女帝 小池百合子/石井妙子著

読書のお時間

これを買おうと思ってアマゾンを開いてみたが品切れ。ヨドバシも同じ。ネットで在庫を検索できる大手書店を見たがやはり、品切れ。しかし幸運なことに吉祥寺のジュンク堂にあり、やっと入手できた。

著者は「原節子の真実」で新潮ドキュメント賞を受賞するなど、これまでも女性の評伝を多く書いているノンフィクション作家である。これまで小池百合子に関する取材を進めるうちにカイロで彼女と同居していた人がいる事を知ったが、どうしても探し出せなかった。ところが小池百合子に関する記事を文芸春秋に書いた後に本人から連絡があった。ネットでその記事を読んだらしい。著者はカイロに飛びインタビューすると共に保存されていた日記、同居人の母に送った手紙等の資料を精査し、小池百合子がカイロ大学を首席で卒業したというのは真っ赤な嘘であると結論付けた。この件については作家黒木亮の詳細な現地調査報告もあり、こちらも卒業していないとしている。

小池百合子は私立甲南女子から関西学院大学に入学するが、その頃は学費を払える状態ではなかったようだ。父、勇二郎は所謂山師、詐欺師、政治ゴロといった人で丁度石油危機の頃、中東から原油を輸入するとして当時の政治家や中東関係者に取り入り、現地でも人脈らしきものを作った。エジプトでは日本の政治家と懇意であり、日本ではエジプトの高官との知己があると二重の嘘をつく。このためにかなりの金を使ったようだが成功するはずも無く、石油事業を諦めて兵庫県から衆院議員に立候補するが落選。政治家になれば金がいくらでも入ってくると思ったらしい。百合子自身が、時折自分は芦屋の裕福な家庭のお嬢様であった、と言うがこれも嘘である。関西学院を半年で中退し、1971年9月、父はエジプトでの縁を頼りに娘をカイロに送り込む。しかし仕送りは殆どできず、本人は現地のバイトで暮らしていたようだ。

同居人は単身カイロに来た19歳の小池百合子を援助する積りでルームメイトになることにし、適当なアパートを探すが、小池は中級程度の部屋では満足せず、高級住宅街にアパートを借りて同居を始めた。しかし、勉強せず、日本人商社マンを連れて来て大騒ぎ。カイロ大学にも行っても、なんの授業を受けているかも分からず、試験になってもカンニングすらできない状態であった。

私はこの本は学歴の嘘を暴くのが目的かと思っていた。確かに本書の前半四分の一はそうだが、それ以降は帰国後の足取りを追って如何に都知事迄に上り詰めたかが詳述されている。小池は1976年12月に帰国したが、既に実家は破産状態。小池は学生時代から英語が得意だったので、通訳になろうと東京へ出る。24歳。父が昔のコネで大協石油社長に百合子の就職を頼む。しかし、勇二郎の娘というだけで「社内は大反対だった」。結局、雄二郎が東京国際石油社長の親戚と言う事で断り切れず、嘱託として採用した。この頃から小池は年配に取り入る術に長けており、既に「ジジ殺し」と言われていた。

その頃借金取りに終われていた百合子の両親は浪速冷凍機工業(ナミレイ)の社長である朝堂院大覚にすがり、長男をカイロにあるナミレイの食品加工工場で働かせていた。両親も既に行き場を失っており社長の温情でカイロで和食店を夫婦でやることになった。勿論開業資金一切はナミレイが出している。しかし、1982年朝堂院が東京地検特捜部に逮捕されるという事件が起き、そのどさくさに紛れて雄二郎はカイロにあるナミレイの資産を掠め取った。

その頃、小池はマスコミ入りを狙っていた。ほどなく、若く、美人でカイロ大卒という謳い文句に朝日新聞が喰いついた。日本テレビの撮影クルーと偶然(?)カイロで出会い、リビアに行って日本人で初めてカダフィ大佐にインタビューしたという記事が朝日に載る。が真偽の程は不明である。この縁で小池は27歳の時に日本テレビの「ルック・ルックこんにちは」の中の「竹村健一の世相講談」というコーナーのアシスタントに起用された。これが小池が駆け上がる階段の第一歩だった。竹村健一からは、テレビは外見、笑顔、ファッションが大事で中身が無くてもそつなく受け答えさえできれば良いという事を学んだ。それから常に竹村に寄り添い、その笑顔とファッションで政財界の大物との知己を得る事になる。

