Tickle Toe / Lambert Hendricks & Ross + Count Basie Orchestra

最近はどうも新聞の死亡記事が気になります。最近見つけた訃報が今日の主人公であるジョン・ヘンドリックスです。

彼はデイブ・ランバートとアニー・ロスとの三人組(以下LH&R)でボォーカリーズを完成させました。ボォーカリーズとは器楽演奏を歌で再現するという非常に難しい芸です。元々は戦前の曲に歌詞を付けて歌っていましたが、それを聞いたカウント・ベイシーがいたく気に入り、彼のバンドをバックに3人が歌うという豪華企画が実現しました。尚、ジャケットに見えるJoe Williamsはブルースが得意であった当時のベイシー楽団専属歌手です。

取り上げる曲は勿論ベイシー楽団のヒット曲ですがその中でもこのティックル・トー(むず痒い足)は忘れられません。当時ベイシー楽団に在籍していたテナーのレスター・ヤングのソロをコピーして歌っています。

言うまでも無くジャズの醍醐味はアドリブ・ソロですが、名奏者は素晴らしいメロディを紡いでおり、昔は上手いソロの事を「良く歌っている」と表現していました。レスター・ヤングは独特の斬新なアドリブを吹いており、多くの人がこれを丸暗記しています。私もいつでも脳内で再生できます。

戦前のテナーサックスはコールマン・ホーキンスに代表される力強い堂々とした奏法が主流でした。処がレスター・ヤングは線が細く、なよなよした新しい奏法で油井正一はかつて「つながると思えば切れ、切れると思えば繋がる」という分かったような分からないような解説をしていました。この新スタイルに当時の若いミュージシャンが追随し、後年主として米国西海岸で盛んになったクールジャズの源流になったと言われています。また、レスター・ヤングこそがモダンジャズの原点だという人もいます。

レスター・ヤングは1944年に徴兵され殆どのミュージシャンは軍楽隊に配属されるのが通例でしたが彼は兵役に従事。
大東亜戦争終戦後に除隊し演奏活動に復帰しましたが大和明氏は「軍隊で黒人差別による精神的なダメージを受けたので除隊後の演奏には採るべきものは無い」と批判していました。これに対し、レスター・ヤング命の大橋巨泉氏は「大和君はそういう事を言うけどそんな事は無い」と強く反論していました。私は大橋巨泉氏に一票。

レスター・ヤングのソロに魅せられた後輩たちは彼へのトリビュートを録音しています。リー・コニッツは本業のアルトからテナー・サックスに持ち替えてレスター・ヤングのソロを再現しており、これを始めて聞いたときはジワッ、ウルッと来たことを覚えています。ベイシー楽団のオリジナルとLH&Rの歌、そしてリー・コニッツとアート・ペッパーの録音を聞き比べてみてください。先輩のレスター・ヤングを敬慕する素晴らしい演奏です。

LH&R / Tickle Toe with Count Basie Orchestra (聞き取り不能の為、歌詞は省略) 

Count Basie 楽団オリジナル(1940年録音)

Lee Konitzのアルバム 「Duets」のTickle Toe. 共演しているのは Richie Kamuca

Art Pepperのアルバム 「Surf ride」のTickle Toe.

スタコイ東京/菊池正夫

数ある珍盤・奇盤の中でこの歌は忘れる訳には行かないでしょう。何弁か分からない非標準語で歌われていますが、今風に言えばラップとも言えます。

問題はタイトルの「スタコイ」の意味がハッキリしない事です。ネットで検索するとなんと、WEBLIOに用例がありました。鳥取弁だそうです。
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《品詞》形容詞
《標準語》すばしっこい、立ち回りが機敏だ、手が早い、要領がよい
《用例》「あのもんは、なかなかすたこいもんだぞ」(あやつは、なかなか機敏な奴だ)
《用例》「お前はとろいけ、もうちいとすたこーならないけん」(もう少し、機敏で要領よくならなきゃいけない)
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一方津軽弁という説もあります。以下は「阿修羅♪」というサイトからの引用です。スタコイの意味を議論しています。

