ヘアヌードの誕生/安田理央著

読書のお時間

本屋をブラブラ見歩いていたら、平台に積まれたこの本を見つけた。即座にその題名が我が内なる助平を惹起せしめ、これをむんずと掴んで会計へ大股で急いだところである。

第一章「陰毛をめぐる世界史」でギリシャの昔から今日まで、西洋彫刻、絵画に於いて陰毛がどのように扱われていたかを概括している。第二章「奪われた日本の陰毛」では、日本に於ける陰毛の表現を取り上げているが、その冒頭、日本人の性向を大胆にも一行で言い切っている。
「日本人にとって女性の裸体は興奮の対象ではなかった。」また「現在の感覚からすれば信じられないことかもしれないが、19世紀以前の日本人は、女性の肉体そのものに性的魅力を感じることはなかったし、それを美しいと感じることもなかった。」

確かに春画は局部を誇張しているが、男女とも何かは着ており全裸は非常に稀である。日本画にも裸婦はあるが、全て明治以降の西洋絵画の影響を受けた作である。覗きの「出歯亀」も明治の人である。桂文楽お得意の「つるつる」では幇間が芸者が肌脱ぎで化粧している最中に入りこみ、特に嫌がられるわけでもなく、普通に会話している。しかし、江戸時代にも行水を覗くという小噺は残っている。著者のテーゼは70%程度首肯できるというところか。これは非常に重要な問題であるので稿を改めて論じたい。

日本に写真技術が伝来したのは1848年と言われており、黒船以降、日本に来る外人目当てに日本風景などと共にヌード写真が販売されていた。日清、日露戦争ではヌード写真を懐に入れて出征した兵士がいたという。明治の末期にはモデルが職業として確立し、大正二年にはモデルの同業組合が結成された。昭和初期のエロ・グロ・ナンセンス時代にはかなりの活躍であったと思われる。しかし日中戦争から大東亜戦争に戦線が拡大されるにつれ、ヌード写真を撮影・販売する事は出来なくなった。しかし昭和12年に「おんなの写し方」を上梓した福田勝治は戦時体制に反発し、出身地の山口県に戻ってヌードを撮り続けた。

戦後はGHQの検閲に苦しみながらも「カストリ雑誌」(カストリは三号(三合)で潰れると言われたことから)が多く出版された。そして昭和25年「チャタレイ夫人の恋人」が摘発され裁判となった。昭和32年の最高裁判決は猥褻を「徒に性欲を興奮又は刺戟せしめ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義概念に反するものをいう」と定義した。これは「猥褻三原則」と呼ばれ、現在も生きている。

その後、今でいう「エロ本」が次々と発売され、昭和40年には「11PM」が始まる。その頃から「ビニ本」の流行が始まり、神田の芳賀書店はビニ本で自社ビルを建てた。この辺の事情についてはNETFLIXの「全裸監督」に詳しい。

週刊誌に始めて陰毛が登場したのは昭和56年の「週刊新潮」3月26日号である。これは私も買って見た。当時はストリーキングが流行しており、その写真であるから当然陰毛が写っている。この号は70万部が即日完売したと言われる。週刊新潮は「(前略)これをワイセツ写真などというなかれ、あくまで、『公然ワイセツ罪で捕まった女性の現場報道写真』にすぎない。もしも、ヘアが写っていなければ、『正しい報道写真』とは言い難いのである。」と述べている。如何にも週刊新潮らしい言い訳である。

平成3年、篠山紀信が撮影した樋口可南子の「water fruit」発売。これが芸能人の最初のヘアヌード写真集であろう。55万部売れたといういう。平成3年10月13日、読売新聞朝刊に「宮沢りえ 篠山紀信 Santa Fe」という朝刊一面広告で宮沢りえの全裸写真が掲載され「日本中に衝撃が走った」。朝日新聞にも同時掲載予定であったが、ヌード写真で社内調整が手間取り翌日掲載となった。「他紙に先駆けて『Santa Fe』のカラー写真をグラビアで掲載した『週刊文春』は13万部の増刷をかけたという。」この写真集は累計165万部売れた。写真集には一枚だけ宮沢りえの陰毛が写っていたが、これまでさんざん警察に呼び出されていた篠山紀信はお咎め無しだったという。これをもって我が国の「ヘアヌード解禁」とする人もいる。

平成5年頃から一斉にヘアヌード写真集市場が拡大した。石田えり、杉本彩、西川峰子、朝倉麻紀、白都真理、山本リンダ、桂木文、川島なお美、島田陽子、石原真理子、辺見マリ、松尾嘉代、大竹しのぶ、等々。ヘアヌード写真集洪水の中で特筆すべきはモデルの高齢化であろう。これまではグラビアといえば20代以上はありえない、という風潮が熟女ブームともあいまって、30代以上の女性も認知されるようになってきた。主な購入層は40、50代のオジサンたちであったので、彼らに認知度の高い、かつてのアイドルのヌードであることが売れた一つの要因であろう。

一般誌でヘアヌードを掲載したのは意外な事に植草甚一編集のwonderland が改題した平成4年「宝島」11月9日号であった。その後は週刊現代、週刊ポストがヘアヌードで売りまくった。一時部数で後塵を拝した週刊文春は社内にヘアヌードを推す向きもあったが、当時の花田編集長が止めたようだ。

その後は雑誌、写真集、ビデオも過激度を増して来た。そこにインターネットというパンドラの匣が開いてしまった。無料動画が誰でもいつでもスマホで見られる時代になった。コンビニでは東京オリンピックを契機にエロ本販売が規制され、エロ本というジャンルが消滅しかけている。これを著者は「ヘアヌードの終焉」とよんでいるが、もっというとエロの終焉であろう。しかし覆水盆に返らず。現状をチャタレイ裁判を戦った伊藤整が見たら何と言うであろうか?