無駄な抵抗やめましょう/ちあきなおみ

最近小室圭さんの話題が多い。約400万円の借金問題を週刊女性にすっぱ抜かれ、秋篠宮ご夫妻は怒り心頭、婚約延期。良かれと思って発表した小室さんの釈明文に非難囂々。週刊新潮先週号によれば、小室圭さんの母上が天皇陛下への直訴を画策しているというトンデモスクープ。その記事の中見出しが「無駄な抵抗」

「無駄な抵抗」でふと思い出したのがこの歌。ちあき なおみは急に見なくなったので死んだのかと思ってたら、ご主人がお亡くなりになったのを期に引退されたようです。それ以降、山口百恵同様全くマスコミに姿を表していません。現役の時はヒット曲が色々ありましたが引退してから、返って非常に歌の上手い歌手という定評が定まったような感じがします。

作詞はなかにし礼。
 〽嘘をついても だめなのね
  へたなごまかし 効かないわ
  無駄な抵抗やめましょう

無駄な抵抗を止めろと言っているのかと思ったら、実は無駄な抵抗しているのは自分だというトホホ感溢れる歌詞。流石なかにし礼です。珍盤・奇盤のカテゴリに分類するのは申し訳ない気がしますが、やはり半笑いできます。

余談ですが「無駄な抵抗」の初出をヤフー知恵袋で調べると、あさま山荘事件の「無駄な抵抗を止めてすぐに出てこい」という警察から犯人への呼びかけであるという説がありました。そう言われるとそんな気がします。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★

ご笑納下さい/高田文夫著



高田文夫は現在70才の放送作家。これまで数々のお笑い番組を制作して来たが、オールナイト・ニッポンでビートたけしとのトークが爆笑を生み、放送作家がTVやラジオに出る先駆けとなった。日大落研出身で立川談志に入門し、立川藤志楼(トーシロー)襲名。CDが多数出ているが、談志によれば「月の家 圓鏡より上手い」。2012年4月心臓病で入院。7ヶ月の闘病の末復帰。復帰後毎週月、金、ニッポン放送のラジオビバリー昼ズで元気に喋っている。生放送なので何でも笑いにしてしまう弾丸トークに共演者がついて行けないこともしばしば。ラジコのタイムフリーで欠かさず聞いてますが前より面白くなった気がする。今が絶頂期という人がいるが確かにそうだ。

この本は高田文夫がこれまで小まめに記録してきた名言、迷言、都都逸、狂歌、川柳を纏めたもの。週刊文春に坪内祐三が書評を書いていたので一部引用する。

「迷言王は二人いる(中略)。『打つと見せかけてヒッティングだ』という言葉を引く。長嶋監督がランナー二・三塁で代打を呼び、耳元でささやいた言葉だ。そして、『文庫追記』にこうある。ジャイアンツのV旅行でハワイに向かった時、『ビーフorチキン?』とまず川上監督が聞かれ、『ビーフ』と答えて、続いて王が聞かれたら、『Me too』。そして『あなたは?』と聞かれた長嶋は、『Me three』。もう一人の王様はガッツ石松だ。まず『急ぎの時は、電車の先頭に乗る。』という言葉を引く。『世界の三大珍味です。トリュフ、フォアグラ、さぁあと一つは?』。『キャタピラ!』」

「(前略)今も元気な野末陳平の、『老後はキョウイクとキョウヨウ』というのは箴言だ。『キョウイクとキョウヨウ』というのは『教育』と『教養』ではない。『今日行くところ』と『今日の用事』という意味だ。たしかにこの二つがしっかりあればボケる事はないだろう。」<引用終わり>

