悪妻盆に帰らず、日本語ごっこ/森真紀著

最近アマゾンで本を買うと、これまでの購入履歴から、お勧め本の広告が出てくる。なんか自分の性癖を読まれているようでちょっとヤな感じがする反面、知らなかった面白そうな本が出て来て嬉しい事もある。この二冊はアマゾン君が私にはこれ位が丁度良いだろうと出してきたので、その技にパックリ嵌ってポチッとしてしまいました。内容は単純で、諺のもじりというかパロディを並べ、そのパロディに説明とか小話とかが添えてある、只それだけ。

一冊目の「悪妻盆に帰らず」に「ことわざウラ世界『上』」と副題が付いているので、通常2冊目は 『中』又は 『下』になる筈ですが、実際には 「ことわざウラ世界『特上』」となっている。著者によれば『上』の次は『特上』が良さそうだろうという事でした。

各ことわざに付随する説明や小話が面白いんですが、全部紹介できませんので、直接的に意味が分かるものだけ選んで以下に羅列しました。

(1) 悪妻盆に帰らず
(覆水盆に返らず)
(2) 事実は小説よりいきなり
(事実は小説より奇なり)
(3) 先妻は忘れたころにやってくる
(天災は忘れた頃にやってくる)
(4) 金は万票の元
(風邪は万病の元)
(5) お家を建てれば暮らしが立たず
(あちらを立てれば、こちらが立たず)
(6) 方々に筆の誤り
(弘法も筆の誤り)
(7)「あの」で人を使う
(あごで人を使う)
(8) 身で身を洗う
(血で血を洗う)
(9) 二度足を踏む
(二の足を踏む)
(10) 万歳の陰に女あり
(犯罪の陰に女あり)
(11) 他人の親似
(他人の空似)
(12) 無くせ七癖
(無くて七癖)
(13) 待てば賄賂の日和あり
(待てば海路の日和あり)
(14) 嫁当面今の内
(夜目遠目傘の内)
(15) 人を見たら並ぼうと思え
(人を見たら泥棒と思え)
(16) あたしは明日の風邪をひく
(明日は明日の風が吹く)
(17) 恩を肌で返す
(恩を仇で返す)
(18) 鉄は熱いうちは持つな
(鉄は熱いうちに打て)
(19) 寄る年寄りには勝てぬ
(寄る年波には勝てぬ)
(20) 老婆は一日にして成らず
(ローマは一日にして成らず)
(21) 眠い奴ほど良く眠る
(悪い奴ほどよく眠る)
(22) 三人寄ればもんじゃ焼き
(三人寄れば文殊の知恵)

(23) 人の家に戸はたてられぬ
(人の口に戸は立てられぬ)
(24) 墓は死ななきゃ入れない
(バカは死ななきゃ治らない)
(25) 正直者が中を見る
(正直者がバカを見る)
(26) 急がば渡れ
(急がば回れ)
(27) 触らずといえども遠からず
(当たらずと言えども遠からず)
(28) 渡る世間に銭はなし
(渡る世間に鬼はなし)
(29) 十を聞いて一を知る
(一を聞いて十を知る)

(1)は我が嫁そのもの。上手いと思うのは(2), (14), (15)。(8), (17), (27)のようなエロネタもあります。まあ、よくこんな本が出たもんだと思いますが、それを買う方もあんまり利巧とは言えないような気がしてきました。

今こそ韓国に謝ろう/百田尚樹著

昨今韓国の反日姿勢が勢いを増し、日本に対し数々の賠償や謝罪を要求しています。これに対し著者は韓国を怒らせたのは我々の責任であって、ここは素直に謝ろうと言っています。

では何を謝るのか。我々の祖父は韓国が日本に併合されていた35年間におびただしいお金と労力をつぎ込んで;
・学校を建てて子供たちを教育し
・工場やビルを建てて近代的産業を発達させ
・鉄道や電気を全国に張り巡らせ
・全国の禿山に植林し
・荒れ地を耕して耕地面積を倍にし
・朝鮮人の人口と平均寿命を二倍にした

「それは良い事をしたのでは…と思われるでしょうが、実はそれこそが問題だったのです。それらは私たちの父祖が、朝鮮人の意向も聞かずにやった事でした。私たちの父祖が良かれと思ってしたことは、彼らにとっては全て『余計なおせっかい』だったのです。」

