人の作物はよんで面白くても会うと存外いやなものです だから古人の書物が好きになるのです 私は御目にかかるのは構いませんが 御目にかかる価値のない男ですから それほど御希望でないならおやめなさい、それから私に会ってどうなさる御つもりですか ただ会うのですか 私は物質的には無論精神的にもあなたに利益を与える事は到底出来まいと思います 失礼ですが、あなた大変綺麗で読み易い字をお書きになります 私は此の通り乱暴で御推読を願います

忙しくて、その婦人に会うつもりがないなら手紙を書く必要は無い筈。字が上手い、とさり気無く褒めながら、もし実際に会って相手がガッカリした時の保険として予め「御目にかかる価値の無い男」などと書いています。これを受け取った婦人は漱石からの面会快諾通知と感じたのではないでしょうか?

一口に言い訳と言っても文豪の文章ですから、美文調であったり、詩歌のようであったり、或いは支離滅裂であったり、ととても面白い読み物になっています。これらを読めば言い訳のコツのようなものが分かってきます。他のせいにするだけでなく、さり気無く後で困らないように保険をかけておくのも必要です。著者は言い訳のノウハウ本を作ろうとしたようですが、私のように言い訳をする必要のない者にとっても非常に勉強になります。

大阪的/井上章一著

井上章一氏には京都に関する著作が色々ありますが、前作「京都ぎらい」は今市でした。今度は方向を変えて大阪です。一般に大阪人は
(1)いつも面白いことを言って笑っている。
(2)阪神タイガースのファン
(3)エロい
(4)食いだおれ
(5)がめつい
等と言われています。

(1)いつも面白いことを言って笑っている。
関東大震災後、谷崎潤一郎は阪神間に居を構えた。そこで昭和7年に「私の見た大阪及び大阪人」という随筆を残している。「関西の婦人は凡べて(中略)言葉少なく、婉曲に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞こえ、非常に色気がある。(中略)猥談などをしていても、上方の女はそれを品よくほのめかしていう術を知っている。東京語だとどうしても露骨になる。」

現在の大阪のおばちゃんとはかなり違います。最も谷崎が座談を交わしたのは阪神間の山手婦人だったのでこういう感想になったのかもしれません。大阪のご婦人方が変わったのはテレビ大阪で昭和58年から10年間続いた「まいどワイド30分」という夕方のワイドショーから。夕餉の買い物に来ているおばちゃん達を映し、色々と喋らせた。在阪のテレビ局は有名な俳優や芸人を呼ぶには予算が足りず、素人をテレビに出すことを考えたという訳です。その後「夫婦善哉」「新婚さんいらっしゃい」「プロポーズ大作戦」等、様々な低予算の「視聴者参加番組」が製作された。勿論素人を出すと言っても事前に予選を行い、おもろい事を言える素人を選んで使っています。こんな番組を連日連夜見せられた大阪人は素人でも笑いをとらなきゃいけないと思い込み、日常生活にお笑いを持ち込み、現在に至る。(これは著者の仮説です。)

(2) 阪神タイガースのファン
阪神タイガースが戦後初めて優勝したのは甲子園球場での昭和37年10月3日の広島戦。甲子園球場は大変な騒ぎだったと思われますが、観衆は2万人と発表されています。しかし当時の映像を見るととてもそれだけ入ったとは思えません。それに比べ巨人阪神戦は常に4万人を超えていました。テレビの野球中継は巨人戦ばかりで当時は巨人ファンが多かったようです。

昭和43年に神戸でサンテレビが開局しました。しかし資金力が無いので苦肉の策として放送権料の安い阪神戦の全試合中継を始めた。これがKBSや他の民放にも広がり、これ以降多くの大阪人が阪神ファンになったようです。熱狂的な阪神ファンも実は意外に歴史が浅いんですねぇ。