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私は津軽に住んでます。これは津軽弁だと思うのですが・・・
「スタコイ、スタコイ」は「たいした怖い、たいした怖い」という意味で使っています。

「~はんで」は「~なので」
ちなみに「ダッキャッダッキャ節」のダッキャは「そうだねそうだね節」という意味です。
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菊池正夫には「ダッキャッダッキャ節」という歌がありますが、ダッキャッダッキャも津軽弁だそうです。これから見ると津軽弁に軍配が上がるような気がします。後に彼は東芝に移籍していますが、東芝から「スタコイ・ポップス」というオムニバスアルバムが2枚出ています。

この2枚のアルバムは当時の東芝所属の和製ポップスを集めたものですが、それにスタコイというタイトルを付けているという事は当時は誰でも知ってる言葉だったんでしょうか?

尚、菊池正夫は後年城卓矢と名前を変えて歌った「骨まで愛して」が大ヒットになりました。

この歌は、ちあきなおみがカバーしています。彼女は引退してしまいましたが、改めて聞いてみると中々上手い歌手でした。少なくとも女性で「スタコイ東京」を歌いこなせる人は他に居ないでしょう。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★☆

You’d Be So Nice To Come Home To / Helen Merrill + Clifford Brown

クリフォード・ブラウンのレコードはマックス・ローチとのBrown Roach Quintetのアルバムを何枚か持っていますがLPなので、少々聞きにくい状況になっています。クリフォード・ブラウンはどのアドリブを聞いても全く破綻が無く、上手すぎるという感じです。酒やスリクにも縁が無く、その人柄の良さからミュージシャンたちの信頼を得ていました。彼の死後、Lee Morganは”I Remember Clifford”という素晴らしい追悼歌を作曲し、スタンダードとなって今でも時折演奏されます。この歌のタイトルは解釈が難しいので、忘れないために過去のブログ記事を復活・再掲しておきます。
………….2011.08.18
26歳の若さで同僚リッチーパウエルと共に自動車事故で夭折した天才トランペッタークリフォードブラウンが24歳の時の録音です。24歳とは思えない艶っぽいソロを聞かせています。歌っているのは当時「ニューヨークの溜息」と渾名されたヘレンメリルでその名に恥じないセクシーな名唱を聞かせています。クリフォードブラウンとヘレンメリルの相性もピッタリで、ジャズファンなら知らない人はいないという名盤が生まれました。ジャケ写も良い仕事してます。

You’d be so nice to come home to/あなたの待つ家へ帰れたらどんなにすてきでしょう
You’d be so nice by the fire/あなたが暖炉のそばにいてくれたらどんなに素敵でしょう
While that breeze on height sang a lullaby/そよ風が高くまいながら、子守唄を歌ってくれて
You’d be all that I could desire/私が求めるものがあるとしたら、それは、あなただけ
Under stars chilled by the winter/冬の寒さに震える星の下でも
Under an August moon burning above/空で燃えさかる真夏の月の下でもYou’d be so nice you’d be paradise to come home to and love/帰って行くところとして、そした愛する相手として、あなたがいてくれたら素敵で、どんなに楽園のようでしょう

