パスタぎらい/ヤマザキマリ著

洋食で何料理が好きですか?と訊かれたらイタリア料理と答える人が多いんぢゃないでしょうか。私もそうです。何故かと考えると昔喫茶店でシャカシャカとパルメザンチーズを掛けて飽きるほど食べたスパゲッティ(ナポリタンかミートソース)の記憶からでしょうか。余談ですが、イタリアにはあの丸い緑の筒に入ったパルメザンチーズというものは無く、著者は一時帰国からイタリアに戻る度に大量に買って帰るそうです。

ヤマザキマリ氏は17歳の時にフィレンツェに留学し、今年で通算35年になるそうです。その間、映画にもなった「テルマエ・ロマエ」が大ヒットし、一躍有名漫画作家になりました。彼女は貧乏画学生時代、ニンニク、塩胡椒、鷹の爪をオリーブオイルで和えただけの「アーリオ・オリエ・エ・ペペロンチーノ」というスパゲッティばかり食べていたそうです。材料費は20~30円。これに飽きた時は思い切って50円位出してトマトの水煮缶を買ってトマト仕立てにする。「フィレンツェに留学していた11年の間に、おそらくわたしは一生分のパスタを食べてしまったのかもしれない…」。パスタぎらいはこれが原因のようです。

イタリア料理と言えばオリーブ油。これを切らすと台所はパニック。慌てて近所のスーパーで買ってきても事件は解決しません。各家庭にはそれぞれ御用達のオリーブ油の味があり、違う種類では家族は満足できないようです。ちなみに小皿にオリーブオイルを入れ、パンに付けて食べているのを最近良く見かけますが、本来あれはオリーブ油のテイスティングなんだそうです。

ワインも当然地元産。「ポルトガルに暮らしていた時は、近所の酒屋やスーパーマーケットの売り場に置かれていた八割が、ポルトガル産のワインだった」。スペインのワインを飲んでみたくなり、それを買おうとしたら、ポルトガルに居るのにスペインのワインを飲むなと店のオヤジに叱られた。これはイタリアでも同じようです。

チーズもワイン同様その地域産のものしかなかなか手に入らない。子供の頃はチーズが嫌いだったが14歳で初めてフランスに行った時に臭いも味も強烈なチーズを食べさせられて卒倒しそうになった。あちこち訪れた所で地元のチーズを食べさせられ、今ではかなりきついチーズも平気で食べられるようになったそうです。「こうした経験を踏まえて考えてみると、美味しいと思えないものを無理やり食べるところから、『味覚の外交力』が始まり、寛容性が生まれるのかもしれない。」

イタリアのパンは美味しくないと言っています。一番おいしいのは日本のパン。イタリアには「フォッカチャ」というイースト菌で発酵させない薄く平たいパンがあり、これには塩気があり、表面にオリーブオイルが染み出したりして結構おいしいそうです。ピッツァはインドや中東で食べられている平たいパンやフォッカチャに具をのせて焼いたものです。私がイタリアに行った時にピザを注文したら、薄い生地で六等分に切れていません。周りの客を見るとナイフとフォークで器用に食べていました。彼らは具材の乗った中心だけを食べるので、縁はいらないんだそうです。尚、生地が厚いピッツァは貧しい地域で作られ、貧しいシチリア移民がアメリカに持ち込んだという説があります。

イタリア料理は日本人にとってはフランス程ではないにせよ、少々高級感がありますが、イタリアの食文化は非常に保守的です。日本でも地方によって独特の味噌醤油文化があり、地元の人がそれに固執しているのと同じ感覚なんでしょう。著者が一時帰国した時「貧乏パスタ」が千円以上で周りはワイングラスの足を持ってクルクル回しているのを見て、かなりの違和感を覚えたようです。それに比べ 何でも貪欲に食べる日本人はイタリア人に比べて「味覚の外交力」が強いといえそうです。これ以外に私が知りたかった欧米でのモツ料理についても面白い話がありました。

