もう言っとかないと/中村メイ子著(聞き手:古館伊知郎)

中村メイコは時々ラジオで声を聴きますが、活舌も良く、最近の話題にもちゃんと付いてきているところが、とても84歳とは思えません。天才子役と言われた小学生の頃、戦地で慰問をしていたので初めて乗った飛行機が戦闘機なんだそうです。しかし、軍用機に乗っている間は基本目隠しで、自分がどこへ行くのか、どこへ行ったのかも分からないまま歌い、特攻隊員達は泣きなら聞いていたと語っています。終戦になると今度は進駐軍の慰問で引っ張り出され、心中複雑なものがあったようです。こんな慰問ばかりの生活でまともに小学校も出ていないので一年が365日という事を始めて知ったのは美空ひばりと友人になった17、8際頃だそうです。

戦後、雑誌社でアルバイトしていた時(16歳)編集長の吉行淳之介に一目惚れでした。初めてのデートが向島の情緒ある料亭。お洒落して出かけるといきなり「そのさらし鯨みたいな首飾りをとって取ってくれないか」と言う。母にねだって買ってもらった高価な首飾りだったので憤慨し「どうしてですか?」と聞くと「首筋のホクロが見えない」と答えたそうです。結局とらなかったんですが、後に「断られてよかったよ、あのとき、素直に外してくれたら…。男が首筋のホクロを見たいと言うのは、そのホクロに口づけしたいとか、そのホクロの上までいって接吻したいという意味だからね。君は全然、それに気が付かなかった。」と語ったそうです。勿論その場でその意味に気づくはずもなく「なんだか惜しい事をしたという気がずっとしています。」

吉行淳之介は10歳下の中村メイコを気に入っていたようで「水の畔り」という作品は彼女がモデルになっています。また料亭のくだりは「男と女の子」という長編に描かれているそうです。しかし、いくら下心ありといえども、いきなりネックレスを外せとはなかなか言えないセリフです。さすがは吉行先生でした

三島由紀夫から美空ひばりを見たいと頼まれて、美空ひばり公演の打上に連れて行った事があるそうです。彼女が一人ずつ挨拶に回っていた時一番下座に座っていた三島由紀夫が「小説を書いております、三島由紀夫と申します。よろしくどうぞ。」と挨拶すると美空ひばりは「小説書いてんの?あ、そう。メイコ、川口(松太郎)のパパとどっちが上?」中村メイコが答えに窮していると、三島由紀夫はすかさず「もちろん、川口先生は大先輩でございます。」と返答したそうです。三島由紀夫とは銀座のクラブでしょっちゅう顔を合わせており、死ぬ三日前には山口洋子の店「姫」で出会っています。その時はてっきり「豊饒の海」が完結したのかと思ったが、後に神津善行から実際には当日の朝、編集者に原稿を渡した、と知らされたそうです。三日前には彼女に大作が完成したと思わせる位、楽しく飲んでいたという事になります。

「上を向いて歩こう」の歌詞は中村メイコに振られた永六輔が大泣きしたから出来たというエピソードは有名ですが、その他にも色んな人の話が詰まっています。古館伊知郎は聞き役に徹しており、彼らしくなく、余計な口を挟さんでいないところに好感がもてます。もっとも編集者は大変だったでしょうが。

彼女は「私にはこれといった代表作がないの」と嘆いていますが、古舘伊知郎は「そんなことはないんです。たとえばラジオドラマは黒柳徹子さんが嫉妬したと伝え聞くほど出色、残っている音源を聴くと見事なばかりです。それより何より…日本を代表する理想の家族”神津ファミリー”を演じた。このことこそメイコさんの代表作とは言えないか?」と答えています。メイコさんは今でも時々大好きな銀座で飲んでいるようです。出来ることなら飲みながら昔話の続きを聞かせてもらいたいものです。


お化けのロック/郷ひろみ・樹木希林

昨日樹木希林さんの訃報が伝えられました。享年75。全身に癌が転移していたそうですが、万引き家族のパルム・ドール受賞でカンヌ映画祭に出席した時は特に変わった様子は見えませんでした。一番印象に残っているのは寺内貫太郎一家のきん婆さん役でしょう。婆さん役と言ってもその時彼女は32歳で、常に指だし手袋をしていたのは手で若さがばれない様にという工夫だそうです。ストーリーに関係なく毎回ジュリーのポスターに向かって「ジュリー」と言ながら手足をバタバタさせるのは笑ってしまいました。

樹木希林の歌で私が知っているのは「ムー一族」の挿入歌で郷ひろみと歌った「お化けのロック」と「林檎殺人事件」の2曲だけですが、他に「二人のすべて」という曲があるらしいです。未だ聞いたことがありません。ここでは「林檎殺人事件」は大ヒットしたので、あんまりヒットしてない「お化けのロック」にしてみました。

ジャケットの左下に小さく樹木希林(悠木千帆改め)とあります。NETがTV朝日に変わる時に芸能人を集めてオークション番組を作った際、悠木千帆は、私にゃ何にも売るものがないわ、と言って名前を競売に掛け、その後樹木希林に改名しました。尚、裕木千帆の名は¥22,000円で売れたそうです。

内田裕也と結婚した頃のお写真

晩年は映画もさることながら、CMが面白くフジカラーの「それなりに写ります」とか夫の内田裕也と出演したCMがなんとも良い感じがでてましたが放映開始後すぐに内田裕也の不祥事の為放映中止になりました。

