ぼくのそばにおいでよ/フォーク・クルセイダーズ

今年はURCレコード創立50周年だそうで、記念のベスト盤(三枚組)が出ました。URCはUnderground Record Clubの略で、当初は会員制の通信販売でしたが、加入者が急激に増加したので市中のレコード店で販売できるようになったそうです。今でいうインディーズのはしりです。当時はアンダーグラウンド、略してアングラが大流行りで、アングラフォーク、アングラバー、アングラ演劇等々なんでもアングラを付けて喜んでる人が多かったようです。

このCDに懐かしい曲がありました。原曲は Eric Anderson の “Come To My Bedside, Darlin’ “で、フォーククルセイダーズが日本語で歌っています。後に中川五郎と加藤和彦がカバーを出しています。クレジットには「訳詞:日高仁」とありますが、日本語歌詞と原曲の歌詞はあまり一致しておらず、日高仁作詞という感じです。この歌を何故覚えているかというと、放送禁止という騒ぎになったからです。要するに歌詞がエロいという事です。

*おいでよぼくのベッドに ぼくのかわいい人
二人の愛の夜を しずかに過ごそうよ

外では冷たい風が ふいてはいるけれど
二人かたく抱き合えば 心は火とともる

さあおいでよぼくのベッドに ぼくのかわいい人
二人の愛の夜を しずかに過ごそうよ

君のやわらかな肌に そっと手をおけば
こたえる君の瞳 こたえる君の愛

*繰り返し

求めあうくちびる 求めあう心
求めあうからだ いつしか夜もふける

*繰り返し

最近余り聞きませんが、以前は放送禁止とか発禁という騒ぎがよくありました。その殆どはお馴染みの「猥褻か芸術か」という問題で音楽のみならず、文学、美術・写真、映画・演劇等広範囲に及びます。 これは言論の自由に関わりますので「チャタレイ夫人の恋人」のように発禁に異議をとなえて裁判になった例もありますが、殆どは業界の「自主規制」という形にして言論弾圧という批判から逃げられるようにしています。しかし、警察庁もいい加減で、多くの弱小エロ雑誌は猥褻図画として発禁処分にしていますが、篠山紀信や加納典明などの超有名作家には厳重注意はするものの、裁判でも起こされたら面倒だ(訴訟リスク)という事で猥褻図画に指定していません。

ここで「猥褻か芸術か」論争をするつもりはありませんが、今の時代はどうなんでしょう。皆さんお利巧になって自主規制が行き届いているためか、最近は危ないと感じる歌は殆どありませんね。インターネットにエロが溢れている現代にこの歌が出てきたら、放送禁止になるでしょうか?

ぼくのそばにおいでよ/フォーククルセイダーズ
Come To My Bedside, Darlin’ / Eric Anderson

イスラム教の論理・イスラム2.0/飯山陽(その2)

前回はマレーシアに居た頃の体験談でしたが、いよいよ本論です。

(2)イスラム教徒はなぜ自爆テロを繰り返すのか

著者は明確に答えています。コーランにそうせよと書いてあるから。イスラム教の教典であるコーランは神の言葉であり一字一句全て正しく、イスラム教徒はこれに従わなければならない。主な教えを並べてみると;

・イスラム教の平和を実現するためにジハード(聖戦)を行う。
イスラム教の平和とは世界をイスラム教が制覇する事であり、そのためには非信仰者(彼らはイスラム教信者以外をこう呼ぶ)を殲滅させる。

・現世は仮の世であり、コーランの教えを守れば天国へ行ける。
ジハードを戦った戦士は72人の処女が待つ天国へ行ける。自身で戦えない者は戦士を物心両面で支援すれば天国へ行ける。

・コーランは奴隷制度を容認する。
イスラム国の勢力がまだ衰えていない頃、彼らは奴隷制度を採用すると発表した。コーランによればこれは正しい。男女間に関しては厳しい戒律があり、売春や姦通は大罪であるが性奴隷は容認される。

(3)イスラム2.0

近年世界的にイスラム教徒の数が増え、現在約18憶人以上と言われる。以前はイスラム教徒の識字率が低く、コーランやハディース(ムハンマドの言行録)を読んで理解できる者が少なかった。そこで、イスラム法学者と呼ばれる人々がコーランの解釈として分かりやすい穏便な啓示を与えていた。ところが誰もがスマホを持つ時代になると識字率が向上したことと相まってイスラム教の教典に簡単にアクセスして読むことが出来るようになった。これに加えてSNSやyoutubeにコーランの教えに基づく言説や映像が多量に流出した。ジハード戦士を募集するため自らが自爆テロを行う映像を撮影させyoutubeで公開したものもあった。 これらによりコーランの教えを直接知り、行動する原理主義者が増加した。

平成13年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降、米国は6兆ドルともいわれる巨費を注ぎ込みテロとの戦いを続けてきた。しかしその間テロはかえって拡大している。米国は昨年3月、イスラム国(IS)の領土を完全に奪還したと発表した。しかし西側諸国はイスラム教にとって領土は問題ではなく、イデオロギーの問題である事に気が付き始めた。要するにイデオロギーの問題であるから、ジハード戦士が何処に住んでいるか、何人か、という事は関係ない。いつでもどこでもその気になれば自爆テロを行って天国に行けるのである。

