組曲:冬の情景/所ジョージ

今年も11月となり、冬が迫ってくる今日この頃です。この時期の名曲といえばなんといっても所ジョージさんの「組曲:冬の情景」でしょう。この歌は所さんのデビューシングルである「ギャンブル狂騒曲」のB面です。所さんはシンガーソングコメディアンとしてデビュー以来、約40年間、マイペースないい加減さは終始一貫崩れていません。本気なのか、冗談なのか、マジなのか、お笑いなのか、その境目あたりを上手く立ち回っている感じです。これまでこれといった醜聞も聞かず、派手な夜遊びも無く、ひたすら世田谷ベースでアメ車を弄って喜んでいる姿は立派なもんだと言わざるを得ません。

所さんの歌はどれを聞いてもメロディは素直で歌詞は半笑いできるので何となく覚えてしまう、しかしカラオケで歌うほどでない、というところがチョード良いんでしょう。A面のギャンブル狂騒曲もリンクしておきます。

 

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★☆

組曲:冬の情景

ギャンブル狂騒曲

Think Pink!/アン・ルイス

近年日本では乳癌患者数が増加している。はっきりとは分からないが、食生活の欧米化や女性の社会進出が原因ではないかと言われている。

乳癌に関する認知後を上げ、検診による早期発見を促す事を目的として1994年に豪でNBCF (National Breast Cancer Foundation) が設立された。この運動は”Breast cancer awarenss”と呼ばれ、世界中に拡散し、世界各国で”pink ribbon”と”Think Pink!”をシンボルとして同様のキャンペーンが行われている。日本では主としてJ.POSH (Japan Pink-ribbon Of Smile and Happiness)「日本幸せと笑顔のピンクリボン」というNPO法人がこの活動を担っている。彼らは毎年10月を乳癌予防月間としており10月を”Pinktober”と呼んでいるようだ。

ここで問題は”Think Pink!”を最初に言い出したのは誰か、である。これはアン・ルイスを嚆矢とする。但し、彼女に乳癌撲滅の意図は無かった。実際、雑誌のインタビューで、”Think Pink!”は誰が作ったのか、と聞かれて自分だと答えている。そこで、その意味はと訊かれると、特に意味はない、なんとなく、とアン・ルイスらしい返答であった。”Think Pink!”が語呂が良い、歌うのに調子が良いという程度の感じであろう。

ところが、念の為、ウィキペディアで検索したところ、英国のTwinkという歌手がアン・ルイスより先に”Think Pink”というタイトルのサイケ調レコードを出していたことが分かった。これにも乳癌との関連性は無い。但し、このアルバに“Think Pink!”という楽曲は無いので、曲としては彼女が最初と言っても良いのでしょう。では、なぜこれが乳癌予防、治療キャンペーンに使われるようになったかという経緯はネットで調べた限りでは不明でした。


Think Pink!~女はそれを我慢できない

恋は魚河岸のごとく/チャイルズ

豊洲市場が開場した。舛添前知事の構想より2年遅れ。小池都知事が都議会共産党の煽動にぱっくりはまって、迷走の末に五輪や資金に係る問題を残したまま見切り発車となってしまいました。移転反対派は築地ブランドが棄損されると危惧しているようですが、場所が豊洲に移っても「築地市場」或いは「新築地市場」とすれば問題なかった筈。普通の会社が本店を東京から大阪へ移転したとしても社名、ブランド名は変えないでしょう。

豊洲市場開場記念に魚河岸の歌を探してみた。古くは一心多助を題材にした浪曲や演歌がありますが、最近ではこれしか見つかりませんでした。タイトルの「恋は魚河岸のごとく」は全く意味不明です。歌詞をみても、魚河岸が出てくる訳でなく、謎は深まるばかりです。

グループ名の「チャイルズ」とはどういう積りなんでしょうか?言うまでもなく”child”の複数形は”children”ですが”childs”と言い切ってしまうところが素敵です。もっとも私が昔いたマレーシアでは”I have one children.”なんて会話がまかり通ってましたから、こんな些細な事に目くじらたてるもの大人げないという事でしょうか。

チャイルズは「笑っていいとも」に「いいとも青年隊」の後継として出演していたので、覚えている方もあるかと思います。ジャケ写のセンターは色々とお騒がせの磯野貴理子氏です。年下のイケメンと結婚したり、別れたり。それをTVのネタにしてしまう豪胆さの故にこれまでタレントとして生き残ってこれたんでしょう。

 