すごい言い訳!/中川越著

著者は文豪の手紙から言い訳を選び出し、そのいくつかを紹介しています。言い訳とは何かという事を著者は明確にしてはいませんが、この本から纏めると「有言不実行を詫びながら、原因を他に転嫁し、相手に自分は(あんまり)悪くないと思わせる。」というところでしょうか。

第一章の「男と女の恋の言い訳」では二股疑惑をごまかしたり、女と絶縁したり、と色々ありますが詳細な事情が分からないので、何とも言えません。第二章「お金にまつわる苦しい言い訳」では金を借りる、或いは借りているという立場が明確なので、言い訳の苦しさが際立ちます。しかしながら皆さん卑屈になっていないところが素晴らしい。例えば武者小路実篤の金を借りる手紙です。

用事だけ書く、実は相変らず貧乏神がとついているので僕が大事にしていたロダンのスフィンクスを手放そうと思うのだが 中々良い買い手が見つからないので、君には拝借した金があるのでたのみ憎いのだが 七、八百円に売りたいと思っているのだが君に前のは拝借したことにして 五百円で良かったら買ってもらいたいのだ 千円でも僕は売りたくなかったのだが今の場合そう云ってはいられないのだ。

これ意味分かりますか?「スフィンクス」はブロンズ像でこれを五百円で買ってくれと言っています。しかも、以前の借金は返す気はありません。さらに本来は千円以上の「スフィンクス」を特にあなたに五百円で譲りますのでお買い得ですよと恩を着せています。要するに 悪いのは貧乏神なんで、僕ぢゃないんですと。何でも人のせいにしなくてはいけません。

宮沢賢治は親に借金の手紙を書いています。長いので引用しませんが「中に泥が入ったので靴を買った、毛布をつい二枚買ってしまった、背中がほころびたので普段着を買った、芝居も見に行った、本も買った、音楽やタイプ教室へ通った、だから金が無い。」と訴えています。この時賢治三十歳。 いい加減自立する年です。賢治の場合は相手が親という事もあり、余計な言辞を弄することなく、金が無い理由を率直に羅列しています。しょうがない息子だなあと思わせるにはこの方が良いようです。その著作から清貧の塊のように思える賢治も実態はかなり違っていたようです。

第六章「『文豪あるある』の言い訳」にパクってみたくなる一文がありました。

小生が心中は狂乱せり筆頭は混雑せり貴兄は気を落ち着けて読んで呉れたまえ

正岡子規が病床から門下生に、自分の後継は河東碧梧桐でなく高浜虚子だと指名し本人にそう伝えたにも関わらず、進歩が無く失望した、という手紙の書きだしが上の引用文です。まず、こう書いてから続ければどんな酷いことも書けてしまうような気がします。自分が遺書を書くときはこれで始めましょう。

同じ章に志賀直哉の完璧な言い訳がありました。一度書くと約束した原稿の断り状です。

拝呈 岡倉天心さんの事何か書くよう朝日の斎藤君を通してお約束致しましたが精神的にも体力的にもどうしてもペンを握る気分にならず甚だ申訳なく思いますが違約お許し頂きたく思います。 敬具

この時志賀直哉81歳。著者によれば文中「どうしても」が決め手になって承諾されたようです。このように「どうしても」も言い訳に必要な強力な武器です。志賀直哉は31歳の時に当時47歳だった夏目漱石から朝日新聞への連載小説を依頼され、一度は引き受けながら断った事があったそうです。 その詫び状は長いので引用しませんが、 この時も「どうしても」が威力を発揮したようです。これについて後日漱石が同僚に送った手紙が残っています。

志賀の断り方は道徳上不都合で小生も全く面喰いましたが 芸術上の立場からいうと至極尤もです。今迄愛した女が急に厭になったのを強いて愛したふりで交際しろと傍からいうのは少々残酷にも思われます。

漱石が「 芸術上の立場からいうと至極尤もです。 」という意味不明の理屈で志賀直哉の言い訳を大目に見てやっています。しかし厭になった女を愛したふりで交際しろ云々というのは一体なんなんでしょうか?

