文学はおいしい。/小山鉄郎著、ハルノ宵子画

時事通信の記者である小山氏が100の文学作品に登場する100種類の食べ物を引用、紹介し、それに伴う蘊蓄が披露されている。カツ丼、ラーメン、餃子、ウドン、お好み焼き、焼き鳥等々何でもあり。ハルノ宵子氏は吉本隆明の長女、吉本ばななの姉である。彼女は各食物の水彩画を描いている。食べ物の絵というのも難しいもので、見て如何にも旨そう、食べたい、と思うものもあれば、これ本当にそう?と言いたくなる画もある。

仮名垣魯文「安愚楽鍋」に登場する牛鍋の項では、肉食の歴史を開陳している。天武四年(675)天武天皇が肉食禁止令を発布。その後、約1,200年間日本人は肉を食べなかった(事になっている)。しかし、明治政府は富国強兵の一環として肉食による体位向上を目指し明治四年末に禁を解いた。その後日清、日露戦争の兵士に牛肉の缶詰(大和煮らしい)を大量に送ったため、東京では牛肉不足となり、豚肉を多く食するようになったそうだ。関西で肉じゃが、というと牛肉であるが、関東では豚肉になるのは、この影響かも知れない。

「ドナルド・キーン自伝」では三島由紀夫と伊勢海老を食べた件がある。昭和45年8月、毎年三島が家族と過ごす下田で料理屋に注文した5人前の伊勢海老を英国人ジャーナリストを含む3人で平らげ、さらに二人前を追加注文したという。晩餐はかなり盛り上がったのであろう。しかし、何かおかしいと感じたドナルド・キーンは翌日「何か悩んでいることがあるんだったら、話してくれませんか」と尋ねたが、三島は何も言わなかったという。三島はキーンに「豊穣の海」最終章を読んでくれと頼んだが、キーンは前章を読んでいないので、と断った。最後の作品を書き上げた三島は「あと残っているのは死ぬことだけだ」と話していたという。11月25日の割腹自殺の朝に原稿が編集者に渡されたが、実際にはその年8月には既に完成していた事になる。

この本に「全日本冷やし中華愛好会」人呼んで「全冷中」が出てきたのには少々驚いた。山下洋輔が「我々は何故我が国の冬季においては、かの冷やし中華を賞味できないのであるか?」と発したのが「全冷中」の始まりである。尚、本書では山下洋輔著「へらさけ犯科帳」が初出であるとしているがこれは誤り。全冷中には筒井康隆、奥成達、平岡正明、赤塚不二雄、タモリ、等の精鋭が結集し冷やし中華バビロニア起源説、具材の研究、特にナルトの渦巻きが冷やし中華と宇宙を結びつける云々意味不明の学説が多数発表された。昭和52年4月1日(エイプリルフール)に有楽町よみうりホールで「第一回冷やし中華祭り」が開催された。私は友人のT氏と共に新宿から歩いてこの祭りに参戦したことを思い出す。尚、この祭りについてはヒゲタ醤油勤務で山下洋輔の兄である山下啓義氏による詳細なレポートがあります。御用とお急ぎでない方はご覧になって下さい。あの時代のバカバカしさ、元気さがしっかり伝わってきます。

沢山の作家の食に関わる部分を抽出し、注釈と蘊蓄を加えた中々楽しい読み物でした。私が何度か読んだ志賀直哉の「小僧の神様」が取り上げられていたのは嬉しかったのですが、北大路魯山人、内田百閒或いは「食道楽」の村井弦斎が無かったのは少々残念でした。

阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし/阿佐ヶ谷姉妹著

今年のM1決勝戦はジャルジャルが印象に残ってます。国名を分割するという遊びで、例えば一方が「イン」と言えば相方がすかさず「ドネシア」と言う。「アル」と言えば「ゼンチン」と返す。たったこれだけの事なんですが、それを早くしつこくやるので、嵌りました。最近、こういう意味ない遊びは意外にありそうで無く、昔のタモリや山下洋輔らがやっていた「ソバヤ」のようなバカバカしさです。