(4)イスラム法

私がマレーシアに居た頃もイスラム原理主義者はいた。しかし当時のマハティール首相は彼らを危険分子として逮捕拘束していた。当時のマレーシアは工業化を進め先進国の仲間入りをするため西欧民主主義的憲法を制定し、近代国家造り(先進国への仲間入り)に邁進し、そのためには原理主義者は邪魔であった。しかし近年コーランがあるのだから、これを法律として多宗派共生国でない、完全なイスラム国を作る事を主張する人が増えてきた。

インドネシアは2億6千万人の人口のうち9割がイスラム教徒である。昭和20年の建国以来、スハルト政権の半ばまではインドネシア人は温和で穏健だと言われ、信仰の自由は保障されていた。しかし、晩年になってスハルトはイスラム教優遇策を実施し、キリスト教徒に対する暴力を黙認するようになった。その後イスラム国に参加するものが増え、インドネシア国内の自爆テロが急増した。

平成26年の米国の調査機関によるインドネシアでの調査結果によれば、インドネシア人のイスラム教徒の72%がイスラム法を国家の法律にすることに賛成している。もし、これが実現すれば米国が壊滅させたイスラム国がインドネシアに誕生する事になる。「イスラム2.0」第六章では「もしも世界がイスラム教に征服されたら…」と題して恐ろしいシュミレーションを展開しています。

(5)イスラム教徒とどうつきあう

日本でも日本以外でも(例えばオバマ元大統領)「イスラムは平和の宗教」と言う人がいます。それを信じた独のメルケル首相の移民政策によりイスラム教徒が多数流入し、ヨーロッパ全体に広がっている。トルコのエルドアン前首相はヨーロッパにいるトルコ人にそれぞれ子供を5人産んで乗っ取れ、とはっぱを掛けていました。

平成28年に英国で生まれた新生児の名前(男子)の1位はOliverでした。第8位はMuhammadです。しかし、同じモハメッドを意味するMohammed, Mohammadを足せばこのイスラム名がトップになる(という驚くべき事実!)。

結局、我々はどうすれば良いのか?答えはシンプルです。外人を日本国内に入れるな。最近は人手不足でコンビニには殆ど日本人がいません。日本で働いている外人は殆どが東南アジア出身だから大丈夫と思うかもしれませんが、インドネシア、フィリピンを中心としてアジアのイスラム教徒が増加しています。やはりAI等、ICT技術によって徹底的に省力化を進め、日本人だけで運営できる状態を作りあげる必要があります。

イスラム自爆テロは日本人には関係ないと思っている人も多いようです。確かにイスラム国の最大の敵は米国ですが、日本人も異教徒です。バングラデシで人質になった日本人が「私は日本人だから殺さないでくれ」と嘆願しました。しかし、自分が日本人であると言ったので異教徒という事が証明された事になり、殺害されました。

(6)余談

マレーシアにいた時からイスラム教とは何か、という疑問が頭の片隅に引っかかっていました。その疑問が米国同時多発テロで再び現れてきました。イスラム教を解説した書籍は色々あると思いますが、本書は著者の学者的真面目さにより、一つ一つ出展を明らかにしながら、分かりやすく説明しています。(少々くどい感もありますが)「イスラム2.0」の第七章は「イスラム教徒と共生するために」と題して我々日本人がどう彼らと係るかのノウハウがあります。イスラム教徒と付合う可能性のある方は必読です。私が知る限り全般的に本当の事を書いたのは飯山さんだけだと思います。

一般に中東やイスラムの研究者というと髭面のむくつけきオッサンが多いのですが、著者は腰巻の写真から分かるようにかなりの美人です。竹久夢二が描く女性を少し丸くした感じに見えます。(これが本書を購入した動機の一つです。)もし機会があれば色々と話をしてみたいなと思っています。

イスラム教の論理・イスラム2.0/飯山陽(その1)

今回は長くなりそうなので、二回に分けます。

(1)クアラルンプールに居た頃

平成4年からマレーシアのクアラルンプール(以下KL)に4年半駐在していました。行く前はマレーシアについて何も知らず、地球の歩き方を飛行機の中で読んだ程度でした。現地に着いて最初に焦ったのはトイレに紙が無かった事です。本にはそうとは書いてありませんでした。そもそも紙でケツを拭くのは地球人全体の何割位でしょうか?現在イスラム教徒が18億人いますが、その他にもそういう人達がいる事から類推すると5割くらいでしょうか。