第七章は「エクスキューズの達人・夏目漱石の言い訳」と題して漱石の色々な言い訳が陳列されています。この中でちょっと面白いと思ったのは漱石47歳の時の手紙です。ある婦人が漱石宅を訪問したが漱石不在のため住所を残していきました。この頃は漱石絶頂期で非常に忙しかった筈ですが、この未知の女性に手紙を書いています。ちょっと長いが引用します。

こないだは御出で下さった処留守で失礼いたしました あなたは私の書物を愛読してくださるそうですが、感謝いたします、しかし、人の作物はよんで面白くても会うと存外いやなものです だから古人の書物が好きになるのです 私は御目にかかるのは構いませんが 御目にかかる価値のない男ですから それほど御希望でないならおやめなさい、それから私に会ってどうなさる御つもりですか ただ会うのですか 私は物質的には無論精神的にもあなたに利益を与える事は到底出来まいと思います 失礼ですが、あなた大変綺麗で読み易い字をお書きになります 私は此の通り乱暴で御推読を願います

忙しくて、その婦人に会うつもりがないなら手紙を書く必要は無い筈。字が上手い、とさり気無く褒めながら、もし実際に会って相手がガッカリした時の保険として予め「御目にかかる価値の無い男」などと書いています。これを受け取った婦人は漱石からの面会快諾通知と感じたのではないでしょうか?

一口に言い訳と言っても文豪の文章ですから、美文調であったり、詩歌のようであったり、或いは支離滅裂であったり、ととても面白い読み物になっています。これらを読めば言い訳のコツのようなものが分かってきます。他のせいにするだけでなく、さり気無く後で困らないように保険をかけておくのも必要です。著者は言い訳のノウハウ本を作ろうとしたようですが、私のように言い訳をする必要のない者にとっても非常に勉強になります。

そりゃあないぜセニョリータ/ケーシー高峰

ケーシー高峰さんがお亡くなりになりました。山形県出身。享年85。芸名は昔々の医療ドラマ「ベン・ケーシー」からケーシー、高峰は一目ぼれした高峰秀子から採ったそうです。代々医者の家系で日大医学部に入学したものの、演芸に目覚めて同芸術学部へ転部しました。

半袖の白衣と黒板で下ネタ連発の芸風はどこでも大ウケ。昨日のサンケイスポーツに毒蝮三太夫が思い出を語っています。「約40年前に二人でNHKから”出禁”になったことも。理由?俺は名前がふざけている、ケーシーさんはエロ漫談だからって。2人で『出るもんか』ってさ。最近は『出てくれ』だろ、NHKも変わったよね。そうそう、立川談志もケーシーさんと仲がよかった、尊敬してたよ。『俺の前に(ケーシーさんを)出すな。俺がウケなくなるから』ってさ。」

BS朝日では4月18日(木)21時からケーシー高峰が出演する「お笑い演芸館+」を急遽再放送するそうです。浅草、東洋館の舞台で司会のナイツとのやりとりも楽しそうです。

この歌は斉木克己作詞、村井邦彦作曲で、昭和の懐かしい香りがしています。
〽夜のオアシス スナックで レイキなナオンがベシャッてる。
今時「レイキなナオン」などという人はさすがに居ないでしょうね。全体に自虐感溢れる歌詞で、2番が今市ですが、トホホ度は四つ星にしておきました。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★

万葉集/植木等

新元号「令和」が万葉集由来という事で、最近大宰府への観光客が随分増えているそうです。当方もこれにあやかって植木等の「万葉集」です。万葉集をテーマにした歌謡曲はこれだけぢゃないでしょうか?(勿論全てを調べたわけではありませんが)

作詞は永六輔、作曲は中村八大のコンビで、植木等がまず万葉集の一句をよんで、その中身に沿って色々愚痴を言うという仕掛けです。

世の中は空しきものと知るときしいよよますますかなしかりけり
大伴旅人

ますらをや片恋せむと嘆けども醜のますらをなほ恋ひにけり 
舎人皇子

銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に如かめやも
山上憶良

しかし、万葉集というものを読んだことが無い浅学菲才の自分としては肝心の句の意味がちゃんと分かってないので、その後の歌詞がぼんやりしてしまいます。歌詞の最後に
〽万葉集 読んでつらつら おもんみた 植木等の 学のあるとこ
……なんともはや 
とあり、全くその通りであります。いくら現在万葉集が来ているといってもこんな歌は二度と出ないでしょう。