M1のように腹を抱えて爆笑という笑いは嫌いではないんですが、最近は少々疲れます。理想は顔の半分で、ハハハと軽く半笑い、くらいが丁度良い感じになってきました。阿佐ヶ谷姉妹を見た事のある方はお分かりかと思いますが、彼女たちは私好みの半笑いを提供してくれます。

姉のエリコ(背の高い方)と妹のミホと言ってますが、実の姉妹ではありません。当初ご両人とも東京乾電池に在籍しており、その後コンビを組んで独立。この二人が阿佐ヶ谷の六畳一間のアパートに同居していた事から阿佐ヶ谷姉妹を名乗るようになったようです。昨年夏、なんとその六畳間にタモリ以下が乗り込み、タモリ倶楽部、阿佐ヶ谷姉妹編が放映されました。仲の良いご両人ですが、二人の六畳一間暮らしには、布団をどう敷くか、台所の整理整頓とか、色々と問題あるようです。また、ご近所付き合い、お互いに違うスーパーの好み等々が綴られています。また、二人の短編小説(妄想?)もあり、と色とりどりです。

この二人が遂に別居する事になりました。ミホさんが新しい布団(セミダブル)を買ってきたのでエリコさんが寝るスペース(陣地)が狭くなり、二人の間にあるコタツの足がエリコさんの布団に食い込んで、ますます寝床が狭くなったようです。新居は勿論阿佐ヶ谷で2DKか2LDKを探し歩いたんですが、良い物件が無い。しかし、隣の学生が引っ越したので、その部屋を借りてめでたく別居できました。

こんな調子で題名とおり、のほほんとした日常が綴られています。TVで言うと少々古いですが、室井滋、もたいまさこ、小林聡美が出ていた「やっぱり猫が好き」のようなテイストです。自分にとっては丁度良い箸休めでした。

日本国紀/百田尚樹著

平成30年、出版界最大の事件がこれだ。百田尚樹氏の「日本国紀」は当初11月15日発売予定で10月15日にアマゾンや楽天で予約受付を開始した。すると予約が殺到し、翌16日にはアマゾンで書籍全ジャンル(本)でベストセラー第1位となり、その後、18日間連続1位を維持した。版元の幻冬舎は初版10万部という強気の販売目標であったが予約受付中に増刷を数度行い、発売日を幻冬舎創立記念日である11月12日に前倒して、なんと初版40万部の発売となった。尚、翌13日は更に5万部増刷が決定した。

予約の段階では目次を見たり、中をパラパラめくって見たり出来ない。これといった宣伝もしていない。要するにどんなものかも分からないまま増刷を重ね40万部が売れた事になる。これは昨年の村上春樹著「騎士団長殺し」に次ぐ記録となる。この売れ行き(予約)に気を良くした幻冬舎は11月に入って主要全国紙に全面広告を掲載した。私が知る限り、1書籍の全国紙全面広告は宮沢りえの「サンタ・フェ」以来であろう。「サンタ・フェ」は毛が見える写真が2、3枚ある、という事で話題になり150万部以上売れた。本書は勿論そこまでは無理と思うが、その半分くらいはいくんぢゃないだろうか。

「日本国紀」とは大仰な書名であるが、要は日本通史である。百田氏はこれを1年かけて書き上げた。世の中にまともな日本史がない。他の多くが自虐史観に染まり、日本人の素晴らしさを表現できていない。そうならば自分で書こうと一念発起した。他の日本史と違うのは第7章「幕末~明治維新」から「平成」までが全体の約半分を占めている。特に明治維新から戦後復興までの一連の流れが分かりやすい。日本史を高校時代全部やった人でも明治以降は入試に出ないとか言って勉強しなかった人が多い。私は映画、TV、歴史小説などによる断片的知識しかなかったが本書のお陰でそれらが繋がったような気がする。

私が高校生の時も現在に於いても日本史は必修科目になっていない。およそ先進国で自国の歴史が必修科目でない国はない。その原因は本書にも出てくるGHQのWGIP (War Guilt Information Program)である。WGIPはGHQが日本人に贖罪意識を植付け、日本国の伝統を分断する事を目的とした洗脳教育、情報操作である。このため、日本の歴史を教える事も憚られる事となり、それが70年以上たった今でも受け継がれている。WGIPのくびきから脱する試みもあるが、昨今の歴史教科書を見ると更に悪化しているように思われる。例えば元号を全く使わない日本史教科書があり、元寇の「文永の役」、「弘安の役」は無く、西暦だけで記述されている等々。

