When 完璧なタイミングを科学する/ダニエル・ピンク著 勝間和代訳

「いつやるの、今でしょ」、「善は急げ」また千葉県松戸市には「すぐやる課」があったり、我々はこれまで早い事が良い事だと教えられてきた。しかし何事にも「坂本九とパラダイスキング」が歌うように「ステキなタイミング」があるようだ。これまでHow to(どうやるか)を説く書籍は多かったが、本書はWhen to(いつやるか)について膨大な統計データを詳細に分析し、ある種の結論を出している。

米国の研究者による調査では「ポジティブな気分は午前中に高まり、午後に落ち込み、夕方に再び高まる。」他の研究者グループの他の手法による調査でもほぼ同じ結果が得られている。これは人間の体内時計によるものと思われ、性別、国籍、人種に関わらず、ほぼ同じである。

図1 ピーク・谷・回復パターン

このグラフから;
●投資家やアナリスト向けの収支報告は午前中が良い。彼らが寛容になりやすいので、些細な事に突っ込まれる危険性も少なく、高評価が得られる可能性が高い。よって株価も上向く。どうしても午前中が無理なら夕方~夜が良いだろう。
●医療に避けられない誤診、誤施術は午後が多い。米国の麻酔医の誤施術の確率は午前中は1%であるが午後は4%で4倍になっている。訳者の勝間和代氏は「午後に病院と美容院には行かない。」と述べている。
●高校授業の時間割で数学を午前中に集中させたところ成績が向上した。

では、午後はどうすれば良いか?本書では「『論理的』判断はランチタイムまでに」、「集中力の落ちる午後は『ひらめき』の時間」としている。午前は数学のような論理力、午後はトンチクイズを解くような洞察力、ひらめき力が発揮される。

図1のパターンは誰でも共通であるがクロノタイプ(概日リズム)は人の睡眠により異なる。ここでは睡眠時間でなく睡眠の中間時間で分類している。例えば23時に寝て7時に起きる人も1時に寝て5時に起きる人も中間時間は3時である。この中間時間と図1のパターンを勘案すると効率の良い一日の行動パターンが現れる。

図2 ヒバリ型・第3の鳥型・フクロウ型

●ヒバリ型
分析的な作業、意思決定は午前中に行う。新しいアイデア生み出すのは夕方から夜が良い。
●第3の鳥型
ヒバリ型とほぼ同じ。人に感銘を与えるのは午前中が良い。
●フクロウ型
無理な早起きはやめる。午前中は洞察的な作業を行い、アイデアが閃くのを待つ。分析的作業、意思決定は夕方から夜が良い。

プロジェクトチームやスポーツ競技では始まりと終わりが重要視されるが、中間点も重要な意味を持つ。これまで進化論では何千年単位の時間の中で徐々に進化が進行していくものと思われていた。しかし最近の研究によると進化はその期間の中間点あたりで、突如大きく変化する傾向がある事が判明した。これは精鋭を集めたプロジェクトチームでも、納期の半分あたりまではさしたる成果が出ない。「中だるみ」である。ところが中間点でもう時間が半分しかないと気づくと切迫感が生まれ、達成目標と工程を精査し一気に突き進む。著者はこれを「おっと大変だ(もう時間がない)効果」と呼んでいる。MBAの学生をグループに分け、1時間でラジオCMを作るという課題を出したところ、どのグループも28~31分経過時点で「おっと大変だ効果」が発揮され、もっとも顕著な進展が見られたという。

人の幸福は50代で最低になるという調査結果もこの「中だるみ」と言える。この「中だるみ」を回避するためには
(1)中間目標を設定する。
(2)中間目標を公表する。
(3)中途半場なところで止める。
私はかつて(3)を実践したことがある。すなはち切りのいいところまでやらず、途中で放り出すように止めて(飲みに行って)しまうのである。ロシアの心理学者ツァイガルニクによれば「人は完了した課題より未完の課題をよく覚えている。」そうで、確かに放り出した仕事を再開したとき、割と簡単に過去の思考の延長線上に戻れた気がした。

本書はこれ以外にも、種々のタイミングに論及している。例えば初めてマラソンに出る人は29、39、49、59歳が多い。各年代の終わりにこれまでの反省と新しい世代へのチャレンジ意欲が急に出てくるそうだ。また、休憩の効用を統計的に立証している。イスラエルでは判事が受刑者との面接で仮釈放を決める。仮釈放が認められる確率は図1のバターンにほぼ同じで午後になるとかなり下がる。しかし午後に十分な休憩をとった後はその確率がかなり上がる事が分かった。このように様々なタイミングが統計的事実から説き起こされているため非常に興味深く、面白い一冊であった。