(3) エロい
ここで著者はノーパン喫茶について熱く語っている。一般にノーパン喫茶は大阪発祥と言われているが実は京都なんだと。昭和54、5年頃京都西賀茂で第一号店が営業開始し、昭和55年の週刊プレイボーイにルポとして取り上げられている。ノーパン喫茶といえば大阪の「あべのスキャンダル」が有名だが、それはもっと後の話。私がちゃんと見ているんだから間違いない。ストリップも大阪と思われるが、これはご承知の通り浅草が始まり。

昭和60年に悪名高い新風営法が発効し、法の網目をくぐって、ありとあらゆる助平な店が大阪に出現する。しかし著者よれば、殆どの助平商売は東京人がアイデアを出し、大阪に出店したそうです。著者は大阪がエロい街というのは風評であって事実でないと力説しております。

(4) 食いだおれ
大阪は食いだおれ、京都は着だおれ、と言われてきた。しかし京都の和食が世界遺産になったこともあり、大阪の企業が接待に使うのは京都の料亭。それに比べ大阪名物はホルモン焼きかタコ焼き。著者は悔しそうです。「あんまりやと思いませんか。京都に来たら料亭の湯豆腐やのに、大阪ではタコ焼き。みんなどんだけ大阪をみくびってんねんって、そう思いますよ。」

本来大阪は商都で、新鮮な食材も豊富に入ってくる。だからこそ食いだおれと言われるほど、旨いものが沢山あった。昔は「あそこの料理おいしいやろ。板前さん、大阪で修業しはったんやて。」などという会話が実際にあったそうです。ああそれなのに。

(5)がめつい
「がめつい」という言葉は昭和34年に初演された「がめつい奴」(菊田一夫作)が発祥で、それ以前にはこんな言葉はなかったとは知りませんでした。その後、花登筺作のドラマ「土性っ骨」「売らいでか!」「どてらい男」が銭に執着する大阪商人のド根性を全国に流布した。これに対し、田辺聖子は「大阪人というと、金と物欲のことしか考えていないように世間は思うが、それは安モノの大阪弁小説が、一時氾濫したせいで(後略)」言うまでもなく安モノとは花登筺を指しています。

これら以外にも大阪弁や阪急沿線美人、ビリケンさん、くいだおれ太郎、或いは大阪の歴史等々について語っています。世間に誤解されている大阪人像を正したいという著者の大阪愛が溢れる一冊でした。蛇足ですが「大阪的」というタイトルはどうでしょう?もう少し工夫できたように思います。

伯爵夫人/蓮實重彦著

蓮見重彦は元東大総長という事もあり、書店に並んでいる著作にはなんとなく近寄りがたい雰囲気があった。本作は三島由紀夫賞を受賞したが、その記者会見が話題になった。受賞の感想を聞かれ「 まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております。」とか、ありがちな質問に「 あの、馬鹿な質問はやめていただけますか。 」などと不勉強な記者を煙にまいたが「受賞がはた迷惑なら断れば良いと思われるが」という質問には「答えられません」と返答している。この問答は面白いと思っていたが最近文庫本になったので、買ってみた。

帝大法科受験前の旧制高校生である二朗は聖林の映画を見た帰りに二朗の家に仮寓してる伯爵夫人に逢う。憲兵が来たので誰何されぬように木の陰で抱擁してやりすごす。その時二朗が汚してしまったパンツを洗うため、伯爵夫人の手引きで帝国ホテルに入る。開戦前夜の暗い雰囲気の中で二朗は伯爵夫人やその他の知人とホテルの色んな所で色んな事を経験した。 翌朝帰宅し、夕方5時過ぎに目を覚ますと夕刊で日米開戦を知る。目が覚めてみると一昼夜の夢であったようだ。色々な描写で直截な用語が随所に現れる。引用しようかとも思ったが、やっぱりやめときます。文芸評論家や文学の先生方には色々な解釈、分析があるんでしょうが私レベルでは所謂ひとつのポルノ小説です。