本書がベストセラーになったのは百田氏が人気作家という事もあるが、やはり、昨今の歴史教育、思想に嫌気がさして、こういう日本史を求める人が増えている証左であろう。約500頁あるが、1,800円(税抜)なのでそれほどお高くない。一読をお勧めする。

トラウマ恋愛映画入門/町山智浩著

著者は雑誌編集者を経て現在米国加州在住の映画評論家である。本書は恋愛映画評論集であるが、好きあった者どうしが周囲の反対にもめげず、ついにゴールインできた、というようなハッピー・エンドな映画では面白くない(から取り上げない)。もう少し深い、幸福と不幸が入り混じり見た後、尾を引くようなトラウマ的恋愛映画集である。

まず「恋愛オンチのために」と題した前書きで著者は恋愛映画を以下のように喝破している。

「実際、大部分の人にとって、本当に深い恋愛経験は人生に二、三回だろう。確かに何十もの恋愛経験を重ねる人もいるが、その場合、その人の人生も、相手の人生も傷つけずにはいない。そもそも、恋愛において、そんなに数をこなすのは何も学んでいない証拠だ。トルストイもこう言っている。
『多くの女性を愛した人間よりも、たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、はるかに深く女性というものを知っている。』
恋愛経験はなるべく少ない方がいい。でも、練習できないなんて厳しすぎる?だから人は小説を読み、映画を観る。予行演習として。」

予行演習として恋愛映画を観ると言っているが100%首肯はできない。しかし主人公のスタイルや仕草に憧れ真似することはある。あながち外れているとも言えないようだ。

本書では以下の22本が選ばれている。
(制作年順に並び変えた。下線は見た映画)

 1.『逢びき』1945
 2.『道』1954
 3.『めまい』1958
 4.『幸福(しあわせ)』1965
 5.『アルフィー』1966
 6.『ラストタンゴ・イン・パリ』1972
 7.『赤い影』1973
 8.『愛のコリーダ』1976
 9.『アニー・ホール』1977
10.『パッション・ダモーレ』1980
11.『ジェラシー』1980
12.『隣の女』1981
13.『日の名残り』1993
14.『永遠の愛に生きて』1993
15.『チェイシング・エイミー』1997
16.『ことの終わり』1999
17.『アイズ ワイド シャット』1999
18.『エターナル・サンシャイン』2004
19.『アウエイ・フロム・ハー 君を想う』2006
20.『リトル・チルドレン』2006
21.『ラスト、コーション』2007
22.『ブルーバレンタイン』2010

ウディ・アレンの「アニー・ホール」は最も好きな映画の一つで何度も観た。全て分かった気でいた。しかし
「ただし、アレンが住むのはセントラル・パークの東だ。パークの東側は保守的でリッチ。西側は中産階級のリベラルが多い。」
こういうディテールやユダヤ人に関連する部分は聴いてみないと分からない。アレン自身がリベラルと言いながら東側に住んでいるという所が面白いのだろう。「アイズ・ワイド・シャット」のトム・クルーズとニコール・キッドマンご夫妻は確かに西側に住んでいた。

試しにケイト・ウィンスレット主演の「リトル・チルドレン」を見直してから解説を読んでみた。ストーリーの展開に沿って二組の夫婦の動き、ディテールが解説され、ついには不倫になってしまう2人の感情の動きが良く分かる。また原作の背景や関連する作品の説明も織り込まれており、ちゃんとした評論を読んだという気にさせられた。

最近の映画解説は面白くない。例えば最近話題になった「カメラを止めるな」を水道橋博士が説明したが
「ゾンビ映画を撮っていて、色々あってすごいどんでん返し、ネタバレになっちゃうので、これ以上言えない。とにかく、面白いから見てください。」
ネタバレで突っ込まれるのを恐れるあまり、何も伝わらない。てゆうか、ネタバレを理由にテキトーにお茶を濁しているとしか思えない。