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★★

When 完璧なタイミングを科学する/ダニエル・ピンク著 勝間和代訳

「いつやるの、今でしょ」、「善は急げ」また千葉県松戸市には「すぐやる課」があったり、我々はこれまで早い事が良い事だと教えられてきた。しかし何事にも「坂本九とパラダイスキング」が歌うように「ステキなタイミング」があるようだ。これまでHow to(どうやるか)を説く書籍は多かったが、本書はWhen to(いつやるか)について膨大な統計データを詳細に分析し、ある種の結論を出している。

米国の研究者による調査では「ポジティブな気分は午前中に高まり、午後に落ち込み、夕方に再び高まる。」他の研究者グループの他の手法による調査でもほぼ同じ結果が得られている。これは人間の体内時計によるものと思われ、性別、国籍、人種に関わらず、ほぼ同じである。

図1 ピーク・谷・回復パターン

このグラフから;
●投資家やアナリスト向けの収支報告は午前中が良い。彼らが寛容になりやすいので、些細な事に突っ込まれる危険性も少なく、高評価が得られる可能性が高い。よって株価も上向く。どうしても午前中が無理なら夕方~夜が良いだろう。
●医療に避けられない誤診、誤施術は午後が多い。米国の麻酔医の誤施術の確率は午前中は1%であるが午後は4%で4倍になっている。訳者の勝間和代氏は「午後に病院と美容院には行かない。」と述べている。
●高校授業の時間割で数学を午前中に集中させたところ成績が向上した。

では、午後はどうすれば良いか?本書では「『論理的』判断はランチタイムまでに」、「集中力の落ちる午後は『ひらめき』の時間」としている。午前は数学のような論理力、午後はトンチクイズを解くような洞察力、ひらめき力が発揮される。

図1のパターンは誰でも共通であるがクロノタイプ(概日リズム)は人の睡眠により異なる。ここでは睡眠時間でなく睡眠の中間時間で分類している。例えば23時に寝て7時に起きる人も1時に寝て5時に起きる人も中間時間は3時である。この中間時間と図1のパターンを勘案すると効率の良い一日の行動パターンが現れる。

図2 ヒバリ型・第3の鳥型・フクロウ型

●ヒバリ型
分析的な作業、意思決定は午前中に行う。新しいアイデア生み出すのは夕方から夜が良い。
●第3の鳥型
ヒバリ型とほぼ同じ。人に感銘を与えるのは午前中が良い。
●フクロウ型
無理な早起きはやめる。午前中は洞察的な作業を行い、アイデアが閃くのを待つ。分析的作業、意思決定は夕方から夜が良い。

プロジェクトチームやスポーツ競技では始まりと終わりが重要視されるが、中間点も重要な意味を持つ。これまで進化論では何千年単位の時間の中で徐々に進化が進行していくものと思われていた。しかし最近の研究によると進化はその期間の中間点あたりで、突如大きく変化する傾向がある事が判明した。これは精鋭を集めたプロジェクトチームでも、納期の半分あたりまではさしたる成果が出ない。「中だるみ」である。ところが中間点でもう時間が半分しかないと気づくと切迫感が生まれ、達成目標と工程を精査し一気に突き進む。著者はこれを「おっと大変だ(もう時間がない)効果」と呼んでいる。MBAの学生をグループに分け、1時間でラジオCMを作るという課題を出したところ、どのグループも28~31分経過時点で「おっと大変だ効果」が発揮され、もっとも顕著な進展が見られたという。

人の幸福は50代で最低になるという調査結果もこの「中だるみ」と言える。この「中だるみ」を回避するためには
(1)中間目標を設定する。
(2)中間目標を公表する。
(3)中途半場なところで止める。
私はかつて(3)を実践したことがある。すなはち切りのいいところまでやらず、途中で放り出すように止めて(飲みに行って)しまうのである。ロシアの心理学者ツァイガルニクによれば「人は完了した課題より未完の課題をよく覚えている。」そうで、確かに放り出した仕事を再開したとき、割と簡単に過去の思考の延長線上に戻れた気がした。

本書はこれ以外にも、種々のタイミングに論及している。例えば初めてマラソンに出る人は29、39、49、59歳が多い。各年代の終わりにこれまでの反省と新しい世代へのチャレンジ意欲が急に出てくるそうだ。また、休憩の効用を統計的に立証している。イスラエルでは判事が受刑者との面接で仮釈放を決める。仮釈放が認められる確率は図1のバターンにほぼ同じで午後になるとかなり下がる。しかし午後に十分な休憩をとった後はその確率がかなり上がる事が分かった。このように様々なタイミングが統計的事実から説き起こされているため非常に興味深く、面白い一冊であった。

