前田憲男 マエストロ・ワークス/前田憲男他

一つの歌曲(クラシック音楽を除く)には作曲者、演奏者/歌手以外に欠かせないのが編曲者。作曲は鼻歌を録音し、それを楽譜に起こせばOK。演奏/歌手は下手でも何でもやってしまえばOK。もし売れれば印税が入る。しかし編曲(しごく簡単に言えば伴奏)が無ければ商品にはならない。編曲次第で曲の味が変わり、それが売り上げにも響く。それ程大事な編曲であるが編曲者は殆どの場合、買取。要するに手数料しか入らず、いくら売れても印税は無い。

前田憲男は大阪の出身で高校卒業後上京。プロのピアニストとして演奏の傍ら独学で編曲をマスターし日本を代表する作編曲家として活躍したが、一昨年の11月没(享年86)。この2枚組CDは彼の代表的作品を集めたもので1枚目は彼が作曲したTVやアニメのテーマ曲、ヒットした歌謡曲「別れの朝」、「Mr.サマータイム」、「冬のリヴィエラ」、「約束」等々が入っている。2枚目は彼が編曲した曲(ジャズ)ですが最後に「アレンジの虎の穴」という編曲の妙を紹介した面白い音が2編あります。

この歌↓は前田憲男が編曲の面白さと自分の腕を見せる目的で誰でも知っている「聖者の行進」を例にとり、やりたい放題やってます。このややこしい譜面をスキャットも含めて完璧に歌っている森山良子は凄い歌手だと再認識させられました。歌の途中で前田が書いた有名なジャズメンのアドリブを歌ったりスキャットしています(これをボーカリーズという) 。「この広い野原いっぱい」とか歌っている時とは別人のようにスウィングしています。

聖者の行進/森山良子(歌)前田憲男(編曲)

<曲中のボーカリーズについて>
・フィドル/私には昔ニータカ、ニータカ、と聞こえてましたが、ここではニーニギ、ニーニギ、と歌っています。
・バンジョー
・トランペット
・トランペット/ルイ・アームストロング
歌詞を忘れたルイ・アームストロングが誤魔化してシャバダバなどと歌ったのがスキャットの始まりだそうです。
・クラリネット/ベニー・グッドマン
・トロンボーン/ジャック・ティーガーデン
・バイブラフォン/ライオネル・ハンプトン
ライオネル・ハンプトンはバイブを打楽器のように演奏しています。途中でハッハッハッと息をするところまで再現しており、ニヤリとさせます。
・ バイブラフォン/ ミルト・ジャクソン
ライオネル・ハンプトンと違い、これがモダンジャズだよと言わんばかりにスカした感じが良く出ています。
・テナーサックス/ソニー・ロリンズ
最後に「セント・トーマス」のフレーズが出てくるところはご愛敬です。
・テナーサックス/ ジョン・コルトレーン
コルトレーンまで出てくるとは思いませんでした。ロリンズとの違いが分かります。
・ベース/レイ・ブラウン
・ドラム/ジーン・クルーパ
昭和27、28年に来日し日本にドラム・ブームを巻き起こしました。この来日公演が無ければ石原裕次郎の「オイラはドラマー、やくざなドラマー…」も無かった筈。「シング・シング」のドラムが最も有名で私は「タンタンスタタン、スタタンタンタン…」と覚えていましたが、ちょっと違っているようです。
・ドラム/ バディ・リッチ
・ドラム/ ジョージ川口
彼は演奏同様、豪快な親分肌で松本英彦(ts)、中村八大(p)、小野満(b)らとビッグ・フォーを結成し大変な人気でした。ジョージ川口には面白い話が沢山ありますが機会があれば紹介します。
色んな人がボーカリーズをやってますがドラムをボーカリーズにしたのは世界を見回してもこれ以外にないでしょう。

次は前田憲男がアレンジの面白さとその腕前を十二分に発揮したアルバム「アレンジ虎の穴」から「枯葉」を素材にしてそれがアレンジによってどのように変化していくかを丁寧に説明しています。

講座編~音楽の歴史/枯葉を素材に~/前田憲男とウィンドブレイカーズ

同じく「アレンジ虎の穴」から。劇中音楽を録音する風景です。俺は現場でこんなに苦労してるのに、さっぱり儲からん、とぼやいているようです。彼は大阪人なので、大阪弁で二役やってますが、しゃべりは今市です。

実践編~劇伴の現場で~/前田憲男とウィンドブレイカーズ

昔、前田憲男や服部克久が編曲し、世良譲がピアノを弾き、伊東ゆかりやしばたはつみの歌でお姉さんたちが踊りまくる「サウンドインS」という番組がありました。自分は毎回夢見心地で見てました。こんな番組を作ってくれる人はもういませんかね。蛇足ですが、ジャケットの絵はとても素晴らしいんですが、左手にはコーヒーカップでなく、ロックグラスかシャンパングラスにして貰いたかったところです。