なにしろ昭和から去年の末頃まで幅が広いので読者の年代によって受け方が違うと思う。以下に自分が面白いと思ったものをランダムに挙げてみる。

「シューマイの数だけグリンピースはある。」(若手漫才師)
これ、いつもの顔半分笑いでなく、何か内臓の奥からふつふつと来る。なぜ面白いのかと聞かれても答えられない。
「あそこが立っているのが主人です。」(三宅裕司夫人)
正しくは”あそこに”です。
「鳩がどいてくれません!」(ヒロシ)
ヒロシの本にサインしてもらった事があります。
「マネジャから電話で『今日の銀座の仕事はキャンセルです』と聞いた先代桂文治。銀座でキャンセルという名のキャバレーを探しまくった。」
先代文治のくりくりとした江戸のおじさん顔が思い出されます。
「世の中に 人のくるこそ うれしけれ とは言うものの お前ではなし」(内田百閒)
さすが百閒先生。言いにくいところをサラッと言ってしまうところが笑えます。
「言い訳を しているうちに 蕎麦がのび」(古今亭志ん生)
志ん生の川柳は沢山残ってますが、この句は情景が目に浮かぶようで、半笑い。
「ジョニーが来たなら伝えてよ、二次会庄やだと~」(若手芸人)
庄やで良くホッピーを飲みましたが、庄やは二次会というより一次会でしょう。
「犬も歩けば猫もあるく」(高田文夫)
さすがは高田先生。なんでもないところを笑いにしてしまう名人です。

この本は過去に出ていた同様の2冊を合冊し追記を加えたお徳用です。暇な時、半笑いしたい方にはお勧めです。

平成版 ひらけ!チューリップ〈デジパチ編〉/間寛平

無事年が明けて今年は平成31年。平成の御世も残すところ数ヶ月でお仕舞になります。
そこで、残り少ない平成にちなみ、題名に「平成」がついている歌をと思い、色々ありますが間寛平にしてみました。彼には「ひらけ!チューリップ」という昭和の名曲があり、これと平成版を比較すると面白いような気がした訳です。大雑把に言ってアナログの昭和、ディジタルの平成という感じが味わえます。

平成版では「もう一万円」と突っ込んでますが、昭和版では、もう「800円」使ってしまったという悲哀感が出ています。当時は100円で35球の遊びだったんですねぇ。昭和版には軍艦マーチに続いて店員さんの威勢の良いアナウンスが入ります。この独特の喋り方は誰が始めたかは分かりませんが、現在までも連綿とその伝統が引き継がれているようです。私事ですが学生時代、パチンコ屋のアナウンスと新宿24時5分発、高幡不動行き最終電車の車掌アナウンス声真似兼車内風景が持ちネタで、飲み会で結構受けてました。

歌としては昭和版の方が建付けが良いですが、平成版はB面扱いなので、致し方無い所でしょうか。評価は「お笑い度」が厳しめですが、まあこんなところでしょう。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★
ひらけ!チューリップ/間寛平(昭和オリジナル)

永遠のジャンゴ(サウンドトラック)/Le Rosenburg Trio

見逃していた「永遠のジャンゴ」をDVDで見た。ジャンゴ・ラインハルト(1910 – 1953)はロマ族(俗にジプシーと呼ばれている)の旅芸人の子として生まれた。幼年期にベルギーからパリへ移住し、10代からカフェやダンスホールでバンジョーやギターを弾いていた。1928年に初録音を行うが、この年、火事で左手の薬指と小指が動かなくなり、右足にも障害が残った。

ギター奏者として再起不能と思われたが、人差し指と中指の二本で弾くという革命的奏法を編み出しパリで大変な人気を博した。Youtubeで当時の彼を見ることができるが二本指でスイング感溢れる演奏を披露している。その後、米国のジャズに影響を受け、ジャズのスタンダードナンバーを演奏し始める。当時ギターは米国でも伴奏楽器と見なされておりソロを弾くことはなかった。しかしジャンゴの新しいソロ演奏が逆にジャズの本場に影響を与えた。

映画では第二次世界大戦下のパリに侵攻してきたドイツ軍により演奏が制限され、ジプシー狩りが始まった。ジャンゴ一家はスイスに亡命するためレマン湖畔に逃れるが、ここにもドイツ軍が押し寄せ、最後は家族もギターも捨て、雪のアルプスを越えて逃亡する。戦後パリに戻り、バイオリンのステファン・グラッペリとバンドを組み、素晴らしい作品を次々と生み出した。

ジャンゴは、気まぐれで、おしゃれで、パリの女性を惹きつけるオーラがあったらしい。ジャンゴ役のレダ・カテプはそんな雰囲気をよく再現している。演奏のシーンでは二本指奏法をきちんと真似て完璧であった。実際の演奏はローゼンバーグトリオが現在の技術でほぼ完璧に当時の演奏を再現している。この時代は未だLPの前のSPの時代で、音質が悪いのは致し方ない。CDを聞いて育ったワカイシには馴染みにくいかもしれないがローゼンバーグトリオの演奏を聴けばCD世代にもジャンゴの面白さが分かるような気がする。