I CAME FROM 横須賀/山口百恵

先日、会社でボォーッとしてた時、ふと「山口百恵のトホホな歌を探してみよう」というナイスなアイデアが閃いた。早速探してみたが、さすがにコレというのが無い。しかし、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲のこの歌はそれなりのトホホ感がある。品川で彼に会うために横須賀から京急の快特に乗っている。黙って乗ってりゃいいものを途中の快特停車駅名をウダウダ歌っている。只それだけ。これまで駅名を曲名にした歌は沢山あるが、歌詞に途中の駅名を織り込んでるのは、昔の「鉄道唱歌」、猫の「地下鉄に乗って」ぐらいで、その他を検索してみても全く見つからず、その意味でも貴重です。

ところが大問題が発生しました。京急は創業120周年を記念して駅名を変更する計画を発表しています。ところが新駅名は小学生から募集して小学生が決めるんだそうです。五輪のマスコットの名前を小学生に決めさせたのを真似したんでしょう。純粋無垢な子供が決めた名前に文句は付けさせないという純真無垢でないオヤジの顔が想像されます。しかし、万一駅名が変わってしまうと、この歌が歌えなくなってしまうんです!

京急ホームページによれば「品川、京急蒲田、天空橋、羽田空港国際線ターミナル、羽田空港国内線ターミナル、京急川崎、八丁畷、京急鶴見、京急新子安、横浜、上大岡、金沢八景、京急久里浜」の乗換駅は他社に迷惑がかかり、費用負担が発生する可能性があるので変更しない。また「鮫洲、平和島、穴守稲荷、川崎大師、生麦、弘明寺、金沢文庫、神武寺、安針塚、県立大学、浦賀、YRP野比、三浦海岸」は公共施設や宗教団体があり、苦情が出る可能性があるので変更しないようです。

路線図クリックで拡大


百恵ちゃんが歌っているのは「横須賀、汐入、追浜(おっぱま)、金沢八景、金沢文庫、上大岡、井土ヶ谷、日ノ出町、横浜、鶴見、川崎、品川」で、汐入、井土ヶ谷、日ノ出町、金沢文庫が変更対象となっています。その他にも雑色とか青物横丁、景気の良さそうな黄金町等々、変更して欲しくない駅名が多々あります。

京急120周年を取り上げたタモリ倶楽部では鉄オタの座談会で駅名変更が取り上げられ「品川より南にあるのに北品川はおかしい、変更すべきという意見があるが、これは旧品川宿の北端に駅が出来たので、北品川と命名された。」という蘊蓄が披露されました。こんな由緒ある駅名をそこいらのガキに「何とかプラーザ」だの「何とかセンター」などとカタカナ交じりのおかしな名前に変更されては、駅周辺の住民は泣きそうになるんぢゃないでしょうか。京急沿線にお住いの方はまだ間に合います。駅名変更反対運動を盛り上げましょう。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★★

もう言っとかないと/中村メイ子著(聞き手:古館伊知郎)

中村メイコは時々ラジオで声を聴きますが、活舌も良く、最近の話題にもちゃんと付いてきているところが、とても84歳とは思えません。天才子役と言われた小学生の頃、戦地で慰問をしていたので初めて乗った飛行機が戦闘機なんだそうです。しかし、軍用機に乗っている間は基本目隠しで、自分がどこへ行くのか、どこへ行ったのかも分からないまま歌い、特攻隊員達は泣きなら聞いていたと語っています。終戦になると今度は進駐軍の慰問で引っ張り出され、心中複雑なものがあったようです。こんな慰問ばかりの生活でまともに小学校も出ていないので一年が365日という事を始めて知ったのは美空ひばりと友人になった17、8際頃だそうです。

戦後、雑誌社でアルバイトしていた時(16歳)編集長の吉行淳之介に一目惚れでした。初めてのデートが向島の情緒ある料亭。お洒落して出かけるといきなり「そのさらし鯨みたいな首飾りをとって取ってくれないか」と言う。母にねだって買ってもらった高価な首飾りだったので憤慨し「どうしてですか?」と聞くと「首筋のホクロが見えない」と答えたそうです。結局とらなかったんですが、後に「断られてよかったよ、あのとき、素直に外してくれたら…。男が首筋のホクロを見たいと言うのは、そのホクロに口づけしたいとか、そのホクロの上までいって接吻したいという意味だからね。君は全然、それに気が付かなかった。」と語ったそうです。勿論その場でその意味に気づくはずもなく「なんだか惜しい事をしたという気がずっとしています。」