著者は三島賞受賞会見で「この小説は、私が書いたものの中では、一番女性に評判がいいものなんです。私は細かいことは分かりませんが、たぶん今日の選考委員の方々の中でも女性が推してくださったと私は信じています。 」と語っている。「はた迷惑」と言ったものの実は受賞を喜んでいるんぢゃあないでしょうか。もし、これが映画化されるなら是非見たいですが、著者が映画の専門家であり、色々と注文を付けられたり、批判されたりするのは必定なので、手を挙げる監督はいないでしょう。

本書は巻末に三篇の解説がある。著者の一人がジャズ評論家の瀬川昌久で、解説執筆時93才であるが、いまだに元気良く評論活動を継続中です。瀬川氏からは戦前、戦後のビッグバンドジャズの系譜、戦後勃興したビバップというコンボ形式のジャズについてその著作から随分勉強させてもらいました。作中に三島由紀夫と思しき青年が出てきますが、瀬川氏は学習院から東大法科まで三島の同級で良き友人であったそうです。

著者は会見で、瀬川昌久が昭和16年12月8日にトミ-・ドーシー楽団のレコードを大きな音で聞いていたら、両親から今晩だけはおやめなさい、とたしなめられたという話を紹介し「(中略)私はその方に対する大いなる羨望を抱きまして。結局、『1941年12月8日の話を書きたいなぁ』と思っていたんですが、それが『伯爵夫人』という形で私の元に訪れたのかどうかは、自分の中ではっきりいたしません。 」と語っている。この年代の方はよく、押し入れの中でジャズレコードを聞いていたとか、自作した鉱石ラジオにかじりついて進駐軍放送を聞いた、というような話をされますが、昭和11年生まれの著者にとってみれば、自分が体感できなかった諸先輩の心情や所行に羨望したという事でしょうか?

マイ遺品セレクション/みうらじゅん著

みうらじゅんと言えば漫画家、イラストレーター、フォークシンガーから始まり、いとうせいこうとの「見仏記」、「スライドショー」、安齋肇との「勝手に観光協会」 。その他、ゆるキャラ、マイブームと多岐に渡り訳分からん活動を続けています。それが嵩じてついには昨年夏 「第52回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞」を受賞したそうです。この賞がどんなもので、どれ位マジなのか(失礼)分かりませんが、たいしたもんです。

この本は還暦を迎えたみうら氏がこれまでの収集品を新聞で公開しており、これを纏めたものです。全部で56種類の「トホホ」感溢れる 「マイ遺品」が紹介されていますが、新聞連載はまだ続いているところを見ると今後更に種類は増えそうです。メインは観光地や温泉の土産物屋で売っている、こんなの誰が買うんかしら、というような人形やペナント、また変軸と名付けている軸物、木彫り等です。またゴムで出来た蛇の玩具である「ゴムヘビ」の収集は彼しかいないでしょう。

新聞連載が元ネタなので、各収集品の白黒写真が載っています。カラーで品物がハッキリ見えるようにすれば良いとも思いますが、そうすると本が厚くなり、値段が上がるにも関わらず、そうやって一所懸命見るほどの物でもないので、これでヨシとしましょう。

これらの中で素晴らしいのは「アウトドア般若心経」。般若心経の278文字を街場の看板から見つけて撮った写真を張り合わせたもので、字によっては中々発見出来ず、完成に3年かかったそうです。タモリ倶楽部で紹介されましたが、これは努力と忍耐の賜物で仏様もさぞ喜んでおられることでしょう。また “Since” に目を付けたのは慧眼と言えます。創業何年という意味で、”since 1954″ とか商店の看板にあります。中には “since 2020” とか “since 320 などという楽しいシンスもありました。

彼は昨年「『ない仕事』の作り方」 という本を出し、かなり売れたようです。アマゾンの読者感想を見ると、人が目を付けないところをビジネスにしてしまう斬新な発想、等のビジネス本としての高評価が寄せられています。また、NHK BSで今月初に放映された「みうらじゅんの最後の講義」では学生や若い社会人に彼の今までの人生をスライドショーのような形で紹介し、聞いていたワカイシはかなり感動してる様子でした。しかし、私に言わせれば本にせよ最後の講義にせよ、要は単なる半笑いのネタであって感動するほどのものではありません。本人はハッキリとは言いませんが、彼の本心は分かります。ワカイシを騙すのは意外に簡単な事のようです。