仕事のメインになる相手会社に挨拶に行き、色々を沢山頂きました。仮にOsama bin Ladenという人がいたとします。この人に電話で「Mr. Ladenをお願いします。」と言っても全く要領を得ません。そこで今度は「Mr. Osama bin Ladenをお願いします。」というとつないでくれます。フルネームを呼ばないと駄目なのかと思ったのですが、聞いてみると”bin”というのは「息子の」という意味で、彼らには姓がなく”Laden”は父の名前、”Osama”が本人の名前でした。すなわちLadenの息子のOsamaという意味になりますのでMr. Ladenと言うと本人の父親を呼んでいたことになります。ちなみに女性の場合は”bin”を”binte”にします。これは「娘の」という意味です。ところが国際部門の仕事をしている人の名刺には”bin”が書いてありません。何故かと尋ねると”bin”を書いた名刺をアメリカ人に渡すと皆、Mr. Binと呼ぶので止めたと言っていました。

その会社の人と徐々に仲良くなり、しばしば飯食いながら雑談してました。基本的に彼らは勤勉とは言えず、ウダウダとしているのが大好きです。そんな時に何度か聞かれたのが季節の話です。KLは北緯3度位ですから、常夏です。朝日が昇れば30℃。一日一回シャワーのような雨が降ります。彼らは知識として春夏秋冬は知ってるんですが「夏の次には何が来るのか?春か?秋か?」などと質問してきます。その都度答えますがなかなか覚えません。ある時「夏は何月か?」と聞かれ「7月から8月」と答えると怪訝な顔をして「君は違う、あの人は1月、2月と言っていた」と言います。あの人というのは出向で来ていたオーストラリア人でした。北半球と南半球では季節が逆なんだと説明したのですが、説明が上手くない事もあり、納得はしてもらえませんでした。

マレーシアの国旗は米国旗に似ていて、左上の50個の星の部分を三日月と星に置き換えた感じです。日の丸は太陽ですが、これは日本人が太陽が良きものと思っているからです。しかし彼らは常夏なので、太陽の出ている昼間は熱くて辛い、労働しなきゃなんない。しかし月と星が見える夜は涼しい、寝てられるという訳で、月と星が好きです。それで国旗には月と星が描かれています。マレーシアだけでなく他のイスラム教国の国旗にも月と星が描かれています。蛇足ですが、昭和40年にマレーシアの華人が分離独立したシンガポールの国旗は中国の五星紅旗とマレーシアの月を組合せ、マレー人と華人が共存する国を象徴しています。

マレーシア国旗
シンガポール国旗

イスラム教徒はラマダンと呼ばれる断食を一ヶ月行います。日の出から日没まで食事、飲料、煙草は禁止です。イスラム教歴は月が基準で完全な太陰暦(大小の月を単純に繰り返す。)で一年は355日です。このためラマダン月も一年に10又は11日ずつ進みます。季節が無いので、日本の江戸時代の太陽太陰暦のようにうるう月を入れたりして調整する必要がありません。33年たつと約一年分になるので一つ余計に歳をとることになります。

ある日の夕方、ナシゴレン(焼飯)でも食って帰ろうかと一人で近場の食堂に入りました。多くのマレー人がいて彼らの前には既に料理が置かれています。しかし誰も食べず、新聞を睨んでいました。後で知った事ですが新聞にはマレーシア各地の日没の時刻が書いてあり、その時間まではただ料理を見ているだけでした。熱い昼間に水も食事も摂らないのはかなり辛い事で色々な例外規定があるようです。特に旅行中は許されるようで、イスラム教徒がラマダン中に日本に来た時はじっとラマダンを続けている人がいる一方、こそっと飯食っている人もいました。

事務所の若い女性が結婚する事になり、私に結婚式の招待状をくれました。何人くらい呼んだの?と聞くと招待状を500枚位送ったと言います。どこでやるの?と聞くと自宅だそうです。勿論彼女は大金持ちでもなく、500人呼べるはずがない、そうか、500枚送っても来る人は少ないのか、思ってました。当日彼女の自宅へ車で行くと家の前の路上に延々とテントが張ってあり、車は通れません。車を降りて自宅まで歩いて行き、家の中に入ると部屋の中央にキングサイズ位のベットがあり、二人がそこに寝そべっています。両脇には柄の長い団扇のようなもを持った人があり二人をあおいでいます。結婚式と言ってもいくら包んでいけば良いのか全く見当が付かず、事前にマレー人に聞いてみたものの、気持ちですから、お金でも記念品でもご自由に、と言うばかりです。それでKLの伊勢丹でバッグを買ってプレゼントしました。挨拶があった後、存分に食べて帰ってください、と言われ、表のテントに入ると長机が何個も並べられており、そこで、勝手に取って食べると言う形式です。私は手で食べるのはどうも苦手で、そういうと匙をくれました。焼き飯のようなものを頂き、帰りに手を洗って帰りました。 (彼らは食べた後手を洗います。) 勿論酒はコーランの教えによりご法度です。