もう言っとかないと/中村メイ子著(聞き手:古館伊知郎)

中村メイコは時々ラジオで声を聴きますが、活舌も良く、最近の話題にもちゃんと付いてきているところが、とても84歳とは思えません。天才子役と言われた小学生の頃、戦地で慰問をしていたので初めて乗った飛行機が戦闘機なんだそうです。しかし、軍用機に乗っている間は基本目隠しで、自分がどこへ行くのか、どこへ行ったのかも分からないまま歌い、特攻隊員達は泣きなら聞いていたと語っています。終戦になると今度は進駐軍の慰問で引っ張り出され、心中複雑なものがあったようです。こんな慰問ばかりの生活でまともに小学校も出ていないので一年が365日という事を始めて知ったのは美空ひばりと友人になった17、8際頃だそうです。

戦後、雑誌社でアルバイトしていた時(16歳)編集長の吉行淳之介に一目惚れでした。初めてのデートが向島の情緒ある料亭。お洒落して出かけるといきなり「そのさらし鯨みたいな首飾りをとって取ってくれないか」と言う。母にねだって買ってもらった高価な首飾りだったので憤慨し「どうしてですか?」と聞くと「首筋のホクロが見えない」と答えたそうです。結局とらなかったんですが、後に「断られてよかったよ、あのとき、素直に外してくれたら…。男が首筋のホクロを見たいと言うのは、そのホクロに口づけしたいとか、そのホクロの上までいって接吻したいという意味だからね。君は全然、それに気が付かなかった。」と語ったそうです。勿論その場でその意味に気づくはずもなく「なんだか惜しい事をしたという気がずっとしています。」

吉行淳之介は10歳下の中村メイコを気に入っていたようで「水の畔り」という作品は彼女がモデルになっています。また料亭のくだりは「男と女の子」という長編に描かれているそうです。しかし、いくら下心ありといえども、いきなりネックレスを外せとはなかなか言えないセリフです。さすがは吉行先生でした

三島由紀夫から美空ひばりを見たいと頼まれて、美空ひばり公演の打上に連れて行った事があるそうです。彼女が一人ずつ挨拶に回っていた時一番下座に座っていた三島由紀夫が「小説を書いております、三島由紀夫と申します。よろしくどうぞ。」と挨拶すると美空ひばりは「小説書いてんの?あ、そう。メイコ、川口(松太郎)のパパとどっちが上?」中村メイコが答えに窮していると、三島由紀夫はすかさず「もちろん、川口先生は大先輩でございます。」と返答したそうです。三島由紀夫とは銀座のクラブでしょっちゅう顔を合わせており、死ぬ三日前には山口洋子の店「姫」で出会っています。その時はてっきり「豊饒の海」が完結したのかと思ったが、後に神津善行から実際には当日の朝、編集者に原稿を渡した、と知らされたそうです。三日前には彼女に大作が完成したと思わせる位、楽しく飲んでいたという事になります。

「上を向いて歩こう」の歌詞は中村メイコに振られた永六輔が大泣きしたから出来たというエピソードは有名ですが、その他にも色んな人の話が詰まっています。古館伊知郎は聞き役に徹しており、彼らしくなく、余計な口を挟さんでいないところに好感がもてます。もっとも編集者は大変だったでしょうが。

彼女は「私にはこれといった代表作がないの」と嘆いていますが、古舘伊知郎は「そんなことはないんです。たとえばラジオドラマは黒柳徹子さんが嫉妬したと伝え聞くほど出色、残っている音源を聴くと見事なばかりです。それより何より…日本を代表する理想の家族”神津ファミリー”を演じた。このことこそメイコさんの代表作とは言えないか?」と答えています。メイコさんは今でも時々大好きな銀座で飲んでいるようです。出来ることなら飲みながら昔話の続きを聞かせてもらいたいものです。


中国五千年の虚言史/石平著

今から30年ほど前、初めて北京、上海に出張した。着いてすぐ、出張者の中に部長クラスがいたからか、先方の電話会社から歓待を受けた。昼飯というのにビールは勿論、白酒(パイチュウ)もありで、かなり酔った。午後会議が始まったが、激しい睡魔が襲ってくる。夜は本格的な宴会で、勿論白酒一気飲み。中国では一気以外の飲み方は無いのだ。

