The Changing Lights / Stacey Kent

毎年ノーベル文学賞発表時期になるとハルキストなる人々が謂集し、吉報を待つ。しかし今年も村上春樹の受賞は無く、ハルキスト達はクラッカーを鳴らし、アーとかウーとか言って去って行った。

受賞したKazuo Ishiguroは長崎県で生まれ、5歳の時に英国に移住し、現在は英国籍であるが、まるで日本人が受賞したような騒ぎになっている。英国は二重国籍を容認する国なので、もし現時点で英国と日本の二重国籍であったら、どんな騒ぎになっていたか。余談であるが、Kazuo Ishiguroの著作と今年のノーベル経済学賞のリチャード・セイラー及び同物理学賞のライナー・ワイス、キップ・ソーン、バリー・バリッシュの3氏の著作は共に早川書房の出版であり、二人しかいない営業部員はてんてこ舞いの忙しさであるらしい。

ステーシー・ケントは米国東部生まれで22歳の時に音楽の勉強のために英国に渡り、以降ロンドンを中心に音楽活動を続けている。彼女のアルバム”Breakfast on the Morning Tram”は大ヒットし、グラミー賞にもノミネートされた。このアルバムではKazuo Ishiguroが4曲作詞している。最新作である”I know, I dream”では”The Changing Lights”と新幹線を題材にした”Bullet Train”の2曲を作詞している。

彼女とKazuo Ishiguroの出会いは英国 Independent紙の
How we met: Stacey Kent & Kazuo Ishiguro によると、スステイシーは2002年に”Unconsoled” 「充たされざる者」と”The Remains of the Day”「日の名残り」を読んで彼のファンになり夫でサックス奏者・作曲家のMr. Jim Tomlinson と共に彼が出ているラジオ番組を聴いていた。するとKazuo Ishiguroが私の歌をかけたのを聞いて驚いた。とても嬉しかったので、早速礼状を書き、それから電子メールのやりとりが始まった。その後ランチを共にする機会があった。彼女はKazuoに畏敬の念があったため、当初は委縮していたがすぐに打ち解けた。同年”In Love Again”のライナーノーツ執筆を依頼した。それは全く素晴らしい出来であり、夫と共にお礼のランチに招待した。その席で突然夫がKazuoにステイシーの為の作詞を依頼したところ快諾された。(以下略)

Were we leaving Rio or were we in New York?
私たちがリオを離れる時、それともニューヨークにいた?
I remember bossa nova on the breeze
私はそよ風に乗ってるボサノバを覚えてる

We were in the back seat of a cab we couldn’t afford
私たちは払えないタクシーの後部座席にいた
You were holding my old rucksack on your knees
あなたは私の古いリュックサックを膝の上に抱いていた

You leaned towards your window to see the traffic up ahead
あなたは先に行く車を見ようと、窓にもたれかかってた
“These commuters here,” you said “Could be the walking dead”
これらの通勤者は生ける屍かもしれないとあなたが言った

And we vowed to guard our dreams
私達は自分の夢を守ると誓った
From all the storms that lay ahead from the winds of fear and age and compromise
この先待ち構えるのが嵐と恐怖と年齢と妥協の強風だったとしても
And we laughed about the hopelessness of so many peoples lives
そして、渡地たちは多くの人々の人生の絶望を笑った
As we slowly moved towards the changing lights.
私たちが変わろうとする信号に向かってゆっくり進んでいる

It was near Les Invalides or perhaps Trafalgar Square
それはアンヴァリッドの近くか、もしかしたらトラファルガー広場
It was late at night the city was asleep.
夜は更け、街は深い眠りの中

You were clowning in the back seat with some friends we’d found somewhere
あなたは何処かで出会った友人たちと後部座席でふざけていた
The kind, back then, we always seemed to meet
あの頃、私たちが知り合うのはそんな人たちだった
There were those in this great world you said “Just fated to go far”
この広い世界には遠くに旅するように運命づけられている人々がいる、とあなたは言った
And among the lucky ones were we inside that car
そして車に乗っている私たちが恵まれてる者という事ですね.

