ミトロヒン文書/山内智恵子著、江崎道朗監修

読書のお時間

スパイというと米国のCIA、ソ連のKGBや英国のMI5が走り回る海外のスパイ小説や映画を思い浮かべますが、では実際にどうかというと何だか分からない。スパイの始まりは1919年のロシア革命とほぼ同時に出来たコミンテルンで、世界同時共産革命を目指し世界各国(勿論日本にも)で様々な諜報活動を行っていた。米国はコミンテルンの暗号通信を解読した文書(ヴェロナ文書)を戦後50年を経て公開している。暗号は解読されていると気づかれると相手が暗号を変えてしまうので、将に極秘情報である。その後ロシアのKGB極秘文書管理責任者であったミトロヒンがコミンテルンの機密文書を書き写し、英国に亡命した際に持ち出した。これは「ミトロヒン文書」と呼ばれ日本に関する諜報活動の記録がある。私としては日本の誰がソ連のスパイであったかが本書の一番の興味である。

共産党というと何となく怖いが、その原因はひとえに共産党は人を殺す、という事だ。本書にはスターリンの言葉として「拷問はほどほどにして、殺せ」とか「疑わしきは殺せ」が引用されている。ソ連のスターリン、中国の毛沢東、カンボジアのポルポトが殺した人数は第一次、二次世界大戦の戦死者より多い。これらの共産党独裁者は敵を騙し、情報や物品を盗み、誘拐或は殺人するためにスパイを使う。ところが、敵を騙しているうちにクーデタ等が起きないか、二重スパイではないかとか猜疑心が高まり、結局身内を粛正してしまう。スターリンは海外に派遣したスパイを殺しすぎたため、要員が不足し、急遽新規スパイの教育、訓練を始めた事もあるそうだ。北朝鮮の金正恩もこのパターンで兄まで殺してしまった。

コミンテルンのスパイはまず敵(米国、英国)へ入り込み、飲食は言うまでもなく、飲ませる(酒、薬)、抱かせる、握らせる(金)等々の手を使って敵国中枢に入り込む。また、学生をリクルートし、洗脳してスパイにしてしまう。本書には、逐一引用はしないが、これらの手口、事例が多数紹介されており、結構簡単に政府中枢に入り込んでいる事に驚かさせる。日本には戦前ゾルゲ事件というスパイ事件があったが、戦後も多数入り込んでいる。日本人は元々危機意識が無く、スパイ防止法も無く、正しくスパイ天国である。

昭和57年米国に亡命したレフチェンコが米国下院情報特別委員会の秘密聴聞会で日本における工作活動を暴露した。彼は昭和50年から5年間ソ連のノーボエ・ブレーミャという雑誌の記者として東京に滞在し、5人の部下を従えて工作活動に従事した。Wikipediaによればレフチェンコが暴露した日本人スパイは;
   石田博英 元労働大臣
   勝間田清一 元社会党委員長
   伊藤茂、上田卓三 元社会党議員
   山根卓二 元産経新聞編集局次長
   瀬島龍三 元伊藤忠商事会長
   その他 計9名
彼等は一様に疑惑を否定し、レフチェンコの証言だけでは信憑性が薄いと反論している。警視庁は昭和58年二人の係官を米国に派遣し、レフチェンコから極秘に事情聴取を行ったが日本にはスパイ防止法が無い事もあり、結局刑事事件として立件できなかった。

ミトロヒン文書は工作員に指示し、その報告をまとめた極秘文書。一方レフチェンコ証言は実際に工作活動を行った当事者の証言である。著者はこの二つを突き合わせてみると附合する部分は多く、レフチェンコ証言を補強する資料であると述べている。しかしながら、新聞社、通信社に工作員が居たという証言があるため、マスコミはミトロヒン文書を完全に黙殺しており、警察も再捜査を行う意向はないようだ。

ワシリー・ミトロヒン(1922-2004)は元諜報員だったが、KGBの運営を批判したために、文書管理という閑職に追いやられたようだ。彼が極秘文書管理責任者であった時KGB第一総局の文書庫に所蔵されている大正14年から昭和55年頃までの膨大な機密文書を書き写しており、手書きで約10万ぺージあるらしい。彼は文書整理の間に閲覧した文書を書き写し、それを屑籠に放り込むが退館時に拾い出して靴や衣服の中に入れて持ち出し、自宅で清書するという生活を約12年間続けていた。もし、これが見つかれば自身は勿論の事、家族親類縁者迄、類が及ぶ事は承知の上でこのような危険な作業を続けた精神力は凄すぎる。「しかし、これだけの危険を冒しながら、ミトロヒンが得られるものは何も無いのです」。

ミトロヒンは共産主義体制の転覆を望んでいたわけではなく、幹部の腐敗や不公正な裁判を批判していたようだ。ところが昭和43年の「プラハの春」や昭和55年の「アフガニスタン侵攻」でソ連国民に決して知らされる事のなかった侵攻、虐殺に関する極秘文書を読んで憤り、平成4年ラトヴィアの首都リガにある米国大使館に文書の一部を持ち込んだ。しかし、当時の米大使館員はこの文書の重要性に気が付かず、追い返してしまった。次に英国大使館を訪れたところ、英国の秘密諜報部員に文書が価値が認められた。この後家族と膨大な文書を持って、英国に亡命した。

ソ連は工作員を派遣し西側諸国から盗んだ技術で武器の開発を進めたため、開発時間、費用ともかなり削減出来ている。また日本は英米の技術を盗む中間点のような位置であり、コミンテルンにしてみれば最も簡単に情報が入手できる天国だったようです。しかし、ソ連は盗んだ技術を武器開発には使ったが、それで商品を作って一般市場で売るという事はなかった。これをやっているのは中国。このため現在も中国の諜報員が日米西欧諸国で活発にスパイ活動を行ってる。トランプ大統領がファーウェイなど中国企業の排斥を叫ぶのはこのような事情を十分把握しているからです。

日本でもスパイ防止法制定の機運がでると必ず野党が大反対します。こんな法律が出来てしまうと中国、北朝鮮のスパイが日本で活動しにくくなります。このような状況が続くのはやはり戦後コミンテルンの思想が社会党を中心とする労働運動、日教組教育によって全国に蔓延したからでしょう。例えば坂本龍一や吉永小百合は共産党員でも共産主義者でもありません。しかし、彼らが信条から発した言葉がなぜかコミンテルンの主張に沿ったものになっているという怖さがあります。(こういう人を最近は”dupes”と呼ぶようです)。嘘のような話ですが、かつて菅直人首相は拉致犯として逮捕された在日朝鮮人の辛光洙(シンガンス)の減刑嘆願書に社民党の福島瑞穂などと共に署名しています。日本で最低の首相と言われる所以です。

本書は非常にシリアスで怖い内容でありながら、著者の若い女性らしい表現や語尾が散見され、思わず和まされます。残念なのはミトロヒン文書にもかなりの日本人の実名があるにもかかわらず、本書では石田博英以外は偽名(コードネーム)またはイニシャルで表示されています。監修者の江崎道朗は「なぜならば、ミトロヒン文書で名指しされた人が本当にソ連の工作員・協力員であったかどうかは確定しておらず、場合によってはソ連による対日攪乱工作の一環の可能性もあるからだ。」としている。しかし、確認できていないかもしれないが、ミトロヒン文書からの引用だと言えば済む話。実名を挙げれば当事者が騒ぎ出すので、却ってミトロヒン文書がもっと広く認知されたのではないだろうかと思います。