著者は俳優、監督、原作、脚本は勿論のことそれらに関わる背景についても豊富な知識がある。「まぁ~皆さん、ご覧になりましたか、コワイデスネ、コワイデスネ」が懐かしい淀川長治の解説も楽しかったが、こちらはヨドチョーさんとは全く違う読み物になっている。深読みが過ぎるんぢゃないの、と思う部分もあるが、彼の解説を読むと未見の映画も見たくなってくる。著者は最近、政治的発言をSNSに頻繁に挙げているが、これらは非常に浅薄で見るべきものはない。是非映画一本に絞ってもらいたいものだ。

タブレット純のエレジー・エナジー歌謡曲/タブレット純著

タブレット純氏は1974年生まれでありながら、1950, 60, 70年代の歌謡曲のレコード収集と博識には目を見張るものがあります。小学6年生の時にムード歌謡に目覚め、初めて買ったレコードが鶴岡正義と東京ロマンチカの「しのび逢う町」だったそうです。高校を卒業して古本屋勤めの後、憧れの和田弘とマヒナスターズに入団。しかし和田弘の急逝により解散。その後はギターを持ってピン芸人として活躍しています。

この本はタブレット純の二冊目です。一冊目は自分の番組(「タブレット純の音楽の黄金時代」ラジオ日本 土曜日 17:55~)でかけた曲の紹介でした。今回も彼の好きな歌が並んでいますが、多少趣が違います。章立てを見ると;

第1章 人生がどん底の時に聴く
第2章 誰にも明かせない苦しみとともに聴く
第3章 挑戦してもうまくいかないときに聴く
第4章 恋の切なさ、むなしさを感じたときに聴く
第5章 明日に向かって歩き出すときに聴く

各章に合わせて自身が選曲し解説しています。しかし評論家的でなく、それぞれの歌に込める自身の思いが切々と綴られています。言い換えると歌を題材にして自分を見つめなおした私小説と言えそうです。

勉強はダメ、運動神経ゼロ。得意技は忘れ物。当然いぢめられっ子。ラジオから流れる歌に涙し、暗い歌ばかり聞いている。そんな自分が恥ずかしく、家に誰も居ないときに屋根裏部屋でレコードを密かに聴きながら再び涙ぐんでいた少年時代。

そんな彼にも青春はありました。初めて告白した相手が男子。全く相手にされません。女子に恋したこともあります。しかし8年間付き合った彼女はある日突然いなくなってしまったそうです。歌手になってからは記憶を飛ばすまで飲まないと眠れない。その酒を抜くためか、各地の銭湯めぐりが彼を落ち着かせる唯一の時間のようです。

私は歌を聴くときに、メロディとアレンジに注目(注耳?)してしまい、歌詞は余り入っていませんでした。タブレット純はその逆で暗い歌の歌詞に自身を投影し、或いは入り込み、涙ぐむという聞き方でこの物語が生まれました。これから私も少し真似してみようかと思ってます。

彼のラジオは毎週録音して聞いています。結構マニアックで知らない歌も流れてきますが、彼の選曲と語りがやさしく、今風に言うと癒されます。下にリンクしたのは10月12日放送分です。この本が出たばかりなので嬉しそうに宣伝しています。

タブレット純の音楽の黄金時代 10/12
しのび逢う町(B面)/鶴岡正義と東京ロマンチカ

When 完璧なタイミングを科学する/ダニエル・ピンク著 勝間和代訳

「いつやるの、今でしょ」、「善は急げ」また千葉県松戸市には「すぐやる課」があったり、我々はこれまで早い事が良い事だと教えられてきた。しかし何事にも「坂本九とパラダイスキング」が歌うように「ステキなタイミング」があるようだ。これまでHow to(どうやるか)を説く書籍は多かったが、本書はWhen to(いつやるか)について膨大な統計データを詳細に分析し、ある種の結論を出している。

米国の研究者による調査では「ポジティブな気分は午前中に高まり、午後に落ち込み、夕方に再び高まる。」他の研究者グループの他の手法による調査でもほぼ同じ結果が得られている。これは人間の体内時計によるものと思われ、性別、国籍、人種に関わらず、ほぼ同じである。