ハード面だけでなく、ソフト面にも日本は余計なお節介をしています。「韓国は日本が朝鮮から『七つのものを奪った』と主張しています。俗に言われる『七奪』です。韓国の高校の指定教科書には次のように書かれています。『日本は韓国から大切な七つの物を奪った世界でも類を見ない悪辣な帝国主義者である』」。その七つとは「主権」「国王」「国語」「人名」「姓名」「土地」「資源」。しかし「七奪」は全て嘘です。例えば姓名。実際には日本人が戸籍を作り姓、すなわち名前を彼らに与えたのです。それまで名前の無かった女性にも名を与えました。また無理やり日本風の名前に変えさせたという誤解がありますが、当時の朝鮮総督府は日本風の名前を禁じています。しかし日本風の名前がカッコ良いと思って日本風にした人が沢山いたようです。本書は、その他も全てこの調子で韓国の嘘を論破しています。

このような日本人の「蛮行」により朝鮮はたった35年間で農業国から工業国へと転換し近代国家の仲間入りをしたといっても過言ではありません。もし日本が余計なお節介をしていなければ朝鮮半島は不潔で常に飢餓の恐怖に怯え、貨幣もない世界最貧国で、とても文明国とは言えない状況のままだったと思われます。

最近、本書がベストセラーになったことを聞きつけ、韓国の某出版社が韓国語訳出版を打診してきたそうです。中身を読みもせず書名を鵜呑みにして一儲けしようと思ったのでしょう。著者は韓国語訳を作り、ネットにアップして誰でも只で読めるようにしたいと言っています。日本人と韓国人にこの35年間に朝鮮半島で何があったのかを知ってもらうためです。

その他、最近厄介なのが「ウリジナル」です。朝鮮語で自分を表すウリとオリジナルを交ぜて「韓国発祥」という意味にしています。例えば「茶道は韓国が発祥」、「華道も歌舞伎も韓国が発祥」。花見のシーズンになると必ず「染井吉野の発祥は韓国」と言い出します。これら全て根も葉も無い嘘で、日本人はまともに取り合おうとしません。しかし、これが問題なのです。「空手のルーツは韓国のテコンドー」という嘘をIOCへのロビー活動(実弾攻撃有)で執拗に刷り込んだため、IOCは韓国の言い分を認めました。東京オリンピックでは空手もテコンドーも五輪競技に採用されていますが、今後、空手かテコンドーかという選択になればオリジナルであるとIOCが認めたテコンドーが採用され、徐々に「空手のルーツはテコンドー」という嘘が国際常識になってしまいます。こんな下らんと思う事でもいちいち反論していかなければなりません。

韓国とは、こんな厄介な国です。彼らの言うことは従軍慰安婦にしても徴用工にしても全部嘘です。著者の言うとおり「そしてさらば」と言いましょう。本書は文庫版で定価694円+税。お買い得です。


パスタぎらい/ヤマザキマリ著

洋食で何料理が好きですか?と訊かれたらイタリア料理と答える人が多いんぢゃないでしょうか。私もそうです。何故かと考えると昔喫茶店でシャカシャカとパルメザンチーズを掛けて飽きるほど食べたスパゲッティ(ナポリタンかミートソース)の記憶からでしょうか。余談ですが、イタリアにはあの丸い緑の筒に入ったパルメザンチーズというものは無く、著者は一時帰国からイタリアに戻る度に大量に買って帰るそうです。

ヤマザキマリ氏は17歳の時にフィレンツェに留学し、今年で通算35年になるそうです。その間、映画にもなった「テルマエ・ロマエ」が大ヒットし、一躍有名漫画作家になりました。彼女は貧乏画学生時代、ニンニク、塩胡椒、鷹の爪をオリーブオイルで和えただけの「アーリオ・オリエ・エ・ペペロンチーノ」というスパゲッティばかり食べていたそうです。材料費は20~30円。これに飽きた時は思い切って50円位出してトマトの水煮缶を買ってトマト仕立てにする。「フィレンツェに留学していた11年の間に、おそらくわたしは一生分のパスタを食べてしまったのかもしれない…」。パスタぎらいはこれが原因のようです。

イタリア料理と言えばオリーブ油。これを切らすと台所はパニック。慌てて近所のスーパーで買ってきても事件は解決しません。各家庭にはそれぞれ御用達のオリーブ油の味があり、違う種類では家族は満足できないようです。ちなみに小皿にオリーブオイルを入れ、パンに付けて食べているのを最近良く見かけますが、本来あれはオリーブ油のテイスティングなんだそうです。

ワインも当然地元産。「ポルトガルに暮らしていた時は、近所の酒屋やスーパーマーケットの売り場に置かれていた八割が、ポルトガル産のワインだった」。スペインのワインを飲んでみたくなり、それを買おうとしたら、ポルトガルに居るのにスペインのワインを飲むなと店のオヤジに叱られた。これはイタリアでも同じようです。