吉行淳之介は10歳下の中村メイコを気に入っていたようで「水の畔り」という作品は彼女がモデルになっています。また料亭のくだりは「男と女の子」という長編に描かれているそうです。しかし、いくら下心ありといえども、いきなりネックレスを外せとはなかなか言えないセリフです。さすがは吉行先生でした

三島由紀夫から美空ひばりを見たいと頼まれて、美空ひばり公演の打上に連れて行った事があるそうです。彼女が一人ずつ挨拶に回っていた時一番下座に座っていた三島由紀夫が「小説を書いております、三島由紀夫と申します。よろしくどうぞ。」と挨拶すると美空ひばりは「小説書いてんの?あ、そう。メイコ、川口(松太郎)のパパとどっちが上?」中村メイコが答えに窮していると、三島由紀夫はすかさず「もちろん、川口先生は大先輩でございます。」と返答したそうです。三島由紀夫とは銀座のクラブでしょっちゅう顔を合わせており、死ぬ三日前には山口洋子の店「姫」で出会っています。その時はてっきり「豊饒の海」が完結したのかと思ったが、後に神津善行から実際には当日の朝、編集者に原稿を渡した、と知らされたそうです。三日前には彼女に大作が完成したと思わせる位、楽しく飲んでいたという事になります。

「上を向いて歩こう」の歌詞は中村メイコに振られた永六輔が大泣きしたから出来たというエピソードは有名ですが、その他にも色んな人の話が詰まっています。古館伊知郎は聞き役に徹しており、彼らしくなく、余計な口を挟さんでいないところに好感がもてます。もっとも編集者は大変だったでしょうが。

彼女は「私にはこれといった代表作がないの」と嘆いていますが、古舘伊知郎は「そんなことはないんです。たとえばラジオドラマは黒柳徹子さんが嫉妬したと伝え聞くほど出色、残っている音源を聴くと見事なばかりです。それより何より…日本を代表する理想の家族”神津ファミリー”を演じた。このことこそメイコさんの代表作とは言えないか?」と答えています。メイコさんは今でも時々大好きな銀座で飲んでいるようです。出来ることなら飲みながら昔話の続きを聞かせてもらいたいものです。


お化けのロック/郷ひろみ・樹木希林

昨日樹木希林さんの訃報が伝えられました。享年75。全身に癌が転移していたそうですが、万引き家族のパルム・ドール受賞でカンヌ映画祭に出席した時は特に変わった様子は見えませんでした。一番印象に残っているのは寺内貫太郎一家のきん婆さん役でしょう。婆さん役と言ってもその時彼女は32歳で、常に指だし手袋をしていたのは手で若さがばれない様にという工夫だそうです。ストーリーに関係なく毎回ジュリーのポスターに向かって「ジュリー」と言ながら手足をバタバタさせるのは笑ってしまいました。

樹木希林の歌で私が知っているのは「ムー一族」の挿入歌で郷ひろみと歌った「お化けのロック」と「林檎殺人事件」の2曲だけですが、他に「二人のすべて」という曲があるらしいです。未だ聞いたことがありません。ここでは「林檎殺人事件」は大ヒットしたので、あんまりヒットしてない「お化けのロック」にしてみました。

ジャケットの左下に小さく樹木希林(悠木千帆改め)とあります。NETがTV朝日に変わる時に芸能人を集めてオークション番組を作った際、悠木千帆は、私にゃ何にも売るものがないわ、と言って名前を競売に掛け、その後樹木希林に改名しました。尚、裕木千帆の名は¥22,000円で売れたそうです。

内田裕也と結婚した頃のお写真

晩年は映画もさることながら、CMが面白くフジカラーの「それなりに写ります」とか夫の内田裕也と出演したCMがなんとも良い感じがでてましたが放映開始後すぐに内田裕也の不祥事の為放映中止になりました。

余談ですが、ジャケットの写真は郷ひろみの頭が左上のレコード番号とCBS SONYのロゴに被っています。これではレコード番号が分かりにくいと思いますが、ミスでしょうか、それとも意匠でしょうか?私はレコード番号に余りこだわりはありませんが、昭和歌謡に詳しく、番号やロゴもゆるがせにしない、クリス松村さんに聞いてみたいものです。

なかったコトにして/郷ひろみ with HYPER GO 号

最近、会社でボーっとしてると(チコちゃんに叱られそうですが)昔の失敗した事、恥をかいた事とか、あの時はああすれば良かった、こうすれば良かった、等と残念な記憶ばかり蘇ってきます。そんな時は元気良く、なかったコトにしてくれ、と叫びたくなったりします。そこはやっぱり、郷ひろみですね。なかったコトにして、と叫びまくっています。

