Midnight Train To Georgia / Gladys Knight & The Pips

………..<2006.12.3>
 ご当地ソングというのはその地名(例えば長崎とか横浜)でなんとなくその曲の雰囲気が決まってきます。ジョージアは南部という事もあり、なぜか懐かしい田舎町のイメージがあります。レイチャールズの「我が心のジョージア」とかブルックベントンの「レイニーナイトインジョージア」もそんな感じの名曲です。グラディスナイトは長いキャリアがあり、現在も活躍しています。ディスコ時代には「イマジネーション」という大ヒット曲があり、どこのディスコでも必ず一度は掛かってました。

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KANREKI ロック/ミッキー・カーチス

最近、高見沢俊彦を中心にThe KanLeKeeZという三人組がデビューし、アルフィーのコンサートでGS風味の曲を演奏していましたが遂にCDをリリースしました。しかし、カンレキロックはミッキーカーチスのこの曲が先鞭をつけたと言って良いでしょう。ミッキーカーチスは立川談志の弟子で、同じ弟子である高田文夫が作詞しています。流石に高田文夫の歌詞は旨いと言えます。

………………
<2005.1.22>

かつてのロカビリーの大スターもついに還暦。還暦祝いが高田文夫プロデュースのこの一曲。監獄ロックのもじりでしょう。「バスも女も乗り放題」という訳分からんプレーズが素敵。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★☆

 

 

カッカッカッカッカッカッカッKANREKI ロック
KANREKI ロカベイビー  KANREKI ロック
カッカッカッカッカッカッカッKANREKI ロック
KANREKI ロカベイビー  KANREKI ロック
不良で長生きロッケンロール
そのうち誰でも還暦ロック

人生二度ありゃ、三度ある
地獄 極楽 PAPER一枚
栄養不良が いま不良

爺ーパッパルーラ SHE’S MY 便秘
ロカビリーでリハビリー
還暦・感激・監獄ロック

のっぽのサリーもくの字でロック
胃炎なしでも人間ドック
金持ち やきもち 病気もち
そこの姐ちゃん無茶しない?
ハシゴも5軒 6軒ロール

男はロックン60男 バスも女も乗り放題
I NEED YOU I NEED YOU
アレ オレ? ロクジュー?

人生K点 クリヤーBABY
ガタガタ言われりゃ ボケたふり
赤い革ジャン お祝いジャン

女もロックン60女
恋も男もやり放題
I NEED YOU I NEED YOU
アレ アタシ? ロクジュー?

ラブユー貧乏/ロスプリモス

youtubeで検索してみたら当時の映像がありました。youtubeというのは実に凄い。世の中を変えたような気がします。


<2005.03.20>

かつて大ヒットしたロスプリモスの”ラブユー東京”の替え歌です。おれたちひょうきん族に出演していた何人トリオのMr. オクレが得意の貧乏ネタを披露している時にロスプリモスも共演していました。これが結構受けが良く、レコードにまでなってしまいました。ロスプリモスは照れもせず、ボケもせず、真面目に普通に歌っているところに好感が持てます。尚、Mr. オクレがぼやく”セリフ編”もあります。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★☆

 

しらたきとネギと お豆腐白菜 肉は入ってないわ 私の人生
お金だけが 生き甲斐なの 忘れられない
ビンボー ビンボー 涙の貧乏裸電球が 切れてしまったの 古い虫歯がうずく 私の三畳
明日からは お金なしで 生きてゆくのね
ビンボー ビンボー 涙の貧乏靴下の穴の 穴の気持ちが 何故か無理なくわかる 私の涙
お馬鹿さんね お金だけ 信じた私
ビンボー ビンボー 涙の貧乏

サージエント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド/大場久美子

この歌は、写真のベスト盤に入っているのですが、初出が分かりません。何かの曲(EP)のB面かと思いましたが、不明です。ネット検索によればこれにしか入っていないと断言している人もいるのですが、ベストアルバム用に作ったというのも信憑性が薄いです。
何はともあれ、昭和の迷盤中の迷盤ですので、永く後世に伝えていきたいものです。
……………….
<2005.3.12>
ビートルズの数あるアルバムの中でもサージエント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドは一番の傑作ではないでしょうか?あろう事かこのアルバムの劈頭を飾る名曲を、なんと音程やリズム感に独自のセンスを持つ大場久美子がカバーしていたんですねぇ。しかも、「久美子のロンリーハーツクラブバンド」と言い放つ度胸が素晴らしいです。世界中見回しても、この曲に自分の名前を付けちゃったのは彼女だけではないでしょうか?編曲の妙もあり、その破壊力たるや凄まじく、悪趣味なbonywalkのテイストを満足させるに十分な仕上がりです。久々のトホホ度満点。

トホホ度 ★★★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★☆

 

アラ見てたのね/都はるみ

都はるみは引退したり復帰したりを繰り返してますが、2015年11月に単独興業休止という、非常に分かりにくい宣言をしています。体調の問題もあり、引退やむなしでしょうか。……………..