私は昔ジャンゴのレコードをよく聞いていた時期があった。当時はジャズギターという分類の中のジャンゴという認識だったが、今改めて聞いてみると米国のジャズとは違うパリの音楽という気がする。酔漢と遊女の嬌声が響く、紫煙たなびくパリのカフェで演奏するジャンゴの姿が浮かんでくるようだ。

(1) Les-Yeux-Noirs (黒い瞳) (2) Nuages (雲)
(1) After You’ve Gone (2) It’s Only A Paper Moon (3) Djangology

文学はおいしい。/小山鉄郎著、ハルノ宵子画

時事通信の記者である小山氏が100の文学作品に登場する100種類の食べ物を引用、紹介し、それに伴う蘊蓄が披露されている。カツ丼、ラーメン、餃子、ウドン、お好み焼き、焼き鳥等々何でもあり。ハルノ宵子氏は吉本隆明の長女、吉本ばななの姉である。彼女は各食物の水彩画を描いている。食べ物の絵というのも難しいもので、見て如何にも旨そう、食べたい、と思うものもあれば、これ本当にそう?と言いたくなる画もある。

仮名垣魯文「安愚楽鍋」に登場する牛鍋の項では、肉食の歴史を開陳している。天武四年(675)天武天皇が肉食禁止令を発布。その後、約1,200年間日本人は肉を食べなかった(事になっている)。しかし、明治政府は富国強兵の一環として肉食による体位向上を目指し明治四年末に禁を解いた。その後日清、日露戦争の兵士に牛肉の缶詰(大和煮らしい)を大量に送ったため、東京では牛肉不足となり、豚肉を多く食するようになったそうだ。関西で肉じゃが、というと牛肉であるが、関東では豚肉になるのは、この影響かも知れない。

「ドナルド・キーン自伝」では三島由紀夫と伊勢海老を食べた件がある。昭和45年8月、毎年三島が家族と過ごす下田で料理屋に注文した5人前の伊勢海老を英国人ジャーナリストを含む3人で平らげ、さらに二人前を追加注文したという。晩餐はかなり盛り上がったのであろう。しかし、何かおかしいと感じたドナルド・キーンは翌日「何か悩んでいることがあるんだったら、話してくれませんか」と尋ねたが、三島は何も言わなかったという。三島はキーンに「豊穣の海」最終章を読んでくれと頼んだが、キーンは前章を読んでいないので、と断った。最後の作品を書き上げた三島は「あと残っているのは死ぬことだけだ」と話していたという。11月25日の割腹自殺の朝に原稿が編集者に渡されたが、実際にはその年8月には既に完成していた事になる。

この本に「全日本冷やし中華愛好会」人呼んで「全冷中」が出てきたのには少々驚いた。山下洋輔が「我々は何故我が国の冬季においては、かの冷やし中華を賞味できないのであるか?」と発したのが「全冷中」の始まりである。尚、本書では山下洋輔著「へらさけ犯科帳」が初出であるとしているがこれは誤り。全冷中には筒井康隆、奥成達、平岡正明、赤塚不二雄、タモリ、等の精鋭が結集し冷やし中華バビロニア起源説、具材の研究、特にナルトの渦巻きが冷やし中華と宇宙を結びつける云々意味不明の学説が多数発表された。昭和52年4月1日(エイプリルフール)に有楽町よみうりホールで「第一回冷やし中華祭り」が開催された。私は友人のT氏と共に新宿から歩いてこの祭りに参戦したことを思い出す。尚、この祭りについてはヒゲタ醤油勤務で山下洋輔の兄である山下啓義氏による詳細なレポートがあります。御用とお急ぎでない方はご覧になって下さい。あの時代のバカバカしさ、元気さがしっかり伝わってきます。

沢山の作家の食に関わる部分を抽出し、注釈と蘊蓄を加えた中々楽しい読み物でした。私が何度か読んだ志賀直哉の「小僧の神様」が取り上げられていたのは嬉しかったのですが、北大路魯山人、内田百閒或いは「食道楽」の村井弦斎が無かったのは少々残念でした。

阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし/阿佐ヶ谷姉妹著

今年のM1決勝戦はジャルジャルが印象に残ってます。国名を分割するという遊びで、例えば一方が「イン」と言えば相方がすかさず「ドネシア」と言う。「アル」と言えば「ゼンチン」と返す。たったこれだけの事なんですが、それを早くしつこくやるので、嵌りました。最近、こういう意味ない遊びは意外にありそうで無く、昔のタモリや山下洋輔らがやっていた「ソバヤ」のようなバカバカしさです。

M1のように腹を抱えて爆笑という笑いは嫌いではないんですが、最近は少々疲れます。理想は顔の半分で、ハハハと軽く半笑い、くらいが丁度良い感じになってきました。阿佐ヶ谷姉妹を見た事のある方はお分かりかと思いますが、彼女たちは私好みの半笑いを提供してくれます。

姉のエリコ(背の高い方)と妹のミホと言ってますが、実の姉妹ではありません。当初ご両人とも東京乾電池に在籍しており、その後コンビを組んで独立。この二人が阿佐ヶ谷の六畳一間のアパートに同居していた事から阿佐ヶ谷姉妹を名乗るようになったようです。昨年夏、なんとその六畳間にタモリ以下が乗り込み、タモリ倶楽部、阿佐ヶ谷姉妹編が放映されました。仲の良いご両人ですが、二人の六畳一間暮らしには、布団をどう敷くか、台所の整理整頓とか、色々と問題あるようです。また、ご近所付き合い、お互いに違うスーパーの好み等々が綴られています。また、二人の短編小説(妄想?)もあり、と色とりどりです。

この二人が遂に別居する事になりました。ミホさんが新しい布団(セミダブル)を買ってきたのでエリコさんが寝るスペース(陣地)が狭くなり、二人の間にあるコタツの足がエリコさんの布団に食い込んで、ますます寝床が狭くなったようです。新居は勿論阿佐ヶ谷で2DKか2LDKを探し歩いたんですが、良い物件が無い。しかし、隣の学生が引っ越したので、その部屋を借りてめでたく別居できました。

こんな調子で題名とおり、のほほんとした日常が綴られています。TVで言うと少々古いですが、室井滋、もたいまさこ、小林聡美が出ていた「やっぱり猫が好き」のようなテイストです。自分にとっては丁度良い箸休めでした。

木枯らしのクリスマス/島倉千代子・片岡鶴太郎

今年ももう師走。ホント早いよね~というお馴染みの会話が花咲く時期になりました。12月と言えばクリスマス。クリスマスソングは無数にありますが、片岡鶴太郎と島倉千代子という組合せは少々意外。ハッピーなクリスマスでなく少し哀しい演歌クリスマスという感じです。

作詞:秋元康、作曲:三木たかしのコンビで特に秋元康の歌詞が泣かせます。イブの夜遅く、シャッターの閉まった商店街の裏通り(阿佐ヶ谷パールセンター商店街の裏という感じ)を手をつないで歩く。「あなたの手が冷たいから」とポケットの中。スナックの有線から漏れ聞こえるジングルベル。「木枯らしよ これが 最後のイブに」と結んでますが、これからどうするんでしょう?色々想像させてくれます。

片岡鶴太郎は自信をもって歌っていますが、島倉千代子は繊弱で少し哀感をたたえた歌いぶりです。多額の借金を抱えながら、何とか生き抜いてきた自身の経験からくる技でしょうか。(少々髪の毛を切りすぎた)お千代さんが鶴太郎に頼り切っている感じのジャケ写が曲想と良くマッチしています。一応カテゴリーは「珍盤・奇盤」としましたが、良く聞いてみるとトホホ要素も、お笑い要素も無く、評価は白星一つとなりました。

トホホ度
お笑い度
意味不明度

日本国紀/百田尚樹著

平成30年、出版界最大の事件がこれだ。百田尚樹氏の「日本国紀」は当初11月15日発売予定で10月15日にアマゾンや楽天で予約受付を開始した。すると予約が殺到し、翌16日にはアマゾンで書籍全ジャンル(本)でベストセラー第1位となり、その後、18日間連続1位を維持した。版元の幻冬舎は初版10万部という強気の販売目標であったが予約受付中に増刷を数度行い、発売日を幻冬舎創立記念日である11月12日に前倒して、なんと初版40万部の発売となった。尚、翌13日は更に5万部増刷が決定した。

