美術展の不都合な真実/古賀太著

読書のお時間

美術展というのは暇つぶしによし、デートによしで私も時々行きます。しかし、混んでます。切符を買うのに並んで、入場で並んで、やっと入ったと思ったら「立ち止まらないで下さい。」の掛け声。歩きながら泰西名画を見るのは日本人だけでしょう。しかし海外の美術館はすいてます。ルーブルでも「モナリザ」の微笑を除けばかなりゆっくりです。オルセーも然り。フィレンツェのウフィッツでボッティチェリの「ビーナスの誕生」と「プリマヴェーラ」は並んで展示されてますが、その前にも人はちょろちょろで余裕で写真撮れます。プラド美術館の「ラス・メニーナス」はその一点で一つの大きな部屋になってますが、ここも混雑はありませんでした。

「長年展覧会を運営した経験から言うと、日本の展覧会で1日3千人を超すと『混んでいる』という感じがする。5千人を超すと入場に数十分かかり『かなり見るのが大変』で1万人となると入場に1時間待ちで『押すな押すな』となる。」では、何故混むか。日本で混むのは「企画展」で、世界の大手美術館は「常設展」であることが大きな違いである。広さも違う。ルーブルは6.1万平米、大英博物館は5.7万平米。これに対し、上野の東京国立博物館が約2万平米。「いずれにせよ、日本の美術館の大半は総展示面積が千平米あれば大きい方なので、新聞社主催の展覧会をやれば混雑するのは当たり前なのだ。」日本では「美術館や博物館はその所蔵作品を見るものではなく、国内外からの作品を集めた企画展、つまり一過性のイベントを見る場所として一般的に認識されているということだ。」

企画展には一作家の作品を集めた個展とルーブル美術館展とか、最近のコートールド美術館展等の海外の美術館の作品を並べた美術館展とがあるが「この方式(美術館展)は平成になって、テレビ局が展覧会に参入するようになってから益々増えた。」「これは簡単に言うと、企画するのが容易だから。」最も簡単なのは、海外の美術館の大規模修理の時期をつかみ、閉館になったりお蔵入りになったりする時期に合わせて作品を借りればよい。大英博物館では800万点の作品が所蔵されているが、常時展示されているのはそのごく一部であるから、借用交渉は比較的容易である。「そして新聞社やテレビ局はだいたい1本の展覧会につき、1億円から3億円くらいまでの借用料を払う。受け取った海外の美術館はそのお金を大規模修理の費用に充てるわけだ。」しかし、貸出す方も目玉となる作品が不在だと入場者数、ひいては売上に響くので、一流の作品が来日する可能性は低い。個展の場合はどうか。これはかなり難しい。対象とする作家の作品が一つの美術家だけに所蔵されていることはありえないので「(前略)海外の何十か所の美術館との交渉が必要だが、日本にはそれをできる学芸員もマスコミの事業部員もまずいないからだ。」

「企画展のチケットを払うと、自動的に常設展も見る事が出来る仕組みになっていることはご存じだろう。チケットにもそう明記してある。」著者は「ご存じだろう」と言ってますが、知りませんでした。「(前略)当日券1,700円のうち、常設展の金額(国立西洋美術館や東京国立近代美術館は500円、東京国立博物館等620円)を請求する。」作品を海外から搬入すると、諸々の経費を合算すれば約5億円となる。チケットの実入りを千円とするとチケットは50万枚以上売らなければならない。よって主催者が大量動員を狙うには交通の便が良い、国立西洋美術館や国立新美術館で開催する事になる。しかし、国立の美術館は常設展の入場料を取りながら企画展の経費は一切払わない。パンフレット、解説書の類は勿論、もぎり、監視員、電気・水道、トイレットペーパーに至るまで全て主催者払いである。このため新聞社とTVが共催し大宣伝を掛けるが、このようにマスコミ共催で美術展を開催するのは日本だけらしい。「『新聞社が美術展を開催したらまともな美術記事は書けないでしょう』」と言われた事があるそうだ。「当然だが、海外の美術館には『主催』に当たる表記はない。その美術館以外の団体が『主催者』として展覧会の中心になる事は考えられないからだ。」

「では、日本美術が海外に出るときはどうか。その場合には日本の美術館・博物館が少しは借用料を取れると考えるのが普通だが、それはまずない。ないどころか、日本の側が国際間の輸送量さえ負担している場合が多い。」これらの主要企画には主催の一つに「国際交流基金」の名前がある。海外で日本美術展を開くと資金援助をしてくれる機関(独立行政法人)である。マスコミが企画展を開くと海外美術館に多額の借料が払われるし、日本の美術を海外に持ち出す場合は日本が金を出してくれる。海外の美術関係者から見れば金づるである。なぜこんな事になったのかは本書では詳述されていない。

著者は朝日新聞社で長年美術展覧会の開催、運営にかかわっておられたようで、業界の内情、過去の美術展の裏話等が豊富で面白い。通常我々観客とは直接接することのない学芸員、特に世界の美術業界で活動できる学芸員が非常に不足しており、その実情と必要性を熱く語っている。また著者はこれまで関わってきた全国の美術館の評価を述べています。珍しいと思ったのは平成19年にオープンした国立新美術館(六本木)で、常設展示を置かず、最近のマスコミ共催の企画展への展示場貸という形態になっている。著者が日本で最も良いと感じるのは竹橋の東京国立近代美術館だそうです。ここは近代美術が専門の美術館で、この辺りはさすがに元朝日新聞社員らしい選択だと思います。