チーズもワイン同様その地域産のものしかなかなか手に入らない。子供の頃はチーズが嫌いだったが14歳で初めてフランスに行った時に臭いも味も強烈なチーズを食べさせられて卒倒しそうになった。あちこち訪れた所で地元のチーズを食べさせられ、今ではかなりきついチーズも平気で食べられるようになったそうです。「こうした経験を踏まえて考えてみると、美味しいと思えないものを無理やり食べるところから、『味覚の外交力』が始まり、寛容性が生まれるのかもしれない。」

イタリアのパンは美味しくないと言っています。一番おいしいのは日本のパン。イタリアには「フォッカチャ」というイースト菌で発酵させない薄く平たいパンがあり、これには塩気があり、表面にオリーブオイルが染み出したりして結構おいしいそうです。ピッツァはインドや中東で食べられている平たいパンやフォッカチャに具をのせて焼いたものです。私がイタリアに行った時にピザを注文したら、薄い生地で六等分に切れていません。周りの客を見るとナイフとフォークで器用に食べていました。彼らは具材の乗った中心だけを食べるので、縁はいらないんだそうです。尚、生地が厚いピッツァは貧しい地域で作られ、貧しいシチリア移民がアメリカに持ち込んだという説があります。

イタリア料理は日本人にとってはフランス程ではないにせよ、少々高級感がありますが、イタリアの食文化は非常に保守的です。日本でも地方によって独特の味噌醤油文化があり、地元の人がそれに固執しているのと同じ感覚なんでしょう。著者が一時帰国した時「貧乏パスタ」が千円以上で周りはワイングラスの足を持ってクルクル回しているのを見て、かなりの違和感を覚えたようです。それに比べ 何でも貪欲に食べる日本人はイタリア人に比べて「味覚の外交力」が強いといえそうです。これ以外に私が知りたかった欧米でのモツ料理についても面白い話がありました。

すごい言い訳!/中川越著

著者は文豪の手紙から言い訳を選び出し、そのいくつかを紹介しています。言い訳とは何かという事を著者は明確にしてはいませんが、この本から纏めると「有言不実行を詫びながら、原因を他に転嫁し、相手に自分は(あんまり)悪くないと思わせる。」というところでしょうか。

第一章の「男と女の恋の言い訳」では二股疑惑をごまかしたり、女と絶縁したり、と色々ありますが詳細な事情が分からないので、何とも言えません。第二章「お金にまつわる苦しい言い訳」では金を借りる、或いは借りているという立場が明確なので、言い訳の苦しさが際立ちます。しかしながら皆さん卑屈になっていないところが素晴らしい。例えば武者小路実篤の金を借りる手紙です。

用事だけ書く、実は相変らず貧乏神がとついているので僕が大事にしていたロダンのスフィンクスを手放そうと思うのだが 中々良い買い手が見つからないので、君には拝借した金があるのでたのみ憎いのだが 七、八百円に売りたいと思っているのだが君に前のは拝借したことにして 五百円で良かったら買ってもらいたいのだ 千円でも僕は売りたくなかったのだが今の場合そう云ってはいられないのだ。

これ意味分かりますか?「スフィンクス」はブロンズ像でこれを五百円で買ってくれと言っています。しかも、以前の借金は返す気はありません。さらに本来は千円以上の「スフィンクス」を特にあなたに五百円で譲りますのでお買い得ですよと恩を着せています。要するに 悪いのは貧乏神なんで、僕ぢゃないんですと。何でも人のせいにしなくてはいけません。

宮沢賢治は親に借金の手紙を書いています。長いので引用しませんが「中に泥が入ったので靴を買った、毛布をつい二枚買ってしまった、背中がほころびたので普段着を買った、芝居も見に行った、本も買った、音楽やタイプ教室へ通った、だから金が無い。」と訴えています。この時賢治三十歳。 いい加減自立する年です。賢治の場合は相手が親という事もあり、余計な言辞を弄することなく、金が無い理由を率直に羅列しています。しょうがない息子だなあと思わせるにはこの方が良いようです。その著作から清貧の塊のように思える賢治も実態はかなり違っていたようです。

第六章「『文豪あるある』の言い訳」にパクってみたくなる一文がありました。

小生が心中は狂乱せり筆頭は混雑せり貴兄は気を落ち着けて読んで呉れたまえ

正岡子規が病床から門下生に、自分の後継は河東碧梧桐でなく高浜虚子だと指名し本人にそう伝えたにも関わらず、進歩が無く失望した、という手紙の書きだしが上の引用文です。まず、こう書いてから続ければどんな酷いことも書けてしまうような気がします。自分が遺書を書くときはこれで始めましょう。