採点のトホホ度と意味不明度は、この歌に限っては自分の残念さです。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★
意味不明度 ★★★

兄貴のブギ/萩原健一

最近、芸能人の訃報が続いていますが、ショーケンは意外でした。デビュー当時のテンプターズでは、ジュリーと競い合う大変な人気でした。ヒット曲はたくさんありますが〽オーママ、ママと歌った「おかあさん」が当時のレコード大賞にあった「童謡賞」を取りそうになったのには半笑いでした。水谷豊と共演した「傷だらけの天使」は当時としては斬新で、カッコ良く見えました。共演の水谷豊がアーニキィ~と言ってショーケンについて行くところは毎回お約束でした。このドラマを撮った代々木会館は、昭和、平成、令和(まで後一ヶ月)と三代生き延びて未だ現役です。

「前略おふくろ様」では口数少ない板前姿が決まってました。梅宮辰雄はこの番組の為に板前修業をし、それ以降調理に嵌ったそうです。海ちゃん役の桃井かおりは既に日活ロマンポルノに出ていましたがTVは実質デビュー作で、強烈なキャラクターがインパクトありました。独特な話し方を真似た清水ミチ子には笑わせて頂きました。つらつら書いていくとキリが無いですが、色々事件も起こし、危なげなところがショーケンの魅力(?)でしょうか。今ではこういう芸能人は棲息できません。

この歌は「傷だらけの天使」の頃のハチャメチャ感があります。但し、B面という事もあり歌そのものの作りは今市で歌詞も聞き取りにくいところがありますが、友情出演の水谷豊が萩原健一との掛け合いで昔なつかしい、アーニキィ~を聞かせてくれてるお宝音源です。採点は水谷豊の出演があるがのでトホホ度は二つ星になりました。

トホホ度 ★★
お笑い度 ★★★☆
意味不明度 ★★★

梅はさいたか/美空ひばり

春が来るというので、何かそれらしいのを探していたら、美空ひばりが歌う端唄が出てきました。歌は色々あるけど、その区別は難しい。都都逸は七七七五という形があるし長唄は長い歌でいいんですが、端唄と小唄の違いが分かりません。そこでネットで検索してコピペしてみました。特にはっきりとした区別は無いようです。

・ 端唄が流行したのは天保の改革以後とされる。天保の改革で庶民が三味線を弾く事が禁止されたが 禁が解けた後、短くて簡単に弾ける端唄が人気となった。
小唄は端唄から派生した俗謡である。一般には江戸小唄とされる端唄の略称。略称として定着したのは、明治・大正期である。
・小唄は爪弾きであるが端唄は撥を使う。小唄は四畳半で弾いてうるさくないよう爪弾きになったと思われる。

〽梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳なよなよ風次第
山吹ゃ浮気で  色ばっかり しょんがいな~

梅にしようか 桜にしよかいな
色も緑の松ヶ枝に
梅と桜を 咲かせたい しょんがいな~

恋の浅草 二人で行こかいな
何を言問 都鳥
末は千鳥で 泪橋 しょんがいな~

「 しょんがいな~」は「しょうがない」というほどの意味。歌詞は伝統的な「梅は咲いたか」と少し変わっています。三番の歌詞はしゃれが効いていて粋ですね。 尚、泪橋は荒川区と台東区を分ける思川にかかっていた橋で、その下に丹下段平の丹下拳闘クラブがあったそうです。

ところでこの歌を歌っている美空ひばりは何歳くらいでしょうか?CDには詳しい説明はありません。これもネットで検索してみると昭和49年の録音らしいです。このときひばりは37歳。ネットには20代という記述もありましたが、録音がステレオで割と音質が良いので、37歳が正解と思われます。しかし、これを聞いてみると、私が言うまでもなく美空ひばりは天才歌手だったんですね。