余談ですが、ジャケットの写真は郷ひろみの頭が左上のレコード番号とCBS SONYのロゴに被っています。これではレコード番号が分かりにくいと思いますが、ミスでしょうか、それとも意匠でしょうか?私はレコード番号に余りこだわりはありませんが、昭和歌謡に詳しく、番号やロゴもゆるがせにしない、クリス松村さんに聞いてみたいものです。

なかったコトにして/郷ひろみ with HYPER GO 号

最近、会社でボーっとしてると(チコちゃんに叱られそうですが)昔の失敗した事、恥をかいた事とか、あの時はああすれば良かった、こうすれば良かった、等と残念な記憶ばかり蘇ってきます。そんな時は元気良く、なかったコトにしてくれ、と叫びたくなったりします。そこはやっぱり、郷ひろみですね。なかったコトにして、と叫びまくっています。

ゴメンなかったことにして 
神様やりなおし
今のなかったことにして
それでいいんじゃない 
お願いもう一度やりましょう

私の言いたいことを全て言ってくれています。そして、バックにいるお姉さん方が居てくれたら、まず落ち込む事はないでしょう。かつて自分の失策で他部門の担当者に「なかったコトにしてくれ」と本当に言った事があります。その方も大らかな気持ちでなかったコトにしてくれました。これでいいのだ、と言ったバカボンのパパの気持が良く分かります。

おーわだばく/野沢直子

野沢直子氏は毎年8月になるとニューヨークから帰国し、あちこちのTVで出稼ぎして帰るのが恒例行事になっています。今年も例年通り帰国して、大騒ぎして帰って行きました。彼女はなんだかわからない系の芸人としては随一で、ワハハ本舗の久本雅美の上を行ってるような気がします。

この歌は「はなぢ」というCDの中の曲でシングルカットはされていませんが、中々強力な逸品です。お聞きの通り(野沢直子作詞)最初は「ばくばくばくばく、おーわだばく」と叫んでいるだけですが、その後、大村崑、最後に菅井きんが出てきます。この三人がなぜ出てくるのかは不明ですが、三人とも名前が二文字である事だけが共通しています。

採点としては久々の高得点です。特に意味不明度は満点を献上しました。これからも、どんどん意味不明の歌を歌ってほしいものです。健闘を祈ります。

トホホ度 ★★★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★★★

中国五千年の虚言史/石平著

今から30年ほど前、初めて北京、上海に出張した。着いてすぐ、出張者の中に部長クラスがいたからか、先方の電話会社から歓待を受けた。昼飯というのにビールは勿論、白酒(パイチュウ)もありで、かなり酔った。午後会議が始まったが、激しい睡魔が襲ってくる。夜は本格的な宴会で、勿論白酒一気飲み。中国では一気以外の飲み方は無いのだ。

観光もあった。先方から北京の衛星通信地球局を見学するか、と聞かれ、そんなこ汚いもん見てもしょうがないと思い、万里の長城へ行きたいと言った。すると長城入口の八達嶺まで、クラクション鳴らしまくるパトカー先導で道のど真ん中を信号無視で突っ走った。これは初めての経験であり気分が良いが勘違いしそうである。話はそれるが、後年カンボジアのプノンペンに出張し、仕事が終わり帰国するため空港まで行く際に先方からパトカー先導で行くか、と言われたがさすがに断った。後で、これをやるとかなりの料金を取られると聞いて安堵した覚えがある。

話は戻って、会議の中で議事録、契約書はどうするか、という話が出た。曰く我々は英語も日本語も分からないので、中国語で書いて欲しいがそれでは日本人が困るだろう。よって、英語と中国語の二本立てにしようと提案された。更に、ここは中国だから中国語版を正本にしようと言う。我々は何も考えす承諾した。

出張から無事帰国し、仕事は進んだが、途中で少々面倒なトラブルがあった。契約書には、この場合は中国側の責任で対処するとある。その旨を伝えると、違うと言う。正本にはそうは書いてない、日本側で対処せよ。要するに中国語版と英語版の中身が違うのである。騙された。双方をきちんと確認しなかった我々の失敗であるが、中国人にしてみれば、飲まして食わして観光もありの手練手管で、初心者の日本人を騙すなんて、いとも簡単な事だったんだろう。

著者の石平氏は、中国共産党、特に文化大革命(1966~1976年)に幻滅し、日本に帰化した。この本には中国人が如何に嘘をつくか、という過去の実例が色々と出てくる。世界史の授業で聞いたことのあるようなトピックスもある。日本人は嘘をつくのはイケナイ事だと思っているが、中国人は(韓国人も)嘘をついて、自分が有利になるのなら、ドンドン嘘をつくべきだと思っている。要するに嘘を着くのが中国人の文化の一つなのだ。こんな人たちに勝てる訳ない。だから中国人と付き合わずにすむならそれが一番。自分はもう二度と中国と韓国には行かない事にしています。

話は再び変わるが、TVで著者の石平氏と残留孤児二世で日本に帰化し、現在産経新聞記者の矢板明夫氏が公開処刑の話をしていた。毛沢東の時代には国慶節の前日に死刑囚を市中引き回し、公開処刑していた。皆がこれを見に行く。要するに庶民の娯楽である。主催者側は公開処刑を盛り上げるために30人位やりたいが、囚人だけでは足りない場合は数合わせをする。そこらに居る人を難癖付けて逮捕し、処刑する。文化大革命以降はこの風習は無くなったが、習近平時代になって復活したという噂もあるようだ。