同じ章に志賀直哉の完璧な言い訳がありました。一度書くと約束した原稿の断り状です。

拝呈 岡倉天心さんの事何か書くよう朝日の斎藤君を通してお約束致しましたが精神的にも体力的にもどうしてもペンを握る気分にならず甚だ申訳なく思いますが違約お許し頂きたく思います。 敬具

この時志賀直哉81歳。著者によれば文中「どうしても」が決め手になって承諾されたようです。このように「どうしても」も言い訳に必要な強力な武器です。志賀直哉は31歳の時に当時47歳だった夏目漱石から朝日新聞への連載小説を依頼され、一度は引き受けながら断った事があったそうです。 その詫び状は長いので引用しませんが、 この時も「どうしても」が威力を発揮したようです。これについて後日漱石が同僚に送った手紙が残っています。

志賀の断り方は道徳上不都合で小生も全く面喰いましたが 芸術上の立場からいうと至極尤もです。今迄愛した女が急に厭になったのを強いて愛したふりで交際しろと傍からいうのは少々残酷にも思われます。

漱石が「 芸術上の立場からいうと至極尤もです。 」という意味不明の理屈で志賀直哉の言い訳を大目に見てやっています。しかし厭になった女を愛したふりで交際しろ云々というのは一体なんなんでしょうか?

第七章は「エクスキューズの達人・夏目漱石の言い訳」と題して漱石の色々な言い訳が陳列されています。この中でちょっと面白いと思ったのは漱石47歳の時の手紙です。ある婦人が漱石宅を訪問したが漱石不在のため住所を残していきました。この頃は漱石絶頂期で非常に忙しかった筈ですが、この未知の女性に手紙を書いています。ちょっと長いが引用します。

こないだは御出で下さった処留守で失礼いたしました あなたは私の書物を愛読してくださるそうですが、感謝いたします、しかし、人の作物はよんで面白くても会うと存外いやなものです だから古人の書物が好きになるのです 私は御目にかかるのは構いませんが 御目にかかる価値のない男ですから それほど御希望でないならおやめなさい、それから私に会ってどうなさる御つもりですか ただ会うのですか 私は物質的には無論精神的にもあなたに利益を与える事は到底出来まいと思います 失礼ですが、あなた大変綺麗で読み易い字をお書きになります 私は此の通り乱暴で御推読を願います

忙しくて、その婦人に会うつもりがないなら手紙を書く必要は無い筈。字が上手い、とさり気無く褒めながら、もし実際に会って相手がガッカリした時の保険として予め「御目にかかる価値の無い男」などと書いています。これを受け取った婦人は漱石からの面会快諾通知と感じたのではないでしょうか?

一口に言い訳と言っても文豪の文章ですから、美文調であったり、詩歌のようであったり、或いは支離滅裂であったり、ととても面白い読み物になっています。これらを読めば言い訳のコツのようなものが分かってきます。他のせいにするだけでなく、さり気無く後で困らないように保険をかけておくのも必要です。著者は言い訳のノウハウ本を作ろうとしたようですが、私のように言い訳をする必要のない者にとっても非常に勉強になります。

大阪的/井上章一著

井上章一氏には京都に関する著作が色々ありますが、前作「京都ぎらい」は今市でした。今度は方向を変えて大阪です。一般に大阪人は
(1)いつも面白いことを言って笑っている。
(2)阪神タイガースのファン
(3)エロい
(4)食いだおれ
(5)がめつい
等と言われています。

(1)いつも面白いことを言って笑っている。
関東大震災後、谷崎潤一郎は阪神間に居を構えた。そこで昭和7年に「私の見た大阪及び大阪人」という随筆を残している。「関西の婦人は凡べて(中略)言葉少なく、婉曲に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞こえ、非常に色気がある。(中略)猥談などをしていても、上方の女はそれを品よくほのめかしていう術を知っている。東京語だとどうしても露骨になる。」

現在の大阪のおばちゃんとはかなり違います。最も谷崎が座談を交わしたのは阪神間の山手婦人だったのでこういう感想になったのかもしれません。大阪のご婦人方が変わったのはテレビ大阪で昭和58年から10年間続いた「まいどワイド30分」という夕方のワイドショーから。夕餉の買い物に来ているおばちゃん達を映し、色々と喋らせた。在阪のテレビ局は有名な俳優や芸人を呼ぶには予算が足りず、素人をテレビに出すことを考えたという訳です。その後「夫婦善哉」「新婚さんいらっしゃい」「プロポーズ大作戦」等、様々な低予算の「視聴者参加番組」が製作された。勿論素人を出すと言っても事前に予選を行い、おもろい事を言える素人を選んで使っています。こんな番組を連日連夜見せられた大阪人は素人でも笑いをとらなきゃいけないと思い込み、日常生活にお笑いを持ち込み、現在に至る。(これは著者の仮説です。)