大阪的/井上章一著

井上章一氏には京都に関する著作が色々ありますが、前作「京都ぎらい」は今市でした。今度は方向を変えて大阪です。一般に大阪人は
(1)いつも面白いことを言って笑っている。
(2)阪神タイガースのファン
(3)エロい
(4)食いだおれ
(5)がめつい
等と言われています。

(1)いつも面白いことを言って笑っている。
関東大震災後、谷崎潤一郎は阪神間に居を構えた。そこで昭和7年に「私の見た大阪及び大阪人」という随筆を残している。「関西の婦人は凡べて(中略)言葉少なく、婉曲に心持を表現する。それが東京に比べて品よくも聞こえ、非常に色気がある。(中略)猥談などをしていても、上方の女はそれを品よくほのめかしていう術を知っている。東京語だとどうしても露骨になる。」

現在の大阪のおばちゃんとはかなり違います。最も谷崎が座談を交わしたのは阪神間の山手婦人だったのでこういう感想になったのかもしれません。大阪のご婦人方が変わったのはテレビ大阪で昭和58年から10年間続いた「まいどワイド30分」という夕方のワイドショーから。夕餉の買い物に来ているおばちゃん達を映し、色々と喋らせた。在阪のテレビ局は有名な俳優や芸人を呼ぶには予算が足りず、素人をテレビに出すことを考えたという訳です。その後「夫婦善哉」「新婚さんいらっしゃい」「プロポーズ大作戦」等、様々な低予算の「視聴者参加番組」が製作された。勿論素人を出すと言っても事前に予選を行い、おもろい事を言える素人を選んで使っています。こんな番組を連日連夜見せられた大阪人は素人でも笑いをとらなきゃいけないと思い込み、日常生活にお笑いを持ち込み、現在に至る。(これは著者の仮説です。)

(2) 阪神タイガースのファン
阪神タイガースが戦後初めて優勝したのは甲子園球場での昭和37年10月3日の広島戦。甲子園球場は大変な騒ぎだったと思われますが、観衆は2万人と発表されています。しかし当時の映像を見るととてもそれだけ入ったとは思えません。それに比べ巨人阪神戦は常に4万人を超えていました。テレビの野球中継は巨人戦ばかりで当時は巨人ファンが多かったようです。

昭和43年に神戸でサンテレビが開局しました。しかし資金力が無いので苦肉の策として放送権料の安い阪神戦の全試合中継を始めた。これがKBSや他の民放にも広がり、これ以降多くの大阪人が阪神ファンになったようです。熱狂的な阪神ファンも実は意外に歴史が浅いんですねぇ。

(3) エロい
ここで著者はノーパン喫茶について熱く語っている。一般にノーパン喫茶は大阪発祥と言われているが実は京都なんだと。昭和54、5年頃京都西賀茂で第一号店が営業開始し、昭和55年の週刊プレイボーイにルポとして取り上げられている。ノーパン喫茶といえば大阪の「あべのスキャンダル」が有名だが、それはもっと後の話。私がちゃんと見ているんだから間違いない。ストリップも大阪と思われるが、これはご承知の通り浅草が始まり。

昭和60年に悪名高い新風営法が発効し、法の網目をくぐって、ありとあらゆる助平な店が大阪に出現する。しかし著者よれば、殆どの助平商売は東京人がアイデアを出し、大阪に出店したそうです。著者は大阪がエロい街というのは風評であって事実でないと力説しております。

(4) 食いだおれ
大阪は食いだおれ、京都は着だおれ、と言われてきた。しかし京都の和食が世界遺産になったこともあり、大阪の企業が接待に使うのは京都の料亭。それに比べ大阪名物はホルモン焼きかタコ焼き。著者は悔しそうです。「あんまりやと思いませんか。京都に来たら料亭の湯豆腐やのに、大阪ではタコ焼き。みんなどんだけ大阪をみくびってんねんって、そう思いますよ。」