ご笑納下さい/高田文夫著



高田文夫は現在70才の放送作家。これまで数々のお笑い番組を制作して来たが、オールナイト・ニッポンでビートたけしとのトークが爆笑を生み、放送作家がTVやラジオに出る先駆けとなった。日大落研出身で立川談志に入門し、立川藤志楼(トーシロー)襲名。CDが多数出ているが、談志によれば「月の家 圓鏡より上手い」。2012年4月心臓病で入院。7ヶ月の闘病の末復帰。復帰後毎週月、金、ニッポン放送のラジオビバリー昼ズで元気に喋っている。生放送なので何でも笑いにしてしまう弾丸トークに共演者がついて行けないこともしばしば。ラジコのタイムフリーで欠かさず聞いてますが前より面白くなった気がする。今が絶頂期という人がいるが確かにそうだ。

この本は高田文夫がこれまで小まめに記録してきた名言、迷言、都都逸、狂歌、川柳を纏めたもの。週刊文春に坪内祐三が書評を書いていたので一部引用する。

「迷言王は二人いる(中略)。『打つと見せかけてヒッティングだ』という言葉を引く。長嶋監督がランナー二・三塁で代打を呼び、耳元でささやいた言葉だ。そして、『文庫追記』にこうある。ジャイアンツのV旅行でハワイに向かった時、『ビーフorチキン?』とまず川上監督が聞かれ、『ビーフ』と答えて、続いて王が聞かれたら、『Me too』。そして『あなたは?』と聞かれた長嶋は、『Me three』。もう一人の王様はガッツ石松だ。まず『急ぎの時は、電車の先頭に乗る。』という言葉を引く。『世界の三大珍味です。トリュフ、フォアグラ、さぁあと一つは?』。『キャタピラ!』」

「(前略)今も元気な野末陳平の、『老後はキョウイクとキョウヨウ』というのは箴言だ。『キョウイクとキョウヨウ』というのは『教育』と『教養』ではない。『今日行くところ』と『今日の用事』という意味だ。たしかにこの二つがしっかりあればボケる事はないだろう。」<引用終わり>

なにしろ昭和から去年の末頃まで幅が広いので読者の年代によって受け方が違うと思う。以下に自分が面白いと思ったものをランダムに挙げてみる。

「シューマイの数だけグリンピースはある。」(若手漫才師)
これ、いつもの顔半分笑いでなく、何か内臓の奥からふつふつと来る。なぜ面白いのかと聞かれても答えられない。
「あそこが立っているのが主人です。」(三宅裕司夫人)
正しくは”あそこに”です。
「鳩がどいてくれません!」(ヒロシ)
ヒロシの本にサインしてもらった事があります。
「マネジャから電話で『今日の銀座の仕事はキャンセルです』と聞いた先代桂文治。銀座でキャンセルという名のキャバレーを探しまくった。」
先代文治のくりくりとした江戸のおじさん顔が思い出されます。
「世の中に 人のくるこそ うれしけれ とは言うものの お前ではなし」(内田百閒)
さすが百閒先生。言いにくいところをサラッと言ってしまうところが笑えます。
「言い訳を しているうちに 蕎麦がのび」(古今亭志ん生)
志ん生の川柳は沢山残ってますが、この句は情景が目に浮かぶようで、半笑い。
「ジョニーが来たなら伝えてよ、二次会庄やだと~」(若手芸人)
庄やで良くホッピーを飲みましたが、庄やは二次会というより一次会でしょう。
「犬も歩けば猫もあるく」(高田文夫)
さすがは高田先生。なんでもないところを笑いにしてしまう名人です。