可搬型の小型衛星通信機器の使い方を現地の人に説明する事になりました。まずアンテナを衛星方向に向けるのですが、KLからは西の方向、と言ってもどうもピンと来ません。そこでメッカの方向と言い直すとすぐに理解してくれました。イスラム国のホテルの部屋には天井とか引き出しの中にメッカの方向を示した矢印が書いてあります。旅行者も、その方向に向かって日に5回礼拝するのが義務です。私は一度、飛行中の航空機の通路に敷物を敷いてお祈りしている人を見た事があります。それが正しい方向かどうか定かではありませんでしたが。メッカイスラム教の聖地でカラオケのオネーサンに聞いてみても一生に一度は行きたいと言います。そのため旅行資金を毎月積み立てているのですが、イスラム金融では利子を付ける事は禁止されています。ところが銀行は集めた金に利子を付けて貸し付けています。かなりの利益が出るようです。

KL駐在が終わり帰国した直後に後輩から連絡がありました。彼は海外青年協力隊の一員として某イスラム国へ赴任し既に帰国しています。赴任中、現地の女性と知り合い自宅で二人で話をしていると、近所の人に通報されて宗教警察に逮捕されてしまいました。コーランで未婚の男女が二人きりで逢う事は禁じられています。彼が助かる道はイスラム教に改宗し彼女と結婚する以外にありません。イスラム教徒になるには割礼し、コーランを暗記する必要がありますが両方とも無理。これは幾ばくかの喜捨で許してもらったそうです。その後、妻を連れて帰国したのですが、どうしても彼女が日本に馴染めなく、どこでもいいからイスラム教国に行きたいと言うそうです。そこでKLで勤務できないかという相談を受けました。色々と人事部とか掛け合ったり、他社の知り合いに聞いてみたのですが上手くいきませんでした。これが悲劇か喜劇が分かりませんが、赴任前に宗教警察の事を知っていれば違う形になっていたことは間違いありません。

これ以外にもいろいろネタはありますが、長くなるので、またの機会に紹介します。

帰れないんだよ/ちあきなおみ

先週土曜日、ニッポン放送の「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」(05:00 – 07:40)にタブレット純が出るので録音しました。彼が持ち込んだレコードを掛けて余りにもマニアックな話をするので、さすがの徳光さんもへぇー、そうなの、知らなかった、と呟くばかりです。前半は誰も知らないムード歌謡的GS特集でしたが、後半は暗く、聞いて落ち込みそうな曲の特集でした。この中でこの歌には参りました。歌詞が凄いんです。

そりゃ死ぬほど 恋しくて
とんで行きたい 俺だけど
秋田へ帰る 汽車賃が
あれば一月 生きられる

だからだからよ 帰れないんだよ

彼女のいる秋田に帰りたくてしょうがないけど汽車賃が無い。そこまでは良くある話ですが「あれば一月 生きられる」というフレーズが凄すぎます。普通の人ではちょっと浮かびません。臼井幸次という作詞家はどんな人か知りませんが、これは体験談ぢゃないでしょうか。これでぐっと暗さが増しました。ちあきなおみもこの歌詞にぴったりの歌い方で、流石にタブレット純の選曲眼(耳?)に改めて感心した次第です。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★
意味不明度 ★★★

帰れないんだよ(作曲:星野哲郎 作詞:臼井幸次)

26文字のラブレター/遊泳舎編、いとうあつき絵

都都逸は 7・7・7・5 の26文字が基本であるが、中には8・7・8・5の字余り、或いは頭に5を付けた5・ 7・7・7・5 もある。要は自然に歌えればよく、かなり自由である。都都逸は殆どが作者不詳で江戸の昔から現在まで歌い継がれている名作も多いが、そのテーマは殆どが色恋である。この本は都都逸を集めたもので、いとうあつきという人の挿絵があり、まるで絵本のようだ。都都逸の挿絵というと浮世絵や錦絵を想像するが、ここでは全く現代の日常が描かれており、スマホも登場する。

出版元の遊泳舎は新興の会社で(2018年創業)このような絵入りの綺麗な本を出している。自分には似合わないと思いつつもつい買ってしまった。以下に取り上げられている都都逸のいくつかを挙げる。

外は雨 酔いも回った さあこれからは
主(ぬし)の勇気を 待つばかり

ひとりでさしたる から傘ならば
片袖濡れよう 筈がない

諦めましたよ どう諦めた
諦めきれぬと 諦めた

痴話はいつしか ランプとともに
消えて 時計の 音ばかり

君は吉野の 千本桜 
色香よけれど 気が多い

澄んで 聞こえる 待つ夜の鐘は
こんと鳴るのが にくらしい

すねて片寄る 布団のはずれ
惚れた方から 機嫌とる

三千世界の 烏を殺し
主と朝寝が してみたい

あの人の どこがいいかと 尋ねる人に
どこが悪いと 問いかえす

思い出せとは 忘るるからよ
思い出さずに 忘れまい

落語には都都逸のみならず、狂歌、川柳が沢山あり、聞いてるときは良い文句だなと思ってもすぐ忘れて、後で思い出そうとしてもなかなか出てこなくなりました。そういう文句を集めた本があるとは思うのですが、なかなか探し出せません。見つかったらここで紹介します。