観光もあった。先方から北京の衛星通信地球局を見学するか、と聞かれ、そんなこ汚いもん見てもしょうがないと思い、万里の長城へ行きたいと言った。すると長城入口の八達嶺まで、クラクション鳴らしまくるパトカー先導で道のど真ん中を信号無視で突っ走った。これは初めての経験であり気分が良いが勘違いしそうである。話はそれるが、後年カンボジアのプノンペンに出張し、仕事が終わり帰国するため空港まで行く際に先方からパトカー先導で行くか、と言われたがさすがに断った。後で、これをやるとかなりの料金を取られると聞いて安堵した覚えがある。

話は戻って、会議の中で議事録、契約書はどうするか、という話が出た。曰く我々は英語も日本語も分からないので、中国語で書いて欲しいがそれでは日本人が困るだろう。よって、英語と中国語の二本立てにしようと提案された。更に、ここは中国だから中国語版を正本にしようと言う。我々は何も考えす承諾した。

出張から無事帰国し、仕事は進んだが、途中で少々面倒なトラブルがあった。契約書には、この場合は中国側の責任で対処するとある。その旨を伝えると、違うと言う。正本にはそうは書いてない、日本側で対処せよ。要するに中国語版と英語版の中身が違うのである。騙された。双方をきちんと確認しなかった我々の失敗であるが、中国人にしてみれば、飲まして食わして観光もありの手練手管で、初心者の日本人を騙すなんて、いとも簡単な事だったんだろう。

著者の石平氏は、中国共産党、特に文化大革命(1966~1976年)に幻滅し、日本に帰化した。この本には中国人が如何に嘘をつくか、という過去の実例が色々と出てくる。世界史の授業で聞いたことのあるようなトピックスもある。日本人は嘘をつくのはイケナイ事だと思っているが、中国人は(韓国人も)嘘をついて、自分が有利になるのなら、ドンドン嘘をつくべきだと思っている。要するに嘘を着くのが中国人の文化の一つなのだ。こんな人たちに勝てる訳ない。だから中国人と付き合わずにすむならそれが一番。自分はもう二度と中国と韓国には行かない事にしています。

話は再び変わるが、TVで著者の石平氏と残留孤児二世で日本に帰化し、現在産経新聞記者の矢板明夫氏が公開処刑の話をしていた。毛沢東の時代には国慶節の前日に死刑囚を市中引き回し、公開処刑していた。皆がこれを見に行く。要するに庶民の娯楽である。主催者側は公開処刑を盛り上げるために30人位やりたいが、囚人だけでは足りない場合は数合わせをする。そこらに居る人を難癖付けて逮捕し、処刑する。文化大革命以降はこの風習は無くなったが、習近平時代になって復活したという噂もあるようだ。

不倫/中野信子著

本書は「まえがき」によると「本書は不倫、そして結婚という人間同士の結びつきにまつわる謎を最新科学の目で解き明かしていきます。」とあります。まず結婚を論じ、それから不倫の問題と進むのが順序のような気もしますが、、、

この問題については「セックスと恋愛の経済学」(2018.6.19)での議論を紹介しましたが、著者がカナダ人なので日本人のデータがありませんでした。本書には日本での調査結果が色々と紹介されています。細かい数字は省きますが、日本人の不倫率は諸外国に比べかなり高いようです。また2011年と2000年の調査を比較すると不倫率はかなり増加しています。これらを総合すると「若者の草食化が指摘される一方で、既婚の中高年では異性との関係が積極的になっているようです。」

不倫とは一夫一妻制に反する、という事ですが明治以前は一夫一婦制という概念は明確ではなかったようです。明治に法律という形になった後でも妾を複数囲う人は多くありました。しかし、昨今の様に不倫がバレただけで物凄いバッシングを受けるという事は無かった筈です。では酷いバッシングを受けることが分っている現代でもなぜ不倫は無くならないのか?最新の研究により「ある特定の遺伝子の特殊な変異体を持つ人はそれを持たない人に比べて、不倫率や離婚率、未婚率が高い事が分っています。」これを持つ人を不倫型、持たない人を貞淑型とするとその比は概ね5:5だそうです。よって不倫は罪悪だと決めつけるのは「先天的に色素の薄い人に向かって『お前の髪が茶色なのはケシカラン!黒に染めろ』と強制するようなもので、場合によっては差別や優勢思想につながりかねません。」という事で、ここで結論が出てしまったような気がしました。