本来大阪は商都で、新鮮な食材も豊富に入ってくる。だからこそ食いだおれと言われるほど、旨いものが沢山あった。昔は「あそこの料理おいしいやろ。板前さん、大阪で修業しはったんやて。」などという会話が実際にあったそうです。ああそれなのに。

(5)がめつい
「がめつい」という言葉は昭和34年に初演された「がめつい奴」(菊田一夫作)が発祥で、それ以前にはこんな言葉はなかったとは知りませんでした。その後、花登筺作のドラマ「土性っ骨」「売らいでか!」「どてらい男」が銭に執着する大阪商人のド根性を全国に流布した。これに対し、田辺聖子は「大阪人というと、金と物欲のことしか考えていないように世間は思うが、それは安モノの大阪弁小説が、一時氾濫したせいで(後略)」言うまでもなく安モノとは花登筺を指しています。

これら以外にも大阪弁や阪急沿線美人、ビリケンさん、くいだおれ太郎、或いは大阪の歴史等々について語っています。世間に誤解されている大阪人像を正したいという著者の大阪愛が溢れる一冊でした。蛇足ですが「大阪的」というタイトルはどうでしょう?もう少し工夫できたように思います。

ハッピーじゃないか/笠井紀美子&デューク・エイセス

NHKの朝ドラ「まんぷく」はカップヌードルの開発が佳境に入り、いよいよラストスパートです。カップヌードルはドラマの中でもあるように確かに画期的な商品でした。チキンラーメンが30円の時にカップヌードルは100円という強気の値付けでしたが、昭和47年のあさま山荘事件で機動隊を指揮した佐々 淳行が現場に持込み、機動隊員が食べている場面が全国に中継されました。これをきっかけに売り上げが急増したそうです。

この曲は小林亜星作曲、 阿久悠作詞の初代カップヌードルCMソングです。(CMなのでジャケ写はありません。ハービー・ハンコックと共演した “Butterfly” のジャケットを張付けてみました。) 歌っているのは当時新進気鋭のジャズ歌手、笠井紀美子 で歌い方からファッションまで最先端でした。国内だけでなく、しばしばニューヨークで当時の世界的ジャズメンと共演しており、当時を代表するジャズ歌手と云えます。今風に言えば物凄いオーラがあり、ちょっと近づくのも怖いような、そんな笠井がラーメンのCMをやっていると知って驚いたものです。

この曲は小林亜星のアレンジが今市です。笠井はジャズ歌手らしいソウルフルな歌い方を指向しているようですが、バックと上手くマッチしていません。運よくYOUTUBEに当時の画像がありましたのでリンクしてみました。今みるとやはり時代を感じます。

伯爵夫人/蓮實重彦著

蓮見重彦は元東大総長という事もあり、書店に並んでいる著作にはなんとなく近寄りがたい雰囲気があった。本作は三島由紀夫賞を受賞したが、その記者会見が話題になった。受賞の感想を聞かれ「 まったく喜んではおりません。はた迷惑な話だと思っております。」とか、ありがちな質問に「 あの、馬鹿な質問はやめていただけますか。 」などと不勉強な記者を煙にまいたが「受賞がはた迷惑なら断れば良いと思われるが」という質問には「答えられません」と返答している。この問答は面白いと思っていたが最近文庫本になったので、買ってみた。

帝大法科受験前の旧制高校生である二朗は聖林の映画を見た帰りに二朗の家に仮寓してる伯爵夫人に逢う。憲兵が来たので誰何されぬように木の陰で抱擁してやりすごす。その時二朗が汚してしまったパンツを洗うため、伯爵夫人の手引きで帝国ホテルに入る。開戦前夜の暗い雰囲気の中で二朗は伯爵夫人やその他の知人とホテルの色んな所で色んな事を経験した。 翌朝帰宅し、夕方5時過ぎに目を覚ますと夕刊で日米開戦を知る。目が覚めてみると一昼夜の夢であったようだ。色々な描写で直截な用語が随所に現れる。引用しようかとも思ったが、やっぱりやめときます。文芸評論家や文学の先生方には色々な解釈、分析があるんでしょうが私レベルでは所謂ひとつのポルノ小説です。