図1 ピーク・谷・回復パターン

このグラフから;
●投資家やアナリスト向けの収支報告は午前中が良い。彼らが寛容になりやすいので、些細な事に突っ込まれる危険性も少なく、高評価が得られる可能性が高い。よって株価も上向く。どうしても午前中が無理なら夕方~夜が良いだろう。
●医療に避けられない誤診、誤施術は午後が多い。米国の麻酔医の誤施術の確率は午前中は1%であるが午後は4%で4倍になっている。訳者の勝間和代氏は「午後に病院と美容院には行かない。」と述べている。
●高校授業の時間割で数学を午前中に集中させたところ成績が向上した。

では、午後はどうすれば良いか?本書では「『論理的』判断はランチタイムまでに」、「集中力の落ちる午後は『ひらめき』の時間」としている。午前は数学のような論理力、午後はトンチクイズを解くような洞察力、ひらめき力が発揮される。

図1のパターンは誰でも共通であるがクロノタイプ(概日リズム)は人の睡眠により異なる。ここでは睡眠時間でなく睡眠の中間時間で分類している。例えば23時に寝て7時に起きる人も1時に寝て5時に起きる人も中間時間は3時である。この中間時間と図1のパターンを勘案すると効率の良い一日の行動パターンが現れる。

図2 ヒバリ型・第3の鳥型・フクロウ型

●ヒバリ型
分析的な作業、意思決定は午前中に行う。新しいアイデア生み出すのは夕方から夜が良い。
●第3の鳥型
ヒバリ型とほぼ同じ。人に感銘を与えるのは午前中が良い。
●フクロウ型
無理な早起きはやめる。午前中は洞察的な作業を行い、アイデアが閃くのを待つ。分析的作業、意思決定は夕方から夜が良い。

プロジェクトチームやスポーツ競技では始まりと終わりが重要視されるが、中間点も重要な意味を持つ。これまで進化論では何千年単位の時間の中で徐々に進化が進行していくものと思われていた。しかし最近の研究によると進化はその期間の中間点あたりで、突如大きく変化する傾向がある事が判明した。これは精鋭を集めたプロジェクトチームでも、納期の半分あたりまではさしたる成果が出ない。「中だるみ」である。ところが中間点でもう時間が半分しかないと気づくと切迫感が生まれ、達成目標と工程を精査し一気に突き進む。著者はこれを「おっと大変だ(もう時間がない)効果」と呼んでいる。MBAの学生をグループに分け、1時間でラジオCMを作るという課題を出したところ、どのグループも28~31分経過時点で「おっと大変だ効果」が発揮され、もっとも顕著な進展が見られたという。

人の幸福は50代で最低になるという調査結果もこの「中だるみ」と言える。この「中だるみ」を回避するためには
(1)中間目標を設定する。
(2)中間目標を公表する。
(3)中途半場なところで止める。
私はかつて(3)を実践したことがある。すなはち切りのいいところまでやらず、途中で放り出すように止めて(飲みに行って)しまうのである。ロシアの心理学者ツァイガルニクによれば「人は完了した課題より未完の課題をよく覚えている。」そうで、確かに放り出した仕事を再開したとき、割と簡単に過去の思考の延長線上に戻れた気がした。

本書はこれ以外にも、種々のタイミングに論及している。例えば初めてマラソンに出る人は29、39、49、59歳が多い。各年代の終わりにこれまでの反省と新しい世代へのチャレンジ意欲が急に出てくるそうだ。また、休憩の効用を統計的に立証している。イスラエルでは判事が受刑者との面接で仮釈放を決める。仮釈放が認められる確率は図1のバターンにほぼ同じで午後になるとかなり下がる。しかし午後に十分な休憩をとった後はその確率がかなり上がる事が分かった。このように様々なタイミングが統計的事実から説き起こされているため非常に興味深く、面白い一冊であった。

もう言っとかないと/中村メイ子著(聞き手:古館伊知郎)

