不良役者/梅宮辰夫著

梅宮辰夫が亡くなったのは令和元年12月12日。この本は奥付に「2019年12月12日第一刷発行」とある。娘のアンナが12月12日以降最初にMXTVに出た時、この本は既に印刷済みで、父にサインをしてもらうため何冊か自宅に届けられていた、と語っていた。 自身の映画俳優人生と破天荒な交遊録を口述筆記したものであるが、不謹慎ながら間に合って良かった、という気がする。腰巻の裏表紙側には「俺が役者になった目的は次の4つ。いい女を抱くこと。いい酒を飲むこと。いい車に乗ること。きれいな海が見える一等地に家を構えること。」とある。最初の3つは当然とも思えるが、4つ目はやや意外で彼の家族に対するやさしさなんだろうと思う。

小学校4年で満州から引揚げ、水戸に定住。父は開業医で大学は医学部を受けるが失敗。やむなく日大法学部入学。昭和33年行きつけのゲイ寿司屋の勧めで受けた東映ニューフェイスに合格。当時の東映は京都撮影所での時代劇がメインで東京撮影所は添え物とも言われた現代劇。しかし大スターの多い時代劇俳優になろうという気はなく、ひたすら役者になった目的を追い求めて東京で現代劇を演じることにした。

そのころは毎晩銀座へ行く。当時、銀座には日活の石原裕次郎、小林旭、大映の勝新太郎、田宮二郎等の大スターが闊歩していた。しかし高倉健は酒を飲まず、鶴田浩二は倹約家とあって、東映のスターは余り出てこない。そこで、自分は東映の看板を背負って銀座のクラブに通った。勿論役者になった目的を達成するためだ。当時は今のように気の効いたホテルは無く、店がハネた後は女のアパートに行き、まず冷蔵庫の中を見る。新鮮な食品が揃い、飲物や調味料が整然と整理されていればよし、そうでなければ「評価の対象外」だった。

不良番長シリーズが当たり、仁義なき戦いの頃は一本当たり数百万のギャラを稼ぐ。当然のように銀座でモテまくり、複数の女性と付合うのは当り前。不良番長シリーズを撮っていた頃、新人女優の芸名を頼まれ、考えた末に当時一番気に入っていた銀座ホステスの源氏名を付けた。すると本人が何かお礼がしたいと言う。そこで一回寝たら数日後股間がやばい。その話を聞いた山城新伍が俺もやばいと言う。例の新人女優を抱いたらしい。「えっ?なんでおまえがヤッたんだよ」と問い詰めると、迫ってみたがラチがあかず「君の芸名は俺と辰ちゃんが一緒に考えたんだよ」という嘘でなんとかなったらしい。「もちろん俺も新伍も映画のゴッドファーザーのように、その新人女優の面倒を生涯にわたって見たわけじゃない(笑)」

昭和43年クラブ「姫」のホステスと結婚したが、半年で離婚。その後銀座の有名クラブに居たクラウディアを菅原文太から紹介され、美人で気立てもスタイルも良くすっかり気に入ってしまった。しかしホステスとは以前失敗していることもあり、母親は結婚に反対し絶対に見合いをさせると言う。仕方なく3年付き合ったクラウディアに見合いをすることになったので別れてくれと言うと「二号さんで良いから分かれないで。一週間に一度でもいい。会ってくれさえすれば良い。」彼女の言葉に胸を打たれ結婚したいと両親を説得するが猛反対。仕方なく家を出て彼女のアパートで同棲生活。この時アンナを身ごもる。これがスポーツ・ニッポンに素っ破抜かれ、昭和47年結婚した。

梅宮は何度もガンに犯されており、その都度克服してきた。そのためか、結婚すると夜の遊びはプッツリと止め撮影が終わると真っすぐ帰宅する毎日を送っていた。妻と娘との時間を大切にしたかったのだろう。「前略おふくろ様」の撮影の頃、銀座の京料理の板長から板前の手捌きを習うにつれて料理に興味が湧き、晩年は毎日5時半に起きてアンナの弁当を作っていた。

昭和の時代の映画スターの破天荒な暮らしぶり、エピソード満載で面白い。本人以外にも勝新太郎、若山富三郎、高倉健、山城新伍、松方弘樹、菅原文太等々の横顔が見える。特に高倉健の包茎話は初出であろう。 そんな映画スターが輝いていた時代の真っ只中で思い切り演じ、遊んだ梅宮は役者になる目的を全て実現したように思われる。しかし、アンナについてだけは自分の躾云々と悔恨の気持ちが見れとれた。

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