And your friends began to sing “When You Wish Upon A Star”
そしてあなたの友達が「星に願いを」を歌い始めた
And you clapped along like you didn’t have a care
そしてあなたは何も気にしていない素振りで手を叩き続ける
But once I turned to glance at you as we drove across the square
でも車が広場を横切る時ふとあなたを見ると

And your face looked haunted in the changing lights
あなたの顔は変わりかけた信号の中、何かに取り憑かれているように見えた

Was it last September?
あれは去年の9月?
It was autumn more or less
秋の頃
You were waiting to cross some busy boulevard talking on your phone to your family I guess
あなたは多分あなたの家族に電話しながら込み合った大通りを渡ろうと待っていた
Your briefcase tucked up high beneath your arm
あなたは小脇にブリーフケースを抱えて

As I approached you turned around
私が近づくとあなたは振り返り
A question in your eye
怪訝な眼差し
As though I might ignore you and just simply walk on by
まるで私が無視して歩き去ったかのように

But we smiled and talked awhile about each others lives

でも私たちは微笑み暫くお互いの近況について話をした
And once or twice I caught a wistful note
そして、一度か二度私はあなたの知りたげな様子に気づいたけれど
Then you moved towards the crossing as the cars slowed to a halt
車が速度を落として近づくと、あなたは横断歩道へと歩いて行った
And we waved and parted beneath the changing lights
そして変わりつつある信号の下で手を振って別れたの 

Release Me / Engelbert Humperdinck

今週日曜日の山下達郎サンデーソングブックで2回目のグレン・キャンベル特集を聞く事ができました。山下達郎もカントリー&ウェスタンは米国中西部の田舎に住む共和党支持者、すなわちトランプ支持者にファンが多いと言ってました。

エンゲルベルト・フンパーディングは英国人ですので、「リリース・ミー」はカントリー&ウェスタンとは言えませんが、カントリー風味満点のスタンダード曲になっています。

前にも言ったようにカントリー&ウェスタン系の歌は男目線の歌詞が多く、この歌も結構凄いです。相手が恋人か妻かは分かりませんが、もうお前を愛していないから自由にさせてくれと言ってます。極め付は「彼女の唇は暖かいが君のは冷たい」。ここで言う彼女は新しい恋の相手です。今時こんな歌詞を書く作詞家が居たら、ネットで袋叩きにの目にあってるかもしれません。しかし、この歌は英国で大ヒットし、そのお陰でビートルズが1位を取れなかった事もあります。

Please release me, let me go
僕を解放して、行かせてくれ
For I don’t love you anymore
僕はもう君を愛していないから
To waste our lives would be a sin
僕たちの人生を無駄にすることは罪だ
Release me and let me love again
開放して、もう一度恋をさせてくれ

I have found a new love, dear
僕は新しい恋を見つけたんだよ
And I will always want her near
そして、僕はいつも彼女が側に居て欲しい
Her lips are warm while yours are cold
彼女の唇は暖かい、でも君のは冷たい
Release me, my darling, let me go
君よ、僕を解放して行かせてくれ

(Please release me, let me go)
(お願いだから僕を解放して、行かせてくれ)
For I don’t love you anymore
僕はもう君を愛していないから
(To waste my life would be a sin)
私の人生を無駄にする事は罪だ
So release me and let me love again
だから、僕を解放してもう一度恋さえてくれ

Please release me, can’t you see
御願いだから僕を解放してくれ、分らないのかい?
You’d be a fool to cling to me
君が僕にしがみつくのは愚かな事だ
To live our lives would bring us pain
僕たちの人生を生きるのは僕たちに苦痛をもたらす
So release me and let me love again
だから、お願いだ僕を解放して、もう一度恋をさせてくれ
(Let me love, let me love)
恋をさせてくれ、恋をさせてくれ