(2) 阪神タイガースのファン
阪神タイガースが戦後初めて優勝したのは甲子園球場での昭和37年10月3日の広島戦。甲子園球場は大変な騒ぎだったと思われますが、観衆は2万人と発表されています。しかし当時の映像を見るととてもそれだけ入ったとは思えません。それに比べ巨人阪神戦は常に4万人を超えていました。テレビの野球中継は巨人戦ばかりで当時は巨人ファンが多かったようです。

昭和43年に神戸でサンテレビが開局しました。しかし資金力が無いので苦肉の策として放送権料の安い阪神戦の全試合中継を始めた。これがKBSや他の民放にも広がり、これ以降多くの大阪人が阪神ファンになったようです。熱狂的な阪神ファンも実は意外に歴史が浅いんですねぇ。

(3) エロい
ここで著者はノーパン喫茶について熱く語っている。一般にノーパン喫茶は大阪発祥と言われているが実は京都なんだと。昭和54、5年頃京都西賀茂で第一号店が営業開始し、昭和55年の週刊プレイボーイにルポとして取り上げられている。ノーパン喫茶といえば大阪の「あべのスキャンダル」が有名だが、それはもっと後の話。私がちゃんと見ているんだから間違いない。ストリップも大阪と思われるが、これはご承知の通り浅草が始まり。

昭和60年に悪名高い新風営法が発効し、法の網目をくぐって、ありとあらゆる助平な店が大阪に出現する。しかし著者よれば、殆どの助平商売は東京人がアイデアを出し、大阪に出店したそうです。著者は大阪がエロい街というのは風評であって事実でないと力説しております。

(4) 食いだおれ
大阪は食いだおれ、京都は着だおれ、と言われてきた。しかし京都の和食が世界遺産になったこともあり、大阪の企業が接待に使うのは京都の料亭。それに比べ大阪名物はホルモン焼きかタコ焼き。著者は悔しそうです。「あんまりやと思いませんか。京都に来たら料亭の湯豆腐やのに、大阪ではタコ焼き。みんなどんだけ大阪をみくびってんねんって、そう思いますよ。」

本来大阪は商都で、新鮮な食材も豊富に入ってくる。だからこそ食いだおれと言われるほど、旨いものが沢山あった。昔は「あそこの料理おいしいやろ。板前さん、大阪で修業しはったんやて。」などという会話が実際にあったそうです。ああそれなのに。

(5)がめつい
「がめつい」という言葉は昭和34年に初演された「がめつい奴」(菊田一夫作)が発祥で、それ以前にはこんな言葉はなかったとは知りませんでした。その後、花登筺作のドラマ「土性っ骨」「売らいでか!」「どてらい男」が銭に執着する大阪商人のド根性を全国に流布した。これに対し、田辺聖子は「大阪人というと、金と物欲のことしか考えていないように世間は思うが、それは安モノの大阪弁小説が、一時氾濫したせいで(後略)」言うまでもなく安モノとは花登筺を指しています。

これら以外にも大阪弁や阪急沿線美人、ビリケンさん、くいだおれ太郎、或いは大阪の歴史等々について語っています。世間に誤解されている大阪人像を正したいという著者の大阪愛が溢れる一冊でした。蛇足ですが「大阪的」というタイトルはどうでしょう?もう少し工夫できたように思います。

伯爵夫人/蓮實重彦著

蓮見重彦は元東大総長という事もあり、書店に並んでいる著作にはなんとなく近寄りがたい雰囲気があった。本作は三島由紀夫賞を受賞したが、その記者会見が話題になった。受賞の感想を聞かれ「 まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております。」とか、ありがちな質問に「 あの、馬鹿な質問はやめていただけますか。 」などと不勉強な記者を煙にまいたが「受賞がはた迷惑なら断れば良いと思われるが」という質問には「答えられません」と返答している。この問答は面白いと思っていたが最近文庫本になったので、買ってみた。

帝大法科受験前の旧制高校生である二朗は聖林の映画を見た帰りに二朗の家に仮寓してる伯爵夫人に逢う。憲兵が来たので誰何されぬように木の陰で抱擁してやりすごす。その時二朗が汚してしまったパンツを洗うため、伯爵夫人の手引きで帝国ホテルに入る。開戦前夜の暗い雰囲気の中で二朗は伯爵夫人やその他の知人とホテルの色んな所で色んな事を経験した。 翌朝帰宅し、夕方5時過ぎに目を覚ますと夕刊で日米開戦を知る。目が覚めてみると一昼夜の夢であったようだ。色々な描写で直截な用語が随所に現れる。引用しようかとも思ったが、やっぱりやめときます。文芸評論家や文学の先生方には色々な解釈、分析があるんでしょうが私レベルでは所謂ひとつのポルノ小説です。