小池は30歳になると、頷くだけのアシスタントではいずれ若い娘に勝てなくなると焦り始める。時代はバブルとなり、女性キャスターの時代となった。宮崎緑、野中ともよ、幸田シャーミン、櫻井よし子が登場する。局アナであった田丸美寿々、小宮悦子、安藤優子もインテリ司会者として売り出してきた。小池は幸運にもこの波に乗り1985年テレビ東京の「ワールド・ビジネスサテライト」に大抜擢された。ここでも「ジジ殺し」の手腕を発揮しテレビ東京の幹部から声を掛けられたようだ。私はその頃、仕事がらみで毎日その番組を見ていたが、小池は聡明なインテリ女性司会者に見えた事を覚えている。

数年後「現場のスタッフには、小池が『焦りと飽きを感じているのがわかった』」という。40歳になって、このままテレビ東京では全国区になれず、40過ぎれば使い捨てされるかもしれないという危機感だろう。舛添要一と付き合っていたのはこの頃だった。

1992年細川護熙が日本新党を結成した。好機と見た小池は細川にすり寄り、テレビ東京の反対を押し切って日本新党に入り立候補する。街頭演説には必ずミニスカートを穿いた。ミニスカートを穿いているだけでマスコミが寄ってくると言う事を良く分かっていた。私は1992年から96年まで日本に居なかったので、日本新党から自社さ、自自公というあたりの流れは良く分かっていなかったが、ここではその流れと、その中で小池の動きが簡潔に書かれていて分かりやすい。日本新党、新進党、自由党、保守党、自由民主党と5つの政党のジジを殺して渡り歩き「政界渡り鳥」と言われた。

2003年、遂に環境大臣となる。2004年 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。2007年には初の女性防衛大臣となる。翌年自民党総裁選に立候補するも落選。この頃から自民党内での小池の立場が無くなっていく。小池から迷惑や被害を受けた自民党議員が小池を無視し始めた。第二次安倍政権で行き場を失った小池は舛添要一が失職したのを見て2016年の都知事選に出馬する。自民党都連会長の石原伸晃は激しく反対したが、石原は翻弄される。小池の方が役者が一枚上だった。小池はエコ、グリーンを旗印に当選。その後の狼藉はご存知の通り。

これまで述べてきたように小池百合子はたびたび嘘を付く。これは多分父親譲りの性癖であろう。2016年の都知事選で対抗馬の鳥越俊太郎を街頭演説で「病み上がりの人」と言った。テレビ討論会で小池と顔を合わせた鳥越は「私のことを『病み上がりの人』と言いましたね。」と激しく迫った。しかし小池はしれっとして「いいえ、言ってません。」と答えた。テレビで放送されたのに、言ってない、と言い切る。これには鳥越が取り乱し、声が裏返ってしまった。彼女にとってみればこの程度は軽いところだろう。

また、小池は上には媚びへつらい、自分のポジションが上がった途端、自分より下は切捨て無視する。1995年に阪神淡路大震災が発生した後、ある地方議員は「小池さんが震災の支援活動に携わったと言っていることが信じられない。何もやらない、何もしてくれない国会議員だった。」と回想している。被災者は仮設住宅に入ったが環境は劣悪であった。「震災からだいぶ経っても、被災者の厳しい現状は変わらず、芦屋の女性たちが1996年、数人で議員会館に小池を訪ねたことがあった。窮状を必死に訴える彼女たちに対して、小池はマニキュアを塗りながら応じた。一度として顔を上げることがなかった。女性たちは、小池のこの態度に驚きながらも、何とか味方になってもらおうと言葉を重ねた。ところが、小池はすべての指にマニキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。『もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?私、選挙区変わったし』」

小池は議員になっても大臣になっても特にこれをやろうというような政策、意志は無い。唯々高みに上って睥睨したいというだけである。都知事になってからも迷走を続け、オリンピックの会場再選定、築地市場の移転、武漢ウイルス対策等、行き当たりばったりの発言を続けた。実績はクールビズと都の公用車をハイブリッド車にした程度であろうか。

最近エジプト大使館から小池百合子はカイロ大学を卒業している、という声明が発表されている。しかし、本書を読んだ人は嘘だと断ずる事ができる。日本は、これまで無償を含む1,800億円以上のODAをエジプトに供与してきた。世界に味方の少ない軍事国家であるエジプトにとって小池は守るべき強力なスポンサーである。

ネットによると現在この本は15万部以上売れているそうだ。何故、売れるのか?それは面白いからだと思う。著者の綿密な調査、裏どりが内容の正確性を高めており、それらを平易な読みやすい文章で綴られている。残念ながら次期都知事も小池百合子になるだろう。しかし、本書に描かれている彼女の本質を知れば「築地女将さん会」のように騙される人も減ると思われる。