中村メイコは時々ラジオで声を聴きますが、活舌も良く、最近の話題にもちゃんと付いてきているところが、とても84歳とは思えません。天才子役と言われた小学生の頃、戦地で慰問をしていたので初めて乗った飛行機が戦闘機なんだそうです。しかし、軍用機に乗っている間は基本目隠しで、自分がどこへ行くのか、どこへ行ったのかも分からないまま歌い、特攻隊員達は泣きなら聞いていたと語っています。終戦になると今度は進駐軍の慰問で引っ張り出され、心中複雑なものがあったようです。こんな慰問ばかりの生活でまともに小学校も出ていないので一年が365日という事を始めて知ったのは美空ひばりと友人になった17、8際頃だそうです。

戦後、雑誌社でアルバイトしていた時(16歳)編集長の吉行淳之介に一目惚れでした。初めてのデートが向島の情緒ある料亭。お洒落して出かけるといきなり「そのさらし鯨みたいな首飾りをとって取ってくれないか」と言う。母にねだって買ってもらった高価な首飾りだったので憤慨し「どうしてですか?」と聞くと「首筋のホクロが見えない」と答えたそうです。結局とらなかったんですが、後に「断られてよかったよ、あのとき、素直に外してくれたら…。男が首筋のホクロを見たいと言うのは、そのホクロに口づけしたいとか、そのホクロの上までいって接吻したいという意味だからね。君は全然、それに気が付かなかった。」と語ったそうです。勿論その場でその意味に気づくはずもなく「なんだか惜しい事をしたという気がずっとしています。」

吉行淳之介は10歳下の中村メイコを気に入っていたようで「水の畔り」という作品は彼女がモデルになっています。また料亭のくだりは「男と女の子」という長編に描かれているそうです。しかし、いくら下心ありといえども、いきなりネックレスを外せとはなかなか言えないセリフです。さすがは吉行先生でした

三島由紀夫から美空ひばりを見たいと頼まれて、美空ひばり公演の打上に連れて行った事があるそうです。彼女が一人ずつ挨拶に回っていた時一番下座に座っていた三島由紀夫が「小説を書いております、三島由紀夫と申します。よろしくどうぞ。」と挨拶すると美空ひばりは「小説書いてんの?あ、そう。メイコ、川口(松太郎)のパパとどっちが上?」中村メイコが答えに窮していると、三島由紀夫はすかさず「もちろん、川口先生は大先輩でございます。」と返答したそうです。三島由紀夫とは銀座のクラブでしょっちゅう顔を合わせており、死ぬ三日前には山口洋子の店「姫」で出会っています。その時はてっきり「豊饒の海」が完結したのかと思ったが、後に神津善行から実際には当日の朝、編集者に原稿を渡した、と知らされたそうです。三日前には彼女に大作が完成したと思わせる位、楽しく飲んでいたという事になります。

「上を向いて歩こう」の歌詞は中村メイコに振られた永六輔が大泣きしたから出来たというエピソードは有名ですが、その他にも色んな人の話が詰まっています。古館伊知郎は聞き役に徹しており、彼らしくなく、余計な口を挟さんでいないところに好感がもてます。もっとも編集者は大変だったでしょうが。

彼女は「私にはこれといった代表作がないの」と嘆いていますが、古舘伊知郎は「そんなことはないんです。たとえばラジオドラマは黒柳徹子さんが嫉妬したと伝え聞くほど出色、残っている音源を聴くと見事なばかりです。それより何より…日本を代表する理想の家族”神津ファミリー”を演じた。このことこそメイコさんの代表作とは言えないか?」と答えています。メイコさんは今でも時々大好きな銀座で飲んでいるようです。出来ることなら飲みながら昔話の続きを聞かせてもらいたいものです。


中国五千年の虚言史/石平著

今から30年ほど前、初めて北京、上海に出張した。着いてすぐ、出張者の中に部長クラスがいたからか、先方の電話会社から歓待を受けた。昼飯というのにビールは勿論、白酒(パイチュウ)もありで、かなり酔った。午後会議が始まったが、激しい睡魔が襲ってくる。夜は本格的な宴会で、勿論白酒一気飲み。中国では一気以外の飲み方は無いのだ。

