やっぱ志ん生だな/ビートたけし著

本書の前書きのタイトルは「はじめに 突然変異の化け物か!?」で曜変天目の茶碗が努力だけで出来るものではなく偶然の要素が必要であることになぞらえて「古今亭志ん生にもああいうもと同じ凄さを感じてしまう。」と書いている。確かに志ん生の落語が好きな人は大なり小なり、著者と同じことを感じていると思う。

前書きの後、全五章に渡って志ん生の芸を分析している。その中で「弥次郎」、「粗忽長屋」、「鰻の幇間」、「道具屋」、「お見立て」、「富久」、「黄金餅」、「寝床」、「火焔太鼓」、「あくび指南」、「大工調べ」、「人情八百屋」、「芝浜」、「幾代餅」、「野ざらし」を例に挙げ、その凄みやギャグが紹介されている。ビートたけしのそれぞれの解説を読むとすぐにでも聞いてみたくなるが「人情八百屋」だけは全く笑う要素がないので後回しにしましょう。この中から私なりにベスト5を選ぶとすれば「富久」、「あくび指南」、「火焔太鼓」、「黄金餅」、「寝床」というところか。

私としてはこれ以外に「三軒長屋 上、下」を加えたい。これを初めて聞いたのは高校生の時にオールナイトニッポンが終わった後の「早起きもいちど劇場」の録音であったが、自分なりにスゴイと思い、それ以降、何度も聞いた。だがラジオの録音で音が悪かったので就職してからNHKのCDを買ってまた聞いた。

全体的に解説はきめ細かいとは言えないので音を聞いたことが無い人にはちょっと伝わりにくい。もう少し丁寧に書いて欲しかった。(ちゃんとしたゴースト・ライターが居ればそうなったかもしれないが)。例えば「黄金餅」で金を包んだ餅を食って死んだ乞食坊主、西念の死体を下谷の山崎町から麻布絶口釜無村の木蓮寺まで運ぶ途中にどの道をどう通って、どこの角を曲がって等々を全て喋る(これを道中立て、という)という見せ場があるが筆足らずで、その面白さと凄さが伝わりにくい。「富久」、「寝床」も同様。この辺については少々長いが立川談志の「5大落語家論」の方が分かりやすいかも知れない。

志ん生論といえば必ず出てくるのが「間」。本書でも志ん生の間が絶妙としてその例がいくつか挙げられているが、これには少々異論がある。「間」というのは「え~」とか「あ~」とか「う~」と言ったり、喋りの途中での短いポーズであったりするが、これらを志ん生がいちいち計算でやっているようには思えないのだ。確かに噺の始めのマクラの部分では、その日の客の入り、小ネタの受け具合によって「間」を作っていたかもしれない。しかし、志ん生は50過ぎてから売れたので、慣れた噺でも次のセリフがすぐ出てこないことがあり、それがポーズすなわち「間」になっている。この巧まざる「間」が志ん生独特のテンポになって笑いを誘うのではあるまいか。そうであるからこそ誰も真似できず、またビートたけしが「越えられない」という所以だと思う。

志ん生論は数々あるが「富久」の久蔵が旦那宅の火事に駆けつける場面描写を「落語を『画』と『カット』でとらえる」として遠景、ミドルサイズ等のカット割で説明しているのはさすがに世界の北野監督。こんな落語解説は初めてだ。生前の志ん生にこの説明を聞かせたらどんな顔をしただろう?「なにぃ、お前さんねえ、活動てぇものと落語てのは全然違うもんだ、てぇんだよ。そんなことも分んねぇのかよ。ここんとこ、活動の方が人気出ちゃったりして、寄席の客が減っちまったぢゃねえか。どうしてくれるんだよぉ、えぇ~。」なんて言うかね?

尚、志ん生の音はメニュー中の「落語」からのリンクを辿れば聞けます。

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