<2015.05.14>
都はるみは引退したり復帰したり、誰も着ないセーターを編んでみたりと忙しい方ですが、色々と良い歌があります。中でもこの「アラ見てたのね」は飛切の傑作です。出だしは普通の畠山みどり風ですが、序々に盛り上げて最後に「アラ見てたのね」の強烈な決め台詞。強烈なパワーでノックアウト、まいったという感じです。この当時の曲には振りが着いている、ものが多く、振りやステップがレコードの歌詞と共に印刷されていたもんですが、この曲も御多分に漏れずちゃんと踊り方の解説付きでした。どうもこの曲で盆踊りをやろうという魂胆のようです。盆踊りの輪全員が「アラ見てたのね」と一斉に叫んだらすごい光景でしょうねぇ。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★☆

 

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賣物ブギ/ダウンタウンブギウギバンド

syouhinnihatewodasuna.jpg久々にダウンタウンブギウギバンドの歌を聞くと元気が出るような気がします。笠置シズ子に目を付けてこういう歌を作れる宇崎竜童は大したもんだと思います。
…………….
<2005.05.19>

笠置シズ子の「東京ブギ」が世に出たのが昭和23年。その翌年には妙な大阪弁で歌う「買物ブギ」が大ヒットしています。戦後まもなくとは思えない強烈なパワーを撒き散らした「リンゴの歌」の対蹠点に位置する名曲です。この「買物ブギ」に目を付けた宇崎竜童がアンサーソングという訳ではないでしょうが、この「賣物ブギ」を作曲しました。さすがに目の付け所がスルドイと言わざるをえません。歌詞は笠置シズ子が買ったから、自分は売りまくるという只それだけですが、ダウンタウンブギウギバンドにピッタリの曲となりました。ちょっと他のバンドでは歌えないでしょう。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★★☆

WOMAN/フランク永井

woman.jpgフランク永井は既に昭和の忘れ去られた歌手という風情になっています。しかし、そのフランク永井に曲を提供した山下達郎もいい歳になったという事になりますね。
…………………….
<2006.11.16>

フランク永井の曲に珍盤・奇盤と言っては失礼かもしれませんが、数ある持ち歌の中で唯一山下達郎の作詞、作曲、プロデュースです。流石に山下先生のプロデュースという事で、凝ったアレンジが施されており、フランク永井はゆったりとしたバックに乗って軽く唄っています。ストレートなメロディと相まって、覚えやすい曲です。多分山下達郎はいつかフランク永井とやってみたいという構想を暖めていたんでしょうが、さすがの山下先生もフランク永井にはちょっと遠慮があったような感じがします。 “WOMAN/フランク永井” の続きを読む

シンボル・ロック/梅宮辰夫

symbol_rock.jpgさすがにこれは平成の御世ではあり得ないでしょう。昭和は良い時代でしたねぇ。
……………<2004.10.02>
さすがにこれは梅宮辰夫親分でなければ歌えないでしょう。どこがロックなんだ!という突っ込みは分かりますが、歌詞を読めばもう、文句の付けようがありません。 “シンボル・ロック/梅宮辰夫” の続きを読む

くそくらえ節/岡林信康

kusokurae_bushi.jpg以前の記事ではこの歌がCDで復刻する事はないだろうと書いていますが、なんと「大いなる遺産」というタイトルのベスト盤でCD化されています。世の中変わりました。CDなので以前より少しは良い音質になっていると思います。
………………….<2005.02.19>
岡林ファンなら誰でも知っている曲なので、珍盤とは言い難いところですが、奇盤の資格は十分でしょう。曲の中の科白でも語っているように一旦廃盤になったらしく、それを当時のインディーズであるURC(Underground Record Club)レコードから発売したようです。全部で約7分半ありますので、シングル盤としては珍しく33・1/3回転です。録音は昭和43年でこの時岡林は22歳、既にこの時点で彼の芸は完成しています。岡林の録音は殆どが復刻されておりますが、これだけはオリジナル発売の経緯もありぃので、復刻される事はないと思います。音質は今市ですが、ご了承下さい。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★☆

3701 West 119th Street, Howthrone, CA

beachboys-800x450-P1000781-edits.jpg当時自宅はロサンジェルス南部の海に近いパロス・バーデスにありました。自宅からロサンジェルス空港近くの会社までは、このホーソン通りか海岸線を走る歴史の古いPCH(Pacific Coast Highway)のどちらかを使っていました。ホーソン通りを南下するとレドンドビーチがあります。このビーチは大ヒット曲である Surfin’ USA に読み込まれています。彼らはこの通りを通ってここにサーフィンをしに来ていました。
105号線はロサンジェルスオリンピック開催のためダウンタウンと空港を接続するために建設されました。この碑の上には105号線が走っています。(碑の写真はダブルクリックすると拡大します)
………….<2007.05.07>