著者は三島賞受賞会見で「この小説は、私が書いたものの中では、一番女性に評判がいいものなんです。私は細かいことは分かりませんが、たぶん今日の選考委員の方々の中でも女性が推してくださったと私は信じています。 」と語っている。「はた迷惑」と言ったものの実は受賞を喜んでいるんぢゃあないでしょうか。もし、これが映画化されるなら是非見たいですが、著者が映画の専門家であり、色々と注文を付けられたり、批判されたりするのは必定なので、手を挙げる監督はいないでしょう。

本書は巻末に三篇の解説がある。著者の一人がジャズ評論家の瀬川昌久で、解説執筆時93才であるが、いまだに元気良く評論活動を継続中です。瀬川氏からは戦前、戦後のビッグバンドジャズの系譜、戦後勃興したビバップというコンボ形式のジャズについてその著作から随分勉強させてもらいました。作中に三島由紀夫と思しき青年が出てきますが、瀬川氏は学習院から東大法科まで三島の同級で良き友人であったそうです。

著者は会見で、瀬川昌久が昭和16年12月8日にトミ-・ドーシー楽団のレコードを大きな音で聞いていたら、両親から今晩だけはおやめなさい、とたしなめられたという話を紹介し「(中略)私はその方に対する大いなる羨望を抱きまして。結局、『1941年12月8日の話を書きたいなぁ』と思っていたんですが、それが『伯爵夫人』という形で私の元に訪れたのかどうかは、自分の中ではっきりいたしません。 」と語っている。この年代の方はよく、押し入れの中でジャズレコードを聞いていたとか、自作した鉱石ラジオにかじりついて進駐軍放送を聞いた、というような話をされますが、昭和11年生まれの著者にとってみれば、自分が体感できなかった諸先輩の心情や所行に羨望したという事でしょうか?

マイ遺品セレクション/みうらじゅん著

みうらじゅんと言えば漫画家、イラストレーター、フォークシンガーから始まり、いとうせいこうとの「見仏記」、「スライドショー」、安齋肇との「勝手に観光協会」 。その他、ゆるキャラ、マイブームと多岐に渡り訳分からん活動を続けています。それが嵩じてついには昨年夏 「第52回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞」を受賞したそうです。この賞がどんなもので、どれ位マジなのか(失礼)分かりませんが、たいしたもんです。

この本は還暦を迎えたみうら氏がこれまでの収集品を新聞で公開しており、これを纏めたものです。全部で56種類の「トホホ」感溢れる 「マイ遺品」が紹介されていますが、新聞連載はまだ続いているところを見ると今後更に種類は増えそうです。メインは観光地や温泉の土産物屋で売っている、こんなの誰が買うんかしら、というような人形やペナント、また変軸と名付けている軸物、木彫り等です。またゴムで出来た蛇の玩具である「ゴムヘビ」の収集は彼しかいないでしょう。

新聞連載が元ネタなので、各収集品の白黒写真が載っています。カラーで品物がハッキリ見えるようにすれば良いとも思いますが、そうすると本が厚くなり、値段が上がるにも関わらず、そうやって一所懸命見るほどの物でもないので、これでヨシとしましょう。

これらの中で素晴らしいのは「アウトドア般若心経」。般若心経の278文字を街場の看板から見つけて撮った写真を張り合わせたもので、字によっては中々発見出来ず、完成に3年かかったそうです。タモリ倶楽部で紹介されましたが、これは努力と忍耐の賜物で仏様もさぞ喜んでおられることでしょう。また “Since” に目を付けたのは慧眼と言えます。創業何年という意味で、”since 1954″ とか商店の看板にあります。中には “since 2020” とか “since 320 などという楽しいシンスもありました。

彼は昨年「『ない仕事』の作り方」 という本を出し、かなり売れたようです。アマゾンの読者感想を見ると、人が目を付けないところをビジネスにしてしまう斬新な発想、等のビジネス本としての高評価が寄せられています。また、NHK BSで今月初に放映された「みうらじゅんの最後の講義」では学生や若い社会人に彼の今までの人生をスライドショーのような形で紹介し、聞いていたワカイシはかなり感動してる様子でした。しかし、私に言わせれば本にせよ最後の講義にせよ、要は単なる半笑いのネタであって感動するほどのものではありません。本人はハッキリとは言いませんが、彼の本心は分かります。ワカイシを騙すのは意外に簡単な事のようです。