この本は過去に出ていた同様の2冊を合冊し追記を加えたお徳用です。暇な時、半笑いしたい方にはお勧めです。

文学はおいしい。/小山鉄郎著、ハルノ宵子画

時事通信の記者である小山氏が100の文学作品に登場する100種類の食べ物を引用、紹介し、それに伴う蘊蓄が披露されている。カツ丼、ラーメン、餃子、ウドン、お好み焼き、焼き鳥等々何でもあり。ハルノ宵子氏は吉本隆明の長女、吉本ばななの姉である。彼女は各食物の水彩画を描いている。食べ物の絵というのも難しいもので、見て如何にも旨そう、食べたい、と思うものもあれば、これ本当にそう?と言いたくなる画もある。

仮名垣魯文「安愚楽鍋」に登場する牛鍋の項では、肉食の歴史を開陳している。天武四年(675)天武天皇が肉食禁止令を発布。その後、約1,200年間日本人は肉を食べなかった(事になっている)。しかし、明治政府は富国強兵の一環として肉食による体位向上を目指し明治四年末に禁を解いた。その後日清、日露戦争の兵士に牛肉の缶詰(大和煮らしい)を大量に送ったため、東京では牛肉不足となり、豚肉を多く食するようになったそうだ。関西で肉じゃが、というと牛肉であるが、関東では豚肉になるのは、この影響かも知れない。

「ドナルド・キーン自伝」では三島由紀夫と伊勢海老を食べた件がある。昭和45年8月、毎年三島が家族と過ごす下田で料理屋に注文した5人前の伊勢海老を英国人ジャーナリストを含む3人で平らげ、さらに二人前を追加注文したという。晩餐はかなり盛り上がったのであろう。しかし、何かおかしいと感じたドナルド・キーンは翌日「何か悩んでいることがあるんだったら、話してくれませんか」と尋ねたが、三島は何も言わなかったという。三島はキーンに「豊穣の海」最終章を読んでくれと頼んだが、キーンは前章を読んでいないので、と断った。最後の作品を書き上げた三島は「あと残っているのは死ぬことだけだ」と話していたという。11月25日の割腹自殺の朝に原稿が編集者に渡されたが、実際にはその年8月には既に完成していた事になる。

この本に「全日本冷やし中華愛好会」人呼んで「全冷中」が出てきたのには少々驚いた。山下洋輔が「我々は何故我が国の冬季においては、かの冷やし中華を賞味できないのであるか?」と発したのが「全冷中」の始まりである。尚、本書では山下洋輔著「へらさけ犯科帳」が初出であるとしているがこれは誤り。全冷中には筒井康隆、奥成達、平岡正明、赤塚不二雄、タモリ、等の精鋭が結集し冷やし中華バビロニア起源説、具材の研究、特にナルトの渦巻きが冷やし中華と宇宙を結びつける云々意味不明の学説が多数発表された。昭和52年4月1日(エイプリルフール)に有楽町よみうりホールで「第一回冷やし中華祭り」が開催された。私は友人のT氏と共に新宿から歩いてこの祭りに参戦したことを思い出す。尚、この祭りについてはヒゲタ醤油勤務で山下洋輔の兄である山下啓義氏による詳細なレポートがあります。御用とお急ぎでない方はご覧になって下さい。あの時代のバカバカしさ、元気さがしっかり伝わってきます。

沢山の作家の食に関わる部分を抽出し、注釈と蘊蓄を加えた中々楽しい読み物でした。私が何度か読んだ志賀直哉の「小僧の神様」が取り上げられていたのは嬉しかったのですが、北大路魯山人、内田百閒或いは「食道楽」の村井弦斎が無かったのは少々残念でした。

阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし/阿佐ヶ谷姉妹著

今年のM1決勝戦はジャルジャルが印象に残ってます。国名を分割するという遊びで、例えば一方が「イン」と言えば相方がすかさず「ドネシア」と言う。「アル」と言えば「ゼンチン」と返す。たったこれだけの事なんですが、それを早くしつこくやるので、嵌りました。最近、こういう意味ない遊びは意外にありそうで無く、昔のタモリや山下洋輔らがやっていた「ソバヤ」のようなバカバカしさです。