ゴメンなかったことにして 
神様やりなおし
今のなかったことにして
それでいいんじゃない 
お願いもう一度やりましょう

私の言いたいことを全て言ってくれています。そして、バックにいるお姉さん方が居てくれたら、まず落ち込む事はないでしょう。かつて自分の失策で他部門の担当者に「なかったコトにしてくれ」と本当に言った事があります。その方も大らかな気持ちでなかったコトにしてくれました。これでいいのだ、と言ったバカボンのパパの気持が良く分かります。

おーわだばく/野沢直子

野沢直子氏は毎年8月になるとニューヨークから帰国し、あちこちのTVで出稼ぎして帰るのが恒例行事になっています。今年も例年通り帰国して、大騒ぎして帰って行きました。彼女はなんだかわからない系の芸人としては随一で、ワハハ本舗の久本雅美の上を行ってるような気がします。

この歌は「はなぢ」というCDの中の曲でシングルカットはされていませんが、中々強力な逸品です。お聞きの通り(野沢直子作詞)最初は「ばくばくばくばく、おーわだばく」と叫んでいるだけですが、その後、大村崑、最後に菅井きんが出てきます。この三人がなぜ出てくるのかは不明ですが、三人とも名前が二文字である事だけが共通しています。

採点としては久々の高得点です。特に意味不明度は満点を献上しました。これからも、どんどん意味不明の歌を歌ってほしいものです。健闘を祈ります。

トホホ度 ★★★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★★★

中国五千年の虚言史/石平著

今から30年ほど前、初めて北京、上海に出張した。着いてすぐ、出張者の中に部長クラスがいたからか、先方の電話会社から歓待を受けた。昼飯というのにビールは勿論、白酒(パイチュウ)もありで、かなり酔った。午後会議が始まったが、激しい睡魔が襲ってくる。夜は本格的な宴会で、勿論白酒一気飲み。中国では一気以外の飲み方は無いのだ。

観光もあった。先方から北京の衛星通信地球局を見学するか、と聞かれ、そんなこ汚いもん見てもしょうがないと思い、万里の長城へ行きたいと言った。すると長城入口の八達嶺まで、クラクション鳴らしまくるパトカー先導で道のど真ん中を信号無視で突っ走った。これは初めての経験であり気分が良いが勘違いしそうである。話はそれるが、後年カンボジアのプノンペンに出張し、仕事が終わり帰国するため空港まで行く際に先方からパトカー先導で行くか、と言われたがさすがに断った。後で、これをやるとかなりの料金を取られると聞いて安堵した覚えがある。

話は戻って、会議の中で議事録、契約書はどうするか、という話が出た。曰く我々は英語も日本語も分からないので、中国語で書いて欲しいがそれでは日本人が困るだろう。よって、英語と中国語の二本立てにしようと提案された。更に、ここは中国だから中国語版を正本にしようと言う。我々は何も考えす承諾した。

出張から無事帰国し、仕事は進んだが、途中で少々面倒なトラブルがあった。契約書には、この場合は中国側の責任で対処するとある。その旨を伝えると、違うと言う。正本にはそうは書いてない、日本側で対処せよ。要するに中国語版と英語版の中身が違うのである。騙された。双方をきちんと確認しなかった我々の失敗であるが、中国人にしてみれば、飲まして食わして観光もありの手練手管で、初心者の日本人を騙すなんて、いとも簡単な事だったんだろう。

著者の石平氏は、中国共産党、特に文化大革命(1966~1976年)に幻滅し、日本に帰化した。この本には中国人が如何に嘘をつくか、という過去の実例が色々と出てくる。世界史の授業で聞いたことのあるようなトピックスもある。日本人は嘘をつくのはイケナイ事だと思っているが、中国人は(韓国人も)嘘をついて、自分が有利になるのなら、ドンドン嘘をつくべきだと思っている。要するに嘘を着くのが中国人の文化の一つなのだ。こんな人たちに勝てる訳ない。だから中国人と付き合わずにすむならそれが一番。自分はもう二度と中国と韓国には行かない事にしています。

話は再び変わるが、TVで著者の石平氏と残留孤児二世で日本に帰化し、現在産経新聞記者の矢板明夫氏が公開処刑の話をしていた。毛沢東の時代には国慶節の前日に死刑囚を市中引き回し、公開処刑していた。皆がこれを見に行く。要するに庶民の娯楽である。主催者側は公開処刑を盛り上げるために30人位やりたいが、囚人だけでは足りない場合は数合わせをする。そこらに居る人を難癖付けて逮捕し、処刑する。文化大革命以降はこの風習は無くなったが、習近平時代になって復活したという噂もあるようだ。