地球温暖化行進曲/植木等

最近地球温暖化がどうのこうのという話が多い。特にスウェーデンの16歳のグレタ・トゥーンベリという少女が学校にも行かず、飛行機に乗ると二酸化炭素が大量に出る、と言ってヨットで国連やCOP21に乗りつけました。但し、ヨットのクルーは飛行機で帰ったようです。(彼女が何で帰国したんでしょう?)会場の内外で温暖化反対の演説をブチかまし、温暖化の元凶と非難されたトランプ大統領は本気で怒っていたようです。如何にも純な女の子の訴えのように見えますが、なんか裏に銭の臭いを感じるのは私だけ?そもそもあのヨット代、誰が払ったんでしょうか。

北極や南極の氷が解けると海面が上昇して洪水が起こると言う人がいます。しかし理科の時間に習った事を思い出せばこれは無しです。二酸化炭素が増えると温暖化すると言う人もいますが、 二酸化炭素が減ればそれに頼って生存している生物が生きていけなくなります。森は二酸化炭素を吸って酸素を出すからもっと植林すべきという人もいますが、その酸素は森にいる動物、生物等が吸収し最後に二酸化炭素を出すので同じです。要は人間がこの大きな地球の温度を冷暖房の調節のようにコントロールするという事は土台無理な話でしょう。

植木等は生前、これを見越して歌っています。「温暖化なにが悪い?」と。但し、最終的に温暖化が良いと言ってるようにも聞こえません。そんな事は成り行き任せ、もっと気楽に行きましょう、という植木等節が炸裂しています。

トホホ度 ★★★☆
お笑い度 ★★★
意味不明度 ★★★☆

地球温暖化行進曲/植木等

前田憲男 マエストロ・ワークス/前田憲男他

一つの歌曲(クラシック音楽を除く)には作曲者、演奏者/歌手以外に欠かせないのが編曲者。作曲は鼻歌を録音し、それを楽譜に起こせばOK。演奏/歌手は下手でも何でもやってしまえばOK。もし売れれば印税が入る。しかし編曲(しごく簡単に言えば伴奏)が無ければ商品にはならない。編曲次第で曲の味が変わり、それが売り上げにも響く。それ程大事な編曲であるが編曲者は殆どの場合、買取。要するに手数料しか入らず、いくら売れても印税は無い。

前田憲男は大阪の出身で高校卒業後上京。プロのピアニストとして演奏の傍ら独学で編曲をマスターし日本を代表する作編曲家として活躍したが、一昨年の11月没(享年86)。この2枚組CDは彼の代表的作品を集めたもので1枚目は彼が作曲したTVやアニメのテーマ曲、ヒットした歌謡曲「別れの朝」、「Mr.サマータイム」、「冬のリヴィエラ」、「約束」等々が入っている。2枚目は彼が編曲した曲(ジャズ)ですが最後に「アレンジの虎の穴」という編曲の妙を紹介した面白い音が2編あります。

この歌↓は前田憲男が編曲の面白さと自分の腕を見せる目的で誰でも知っている「聖者の行進」を例にとり、やりたい放題やってます。このややこしい譜面をスキャットも含めて完璧に歌っている森山良子は凄い歌手だと再認識させられました。歌の途中で前田が書いた有名なジャズメンのアドリブを歌ったりスキャットしています(これをボーカリーズという) 。「この広い野原いっぱい」とか歌っている時とは別人のようにスウィングしています。

聖者の行進/森山良子(歌)前田憲男(編曲)

<曲中のボーカリーズについて>
・フィドル/私には昔ニータカ、ニータカ、と聞こえてましたが、ここではニーニギ、ニーニギ、と歌っています。
・バンジョー
・トランペット
・トランペット/ルイ・アームストロング
歌詞を忘れたルイ・アームストロングが誤魔化してシャバダバなどと歌ったのがスキャットの始まりだそうです。
・クラリネット/ベニー・グッドマン
・トロンボーン/ジャック・ティーガーデン
・バイブラフォン/ライオネル・ハンプトン
ライオネル・ハンプトンはバイブを打楽器のように演奏しています。途中でハッハッハッと息をするところまで再現しており、ニヤリとさせます。
・ バイブラフォン/ ミルト・ジャクソン
ライオネル・ハンプトンと違い、これがモダンジャズだよと言わんばかりにスカした感じが良く出ています。
・テナーサックス/ソニー・ロリンズ
最後に「セント・トーマス」のフレーズが出てくるところはご愛敬です。
・テナーサックス/ ジョン・コルトレーン
コルトレーンまで出てくるとは思いませんでした。ロリンズとの違いが分かります。
・ベース/レイ・ブラウン
・ドラム/ジーン・クルーパ
昭和27、28年に来日し日本にドラム・ブームを巻き起こしました。この来日公演が無ければ石原裕次郎の「オイラはドラマー、やくざなドラマー…」も無かった筈。「シング・シング」のドラムが最も有名で私は「タンタンスタタン、スタタンタンタン…」と覚えていましたが、ちょっと違っているようです。
・ドラム/ バディ・リッチ
・ドラム/ ジョージ川口
彼は演奏同様、豪快な親分肌で松本英彦(ts)、中村八大(p)、小野満(b)らとビッグ・フォーを結成し大変な人気でした。ジョージ川口には面白い話が沢山ありますが機会があれば紹介します。
色んな人がボーカリーズをやってますがドラムをボーカリーズにしたのは世界を見回してもこれ以外にないでしょう。