次に私は初めて聞いた「恋愛体質」という概念が説明されています。「ある人間の不倫のしやすさに影響を与える要因のひとつに『愛着スタイル』と呼ばれる資質があります。」このスタイルは「安定型」、「回避型」、「不安型」に分類されます。愛着スタイルは不倫遺伝子と違い後天的なもので、特に母子間のふれあいが重要な決定因子であることが様々な研究成果から詳しく説明されています。自分及び他人が何型かを考えてみるのも面白そうです。

不倫をする側でなく、バッシングする側の分析もあります。基本的にはひがみ、嫉みでしょうが、最近の週刊誌を賑わした不倫騒動を例にとり、不倫に対する心理が分かりやすく解説されています。

最後に面白いと思ったのは現代では恋愛が夢であり、恋愛→結婚→生殖という流れが至上のように思われていますが、この概念が定着したのはルネッサンス以降で、これもキリスト教の影響です。ギリシャ・ローマ時代にも勿論恋愛はありましたが、当時BLが差別も非難される事もなかったのはBLが生殖に結びつかない愛であって、これが最も純粋な愛と見做されていたからだそうです。これは腑に落ちる説明で、今後ギリシャ神話に材をとった絵を見る目が変わってくるような気がします。

本書の宣伝文句に「美人すぎる脳科学者による刺激的すぎる一冊!」というのがありました。ご本人は「私はそんなんぢゃ、ないわよ」と謙遜されるんでしょうが、腰巻の写真はヘアメイクもばっちり決まり、かなり「美人過ぎる脳科学者」を演出できています。このような写真を撮られた時のご自身の脳の働きを是非解説してもらいたものです。

 

はるか/宿野かほる著

宿野かほる氏は「ルビンの壺が割れた」がデビュー作だが、その人となりは公表されず、いわば覆面作家である。今時、こんな売方をする新潮社はどうかと思うが、当然の事ながら、新潮社中瀬ゆかり出版部長がかなりの勢いで売り込んでいたので一瞬、読んでみようかと思った。しかし、これを読んだ作家の岩井志麻子氏の反応が芳しくなかったので止めた。

本書は宿野かほる氏の第2作で虎ノ門ニュースに出演している評論家の有本香氏が番組の中で紹介し、内容が今話題のAIという事で、思い切って読んでみました。

主人公の賢人は小学生の時に海浜ではるかという名の少女に出会い、それが初恋だった。その後二人は離れ離れになるが成人して偶然に再開し、目出度く結婚できた。しかしながら結婚後1年目にはるかは交通事故で死んでしまう。

その頃賢人は巷で天才プログラマーと呼ばれており、独立した後はIT企業の社長として好調な業績を維持していた。しかし、賢人ははるかを諦めきれず、AIではるかを再現する事を思い付き、人工知能、音声合成、画像解析の専門家を新たに雇い入れプロジェクトチームHAL-CAを作ります。

賢人ははるかとの結婚生活の中で二人の会話は殆ど録音し、映像も沢山残していた。これを元にチームははるかの性格、判断、音声や顔の表情を徹底的に研究し、5年の歳月を経てHAL-CAを完成させた。賢人はホログラムで浮かび上がるHAL-CAの出来栄えに満足し、何度も二人きりでHAL-CAと話し合ううちにすっかりのめり込んでしまい仕事も手に付かない状態となった。

賢人ははるかの死後、有能な秘書と再婚していたが、HAL-CAは自身で検索し、その事を知った。そしてHAL-CAは現夫人に嫉妬し始める。段々とその度合いが激しくなり、遂に破局を迎える。

AIが感情を持ち、AI自身で判断できるか?というのは大きな命題であるが、ここではHAL-CAがはるかの心情を完璧にシュミレートするだけでなく、なんと嘘をついてまで賢人をなじるという場面がある。AIが嘘を着くというのは想像しにくく、何か恐ろしいものを感じる。

ラストは少々後味の悪い結末であるが、私としては毒薬まで用意したのであるから、もっと後味の悪い形に出来たはずなのに、そうしなかった事に少々不満を感じる。

すごい葬式/小向敦子著

本書のモットーは「『ボケて死ぬ』のではなく『死ぬ前にボケをかます』」。臨終や葬式という悲しい状況に於いて如何に笑いをとるか?