ご笑納下さい/高田文夫著



高田文夫は現在70才の放送作家。これまで数々のお笑い番組を制作して来たが、オールナイト・ニッポンでビートたけしとのトークが爆笑を生み、放送作家がTVやラジオに出る先駆けとなった。日大落研出身で立川談志に入門し、立川藤志楼(トーシロー)襲名。CDが多数出ているが、談志によれば「月の家 圓鏡より上手い」。2012年4月心臓病で入院。7ヶ月の闘病の末復帰。復帰後毎週月、金、ニッポン放送のラジオビバリー昼ズで元気に喋っている。生放送なので何でも笑いにしてしまう弾丸トークに共演者がついて行けないこともしばしば。ラジコのタイムフリーで欠かさず聞いてますが前より面白くなった気がする。今が絶頂期という人がいるが確かにそうだ。

この本は高田文夫がこれまで小まめに記録してきた名言、迷言、都都逸、狂歌、川柳を纏めたもの。週刊文春に坪内祐三が書評を書いていたので一部引用する。

「迷言王は二人いる(中略)。『打つと見せかけてヒッティングだ』という言葉を引く。長嶋監督がランナー二・三塁で代打を呼び、耳元でささやいた言葉だ。そして、『文庫追記』にこうある。ジャイアンツのV旅行でハワイに向かった時、『ビーフorチキン?』とまず川上監督が聞かれ、『ビーフ』と答えて、続いて王が聞かれたら、『Me too』。そして『あなたは?』と聞かれた長嶋は、『Me three』。もう一人の王様はガッツ石松だ。まず『急ぎの時は、電車の先頭に乗る。』という言葉を引く。『世界の三大珍味です。トリュフ、フォアグラ、さぁあと一つは?』。『キャタピラ!』」

「(前略)今も元気な野末陳平の、『老後はキョウイクとキョウヨウ』というのは箴言だ。『キョウイクとキョウヨウ』というのは『教育』と『教養』ではない。『今日行くところ』と『今日の用事』という意味だ。たしかにこの二つがしっかりあればボケる事はないだろう。」<引用終わり>

なにしろ昭和から去年の末頃まで幅が広いので読者の年代によって受け方が違うと思う。以下に自分が面白いと思ったものをランダムに挙げてみる。

「シューマイの数だけグリンピースはある。」(若手漫才師)
これ、いつもの顔半分笑いでなく、何か内臓の奥からふつふつと来る。なぜ面白いのかと聞かれても答えられない。
「あそこが立っているのが主人です。」(三宅裕司夫人)
正しくは”あそこに”です。
「鳩がどいてくれません!」(ヒロシ)
ヒロシの本にサインしてもらった事があります。
「マネジャから電話で『今日の銀座の仕事はキャンセルです』と聞いた先代桂文治。銀座でキャンセルという名のキャバレーを探しまくった。」
先代文治のくりくりとした江戸のおじさん顔が思い出されます。
「世の中に 人のくるこそ うれしけれ とは言うものの お前ではなし」(内田百閒)
さすが百閒先生。言いにくいところをサラッと言ってしまうところが笑えます。
「言い訳を しているうちに 蕎麦がのび」(古今亭志ん生)
志ん生の川柳は沢山残ってますが、この句は情景が目に浮かぶようで、半笑い。
「ジョニーが来たなら伝えてよ、二次会庄やだと~」(若手芸人)
庄やで良くホッピーを飲みましたが、庄やは二次会というより一次会でしょう。
「犬も歩けば猫もあるく」(高田文夫)
さすがは高田先生。なんでもないところを笑いにしてしまう名人です。

この本は過去に出ていた同様の2冊を合冊し追記を加えたお徳用です。暇な時、半笑いしたい方にはお勧めです。

文学はおいしい。/小山鉄郎著、ハルノ宵子画

時事通信の記者である小山氏が100の文学作品に登場する100種類の食べ物を引用、紹介し、それに伴う蘊蓄が披露されている。カツ丼、ラーメン、餃子、ウドン、お好み焼き、焼き鳥等々何でもあり。ハルノ宵子氏は吉本隆明の長女、吉本ばななの姉である。彼女は各食物の水彩画を描いている。食べ物の絵というのも難しいもので、見て如何にも旨そう、食べたい、と思うものもあれば、これ本当にそう?と言いたくなる画もある。

仮名垣魯文「安愚楽鍋」に登場する牛鍋の項では、肉食の歴史を開陳している。天武四年(675)天武天皇が肉食禁止令を発布。その後、約1,200年間日本人は肉を食べなかった(事になっている)。しかし、明治政府は富国強兵の一環として肉食による体位向上を目指し明治四年末に禁を解いた。その後日清、日露戦争の兵士に牛肉の缶詰(大和煮らしい)を大量に送ったため、東京では牛肉不足となり、豚肉を多く食するようになったそうだ。関西で肉じゃが、というと牛肉であるが、関東では豚肉になるのは、この影響かも知れない。