予約の段階では目次を見たり、中をパラパラめくって見たり出来ない。これといった宣伝もしていない。要するにどんなものかも分からないまま増刷を重ね40万部が売れた事になる。これは昨年の村上春樹著「騎士団長殺し」に次ぐ記録となる。この売れ行き(予約)に気を良くした幻冬舎は11月に入って主要全国紙に全面広告を掲載した。私が知る限り、1書籍の全国紙全面広告は宮沢りえの「サンタ・フェ」以来であろう。「サンタ・フェ」は毛が見える写真が2、3枚ある、という事で話題になり150万部以上売れた。本書は勿論そこまでは無理と思うが、その半分くらいはいくんぢゃないだろうか。

「日本国紀」とは大仰な書名であるが、要は日本通史である。百田氏はこれを1年かけて書き上げた。世の中にまともな日本史がない。他の多くが自虐史観に染まり、日本人の素晴らしさを表現できていない。そうならば自分で書こうと一念発起した。他の日本史と違うのは第7章「幕末~明治維新」から「平成」までが全体の約半分を占めている。特に明治維新から戦後復興までの一連の流れが分かりやすい。日本史を高校時代全部やった人でも明治以降は入試に出ないとか言って勉強しなかった人が多い。私は映画、TV、歴史小説などによる断片的知識しかなかったが本書のお陰でそれらが繋がったような気がする。

私が高校生の時も現在に於いても日本史は必修科目になっていない。およそ先進国で自国の歴史が必修科目でない国はない。その原因は本書にも出てくるGHQのWGIP (War Guilt Information Program)である。WGIPはGHQが日本人に贖罪意識を植付け、日本国の伝統を分断する事を目的とした洗脳教育、情報操作である。このため、日本の歴史を教える事も憚られる事となり、それが70年以上たった今でも受け継がれている。WGIPのくびきから脱する試みもあるが、昨今の歴史教科書を見ると更に悪化しているように思われる。例えば元号を全く使わない日本史教科書があり、元寇の「文永の役」、「弘安の役」は無く、西暦だけで記述されている等々。

本書がベストセラーになったのは百田氏が人気作家という事もあるが、やはり、昨今の歴史教育、思想に嫌気がさして、こういう日本史を求める人が増えている証左であろう。約500頁あるが、1,800円(税抜)なのでそれほどお高くない。一読をお勧めする。

元祖 高木ブー伝説/筋肉少女帯

先日久々にラジオでオーケンこと大槻ケンジ氏の声を聞いた。彼の主宰する筋肉少女帯は今年が30周年らしい。よくもまあ、こんなバンドが30年も続いたもんだ、とある種の感慨が湧いてくる。

このバンドは音楽的にはヘビメタとかパンクに分類されている。私は以前メタルとかヘビメタと呼ばれるロック、ジャズで言えばフリーとかアバンギャルドとか呼ばれる類の音楽は苦手であった。只、タモリがスポーツジャズと命名した山下洋輔トリオはフリーであったが、面白かった。演奏中酒飲んで笑っていれば良いという正しい鑑賞方法を素早く自分のものにしたからであろう。

しかし、最近はこういう音楽が苦にならなくなってきた、てゆーか面白いと思う。勿論ライブハウスで飛び跳ねたり、頭振ったりする元気はないが。歳のせいか?但し、クラシック音楽で云うところの現代音楽にはついていけない。これが面白いと思うようになるのは、私の場合、はっきりとボケた頃ではないでしょうか?