過去に他人または自分の死や葬式を笑い飛ばすという話は洋の東西を問わず多数ある。

東海道四谷怪談の作者である鶴屋南北は文政十二年(1829)11月27日に没したが、自分の法要の詳細な台本を書き残し、翌年正月十三日に四十九日の法要を兼ねて葬式が行われた。寺の境内には茶店あり、萬歳の芸人ありで初春萬歳の盛大なパロディであったが一周忌には更に歌舞伎顔見世のパロディを催行するという念の入れようであったそうな。

エリザベス・テイラーは自分の葬式に15分遅刻したという。生前、彼女は遅刻の常習犯で、葬儀の開始を参列者に案内した時間より15分遅らせて始めるように遺言に書き置いた。自分の葬式にも遅刻しないと気が済まないというハリウッド女優魂を見た気がする。

関西の笑満亭橋鶴師匠の臨終を描いた中島らもの小説「寝ずの番」のエピソードは有名である。以下引用

「いよいよであろうと思われるとき、兄弟子の橋次が橋鶴師匠に『何か心残りはないか、やっておきたかったことはないか』と伺ってみた。すると師匠が『そそがみたい』と答えた。小説の語り手である『俺』こと橋太は、妻・茂子のそそを見せることにした。覚悟を決めた茂子が師匠の病床に上がり、師匠にまたがり、スカートをまくって見せた。めでたし、めでたし・・・となるはずが、感想を尋ねられた師匠が『そそやない、外が見たいというたんや』そう言い残し息を引き取る。」
臨終の場を想像すると、笑えます。

この他にも落語、川柳、狂歌には死を笑い飛ばす作品が沢山あり、ここで多数紹介されています。だがそれだけではなく、死に方に関する厳しい提言もあります。著者によれば地球人口約72億人の殆どが今後100年以内に死んでいくので火葬や土葬するための土地や設備、墓場も非常に不足するんだそうです。(そう言われるとそんな気がしてくる)また、AIやロボットの手を借りる事にもなり、これまでになかった色々な葬式の形態が提案されています。

著者はこのような話を纏めてGerontology(老年学)の研究を提唱しています。「個人と社会にとっての高齢化と死に関わる課題を、医療・心理・経済・歴史・哲学・文学・文化・芸術など学理的な視点から研究する。『加齢学』や『老人学』と和訳されることもある。」そうです。これを見るとなんでもアリという感じで、どんな学問になるのか検討が付きません。ところが、言いっぱなしにしないのが著者の凄い処でちゃんと18科目のシラバス(科目の紹介文)が用意されています。如何に科目名の一部を並べてみます。

No.1「笑いの医学的効果/老病死と笑い」
No.2「笑われても平気な心理学/間違いと失敗は笑うに限る」
No.3「ユーモアを生み出す語法/言葉遊びから学ぶユーモア・センス」
No.4「文学の中のユーモア/ユーモア自分史」
No.5「笑いのヒストリア/ユーモアの歴史」
No.6「笑って死ねるための法律学/笑える遺産の残し方」
という調子でNo.18迄続いています。著者は高千穂大学人文科学科教授ですが、実際にこういう講義をやっているのでは無く、こういう事をやりたいという強い気持ちが読み取れます。どこかの金持ちが出資してこういう講座を作ってくれたら、是非聴講したいものである。

本書の巻末には169件の参考文献と参考URLが列挙されている。URLの中には先日死去した桂歌丸と当代三遊亭圓楽が笑点でやりあう議事録まであり、実に研究の幅が広い。少なくとも老文人が訳分からん死生観を語るようなエッセイとは違うエネルギーを感じます。

やっぱ志ん生だな/ビートたけし著

本書の前書きのタイトルは「はじめに 突然変異の化け物か!?」で曜変天目の茶碗が努力だけで出来るものではなく偶然の要素が必要であることになぞらえて「古今亭志ん生にもああいうもと同じ凄さを感じてしまう。」と書いている。確かに志ん生の落語が好きな人は大なり小なり、著者と同じことを感じていると思う。

前書きの後、全五章に渡って志ん生の芸を分析している。その中で「弥次郎」、「粗忽長屋」、「鰻の幇間」、「道具屋」、「お見立て」、「富久」、「黄金餅」、「寝床」、「火焔太鼓」、「あくび指南」、「大工調べ」、「人情八百屋」、「芝浜」、「幾代餅」、「野ざらし」を例に挙げ、その凄みやギャグが紹介されている。ビートたけしのそれぞれの解説を読むとすぐにでも聞いてみたくなるが「人情八百屋」だけは全く笑う要素がないので後回しにしましょう。この中から私なりにベスト5を選ぶとすれば「富久」、「あくび指南」、「火焔太鼓」、「黄金餅」、「寝床」というところか。