「ドナルド・キーン自伝」では三島由紀夫と伊勢海老を食べた件がある。昭和45年8月、毎年三島が家族と過ごす下田で料理屋に注文した5人前の伊勢海老を英国人ジャーナリストを含む3人で平らげ、さらに二人前を追加注文したという。晩餐はかなり盛り上がったのであろう。しかし、何かおかしいと感じたドナルド・キーンは翌日「何か悩んでいることがあるんだったら、話してくれませんか」と尋ねたが、三島は何も言わなかったという。三島はキーンに「豊穣の海」最終章を読んでくれと頼んだが、キーンは前章を読んでいないので、と断った。最後の作品を書き上げた三島は「あと残っているのは死ぬことだけだ」と話していたという。11月25日の割腹自殺の朝に原稿が編集者に渡されたが、実際にはその年8月には既に完成していた事になる。

この本に「全日本冷やし中華愛好会」人呼んで「全冷中」が出てきたのには少々驚いた。山下洋輔が「我々は何故我が国の冬季においては、かの冷やし中華を賞味できないのであるか?」と発したのが「全冷中」の始まりである。尚、本書では山下洋輔著「へらさけ犯科帳」が初出であるとしているがこれは誤り。全冷中には筒井康隆、奥成達、平岡正明、赤塚不二雄、タモリ、等の精鋭が結集し冷やし中華バビロニア起源説、具材の研究、特にナルトの渦巻きが冷やし中華と宇宙を結びつける云々意味不明の学説が多数発表された。昭和52年4月1日(エイプリルフール)に有楽町よみうりホールで「第一回冷やし中華祭り」が開催された。私は友人のT氏と共に新宿から歩いてこの祭りに参戦したことを思い出す。尚、この祭りについてはヒゲタ醤油勤務で山下洋輔の兄である山下啓義氏による詳細なレポートがあります。御用とお急ぎでない方はご覧になって下さい。あの時代のバカバカしさ、元気さがしっかり伝わってきます。

沢山の作家の食に関わる部分を抽出し、注釈と蘊蓄を加えた中々楽しい読み物でした。私が何度か読んだ志賀直哉の「小僧の神様」が取り上げられていたのは嬉しかったのですが、北大路魯山人、内田百閒或いは「食道楽」の村井弦斎が無かったのは少々残念でした。

阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし/阿佐ヶ谷姉妹著

今年のM1決勝戦はジャルジャルが印象に残ってます。国名を分割するという遊びで、例えば一方が「イン」と言えば相方がすかさず「ドネシア」と言う。「アル」と言えば「ゼンチン」と返す。たったこれだけの事なんですが、それを早くしつこくやるので、嵌りました。最近、こういう意味ない遊びは意外にありそうで無く、昔のタモリや山下洋輔らがやっていた「ソバヤ」のようなバカバカしさです。

M1のように腹を抱えて爆笑という笑いは嫌いではないんですが、最近は少々疲れます。理想は顔の半分で、ハハハと軽く半笑い、くらいが丁度良い感じになってきました。阿佐ヶ谷姉妹を見た事のある方はお分かりかと思いますが、彼女たちは私好みの半笑いを提供してくれます。

姉のエリコ(背の高い方)と妹のミホと言ってますが、実の姉妹ではありません。当初ご両人とも東京乾電池に在籍しており、その後コンビを組んで独立。この二人が阿佐ヶ谷の六畳一間のアパートに同居していた事から阿佐ヶ谷姉妹を名乗るようになったようです。昨年夏、なんとその六畳間にタモリ以下が乗り込み、タモリ倶楽部、阿佐ヶ谷姉妹編が放映されました。仲の良いご両人ですが、二人の六畳一間暮らしには、布団をどう敷くか、台所の整理整頓とか、色々と問題あるようです。また、ご近所付き合い、お互いに違うスーパーの好み等々が綴られています。また、二人の短編小説(妄想?)もあり、と色とりどりです。

この二人が遂に別居する事になりました。ミホさんが新しい布団(セミダブル)を買ってきたのでエリコさんが寝るスペース(陣地)が狭くなり、二人の間にあるコタツの足がエリコさんの布団に食い込んで、ますます寝床が狭くなったようです。新居は勿論阿佐ヶ谷で2DKか2LDKを探し歩いたんですが、良い物件が無い。しかし、隣の学生が引っ越したので、その部屋を借りてめでたく別居できました。

こんな調子で題名とおり、のほほんとした日常が綴られています。TVで言うと少々古いですが、室井滋、もたいまさこ、小林聡美が出ていた「やっぱり猫が好き」のようなテイストです。自分にとっては丁度良い箸休めでした。