3701 West 119th Street, Howthrone, CA はビーチボーイズの生家の住所で、アルバムタイトルにもなっています。住所からして会社の近くだなとは思ってました。ところがつい最近ここに彼らの碑が建っている事を知りました。2005年5月にファンの寄付によって建てられたようです。そこで会社8帰りに立寄ってみました。場所はLAX空港から東へ延びる105号線とCrenshaw通りが交差する処にHowthrone空港がありますが、この空港と105号線の間でした。この空港から友人と飛行機に乗ってグランド・キャニオン日帰りツアーに出かけたことがありますが、その時はそばにビーチボーイズの碑があるとは全く知りませんでした。

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碑の建っている場所は将に彼らの生家の前庭で、105号線の建設の為に取り壊されたようです。彼らの家が119通りのあちら側でなく、こちら側であれば残っていた筈で、残念です。

この碑の正面には5人がサーフボードを持っている白色のレリーフが嵌め込んであります。これは彼らの3作目の大ヒットアルバム”サーファー・ガール”のジャケットをレリーフにしたものです。また周囲の煉瓦にはこの碑の建設費を寄付した人々の名前とコメント、賛辞等が掘り込んであります。その下のプレートには、この家がビーチ・ボーイズという歴史の出発点である事が簡潔に記されています。

SITE OF THE CHILDHOOD HOME OF THE BEACH BOYS

IT WAS HERE IN THE HOME OF PARENTS MURRY AND AUDREE THAT BRIAN, DENNIS, AND CARL WILSON GREW TO MANHOOD AND DEVELOPED THEIR MUSICAL SKILLS, DURING LABOR DAY WEEKEND 1961, THEY, WITH COUSIN MIKE LOVE AND PRIEND AL JARDINE, GATHERED HERE TO RECORD A TAPE OF THEIR BREAKTHOUGH SONG “SURFIN’.”

THIS MARKED THE BIRTH OF THE ROCK GROUP KNOWN WORLDWIDE AS THE BEACH BOYS, AND THE BEGINNING OF AN HISTORIC MUSICAL LEGACY THAT WOULD CHANGE THE RECORDING INDUSTRY.

THE MUSIC OF THE WILSONS, LOVE, JARDINE AND FRIEND DAVID MARKS BROADCAST TO THE WORLD AN IMAGE OF CALIFORNIA AS A PLACE OF SUN, SURF, AND ROMANCE. BRIAN WILSON WOULD BECOME A LEGENDARY PRODUCER, ARRANGER, AND SONGWRITER.

CALIFORNIA REGISTERED HISTORICAL LANDMARK NO. 1041

PLAQUE PLACED BY THE STATE DEPARTMENT OF PARKS AND RECREATION IN COOPERATION WITH THE CITY OF HOWTHORNE, MAY 2005.

【抄訳】ブライアン、デニスとキャロルは両親(マレーとオウドリー)の家で成長し、音楽の技術を磨いた。1961年の感謝祭の休日の間、3兄弟と従兄弟のマイク・ラブと友人のアル・ジャーディンがこの家に集まり、彼らの驚くべき”サーフィン”という曲(のデモテープ)を録音した。これがBeach Boysとして世界中に知られたロック・グループの誕生であった。そしてレコード業界を変革する歴史的な音楽遺産の始まりであった。彼らの音楽は世界中に放送され、カリフォルニアが太陽とサーフィンとロマンスに満ちた所であるというイメージを世界中に植えつけた。ブライアン・ウィルソンは歴史的なプロデューサー、アレンジャーそして作曲家となるでしょう。

碑文は実に簡潔に彼らの業績を称えています。特にカリフォルニアの明るい太陽、サーフィン、そしてロマンスというイメージを作ったのが彼らであるという事実が明記されています。これだけでもカリフォルニア州の住民は彼らに足を向けて寝られません。その後の活躍についてはまた機会を改めたいと思いますが、彼らのサウンドに一貫したまさしくカリフォルニアのような明るさは、フォー・フレッシュメンの影響を大きく受けています。フォー・フレッシュメンの8ビート版と言っても良いでしょう。また、彼らの音楽は徹底的に白人で、ブルース臭が無いのが特徴です。これは同時期のローリング・ストーンズやビートルズのイギリス勢と比べてみれば納得頂けると思います。この明るさ、ブルース臭の全く無い(えぐみが無い)ところが60年代の強かったアメリカに大受けしたんだと思います。