私としてはこれ以外に「三軒長屋 上、下」を加えたい。これを初めて聞いたのは高校生の時にオールナイトニッポンが終わった後の「早起きもいちど劇場」の録音であったが、自分なりにスゴイと思い、それ以降、何度も聞いた。だがラジオの録音で音が悪かったので就職してからNHKのCDを買ってまた聞いた。

全体的に解説はきめ細かいとは言えないので音を聞いたことが無い人にはちょっと伝わりにくい。もう少し丁寧に書いて欲しかった。(ちゃんとしたゴースト・ライターが居ればそうなったかもしれないが)。例えば「黄金餅」で金を包んだ餅を食って死んだ乞食坊主、西念の死体を下谷の山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺まで運ぶ途中にどの道をどう通って、どこの角を曲がって等々を全て喋る(これを道中立て、という)という見せ場があるが筆足らずで、その面白さと凄さが伝わりにくい。「富久」、「寝床」も同様。この辺については少々長いが立川談志の「5大落語家論」の方が分かりやすいかも知れない。

志ん生論といえば必ず出てくるのが「間」。本書でも志ん生の間が絶妙としてその例がいくつか挙げられているが、これには少々異論がある。「間」というのは「え~」とか「あ~」とか「う~」と言ったり、喋りの途中での短いポーズであったりするが、これらを志ん生がいちいち計算でやっているようには思えないのだ。確かに噺の始めのマクラの部分では、その日の客の入り、小ネタの受け具合によって「間」を作っていたかもしれない。しかし、志ん生は50過ぎてから売れたので、慣れた噺でも次のセリフがすぐ出てこないことがあり、それがポーズすなわち「間」になっている。この巧まざる「間」が志ん生独特のテンポになって笑いを誘うのではあるまいか。そうであるからこそ誰も真似できず、またビートたけしが「越えられない」という所以だと思う。

志ん生論は数々あるが「富久」の久蔵が旦那宅の火事に駆けつける場面描写を「落語を『画』と『カット』でとらえる」として遠景、ミドルサイズ等のカット割で説明しているのはさすがに世界の北野監督。こんな落語解説は初めてだ。生前の志ん生にこの説明を聞かせたらどんな顔をしただろう?「なにぃ、お前さんねえ、活動てぇものと落語てのは全然違うもんだ、てぇんだよ。そんなことも分んねぇのかよ。ここんとこ、活動の方が人気出ちゃったりして、寄席の客が減っちまったぢゃねえか。どうしてくれるんだよぉ、えぇ~。」なんて言うかね?

尚、志ん生の音はメニュー中の「落語」からのリンクを辿れば聞けます。

セックスと恋愛の経済学/マリア・アドシェイド著 酒井泰介訳

著者はカナダのブリティッシュコロンビア大学の経済学教授で”Dollars and Sex”というタイトル(分かりやすいタイトルです)で彼女の講義を纏めたものです。セックスと恋愛に関する問題を経済学的知見を持って解くことが目的であり、そのため多くの調査、文献の検討を行い、問題の解と今後の見通しを記述しています。例えば娘を大学に行かせるにあたり親としては貞操が心配である。この場合どちらの大学へ行かせるべきか?
(1)男子学生の割合が多い大学
(2)女子学生の割合が多い大学
答えは(1)。何故か?「物価は需要と供給によって決定される」という原則が適用され(1)では男子学生数が多いため、需要過多となるので女子学生は安売りする必要が無い。(2)では逆に供給過多になり、女子学生間の競争が発生するため、どうしても安売りとなる。

こんな調子で恋愛、結婚、不倫、売春、離婚、LGBT等が論じられていく。各検討には米国とカナダのデータが使われており、これらのデータの中で重要な因子は学歴、人種、宗教、収入である。イケメンがブサイクかは定量的に表しにくいが、勿論検討の因子加えられており特にSNSの婚活サイトでは豊富なデータが収集できている。

米国やカナダのような学歴社会では学歴によって就職、ひいては生涯年収が決まってしまう。しかしながら大学の授業料は非常に高く、優秀であれば奨学金を得られるが、そうでない場合は我が家の収入を考えて進学を諦める場合も多い。十代の妊娠が白人と黒人では黒人、富裕層と貧困層では貧困層の方が多いが、これは大学進学の見込みのある女子高生は妊娠によって大学進学に支障が出る可能性があるため慎重になる。しかし、進学を諦めている女子高生はそのような抑止力が働かない。