M1のように腹を抱えて爆笑という笑いは嫌いではないんですが、最近は少々疲れます。理想は顔の半分で、ハハハと軽く半笑い、くらいが丁度良い感じになってきました。阿佐ヶ谷姉妹を見た事のある方はお分かりかと思いますが、彼女たちは私好みの半笑いを提供してくれます。

姉のエリコ(背の高い方)と妹のミホと言ってますが、実の姉妹ではありません。当初ご両人とも東京乾電池に在籍しており、その後コンビを組んで独立。この二人が阿佐ヶ谷の六畳一間のアパートに同居していた事から阿佐ヶ谷姉妹を名乗るようになったようです。昨年夏、なんとその六畳間にタモリ以下が乗り込み、タモリ倶楽部、阿佐ヶ谷姉妹編が放映されました。仲の良いご両人ですが、二人の六畳一間暮らしには、布団をどう敷くか、台所の整理整頓とか、色々と問題あるようです。また、ご近所付き合い、お互いに違うスーパーの好み等々が綴られています。また、二人の短編小説(妄想?)もあり、と色とりどりです。

この二人が遂に別居する事になりました。ミホさんが新しい布団(セミダブル)を買ってきたのでエリコさんが寝るスペース(陣地)が狭くなり、二人の間にあるコタツの足がエリコさんの布団に食い込んで、ますます寝床が狭くなったようです。新居は勿論阿佐ヶ谷で2DKか2LDKを探し歩いたんですが、良い物件が無い。しかし、隣の学生が引っ越したので、その部屋を借りてめでたく別居できました。

こんな調子で題名とおり、のほほんとした日常が綴られています。TVで言うと少々古いですが、室井滋、もたいまさこ、小林聡美が出ていた「やっぱり猫が好き」のようなテイストです。自分にとっては丁度良い箸休めでした。

日本国紀/百田尚樹著

平成30年、出版界最大の事件がこれだ。百田尚樹氏の「日本国紀」は当初11月15日発売予定で10月15日にアマゾンや楽天で予約受付を開始した。すると予約が殺到し、翌16日にはアマゾンで書籍全ジャンル(本)でベストセラー第1位となり、その後、18日間連続1位を維持した。版元の幻冬舎は初版10万部という強気の販売目標であったが予約受付中に増刷を数度行い、発売日を幻冬舎創立記念日である11月12日に前倒して、なんと初版40万部の発売となった。尚、翌13日は更に5万部増刷が決定した。

予約の段階では目次を見たり、中をパラパラめくって見たり出来ない。これといった宣伝もしていない。要するにどんなものかも分からないまま増刷を重ね40万部が売れた事になる。これは昨年の村上春樹著「騎士団長殺し」に次ぐ記録となる。この売れ行き(予約)に気を良くした幻冬舎は11月に入って主要全国紙に全面広告を掲載した。私が知る限り、1書籍の全国紙全面広告は宮沢りえの「サンタ・フェ」以来であろう。「サンタ・フェ」は毛が見える写真が2、3枚ある、という事で話題になり150万部以上売れた。本書は勿論そこまでは無理と思うが、その半分くらいはいくんぢゃないだろうか。

「日本国紀」とは大仰な書名であるが、要は日本通史である。百田氏はこれを1年かけて書き上げた。世の中にまともな日本史がない。他の多くが自虐史観に染まり、日本人の素晴らしさを表現できていない。そうならば自分で書こうと一念発起した。他の日本史と違うのは第7章「幕末~明治維新」から「平成」までが全体の約半分を占めている。特に明治維新から戦後復興までの一連の流れが分かりやすい。日本史を高校時代全部やった人でも明治以降は入試に出ないとか言って勉強しなかった人が多い。私は映画、TV、歴史小説などによる断片的知識しかなかったが本書のお陰でそれらが繋がったような気がする。