「帰ってくれたらうれしいわ」という邦題が付いていますが、大分前に大橋巨泉がこのタイトルはおかしい、なぜなら最後に”to”がついているからだと言ってました。しかし、彼も明確に誤りを指摘できた訳ではありませんでした。長い間謎が解けませんでしたが、最近、江口裕之という英語の先生のホームページに詳しい解説があり、やっと納得できました。要は家で待っているのは私なのかそれとも彼(または夫)なのか?という事です。ちょっとくどくなりますが江口先生の解説の一部を引用します。
It is hard to drive on this road/この道路は運転しにくい。という文章をThis road を主語にして書き換えると;
This road is hard to drive on となります。最後のonが無いと文章になりません。(This road が主語となれない)もう一つ;
It is easy to live in this city/この町は住みやすい をThis cityを主語にして書き直すと;
This city is easy to live in となります。やはり文末のinは落とせません。では応用問題;
It would be so nice to come to you/貴方のそばに行くのはとっても素敵なこと(でも仮定法だから出来ない)これに副詞のhomeを入れると;
It would be so nice to come home to you/あなたの待つ家へ帰れたらどんなに素敵でしょう。となります。これをYouを主語にして書き換えると;
You would be so nice to come home toとなります。すなはち、待っているのは彼で彼が待っている家に帰れたらどんなに素敵な事でしょう、という意味になります。解説を読んでなる程と納得しましたが、自力では発見できませんでした。何はともあれ、20年来の疑問が解けて非常にスッキリした今日この頃です。

I remember Clifford / Lee Morgan (Lee Morgan Vol.3)

あ~五十肩/智子

6月半ば、朝起きた時に左の肩にピリッと痛みが走り、暫くして右肩にも同じ痛みが発生。暫く肩をグルグル回したりなんかしてみても、逆に痛くなるばかり。仕方なく新宿駅近くの大病院の整形外科へ。出てきた先生はかなり若いのに、貫禄があり、かつ怖そう。今時珍しい昔風の医者って感じ。まずレントゲンを撮って「骨には異常なし」という診断。「五十肩ですか?」と聞くと「いや、四十肩」という返答。四十肩だから若い、とか言って喜んでる場合では無い。先生の威厳のある物言いにとうとう四十肩と五十肩はどう違うんですか?と聞けず仕舞。「飲み薬と貼り薬出しときます。」と言って、はよ帰れと言わんばかりの態度。「次はいつ来たら良いでしょうか?」と聞くと「もう来なくてよろしい、一年位すれば治る。」と冷たく見放されてしまいました。

幸いにも近所にリハビリ施設のある整形外科を見つけたので、今はそこに通っています。若いおねーさんが引っ張ったり、押したり、揉んだりしてくれて快適。ちゃんと分度儀で腕の上がる角度も計ってくれます。しかも保険適用で鍼より安い。だから不精な私でも週に1~2回通う意欲が湧いてくるんです。

この歌を歌っている智子さんは九州博多で活動しておられる専業主婦シンガーソングライター。写真を見ると若そうですが、ブログには昭和30年生まれと書いてありました。かつてはヤマハのポプコンに出たこともある実力派。子育てに目途が付き50歳になった時に音楽活動を再開したそうです。
この歌は多分ご自身の体験でしょう。彼女も四十肩と五十肩はどう違うか悩んでいます。アレンジが昭和のムード歌謡風で、カラオケで歌いたくなります。

トホホ度 ★★☆
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★

 

Dixie Jass Band One-Step / ODJB (Original Dixieland Jass Band)

色々な人がジャズの歴史を研究しているが、その起源はクラシック音楽と違い、ちゃんとした譜面や記録が無いので、推測の域を出ません。現存する最古の記録としては、この曲を含む1917年のODJB (Originail Dixieland Jass Band)の録音があり、他にこれといった資料も無いので、この録音をもって嚆矢としました。(当時はJAZZではなくJASSと綴っていた)よって、今年はジャズが誕生して100年になります。

ところで、ジャズのルーツはアフリカだと言われています。アフリカの黒人が奴隷として米国に連れて来られ綿花畑での労働歌がブルースとなり、これがジャズの源泉となったというのが定説です。当時の黒人は楽器はありませんでしたが1861年に始まった南北戦争で廃物となった軍楽隊の楽器が黒人が持った最初の金管楽器だろうという説もあります。初期はトランペットがジャズの花形楽器であったのも軍楽隊のラッパから来ているのでしょう。