米国で生徒の妊娠を防ぐため無料コンドームを配布した高校がある。しかし妊娠は増加した。著者は「初体験は経済学的に言えば固定費用を払うことと心理的に似たところがあります。(中略)学校がコンドームを置くようになると、純潔喪失の期待費用が下がり、すると短期的にも長期的にも性行動を促すようになるのです。学生たちは早く性体験に踏み切るようになり(短期的反応)その後もセックスをし続ける(長期的反応)のです。短期的にはコンドームの装着率が上がり妊娠率は下がるかもしれません。しかし、長期的な妊娠率は上がる可能性があります。コンドームはえてして間違った装着法をされるからです。」(ここで費用はコスト、すなわちリスクと読み替えると分かりやすい。)

その他に面白いのはネットの婚活サイトの調査。例えば女性は貧乏イケメンと金持ちブサイクの二者択一なら金持ちブサイクを選ぶ。では貧乏イケメンと金持ちイケメンではどちらが交渉成立しやすいか?答は貧乏イケメン。彼女達は金持ちイケメンの方が浮気の危険性が高いが貧乏イケメンは安心できると考えているらしい。

一般的に婚活サイトに登録する男女は、共に自身のプロフィール(身長、体重、学歴、年収等)をある程度盛る傾向があり、写真も少し若い頃の写りの良いものをアップする。婚活サイトではまず自分の理想とする身長、年収、学歴等をキーとして検索するため、まずはその検索に残る必要があるからだ。勿論検索する方も盛っているためお互い様だが、どちらもある程度自分の希望に合う人を探し出せる筈である。しかしながら、成立したカップルという婚活市場の平衡状態を調べると、男女とも当初に描いていた好み通りの相手と結婚しているとは限らない。彼らは結果的には自分と結婚してくれる相手と結婚している。要するに妥協の産物という事になります。(これ位の事は研究しなくても分かるような気がしますが)

これ以外に著者は今後の研究課題も提起しています。例えば好景気になると豊胸手術が増加する。景気後退局面には口紅がよく売れる。不景気な時は整形手術は高いので口紅を買う位にしておくという事らしい。そうであるならば不景気な時は買春を諦めてお手軽な性玩具が売れるのではないか?すなわち「性玩具の市場動向が景気の先行指標たりえるか?」という問題です。新しい研究が纏まれば彼女のホームページに公開される筈ですので、それまで楽しみに待ちましょう。

このように本書は統計的、経済学的手法により様々な問題を解き明かしており、結局セックスも恋愛も「費用対効果」の観点から説明できる事が良く分かります。

しかしながら、これらの研究は全て、米国、カナダでのデータに基づいて分析されているため米国ほどの学歴社会では無い日本ではどうなのか、が分かりません。巻末に約100件の参考文献がリストされていますが、この中に日本の研究成果は一篇もありませんでした。(一つだけ共著者に日本人らしき名前が見つかりましたが、本当に日本人かどうかは不明です。)もっとも日本人研究者が「性玩具市場動向調査」という名目で文科省に科研費を申請しても、通る見込みは無いと思いでしょう。

巻末にリストされている文献でインターネット検索でヒットしたものを少し眺めてみましたが面白いです。試しに本書の最初に引用されている文献を紹介しましょう。全文を引用する紙幅はないため結果を纏めたグラフのみを貼り付けています。タイトルは「男性の器官と経済成長:サイズが問題か?」

Westling, Tatu. “Male Organ and Economic Growth: Does Size Matter?”
Helsinki Center of Economics Research Discussion Paper, 2011

Figure 1は少々見にくいですが横軸を各国の平均男根長(cm)、縦軸をGDP($)としてプロットし、最小二乗法によって近似曲線を描いたものである。Figure 2は横軸は同じであるが、縦軸は1960年と1985年のGDPの比(伸び率)とし、近似直線を描いている。Figure 1によれば平均男根長が長すぎても短すぎても良くないようで13~14cm位の国がGDPが高いことが分かる。図より加、豪、ニュージーランドがこの範疇に入っている。日本は短いながら良く検討していると言える。Figure 2を見ると平均男根長が長い国は伸び率が悪く、短い国のほうが高い。平均男根長の短いアジア諸国が伸び率が高く長めのアフリカ諸国が低いという結果が出ている。この論文はまだDiscussion Paperという位置付けで、サイズとGDPの関係についての最終的な結論に至っていない。今後の研究が期待される。

週刊文春「シネマチャート」全記録/週刊文春編

大昔は多くの本を読んでいる学生が偉いとされたものであるが、自分の学生時代は沢山映画を見ている事を自慢する輩が多かった。その頃の私はレコードを買う事ばかりで、余り映画を見ていない。よって映画好きのJDと話が合わず、恋人どころか友人にもなれないという残念な事案も発生した。最近はTSUTAYAで借りたり、映画館に行ったりして、結構見ているが、やはり若いころ映画を余り見ていないという事実が我が人格形成にどのような好又は悪影響を及ぼしたのか、考えてみたが、良く分らない。