観光もあった。先方から北京の衛星通信地球局を見学するか、と聞かれ、そんなこ汚いもん見てもしょうがないと思い、万里の長城へ行きたいと言った。すると長城入口の八達嶺まで、クラクション鳴らしまくるパトカー先導で道のど真ん中を信号無視で突っ走った。これは初めての経験であり気分が良いが勘違いしそうである。話はそれるが、後年カンボジアのプノンペンに出張し、仕事が終わり帰国するため空港まで行く際に先方からパトカー先導で行くか、と言われたがさすがに断った。後で、これをやるとかなりの料金を取られると聞いて安堵した覚えがある。

話は戻って、会議の中で議事録、契約書はどうするか、という話が出た。曰く我々は英語も日本語も分からないので、中国語で書いて欲しいがそれでは日本人が困るだろう。よって、英語と中国語の二本立てにしようと提案された。更に、ここは中国だから中国語版を正本にしようと言う。我々は何も考えす承諾した。

出張から無事帰国し、仕事は進んだが、途中で少々面倒なトラブルがあった。契約書には、この場合は中国側の責任で対処するとある。その旨を伝えると、違うと言う。正本にはそうは書いてない、日本側で対処せよ。要するに中国語版と英語版の中身が違うのである。騙された。双方をきちんと確認しなかった我々の失敗であるが、中国人にしてみれば、飲まして食わして観光もありの手練手管で、初心者の日本人を騙すなんて、いとも簡単な事だったんだろう。

著者の石平氏は、中国共産党、特に文化大革命(1966~1976年)に幻滅し、日本に帰化した。この本には中国人が如何に嘘をつくか、という過去の実例が色々と出てくる。世界史の授業で聞いたことのあるようなトピックスもある。日本人は嘘をつくのはイケナイ事だと思っているが、中国人は(韓国人も)嘘をついて、自分が有利になるのなら、ドンドン嘘をつくべきだと思っている。要するに嘘を着くのが中国人の文化の一つなのだ。こんな人たちに勝てる訳ない。だから中国人と付き合わずにすむならそれが一番。自分はもう二度と中国と韓国には行かない事にしています。

話は再び変わるが、TVで著者の石平氏と残留孤児二世で日本に帰化し、現在産経新聞記者の矢板明夫氏が公開処刑の話をしていた。毛沢東の時代には国慶節の前日に死刑囚を市中引き回し、公開処刑していた。皆がこれを見に行く。要するに庶民の娯楽である。主催者側は公開処刑を盛り上げるために30人位やりたいが、囚人だけでは足りない場合は数合わせをする。そこらに居る人を難癖付けて逮捕し、処刑する。文化大革命以降はこの風習は無くなったが、習近平時代になって復活したという噂もあるようだ。

不倫/中野信子著

本書は「まえがき」によると「本書は不倫、そして結婚という人間同士の結びつきにまつわる謎を最新科学の目で解き明かしていきます。」とあります。まず結婚を論じ、それから不倫の問題と進むのが順序のような気もしますが、、、

この問題については「セックスと恋愛の経済学」(2018.6.19)での議論を紹介しましたが、著者がカナダ人なので日本人のデータがありませんでした。本書には日本での調査結果が色々と紹介されています。細かい数字は省きますが、日本人の不倫率は諸外国に比べかなり高いようです。また2011年と2000年の調査を比較すると不倫率はかなり増加しています。これらを総合すると「若者の草食化が指摘される一方で、既婚の中高年では異性との関係が積極的になっているようです。」

不倫とは一夫一妻制に反する、という事ですが明治以前は一夫一婦制という概念は明確ではなかったようです。明治に法律という形になった後でも妾を複数囲う人は多くありました。しかし、昨今の様に不倫がバレただけで物凄いバッシングを受けるという事は無かった筈です。では酷いバッシングを受けることが分っている現代でもなぜ不倫は無くならないのか?最新の研究により「ある特定の遺伝子の特殊な変異体を持つ人はそれを持たない人に比べて、不倫率や離婚率、未婚率が高い事が分っています。」これを持つ人を不倫型、持たない人を貞淑型とするとその比は概ね5:5だそうです。よって不倫は罪悪だと決めつけるのは「先天的に色素の薄い人に向かって『お前の髪が茶色なのはケシカラン!黒に染めろ』と強制するようなもので、場合によっては差別や優勢思想につながりかねません。」という事で、ここで結論が出てしまったような気がしました。

