俺たちの時代/西城秀樹

西城秀樹が亡くなってはや一年。もう喪が明けたという前提で秀樹のトホホな歌を探してみた。かつて山口百恵が京浜急行の横須賀から品川までの快速停車駅をひたすら歌う「I CAME FROM 横須賀」を本ブログ認定トホホ曲に選定したことがあります。この調子で秀樹にも何かある筈だと探しましたが、無い。その調査の過程でみうらじゅんがこの歌について「ヒデキのモッコリ」と述べているのを見つけました。確かにジャケ写を見るとモッコリのようにも見えるが、位置関係が少々違う様な気もする。歌は秀樹らしい能天気な内容で加も不可もないという感じですが、ジャケ写にトホホ感があるため、これを選んでみました。しかし、剥き出しの両足はとても綺麗です。

股間の表現、処理については古今東西、多くの人がひどく悩み、多くの人が全く悩でいません。この問題について日本人の研究書があります。木下直之著「股間若衆」と「新股間若衆」。著者によれば書名は「古今和歌集」のもじりだそうですが、股間は若衆だけのものでは無いので、余り良い題名とは思えません。本書の副題に「男の裸は芸術か」とありますが、女の裸が芸術であって男の裸が芸術でないとすれば、これはひどい差別であります。

股間の問題で一番頭を悩ませるのは彫刻家でしょう。例えばミケランジェロのダビデ像のような作品を作る場合、まずはモデルを誰にするかから始まって、どこまで忠実に再現するか、頭を悩ませます。これについてかつて著者が「タモリ倶楽部」に出演して、実際に日本の色々な作品を見ながら解説されました。忠実に再現されたものもありましたが、それはTVには映せないという事で胡麻化した例が紹介されました。誤魔化すために無かった事にする、或はその辺りを盛り上げてしまうという情けない形になっていました。隠すのであれば褌とかパンツを穿かせれば良いような気がしますが、芸術家魂としてそれは出来なかったのでしょう。

ギリシャ、ローマの時代は殆ど隠していないようです。ローマには股間に葉を被せた彫像が多くありますが、これらは後年原作に加えたようです。ローマのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロ作の「最後の審判」は後年原作の股間に絵の具を塗って隠しましたが、前回の大修復の際に書き加えられた絵の具の除去作業を行うことになりました。ところが、作業途上で、蛇がチンチンに噛みついている場面が現れ、これを見て除去作業を中止したそうです。よって現在、絵の具で隠れているのといないのが混在しています。古代には自由で逢ったものが隠されるようになったのはキリスト教の影響でしょう。諸悪の根源はキリスト教であると私は思っています。

ところで、私はこの本を未だ読んでいません。このブログで読んでいない本を取り上げるのは初めてです。読みましたら感想を述べさせて頂きます。

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