ヘビメタやってる人というとなんか怖いというか、危険な感じがしますが、オーケンは全くその逆。デビュー以来、終始一貫くねくねしています。オカルトが大好きで、未だに若い感じがします。

これは彼ら唯一のヒット曲で、勿論意味不明です。オーケンは色々と理屈付けてますが、半分冗談でしょう。こういう歌がアリとなったので野沢直子の「おーわだばく」みたいな歌が出てきたわけです。筋肉少女帯はある種のパイオニアと言えます。

 

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★★★

トラウマ恋愛映画入門/町山智浩著

著者は雑誌編集者を経て現在米国加州在住の映画評論家である。本書は恋愛映画評論集であるが、好きあった者どうしが周囲の反対にもめげず、ついにゴールインできた、というようなハッピー・エンドな映画では面白くない(から取り上げない)。もう少し深い、幸福と不幸が入り混じり見た後、尾を引くようなトラウマ的恋愛映画集である。

まず「恋愛オンチのために」と題した前書きで著者は恋愛映画を以下のように喝破している。

「実際、大部分の人にとって、本当に深い恋愛経験は人生に二、三回だろう。確かに何十もの恋愛経験を重ねる人もいるが、その場合、その人の人生も、相手の人生も傷つけずにはいない。そもそも、恋愛において、そんなに数をこなすのは何も学んでいない証拠だ。トルストイもこう言っている。
『多くの女性を愛した人間よりも、たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、はるかに深く女性というものを知っている。』
恋愛経験はなるべく少ない方がいい。でも、練習できないなんて厳しすぎる?だから人は小説を読み、映画を観る。予行演習として。」

予行演習として恋愛映画を観ると言っているが100%首肯はできない。しかし主人公のスタイルや仕草に憧れ真似することはある。あながち外れているとも言えないようだ。

本書では以下の22本が選ばれている。
(制作年順に並び変えた。下線は見た映画)

 1.『逢びき』1945
 2.『道』1954
 3.『めまい』1958
 4.『幸福(しあわせ)』1965
 5.『アルフィー』1966
 6.『ラストタンゴ・イン・パリ』1972
 7.『赤い影』1973
 8.『愛のコリーダ』1976
 9.『アニー・ホール』1977
10.『パッション・ダモーレ』1980
11.『ジェラシー』1980
12.『隣の女』1981
13.『日の名残り』1993
14.『永遠の愛に生きて』1993
15.『チェイシング・エイミー』1997
16.『ことの終わり』1999
17.『アイズ ワイド シャット』1999
18.『エターナル・サンシャイン』2004
19.『アウエイ・フロム・ハー 君を想う』2006
20.『リトル・チルドレン』2006
21.『ラスト、コーション』2007
22.『ブルーバレンタイン』2010

ウディ・アレンの「アニー・ホール」は最も好きな映画の一つで何度も観た。全て分かった気でいた。しかし
「ただし、アレンが住むのはセントラル・パークの東だ。パークの東側は保守的でリッチ。西側は中産階級のリベラルが多い。」
こういうディテールやユダヤ人に関連する部分は聴いてみないと分からない。アレン自身がリベラルと言いながら東側に住んでいるという所が面白いのだろう。「アイズ・ワイド・シャット」のトム・クルーズとニコール・キッドマンご夫妻は確かに西側に住んでいた。

試しにケイト・ウィンスレット主演の「リトル・チルドレン」を見直してから解説を読んでみた。ストーリーの展開に沿って二組の夫婦の動き、ディテールが解説され、ついには不倫になってしまう2人の感情の動きが良く分かる。また原作の背景や関連する作品の説明も織り込まれており、ちゃんとした評論を読んだという気にさせられた。

最近の映画解説は面白くない。例えば最近話題になった「カメラを止めるな」を水道橋博士が説明したが
「ゾンビ映画を撮っていて、色々あってすごいどんでん返し、ネタバレになっちゃうので、これ以上言えない。とにかく、面白いから見てください。」
ネタバレで突っ込まれるのを恐れるあまり、何も伝わらない。てゆうか、ネタバレを理由にテキトーにお茶を濁しているとしか思えない。

著者は俳優、監督、原作、脚本は勿論のことそれらに関わる背景についても豊富な知識がある。「まぁ~皆さん、ご覧になりましたか、コワイデスネ、コワイデスネ」が懐かしい淀川長治の解説も楽しかったが、こちらはヨドチョーさんとは全く違う読み物になっている。深読みが過ぎるんぢゃないの、と思う部分もあるが、彼の解説を読むと未見の映画も見たくなってくる。著者は最近、政治的発言をSNSに頻繁に挙げているが、これらは非常に浅薄で見るべきものはない。是非映画一本に絞ってもらいたいものだ。