私が高校生の時も現在に於いても日本史は必修科目になっていない。およそ先進国で自国の歴史が必修科目でない国はない。その原因は本書にも出てくるGHQのWGIP (War Guilt Information Program)である。WGIPはGHQが日本人に贖罪意識を植付け、日本国の伝統を分断する事を目的とした洗脳教育、情報操作である。このため、日本の歴史を教える事も憚られる事となり、それが70年以上たった今でも受け継がれている。WGIPのくびきから脱する試みもあるが、昨今の歴史教科書を見ると更に悪化しているように思われる。例えば元号を全く使わない日本史教科書があり、元寇の「文永の役」、「弘安の役」は無く、西暦だけで記述されている等々。

本書がベストセラーになったのは百田氏が人気作家という事もあるが、やはり、昨今の歴史教育、思想に嫌気がさして、こういう日本史を求める人が増えている証左であろう。約500頁あるが、1,800円(税抜)なのでそれほどお高くない。一読をお勧めする。

トラウマ恋愛映画入門/町山智浩著

著者は雑誌編集者を経て現在米国加州在住の映画評論家である。本書は恋愛映画評論集であるが、好きあった者どうしが周囲の反対にもめげず、ついにゴールインできた、というようなハッピー・エンドな映画では面白くない(から取り上げない)。もう少し深い、幸福と不幸が入り混じり見た後、尾を引くようなトラウマ的恋愛映画集である。

まず「恋愛オンチのために」と題した前書きで著者は恋愛映画を以下のように喝破している。

「実際、大部分の人にとって、本当に深い恋愛経験は人生に二、三回だろう。確かに何十もの恋愛経験を重ねる人もいるが、その場合、その人の人生も、相手の人生も傷つけずにはいない。そもそも、恋愛において、そんなに数をこなすのは何も学んでいない証拠だ。トルストイもこう言っている。
『多くの女性を愛した人間よりも、たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、はるかに深く女性というものを知っている。』
恋愛経験はなるべく少ない方がいい。でも、練習できないなんて厳しすぎる?だから人は小説を読み、映画を観る。予行演習として。」

予行演習として恋愛映画を観ると言っているが100%首肯はできない。しかし主人公のスタイルや仕草に憧れ真似することはある。あながち外れているとも言えないようだ。

本書では以下の22本が選ばれている。
(制作年順に並び変えた。下線は見た映画)

 1.『逢びき』1945
 2.『道』1954
 3.『めまい』1958
 4.『幸福(しあわせ)』1965
 5.『アルフィー』1966
 6.『ラストタンゴ・イン・パリ』1972
 7.『赤い影』1973
 8.『愛のコリーダ』1976
 9.『アニー・ホール』1977
10.『パッション・ダモーレ』1980
11.『ジェラシー』1980
12.『隣の女』1981
13.『日の名残り』1993
14.『永遠の愛に生きて』1993
15.『チェイシング・エイミー』1997
16.『ことの終わり』1999
17.『アイズ ワイド シャット』1999
18.『エターナル・サンシャイン』2004
19.『アウエイ・フロム・ハー 君を想う』2006
20.『リトル・チルドレン』2006
21.『ラスト、コーション』2007
22.『ブルーバレンタイン』2010

ウディ・アレンの「アニー・ホール」は最も好きな映画の一つで何度も観た。全て分かった気でいた。しかし
「ただし、アレンが住むのはセントラル・パークの東だ。パークの東側は保守的でリッチ。西側は中産階級のリベラルが多い。」
こういうディテールやユダヤ人に関連する部分は聴いてみないと分からない。アレン自身がリベラルと言いながら東側に住んでいるという所が面白いのだろう。「アイズ・ワイド・シャット」のトム・クルーズとニコール・キッドマンご夫妻は確かに西側に住んでいた。