米国の作家アレックス・ヘイリーの「ルーツ」(1976)はベストセラーとなり、映画やTVドラマにもなりました。アフリカにルーツを持つ黒人が先祖であるクンタ・キンテを探すというノン・フィクションです。処が出版後これは事実では無いとか盗作であるとか多数の異議が出ました。例えば当時、殆どの奴隷はアフリカー米国間が長距離であるためアフリカ西岸から南米へ運ばれ、その後南米から米国へ移送されていました。しかしながら「ルーツ」ではアフリカから直接米国に上陸した事になっており、これが不自然だという指摘です。

私は奴隷は直接米国に来たものだと思っていましたが、この論争の中で一旦南米に上陸し、そこですぐに米国に移動した者もあれば長く南米に留まった例もあるという事を知った訳です。米国の黒人ジャズメンが直接アフリカを示唆するような演奏よりも南米に親和性を見せている例が多いのは、彼らの先祖が経由地の南米で南米音楽を吸収したDNAのなせる業でしょうか。

録音は1877年にエジソンが発明した蝋管式蓄音機で始まり1917年時点では蝋管でなく現在のように円盤になっていました。但し、電気録音の発明は1925年であり、この時点では蓄音機のラッパへの直接吹き込みでした。ここに取り上げたODJBの演奏は電気録音では無いにも係わらず意外にも各楽器の音がそれぞれ捉えられている。当然マイクは無いので、蓄音機のラッパの前に立ち、音の大きい太鼓は少し後ろに配置したりしてバランスを取ったのでしょう。尚ODJBのメンバーは全て白人です。人種差別意識の強かった時代に黒人が録音する事は考えられず、仮に録音してもそのレコードを買う人は無かったようです。

黄色いさくらんぼ/スリー・キャッツ

今年は浜口庫之助(通称ハマクラ)生誕100年なんだそうです。浜口氏は戦前学生バンドでプロとなり、戦後は主として作曲家として数多くのヒット曲を出しています。「黄色いさくらんぼ」は多分最初のヒットだと思います。同時期に守屋浩の「僕はないちっち」も大ヒットしてます。また日本のフォークの黎明期にマイク真木が歌った「バラが咲いた」もハマクラさんでした。

作詞は星野哲郎ですがお熱い話に ンー おしゃれな話に ヘエー おいしい話に ウァー」なんて中々上手いと思いますしかし黄色いサクランボというのが何か、今市良く分りません。これは未だ熟れていなく赤くないサクランボという意味で、要するに熟れる前の可愛い娘という事でしょうか?

サクランボは英語でチェリーですが、チェリーにはバージンという意味があります。(蛇足ですが、英語では男女共にvirginと言います)という事は未だバージンにもならないサクランボという事でしょうか?(それぢゃ、まるでガキ)
余談ですが山形県で栽培されている「月山錦」という品種は正真正銘の黄色いサクランボです。しかし希少品種のため、余り市場に出回らないようです。

若い娘は ウフン
お色気ありそうで ウフン なさそで ウフン ありそで ウフン
ほらほら 黄色いサクランボ
つまんでごらんよ ワン
しゃぶってごらんよ ツー
甘くてしぶいよ スリー
ワンー ツー スリー ウーン
黄色いさくらんぼ

若い娘が ウフン
三人揃えば ウフン ペチャクチャ ウフン ペチャクチャ ウフン
コロコロ 黄色いさくらんぼ
お熱い話に ンー
おしゃれな話に ヘエー
おいしい話に ウァー
ワンー ツー スリー ウーン 黄色いさくらんぼ

若い娘は ウフン
お脈がありそで ウフン なさそで ウフン ありそで ウフン
なんだか 黄色いさくらんぼ
さわっちゃいやいや ワン
はなしちゃいやいや ツー
ふざけてすまして スリー
ワン ツー スリー ウーン 黄色いさくらんぼ

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★☆