この本は週刊文春に連載されている映画評を再集計し、洋画ベスト200、邦画ベスト50を選出したものである。洋画のNo.1はルキノ・ビスコンティ監督の「イノセント」。見た覚えはあるが良く覚えていない。邦画のNo.1は大島渚監督の「愛のコリーダ 2000」。これは日本初公開時に掛かっていたボカシの殆どを取って、オリジナルに近づけたそうである。以前見えなかったものが見えるようになったのは誠に喜ばしい事ではあるが、これが邦画No.1というのはどうも違和感が残る。

本書の巻末に年度毎の興行収入ベスト3、キネマ旬報ベスト3が掲載されている。これと本書のリストを見比べるとかなりの違いがある。例えば興行収入上位の「スター・ウォーズ」、「スーパー・マン」、「インディー・ジョーンズ」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ジュラシック・パーク」、「タイタニック」、「ハリー・ポッター」、「ミッション・インポッシブル」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」等々の有名な映画は本書のベスト200に入っていない。

私は「売れているものはやはり良いものだ」と考えており、ビルボードのTOP40や書籍のベストセラー、TVの視聴率等は常に気にしている。小学生の頃はTVのザ・ヒット・パレードのランキングを毎週一所懸命ノートに書き写していた。しかし、本書を見ると文春の評者はこれらの売れている映画には興味が薄いようで、見下している訳ではないと思うが、やや通好みの評価になっている。例えば同率1位の「地獄の黙示録」は良しとしても同じく1位の「フンクイの少年」、「トントンの夏休み」などは全く分からない。これに比べ、キネマ旬報のリストは興行成績上位の作品がリストアップされており自分の感覚に近い。

これから益々暇になるので、暇つぶしに映画を見るためのガイドと思ってこの本を買ってみたが、どうもしっくりこない。最初からキネマ旬報のベストテンを検索すべきであった。

孤狼の血/柚月裕子著

最近映画「孤狼の血」の宣伝がTVやネットで繰り返し放送されている。最初はボヤッと見ていたが、著者の柚月裕子が「『仁義なき戦い』なくしてはありえなかった作品」と述べているのを知って興味が湧いた。自分はヤクザ映画を沢山見ている訳ではないが「仁義なき戦い」には強烈な印象がある。著者はこれをレンタル店で借りて「世の中にこんな凄い映画があったのかと、脳天をかち割られるほどの衝撃を受けた」ので、すぐにDVDで「仁義なき戦い」全巻を購入したそうです。

本作は「仁義なき戦い」同様、広島県を舞台に県警のベテラン刑事大上(映画では役所広司)とその部下になった新米刑事日岡(松阪桃李)が架空の町である広島県呉原市で暴力団抗争を防ごうと必死の立ち回りを繰り広げる。そこに居酒屋の女将(真木よう子)が絡んでくる。大上は暴力団の内情を通じていると共に癒着が噂されており、日岡は大上の違法捜査に不服ながらもついていく。

このプロットは名作と言われる「県警対組織暴力」(笠松和夫脚本 深作欣二監督 菅原文太 松方弘樹 梅宮辰夫 佐野浅夫等)に倣っており、ここでは菅原文太が暴力団と癒着した刑事を演じていた。これは実録物であるが、本作は完全に創作である。全編に渡り、だれ場が無く、現場での捜査、組の事務所に乗り込んでの交渉、県警での取調べなど緊張感をもって進行していく。最終章近くになって県警の汚職が明らかになり「ナヌ!」最後に「エェ!」という意外な結末。著者の巧みな構成力を感じる。最後の2頁のプロローグも洒落ている。

DVDで初めて「仁義なき戦い」を見た女性が取材の賜物とはいえ、これだけのヤクザ小説を書けるとは全くの驚きである。広島県警内の上司と部下のやり取り、ヤクザ組織の構成や抗争、広島弁のヤクザ言葉等々大したものだと思う。

話は変わるが、昨年5月に広島県警で証拠として保管していた8,500万円が盗まれるという事件があった。どう見ても県警内部の犯行としか思われず、職員全員を虱潰しにあたればすぐに犯人を検挙出来そうなものであるが、未だに解決していない。この小説を読んで、同じ広島県警という事もあり、この事件をふと思い出した。