次は前田憲男がアレンジの面白さとその腕前を十二分に発揮したアルバム「アレンジ虎の穴」から「枯葉」を素材にしてそれがアレンジによってどのように変化していくかを丁寧に説明しています。

講座編~音楽の歴史/枯葉を素材に~/前田憲男とウィンドブレイカーズ

同じく「アレンジ虎の穴」から。劇中音楽を録音する風景です。俺は現場でこんなに苦労してるのに、さっぱり儲からん、とぼやいているようです。彼は大阪人なので、大阪弁で二役やってますが、しゃべりは今市です。

実践編~劇伴の現場で~/前田憲男とウィンドブレイカーズ

昔、前田憲男や服部克久が編曲し、世良譲がピアノを弾き、伊東ゆかりやしばたはつみの歌でお姉さんたちが踊りまくる「サウンドインS」という番組がありました。自分は毎回夢見心地で見てました。こんな番組を作ってくれる人はもういませんかね。蛇足ですが、ジャケットの絵はとても素晴らしいんですが、左手にはコーヒーカップでなく、ロックグラスかシャンパングラスにして貰いたかったところです。

反日種族主義/李栄薫(イ・ヨンフン)編著

この本は昨年読んだ本の中で一番衝撃を受けた。前書きの次の章が「プロローグ 嘘の国」中見出しが、『嘘をつく国民』、『嘘をつく政治』、『嘘つきの学問』、『嘘の裁判』、『半日種族主義』。これは日本人が書いたのでは無く、韓国の経済学者である李栄薫の言葉である。要するに韓国人の言う事は全部嘘だと。

出だしは過激だが、それ以降はテーマ毎に冷静に、証拠に基づく事実、実証から学問的に述べている。中見出しの例を挙げると
4.日本の植民地支配の方式
5.「強制動員」の神話
7.朝鮮人の賃金差別の虚構性
12.独島 半日種族主義の最高象徴
16.ネバーエンディングストーリー「賠償!賠償!賠償!」
20.日本慰安婦問題の真実
22.韓日関係が破綻するまで―挺対協の活動史
等々。言うまでもなく、独島(竹島)は日本の領土であり、従軍慰安婦問題は朝日新聞が捏造した嘘であり、徴用工は実際には志願工であり賃金、待遇に格差は無かった事などが事実に基づいて語られてる。

逆に日本人が間違えている点も指摘されている。例えば最近「韓国が日韓基本条約(1965)があるにも関わらず更に賠償を要求するのであれば、日本が建設して韓国にそのまま残置してきたインフラ等の財産の代金を払え」という論が国内にある。しかし本書によればサンフランシスコ講和条約で日本が韓国を放棄する際、日本が建設した財産については「特別な取り扱いをする」と明記されており、 「特別な取り扱いをする」 とは 日韓基本条約にて日本が支払う賠償は賠償金と「特別な取り扱い」として現地に残したインフラ等の財産を合算すると定められており賠償交渉を通じて韓国の財産となっている。よって日本が所有権を主張する事は出来ない。また、日本の歴史学者から本書にある誤りが数点指摘されている。未だ決着がついている訳ではないが、日韓の学者同士で事実に基づき冷静に検討が進められているので、早晩決着するであろう。

韓国人の著者が韓国人は嘘つきだと言っており、文在寅政権の反日政策に真っ向から反旗を翻しているのであるから、韓国内での猛反発は当然の事として身の危険まで考える必要があるが、事実に基づく正しい歴史認識が日韓双方に芽生えなければ日韓の将来は無いという切実な思いが筆を執らせたのであろう。このような内容でありながら、韓国では20万部、日本では50万部のベストセラーとなっている。韓国の人口とGDPを勘案すれば韓国での大ベストセラーと言って良い。韓国では不景気と就職難に悩む若い層が本書を良く読んでいるようだ。

「反日種族主義」という聞きなれない言葉がタイトルになってる。この意味は長いがプロローグから引用する。「(前略)嘘が作られ拡散し、やがて文化となり、政治と司法を支配するに至った過ぎし60年間の精神史を、何と説明したらよいのでしょうか。人が嘘をつくのは、知的弁別力が低く、それに対する羞恥心がない社会では、嘘による利益が大きいためです。嘘をついても社会がそれに対して寛大であれば、嘘をつくことは集団の文化として広がっていきます。ある社会が嘘について寛大だと、その社会の底辺には、それに相応する集団の心理が長期にわたって流れるようになります。その流れているものは、一言で物質主義です。お金と地位こそが全ての幸福の根本だと言う価値観、お金と地位のためなら手段、方法を選ばない行動原理、これが物質主義です。(中略)さらに長期的かつ巨視的に物質主義の根本を追求して行くと、韓国の歴史と共に長い歴史を持つシャーマニズムにぶつかります。シャーマニズムの世界には善と悪を審判する絶対者、神は存在しません。シャーマニズムの現実は丸裸の物質主義と肉体主義です。シャーマニズムの集団は種族や部族です。種族は隣人を悪の種族とみなします。客観的議論が許容されない不変の敵対感情です。ここでは嘘が善として奨励されます。嘘は種族を結束させるトーテムの役割を果たします。韓国人の精神文化は、大きく言ってこのようなシャーマニズムに緊縛されています。より正確に表現すると反日種族主義と言えます。(後略)」