文豪の女遍歴/小谷野敦著

「どうでも良いと思いつつ、やっぱり気になる他人の色ごと」特に昨今不倫報道が色々出てくるとつい古い諺を思い出してしまいます。「人のフリン見て我がフリン直せ」

この本、買うか否か少々迷いました。男女文士62人の女遍歴、男遍歴、男色が語られており、これだけの色事を読まされては胸焼けしそうな気がしたんです。

小谷野敦は国文学者・文芸評論家で実に多くの資料に当たり、真実を究明しています。文体が簡潔なのは綿密な調査の裏付けがあるからでしょう。例えば夏目漱石の項では「(前略)漱石は一度しか結婚せず、多くの子供をなしたが、妻以外の女とはセックスせず、娼婦を買ったこともない。(中略)なぜ漱石が『国民作家』になったかといえば、東大卒の英文学者で東大講師をしており、明治四十年代以降、自然主義が盛んになって、性的な経験を描く作家が増えた中で、漱石は性的なことがらを書かなかったから、中産階級の家庭で、漱石なら読んでもいいということになったからである。」これ以上簡潔な漱石論は他にないでしょう。

佐藤春夫の項で、谷崎潤一郎が佐藤の求めに応じて妻千代を譲渡した事件については「(前略)だが、深読みをすれば、佐藤が好きだったのはもともと千代でなく、谷崎のほうだったのだろう。ホモーソーシャルでホモエロチックなもので、芥川も谷崎に惹かれていたし、谷崎というのは男に崇拝される質なのである。谷崎が好きだったからその妻の千代も欲しかった、ということだろう。」と述べている。

男色と言えばまず「仮面の告白」の三島由紀夫が思い浮かぶが、彼は本物のゲイでは無いという論もあり、本書ではバイセクシャルとしている。しかし「ヒタメン 三島由紀夫が女に逢うとき…」という著作のある岩下尚史はTVで、ちゃんとしたゲイの方はご家庭とお子様をお持ちなの、と言っていた。自身が独身である事を卑下しての発言であるが、妻子があるからゲイでは無いとは言えないというのが本意であろう。川端康成も同様であるらしい。

宇野千代の項では「『徹子の部屋』に出た時は、黒柳徹子が『尾崎士郎さん…』というとすかざす『寝たっ!』と言うので、あとで黒柳が、あんなにお昼寝をするように寝た寝た言う方は初めてだと笑っていたという。ところが小林秀雄だけは、寝たでも寝ないでもなく口を濁したので、あとで訊いたら、雑魚寝をした、という。」宇野は色んな男と寝た話をするが、瀬戸内寂聴が宇野を京都の自宅に接待した時も小林秀雄だけは濁したそうです。

著者がかなり細かい事情まで把握できるのは昔は私小説という形態が多く、自身あるいは実在の人物がモデルになっているので本編、周辺資料、書簡からかなり正確に実際を推定出来るようです。例えば田山花袋の「蒲団」は本人の実話であると断じており国文学の研究とはこういう事かと得心した次第であります。全体を通じて、本人及び周囲の女性の自殺或いは精神異常が多いのが驚きです。全ての自殺、精神異常が色絡みとは言えないでしょうが、やはり当時は不倫するのも命がけといった処でしょうか。
一読三嘆当世文豪気質。

私の心の中の関数/Target Blank

昔、役所がB5縦文明だった頃は和文タイプライターなるものがあったが、ジャスト・システムの一太郎、マイクロソフトのワードを使うようになってA4縦文明が勃興した。しかし最近は何でもかんでもパワーポイントで、図面やグラフを多用したA4横文明が社会を席巻している。紙に印刷しないので大したことでも無いプレゼンテーションで数十枚のスライドを次々と捲って説明するが、結局何の事やら分からないという事も良くある。パワーポイントでは箇条書き程度であるので、益々日本語力の低下、引いては一億総白痴化に拍車がかかっている。