次に私は初めて聞いた「恋愛体質」という概念が説明されています。「ある人間の不倫のしやすさに影響を与える要因のひとつに『愛着スタイル』と呼ばれる資質があります。」このスタイルは「安定型」、「回避型」、「不安型」に分類されます。愛着スタイルは不倫遺伝子と違い後天的なもので、特に母子間のふれあいが重要な決定因子であることが様々な研究成果から詳しく説明されています。自分及び他人が何型かを考えてみるのも面白そうです。

不倫をする側でなく、バッシングする側の分析もあります。基本的にはひがみ、嫉みでしょうが、最近の週刊誌を賑わした不倫騒動を例にとり、不倫に対する心理が分かりやすく解説されています。

最後に面白いと思ったのは現代では恋愛が夢であり、恋愛→結婚→生殖という流れが至上のように思われていますが、この概念が定着したのはルネッサンス以降で、これもキリスト教の影響です。ギリシャ・ローマ時代にも勿論恋愛はありましたが、当時BLが差別も非難される事もなかったのはBLが生殖に結びつかない愛であって、これが最も純粋な愛と見做されていたからだそうです。これは腑に落ちる説明で、今後ギリシャ神話に材をとった絵を見る目が変わってくるような気がします。

本書の宣伝文句に「美人すぎる脳科学者による刺激的すぎる一冊!」というのがありました。ご本人は「私はそんなんぢゃ、ないわよ」と謙遜されるんでしょうが、腰巻の写真はヘアメイクもばっちり決まり、かなり「美人過ぎる脳科学者」を演出できています。このような写真を撮られた時のご自身の脳の働きを是非解説してもらいたものです。

 

はるか/宿野かほる著

宿野かほる氏は「ルビンの壺が割れた」がデビュー作だが、その人となりは公表されず、いわば覆面作家である。今時、こんな売方をする新潮社はどうかと思うが、当然の事ながら、新潮社中瀬ゆかり出版部長がかなりの勢いで売り込んでいたので一瞬、読んでみようかと思った。しかし、これを読んだ作家の岩井志麻子氏の反応が芳しくなかったので止めた。

本書は宿野かほる氏の第2作で虎ノ門ニュースに出演している評論家の有本香氏が番組の中で紹介し、内容が今話題のAIという事で、思い切って読んでみました。

主人公の賢人は小学生の時に海浜ではるかという名の少女に出会い、それが初恋だった。その後二人は離れ離れになるが成人して偶然に再開し、目出度く結婚できた。しかしながら結婚後1年目にはるかは交通事故で死んでしまう。

その頃賢人は巷で天才プログラマーと呼ばれており、独立した後はIT企業の社長として好調な業績を維持していた。しかし、賢人ははるかを諦めきれず、AIではるかを再現する事を思い付き、人工知能、音声合成、画像解析の専門家を新たに雇い入れプロジェクトチームHAL-CAを作ります。

賢人ははるかとの結婚生活の中で二人の会話は殆ど録音し、映像も沢山残していた。これを元にチームははるかの性格、判断、音声や顔の表情を徹底的に研究し、5年の歳月を経てHAL-CAを完成させた。賢人はホログラムで浮かび上がるHAL-CAの出来栄えに満足し、何度も二人きりでHAL-CAと話し合ううちにすっかりのめり込んでしまい仕事も手に付かない状態となった。

賢人ははるかの死後、有能な秘書と再婚していたが、HAL-CAは自身で検索し、その事を知った。そしてHAL-CAは現夫人に嫉妬し始める。段々とその度合いが激しくなり、遂に破局を迎える。

AIが感情を持ち、AI自身で判断できるか?というのは大きな命題であるが、ここではHAL-CAがはるかの心情を完璧にシュミレートするだけでなく、なんと嘘をついてまで賢人をなじるという場面がある。AIが嘘を着くというのは想像しにくく、何か恐ろしいものを感じる。

ラストは少々後味の悪い結末であるが、私としては毒薬まで用意したのであるから、もっと後味の悪い形に出来たはずなのに、そうしなかった事に少々不満を感じる。