この引用は韓国民について書かれたものであるが、韓国を笑う事は出来ない。我々は正しい近現代史を教えられていない事もあり、歴史問題に関する「知的弁別力」が低くく、 戦後朝日新聞が垂れ流す嘘を頭から信じてしまい「ここでは嘘が善として奨励されます。」 そして「客観的議論が許容されない不変の敵対感情」が醸成され世界の情勢は急速に動いているにも関わらず、左翼やリベラル、保守と称される人々との間で不毛の論争が続けられている。

本書では深く触れられてはいないが、元々韓国のものという意味で「ウリジナル」という言葉がある。「ウリ」はweの意味でウリとオリジナルを合わせた造語。例えば空手は韓国で発祥したと言う。勿論嘘であり、鼻で笑って誰も相手にしなかった。しかし韓国はこの嘘をしつこくIOCに刷り込んだ。(実弾攻撃もあっただろう)。IOCは遂に篭絡されテコンドーなどという明らかに戦後(1955)発祥であるミョウなものを五輪種目にしてしまった。 東京五輪では開催国特権(?)で空手が五輪種目に採用されたが、次のパリ五輪では空手が国際的に認知され競技人口が多いにも関わらず、テコンドーのみが採用される可能性が高い。その他、茶の湯等々日本古来のものも殆どが韓国発祥と言い募っている。実に面倒であるが、これらの嘘に一つ一つ丁寧に反論していかなければ今後もテコンドーのような事態が生じる可能性がある。

MC Blues, 新橋小唄/中村喜春と小唄メッセンジャーズ

前回紹介した「江戸っ子芸者一代記」の著者、中村喜春姐さんがニューヨーク在住の日本人ミュージシャンと共に歌った小唄とジャズの共演です。グループ名は当時モ-ニンやブルースマーチの大ヒットがあるアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズのもぢりだと思われます。録音日は不明ですが、昭和60年頃でしょうか。

冒頭”MC Blues”と称して姐さんの語りが入っています。東京の由緒ある地名が破壊されてくのを憂えていますが、全く同感です。現在神田の地名を復元しようという動きがありますが、小池都知事は何とかしれくれないものでしょうか?

和風楽曲とジャズの合作は色々あり、アメリカ人は結構喜ぶんですが、日本人が聞くと何か今市のトホホ感があります。本音をいうと姐さんの三味線で小唄とか都々逸を聞いてみたかった気がします。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★
意味不明度 ★★

江戸っ子芸者一代記/中村喜春著

中村喜春(きはる)は大正2年、現在の銀座七丁目で生まれる。幼少より芸事が好きで、昭和4年16の歳に母親には猛反対されたが祖父の名妓に成れ、の一言で新橋の芸者となる。お客には外国人も多かったようで、英語ができない喜春にも通訳のいい加減さに不満があり、自分で英語を学ぼうと思った。だが芸者が学校に行くというのは当時は有り得ない。自分でも何処に行けばよいか分からない。そこで外務省観光課の田誠(田英夫の父)に英語学校を紹介してもらった。それから午前中は英語学校、午後はお稽古、夜はお座敷という忙しい毎日になったが、毎日4、5時間寝れば十分というナポレオン体質で乗り切った。勿論学校の事は内緒で朝の制服から午後は箱屋(芸者について三味線や着物の運搬等雑用全般)の半ちゃんに持ってきてもらった着物に着替えてお稽古。お座敷が終わっても今で言うアフターで寿司屋やナイトクラブ、時には吉原へ繰り出すこともあった。

女将は喜春の水揚げは地位ある方とに考えていたが、鉄道省の三土大臣が喜春を気に入ってくれていたので大臣との水揚げを段取りし、喜春に伝えた。次の晩「とんぼ」での宴会で床の間を背負っていた三土大臣が「さあこっちにおいで」と言われ隣に座った。しかし高齢ということもあり、内心「トォーンでもない」、「ジョーダンジャナイワ」と思った。宴会半ばで大臣は席を立ち、その後「喜春ちゃん、ちょっと」とお勝姐さんに呼ばれ、裏梯子を上がった初めて入る部屋に連れていかれた。そこは綺麗な六畳間で大臣がどてらを着て手酌で飲んでいた。暫くあって次の間の床に座った大臣から「さぁ、こっちにおいで」と言われたが、涙ながらに手をついて謝った。(この場面の描写は迫力がある。)大臣に恥をかかせた形になったが、大臣は喜春が英語学校に通っていると聞いてタイプライター購入資金100円を喜春の衿元に押し込み、お勝姐さんには何も言うなと言って帰って行った。翌日本家の姐さんや喜春の祖母が商品券をもって「とんぼ」の女将とお勝姐さんに詫びに行った。