ワードの使用頻度はかなり減ったが、エクセルは使わない日は無いと言っても過言では無いだろう。この歌はエクセルで使う色々な関数の使い方を覚えるというコンセプトの元、中身はラブ・ストーリーになっている。ビデオ迄作って、かなり力を入れているが、果たしてこの企画、成功か否かと考えると難しいものがある。B面は「愛のウィルス対策」と題してコンピュータ・ウィルス対処法を啓蒙するという意図のようだが、意気込みは買うとしても、なんだか良く分らない。カテゴリーは迷ったが一応珍盤・奇盤のカテゴリに入れてみた。少々失礼だったでしょうか?因みにグループ名のTarget Blank (target=”_blank”)はウェブページを新しい窓で開くスクリプトである。(どうでも良いが)

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★★

タコフン音頭/小松政夫とタコフン軍団

小松政夫といえば、電線音頭やしらけ鳥が有名ですが、これも中々の佳曲であります。
….<2013.08.13>
小松政夫氏には色々なヒット曲がありますが、馬鹿馬鹿しさではこれがベストでしょう。タコにブラジャー或いは褌という発想が凄いの一言ですが、小松氏自身が作詞・作曲して此処までに仕上げたのは並大抵の努力ではなかったと思われます。今風に言えばちょっとイタイ部分もありますが、ここまでくればシュールという言い方も出来ます。またジャケ写も秀逸です。まさに20世紀の遺産と言って良い迷曲です。まったくもって”アンタはエライ”。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★★
意味不明度 ★★★★☆

昭和と師弟愛/小松政夫著

博多生まれの小松政夫(本名:松崎雅臣)は昭和31年俳優を目指し兄を頼って横浜に出てきたが俳優座の月謝が払えず、俳優を断念。横浜トヨペットのセールスマンを経て昭和39年1月より植木等の運転手兼付き人となる。セールスマン時代は口八丁・手八丁で売りまくり月給12万円を稼いだが、付き人となっては世間並みの月給7千円。当時既に植木等は大スターで多忙を極め、付き人の小松は1週間の睡眠時間が10時間しかなかった事もあった。しかし、小松は植木等の傍に居るだけで嬉しく、全然つらくなかったそうだ。現在NHKで土曜夜放送中の「植木等とのぼせもん」には本書にあるエピソードが、上手く映像化されている。

付き人になってからは植木等のはからいで、しばしばチョイ役を貰い3年10ヶ月後遂に「シャボン玉・ホリデー」でデビューできた。本書によると最初の映画は昭和40年のクレージーキャッツの「大冒険」とあるが、小松が出ていたのは覚えていない。もう一回DVDを見直してみましょう。

その後は独立して「小松の親分さん」で一世風靡。伊東四朗とのコンビでも笑わせてくれた。昭和50年に始まった「前略おふくろ様」に出ていたのは良く覚えている。板前修業中のショーケンの先輩役で意外にシリアスな演技だったと記憶している。これももう一回DVDを見てみよう。

植木等の遺作は平成19年の「舞妓Haaaan!!!」で画面では矍鑠とした老人に見えたが、この時は既に車椅子+酸素吸入状態であったらしい。その時の植木は車椅子に座っていても本番になるとシャキッと腰が伸びたと書かれている。これもDVDもう一度見てみましょう。

全般的に植木等がなんとか小松を助けて一人前にしてやろうという気持ち、気配りが素晴らしい。また小松が植木を慕う気持ちが溢れている。小松のどうしたらウケるか必死に工夫し淀川長治のギャグが生まれたエピソード等々実に興味深い。

以前赤塚不二夫の長年の編集者で手塚治虫も一時担当していた人の本を読んだことがある。赤塚不二夫がアシスタントを何とか一本立ちさせてやろうと色々と図らう気持ちが植木等と殆ど同じであった。一方手塚治虫は俺のアシスタントになれただけでも有難く思え的な正反対の性格だったそうである。