反日種族主義/李栄薫(イ・ヨンフン)編著

この本は昨年読んだ本の中で一番衝撃を受けた。前書きの次の章が「プロローグ 嘘の国」中見出しが、『嘘をつく国民』、『嘘をつく政治』、『嘘つきの学問』、『嘘の裁判』、『半日種族主義』。これは日本人が書いたのでは無く、韓国の経済学者である李栄薫の言葉である。要するに韓国人の言う事は全部嘘だと。

出だしは過激だが、それ以降はテーマ毎に冷静に、証拠に基づく事実、実証から学問的に述べている。中見出しの例を挙げると
4.日本の植民地支配の方式
5.「強制動員」の神話
7.朝鮮人の賃金差別の虚構性
12.独島 半日種族主義の最高象徴
16.ネバーエンディングストーリー「賠償!賠償!賠償!」
20.日本慰安婦問題の真実
22.韓日関係が破綻するまで―挺対協の活動史
等々。言うまでもなく、独島(竹島)は日本の領土であり、従軍慰安婦問題は朝日新聞が捏造した嘘であり、徴用工は実際には志願工であり賃金、待遇に格差は無かった事などが事実に基づいて語られてる。

逆に日本人が間違えている点も指摘されている。例えば最近「韓国が日韓基本条約(1965)があるにも関わらず更に賠償を要求するのであれば、日本が建設して韓国にそのまま残置してきたインフラ等の財産の代金を払え」という論が国内にある。しかし本書によればサンフランシスコ講和条約で日本が韓国を放棄する際、日本が建設した財産については「特別な取り扱いをする」と明記されており、 「特別な取り扱いをする」 とは 日韓基本条約にて日本が支払う賠償は賠償金と「特別な取り扱い」として現地に残したインフラ等の財産を合算すると定められており賠償交渉を通じて韓国の財産となっている。よって日本が所有権を主張する事は出来ない。また、日本の歴史学者から本書にある誤りが数点指摘されている。未だ決着がついている訳ではないが、日韓の学者同士で事実に基づき冷静に検討が進められているので、早晩決着するであろう。

韓国人の著者が韓国人は嘘つきだと言っており、文在寅政権の反日政策に真っ向から反旗を翻しているのであるから、韓国内での猛反発は当然の事として身の危険まで考える必要があるが、事実に基づく正しい歴史認識が日韓双方に芽生えなければ日韓の将来は無いという切実な思いが筆を執らせたのであろう。このような内容でありながら、韓国では20万部、日本では50万部のベストセラーとなっている。韓国の人口とGDPを勘案すれば韓国での大ベストセラーと言って良い。韓国では不景気と就職難に悩む若い層が本書を良く読んでいるようだ。

「反日種族主義」という聞きなれない言葉がタイトルになってる。この意味は長いがプロローグから引用する。「(前略)嘘が作られ拡散し、やがて文化となり、政治と司法を支配するに至った過ぎし60年間の精神史を、何と説明したらよいのでしょうか。人が嘘をつくのは、知的弁別力が低く、それに対する羞恥心がない社会では、嘘による利益が大きいためです。嘘をついても社会がそれに対して寛大であれば、嘘をつくことは集団の文化として広がっていきます。ある社会が嘘について寛大だと、その社会の底辺には、それに相応する集団の心理が長期にわたって流れるようになります。その流れているものは、一言で物質主義です。お金と地位こそが全ての幸福の根本だと言う価値観、お金と地位のためなら手段、方法を選ばない行動原理、これが物質主義です。(中略)さらに長期的かつ巨視的に物質主義の根本を追求して行くと、韓国の歴史と共に長い歴史を持つシャーマニズムにぶつかります。シャーマニズムの世界には善と悪を審判する絶対者、神は存在しません。シャーマニズムの現実は丸裸の物質主義と肉体主義です。シャーマニズムの集団は種族や部族です。種族は隣人を悪の種族とみなします。客観的議論が許容されない不変の敵対感情です。ここでは嘘が善として奨励されます。嘘は種族を結束させるトーテムの役割を果たします。韓国人の精神文化は、大きく言ってこのようなシャーマニズムに緊縛されています。より正確に表現すると反日種族主義と言えます。(後略)」

この引用は韓国民について書かれたものであるが、韓国を笑う事は出来ない。我々は正しい近現代史を教えられていない事もあり、歴史問題に関する「知的弁別力」が低くく、 戦後朝日新聞が垂れ流す嘘を頭から信じてしまい「ここでは嘘が善として奨励されます。」 そして「客観的議論が許容されない不変の敵対感情」が醸成され世界の情勢は急速に動いているにも関わらず、左翼やリベラル、保守と称される人々との間で不毛の論争が続けられている。