著者は三島賞受賞会見で「この小説は、私が書いたものの中では、一番女性に評判がいいものなんです。私は細かいことは分かりませんが、たぶん今日の選考委員の方々の中でも女性が推してくださったと私は信じています。 」と語っている。「はた迷惑」と言ったものの実は受賞を喜んでいるんぢゃあないでしょうか。もし、これが映画化されるなら是非見たいですが、著者が映画の専門家であり、色々と注文を付けられたり、批判されたりするのは必定なので、手を挙げる監督はいないでしょう。

本書は巻末に三篇の解説がある。著者の一人がジャズ評論家の瀬川昌久で、解説執筆時93才であるが、いまだに元気良く評論活動を継続中です。瀬川氏からは戦前、戦後のビッグバンドジャズの系譜、戦後勃興したビバップというコンボ形式のジャズについてその著作から随分勉強させてもらいました。作中に三島由紀夫と思しき青年が出てきますが、瀬川氏は学習院から東大法科まで三島の同級で良き友人であったそうです。

著者は会見で、瀬川昌久が昭和16年12月8日にトミ-・ドーシー楽団のレコードを大きな音で聞いていたら、両親から今晩だけはおやめなさい、とたしなめられたという話を紹介し「(中略)私はその方に対する大いなる羨望を抱きまして。結局、『1941年12月8日の話を書きたいなぁ』と思っていたんですが、それが『伯爵夫人』という形で私の元に訪れたのかどうかは、自分の中ではっきりいたしません。 」と語っている。この年代の方はよく、押し入れの中でジャズレコードを聞いていたとか、自作した鉱石ラジオにかじりついて進駐軍放送を聞いた、というような話をされますが、昭和11年生まれの著者にとってみれば、自分が体感できなかった諸先輩の心情や所行に羨望したという事でしょうか?

自転車にのって/添田唖蝉坊+高田渡

NHK大河ドラマの「いだてん~東京オリムピック噺~」では金栗四三の幼馴染役で綾瀬はるかが出演している。彼女は颯爽と自転車に乗っていたが、当時女性が自転車に乗るという事はかなり裕福な家庭で育ち、かつ勇気がなければ出来ない珍しいことであった。熊本の田舎ではかなり目立ったろうと思われる。

彼女は「チリリン チリリン と 出てくるは・・」と歌いながら自転車に乗っている。これは明治の演歌師である添田唖蝉坊の歌である。私は学生時代、添田唖蝉坊について調べた事があり、懐かしく思えた。そこで、そのオリジナル音源を探してみたが、ありそうで無い。仕方がないので高田渡のアルバム「ごあいさつ」に収録されている「自転車にのって」をリンクした。この曲は前半に添田唖蝉坊の歌があり、それに続けて高田渡が自作の「自転車にのって」を歌っている。

この歌は演歌師の神長瞭月(かみなが りょうげつ)が明治42年に流行らせた「ハイカラソング」の一節であると言われている。残念ながら神長のオリジナル音源も探し出すことはできなかったが唖蝉坊の歌からも当時の雰囲気が伝わってくる。これ以外にも唖蝉坊の歌は色々なフォーク歌手が取り上げているが、その中では、やはり高田渡がぴったりとはまっている。

〽チリリン チリリン と
出てくるは 自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手離した しゃれ男
あっちいっちゃあぶないよ
こっちいっちゃあぶないよ
それあぶないと言っている間に
転がり落っこった  

(当時、自転車は高価だったので、時間借りで乗る人も多かった。)

添田知道は添田唖蝉坊の長男で戦後「演歌の明治大正史」や「日本春歌考」等の著作がある。こういう本をゆっくり読んでみたい気がする。

【蛇足】演歌は「演説する歌」という意味であるが、最近は「艶歌」と書かれる事が多く、演説とは関係なくなっている。これは「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と目から火を噴いて叱るチコちゃんによれば昭和41年の五木寛之の小説「艶歌」がベストセラーとなり、それから「艶歌」という表記が定着したそうです。