昭和11年6月頃、ロシアのオペラ歌手フョードル・シャリャピンを接待するため近衛文麿の別宅「荻外荘(てきがいそう)」に呼ばれた。たまたま車を降りた玄関口で喜春を案内してくれたのが弟で音楽家の近衛秀麿。喜春はかなりの面食いで、その場で一目惚れ。そこでの宴会は盛り上がり シャリャピンもかなり満足したようだ。暫くして廊下に出て化粧を直していると秀麿氏から小さなメモを渡され「デンワ書いて」と言われた。喜春は震える手で電話番号を渡した。

翌日千疋屋でデート。その後秀麿氏は築地の「川喜」良く来るようになり、友人と自宅に遊びに行くこともあった。3人子供がいたが、奥様とは別居中。喜春は有頂天で、毎日お互いに電話を掛け合っていた。その後二人で横浜、熱海や日光の旅館に偽名で泊まった。喜春は洋装だったのでバレなかったようだ。そこまでは理解できるが、なんと二人で北海道へ行ったという。当時銀座から北海道へ行くのは大旅行だった筈。北海道では登別の旅館の夕食時に警官が踏み込んできて誰何されたが、秀麿が貴族院議員のパスを見せると警官は平身低頭して逃げ去ったという。

その秀麿氏がヨーロッパへ行くことになった。出発後半年くらいしてベルリンから秀麿の指揮するオーケストラの録音がラジオ放送された際、彼のスピーチがあり、その中に二人だけに分かる暗号を入れて話してくれて感激。毎日のように手紙の往復が続いた。二年して彼は帰国したが、しばらくして今度はヨーロッパ経由でニューヨーク赴任が決まった。彼は喜春を連れて行こうと考え学習院の学友であり、ニューヨーク総領事に内定していた本野盛一子爵に相談した。勿論本野子爵もお座敷での喜春を知ってる。しかし祖母も母も大反対。

このため大野子爵は祖母と母を説得するため、わざわざ会ってくれたそうです。その三日後喜春は、お兄様(近衛文麿首相)に呼ばれた。なんと祖母と母が事前に首相に面会し、喜春に洋行を止めるよう説得を頼んだというのです。そのため首相から諄々と説得され、ついに諦めてしまいました。「私の祖母や母にしたら、せっかく売り出しきたところなのに、アメリカなんかへ行くなんて、ということなのです。(中略)かれは1週間もしないうちにヨーロッパに行ってしまいました。それっきり数年して戦争になり、大切な大切なあたしのロマンスはこっぱみじんになってしまいました。」

その後時局柄色々と嫌な事もあり、芸者を止めて嫁に行こうと考え始める。六義園でのメキシコ使節団接遇に通訳として呼ばれた喜春はそこで会った外務省の若い役人である太田一雄と相思相愛の中となり、結婚を決意する。祝言もそこそこに彼の任地であるカルカッタの総領事館に向かうため横浜から出航。そのインドでも色々あったようです。

喜春は1956年からニューヨークで暮らしており、一時帰国した際にNHK朝ドラ「おはなはん」の作者で旧知の仲である林謙一から「喜春ちゃん今度帰ってきたら『喜春』ってのを書くよ。『おはなはん』よりもっと色っぽく面白くなるぞ」と言ってくれたのですが、それからニューヨークに戻って8年も帰国しなかったので、林謙一は亡くなってしまいました。「だから喜春ちゃんは自分で書いたんです。」 その後離婚し、晩年はニューヨークで一人暮らし。平成16年、ニューヨークの自宅で没

芸者というと京都が思い出され、江戸、東京では花魁に係る話の方が多い。それで「江戸っ子芸者」という題を付けたのかも知れません。この本は当時の新橋芸者衆の日常、お座敷、恋愛等々を、全部を紹介できませんが 本人で無ければ書きえない面白いエピソード満載です。何しろ近衛文麿をはじめ当時の有名人の名前が次々出てきます。政財界、文人墨客と知己を得る上にお座敷に呼ばれた落語家、講釈師の噺を聞けたという役得もありました。こんな話を読むと、この頃新橋の料亭で遊んでみたかったとしみじみ思う次第であります。尚、本書は昭和60年に出版され、現在は草思社文庫になっています。

下の地図は文庫本に挿入された昭和初期の銀座界隈です。(地図が小さく見にくいと思いますが、連絡いただければ大判をお送りします。)下の図の真中、築地川沿いに新橋演舞場があり、その西に昭和の料亭政治の大舞台だった「金田中(かねたなか)」があります。ここは今でも一見さんお断りです。図面の一番下「とんぼ」の左隣にあるのが芥川賞/直木賞選考会場の「新喜楽」です。近衛秀麿氏が通ったのは図面の右下、築地小学校の対面の「川喜」。私は新橋演舞場はす向かいの「花蝶」に一度行った事があります。有名な料亭でしたが、今は広間にテーブルを置いて和食レストランのようになっていました。

昭和初期の銀座界隈