試しにケイト・ウィンスレット主演の「リトル・チルドレン」を見直してから解説を読んでみた。ストーリーの展開に沿って二組の夫婦の動き、ディテールが解説され、ついには不倫になってしまう2人の感情の動きが良く分かる。また原作の背景や関連する作品の説明も織り込まれており、ちゃんとした評論を読んだという気にさせられた。

最近の映画解説は面白くない。例えば最近話題になった「カメラを止めるな」を水道橋博士が説明したが
「ゾンビ映画を撮っていて、色々あってすごいどんでん返し、ネタバレになっちゃうので、これ以上言えない。とにかく、面白いから見てください。」
ネタバレで突っ込まれるのを恐れるあまり、何も伝わらない。てゆうか、ネタバレを理由にテキトーにお茶を濁しているとしか思えない。

著者は俳優、監督、原作、脚本は勿論のことそれらに関わる背景についても豊富な知識がある。「まぁ~皆さん、ご覧になりましたか、コワイデスネ、コワイデスネ」が懐かしい淀川長治の解説も楽しかったが、こちらはヨドチョーさんとは全く違う読み物になっている。深読みが過ぎるんぢゃないの、と思う部分もあるが、彼の解説を読むと未見の映画も見たくなってくる。著者は最近、政治的発言をSNSに頻繁に挙げているが、これらは非常に浅薄で見るべきものはない。是非映画一本に絞ってもらいたいものだ。

タブレット純のエレジー・エナジー歌謡曲/タブレット純著

タブレット純氏は1974年生まれでありながら、1950, 60, 70年代の歌謡曲のレコード収集と博識には目を見張るものがあります。小学6年生の時にムード歌謡に目覚め、初めて買ったレコードが鶴岡正義と東京ロマンチカの「しのび逢う町」だったそうです。高校を卒業して古本屋勤めの後、憧れの和田弘とマヒナスターズに入団。しかし和田弘の急逝により解散。その後はギターを持ってピン芸人として活躍しています。

この本はタブレット純の二冊目です。一冊目は自分の番組(「タブレット純の音楽の黄金時代」ラジオ日本 土曜日 17:55~)でかけた曲の紹介でした。今回も彼の好きな歌が並んでいますが、多少趣が違います。章立てを見ると;

第1章 人生がどん底の時に聴く
第2章 誰にも明かせない苦しみとともに聴く
第3章 挑戦してもうまくいかないときに聴く
第4章 恋の切なさ、むなしさを感じたときに聴く
第5章 明日に向かって歩き出すときに聴く

各章に合わせて自身が選曲し解説しています。しかし評論家的でなく、それぞれの歌に込める自身の思いが切々と綴られています。言い換えると歌を題材にして自分を見つめなおした私小説と言えそうです。

勉強はダメ、運動神経ゼロ。得意技は忘れ物。当然いぢめられっ子。ラジオから流れる歌に涙し、暗い歌ばかり聞いている。そんな自分が恥ずかしく、家に誰も居ないときに屋根裏部屋でレコードを密かに聴きながら再び涙ぐんでいた少年時代。

そんな彼にも青春はありました。初めて告白した相手が男子。全く相手にされません。女子に恋したこともあります。しかし8年間付き合った彼女はある日突然いなくなってしまったそうです。歌手になってからは記憶を飛ばすまで飲まないと眠れない。その酒を抜くためか、各地の銭湯めぐりが彼を落ち着かせる唯一の時間のようです。

私は歌を聴くときに、メロディとアレンジに注目(注耳?)してしまい、歌詞は余り入っていませんでした。タブレット純はその逆で暗い歌の歌詞に自身を投影し、或いは入り込み、涙ぐむという聞き方でこの物語が生まれました。これから私も少し真似してみようかと思ってます。

彼のラジオは毎週録音して聞いています。結構マニアックで知らない歌も流れてきますが、彼の選曲と語りがやさしく、今風に言うと癒されます。下にリンクしたのは10月12日放送分です。この本が出たばかりなので嬉しそうに宣伝しています。

タブレット純の音楽の黄金時代 10/12
しのび逢う町(B面)/鶴岡正義と東京ロマンチカ