最強の女/鹿島茂著

最強の女とはだれか?それは吉田沙保里!というのは冗談ですが、鹿島茂の選んだ五人の最強の女とは?カバー裏の説明によれば「恋人、愛人、夫の名前を並べるとその時代の有名人の名鑑が出来上がる。」

舞台は19世紀末から20世紀初頭のパリ。その五人は
(1)ルイーズ・ド・ヴィルモラン
(2)リー・ミラー
(3)ルー・ザロメ
(4)マリ・ド・エレディア
(5)ガラ

この中で最も有名なのはルー・ザロメでしょう。1861年2月12日、ロシアの首都サンクトペテルブルクで六人兄弟姉妹の長女として生まれた。彼女については自伝、評伝もあり「ルー・サロメ -善悪の彼岸 」という映画にもなっている。監督は『愛の嵐』のリリアーナ・カヴァー二監督。ルー・サロメ役のドミニク・サンダが怪しい雰囲気を醸し出している。

ルー・ザロメには「三位一体」という妙な計画があった。「要するにルー・ザロメが夢見たのは、女一人と男二人がセックス無しで共に勉学に励むという三位一体(トリニテ)の計画である。(後略)」。その一人が当時32歳、気鋭の哲学者でルー・ザロメに一目ぼれしたパウル・レーであった。しかし、彼女は求婚をつれなく拒絶する。パウルは彼女の三位一体計画を知り悩んだあげく師と仰ぐニーチェに手紙を書いた。ニーチェは彼女に会った途端に恋に落ちた。ニーチェも彼女に結婚を迫ったが、拒否され仕方なく彼らは三位一体の生活を始める。

彼らはニーチェの発案で三位一体完成記念写真を撮影した。右端がニーチェ。彼女は鞭を持っているが、二人の男が指揮されているという意味であろうか。映画にもこの写真を撮る場面が出てくる。

三人のヌード。この写真のオリジナルには全身が写っている。三人の共同生活はニーチェが強い結婚願望を抱いたのを彼女が嫌悪し1ヶ月で終焉した。彼女はニーチェと別れ、パウロ・ルーとベルリンで5年に及ぶ共同生活を始めた。パウロ・ルーは彼女との結婚を諦めてはいなかったが、やはり拒絶された。彼女は同棲しているにも関わらずベルリン社交界の花となり、名士の多くが彼女に求婚した。数々の求婚を断ってきたが、1887年突如としてフリードリヒ・カール・アンドレスというベルリン東洋語学研究所のトルコ語教授と結婚した。アンドレスは彼女に一目惚れし、ナイフを持って彼女の家に押しかけテーブルの上にそのナイフを置き、そのナイフで自分の胸を刺した。アンドレスは一命を取り留めたが、自分が犯人だと疑われるのを恐れ彼女は結婚を承諾した。

アンドレスとの結婚生活はアンドレスが84歳で没するまで43年間続いたが「それは、結局のところ、フランス語で言うところの『白い結婚(マリアージュ・ブラン)』つまり肉体関係の伴わない結婚に終わったのである。」この揉め事を避けるため彼女はアンドレアスに代理妻を用意した。

しかし、1897年ミュンヘンで詩人のリルケと知り合った時は「二人は肉体的にも『完全合体』を遂げ、高度な次元へ到達したと感じたのである。」中略「リルケは純粋な詩人であると同時にジゴロのような性的テクニシャンであって、おそらく、ルーを初めて性的なオルガスムスへと導き、恍惚感を与えたということになる。」

1899年4月彼女はリルケにアンドレアスと三人でのロシア行を提案した。彼女はロシア語が母語であり、リルケにロシア文学を学ばせるという名目でロシア語教師となっていた。リルケはこの提案にのり、彼女とアンドレアス、リルケの三位一体のロシア旅行に出発した。帰国後彼女はリルケと別れるため二人だけで二度目のロシア旅行へ出かける。

パウル・レーは1901年10月イン川で溺死した。自殺とみられている。これを聞いたルー・ザロメは彼とは別れて14年になるが、原因は自分にあると考えた。精神的に衰弱した彼女は主治医のフリードリッヒ・ピネーレス博士の勧めにより転地療法としてチロルへ移住した。ピネーレスは同行し、彼女は41歳にして初めて妊娠した。ピネーレスは驚いて夫のアンドレアスのもとに赴いて離婚を懇願しようとしたが、夫の性格を知りぬいている彼女は強く反対し、結局堕胎した。その後1902年にピネーレスと別れアンドレアスの元に戻った。

1911年ワイマールで彼女の愛人の紹介でフロイトに出会う。この時点でルー・ザロメは既に女流作家として名前が通っており「エロティーク」という著作を著した時からフロイトに興味を持っていたようである。このため1912年からフロイトのいるウィーンに滞在し「集中学習」を開始した。しかし、この二人の間には肉体関係はあり得なかった。「なぜなら、『失われた父』を求め続けたルーにとってフロイトはまさに『見出された父』あり、その『父』と関係を持つことは忌まわしい近親相姦となったからである。」

最後に紹介されているガラは1894年帝政ロシアのカザンで生まれた。彼女はポール・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリのシュールレアリスムの三巨頭を手に入れたと言って良い。ポール・エリュアールとマックス・エルンストとは三角関係が長く続いた。その後ダリとは正式に結婚している。これまで紹介された4人は自身で詩や小説或いは写真等による表現者でもあった。しかし、ガラは自身で創作する事はせず、金の為にダリに絵を描かせた。

彼女がスペインでダリに初めて会ったのは1930年。25歳で童貞であったダリが一目惚れ。同行したエリュアールがダリの背中を押し、ガラは「いやいやながら」ではあったが、海辺を何度か散歩していると遂には「ねぇ坊や、わたしたちもう離れられないんじゃない?」と呟くに至った。エリュアールは当時ガラと結婚しており、ダリを3Pの代打位にしか思っていなかった。エリュアールはガラとダリの仲に気付かず、彼女を置いてフランスに帰った。

その後二人はマルセイユのアパートに移り、ダリを画作に没頭させた。ガラはなんとかダリの絵を売ろうとするが、中々商売にならず、暫くの間極貧性格を余儀なくされる。その後ガラのマネージメントの手腕が発揮され徐々に絵が売れるようになるが、スペイン内乱、第二次世界大戦勃発の混乱を避け、二人はアメリカに亡命した。

ガラは金の為にダリの尻を叩いて絵を描かせた。Mであったダリは絵を描けと責められる事に快感を感じていたが肉体的接触は極端に嫌った。鹿島茂はダリは裸体のガラを視るだけで満足する「搾視症のオナニスト」と断じている。次第にシュールレアリスムがブームとなってダリの絵が巨額で取引されるようになり、生活は潤ったがガラはダリに対するSだけでは満足できなかった。ガラがニューヨークで若い男に声を掛けている姿が何度か目撃されているそうだ。

ダリとガラ(ガラが特に美人とは思えない)

ルー・ザロメ、ガラ以外の三人も波乱万丈の生涯を送っている。5人に共通するのは一人の男では満足できない、しかしセックスだけでは無い、という処でしょうか。本書は数々の自伝、評伝、資料を纏め5人のファムファタール(運命の女)の生涯が簡潔に紹介されており、類書の無い、面白い読み物になっている。

蛇足ですが、著者は本書の装丁に満足されているんでしょうか?

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