本書では深く触れられてはいないが、元々韓国のものという意味で「ウリジナル」という言葉がある。「ウリ」はweの意味でウリとオリジナルを合わせた造語。例えば空手は韓国で発祥したと言う。勿論嘘であり、鼻で笑って誰も相手にしなかった。しかし韓国はこの嘘をしつこくIOCに刷り込んだ。(実弾攻撃もあっただろう)。IOCは遂に篭絡されテコンドーなどという明らかに戦後(1955)発祥であるミョウなものを五輪種目にしてしまった。 東京五輪では開催国特権(?)で空手が五輪種目に採用されたが、次のパリ五輪では空手が国際的に認知され競技人口が多いにも関わらず、テコンドーのみが採用される可能性が高い。その他、茶の湯等々日本古来のものも殆どが韓国発祥と言い募っている。実に面倒であるが、これらの嘘に一つ一つ丁寧に反論していかなければ今後もテコンドーのような事態が生じる可能性がある。

MC Blues, 新橋小唄/中村喜春と小唄メッセンジャーズ

前回紹介した「江戸っ子芸者一代記」の著者、中村喜春姐さんがニューヨーク在住の日本人ミュージシャンと共に歌った小唄とジャズの共演です。グループ名は当時モ-ニンやブルースマーチの大ヒットがあるアート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズのもぢりだと思われます。録音日は不明ですが、昭和60年頃でしょうか。

冒頭”MC Blues”と称して姐さんの語りが入っています。東京の由緒ある地名が破壊されてくのを憂えていますが、全く同感です。現在神田の地名を復元しようという動きがありますが、小池都知事は何とかしれくれないものでしょうか?

和風楽曲とジャズの合作は色々あり、アメリカ人は結構喜ぶんですが、日本人が聞くと何か今市のトホホ感があります。本音をいうと姐さんの三味線で小唄とか都々逸を聞いてみたかった気がします。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★
意味不明度 ★★

江戸っ子芸者一代記/中村喜春著

中村喜春(きはる)は大正2年、現在の銀座七丁目で生まれる。幼少より芸事が好きで、昭和4年16の歳に母親には猛反対されたが祖父の名妓に成れ、の一言で新橋の芸者となる。お客には外国人も多かったようで、英語ができない喜春にも通訳のいい加減さに不満があり、自分で英語を学ぼうと思った。だが芸者が学校に行くというのは当時は有り得ない。自分でも何処に行けばよいか分からない。そこで外務省観光課の田誠(田英夫の父)に英語学校を紹介してもらった。それから午前中は英語学校、午後はお稽古、夜はお座敷という忙しい毎日になったが、毎日4、5時間寝れば十分というナポレオン体質で乗り切った。勿論学校の事は内緒で朝の制服から午後は箱屋(芸者について三味線や着物の運搬等雑用全般)の半ちゃんに持ってきてもらった着物に着替えてお稽古。お座敷が終わっても今で言うアフターで寿司屋やナイトクラブ、時には吉原へ繰り出すこともあった。

女将は喜春の水揚げは地位ある方とに考えていたが、鉄道省の三土大臣が喜春を気に入ってくれていたので大臣との水揚げを段取りし、喜春に伝えた。次の晩「とんぼ」での宴会で床の間を背負っていた三土大臣が「さあこっちにおいで」と言われ隣に座った。しかし高齢ということもあり、内心「トォーンでもない」、「ジョーダンジャナイワ」と思った。宴会半ばで大臣は席を立ち、その後「喜春ちゃん、ちょっと」とお勝姐さんに呼ばれ、裏梯子を上がった初めて入る部屋に連れていかれた。そこは綺麗な六畳間で大臣がどてらを着て手酌で飲んでいた。暫くあって次の間の床に座った大臣から「さぁ、こっちにおいで」と言われたが、涙ながらに手をついて謝った。(この場面の描写は迫力がある。)大臣に恥をかかせた形になったが、大臣は喜春が英語学校に通っていると聞いてタイプライター購入資金100円を喜春の衿元に押し込み、お勝姐さんには何も言うなと言って帰って行った。翌日本家の姐さんや喜春の祖母が商品券をもって「とんぼ」の女将とお勝姐さんに詫びに行った。

昭和11年6月頃、ロシアのオペラ歌手フョードル・シャリャピンを接待するため近衛文麿の別宅「荻外荘(てきがいそう)」に呼ばれた。たまたま車を降りた玄関口で喜春を案内してくれたのが弟で音楽家の近衛秀麿。喜春はかなりの面食いで、その場で一目惚れ。そこでの宴会は盛り上がり シャリャピンもかなり満足したようだ。暫くして廊下に出て化粧を直していると秀麿氏から小さなメモを渡され「デンワ書いて」と言われた。喜春は震える手で電話番号を渡した。

翌日千疋屋でデート。その後秀麿氏は築地の「川喜」良く来るようになり、友人と自宅に遊びに行くこともあった。3人子供がいたが、奥様とは別居中。喜春は有頂天で、毎日お互いに電話を掛け合っていた。その後二人で横浜、熱海や日光の旅館に偽名で泊まった。喜春は洋装だったのでバレなかったようだ。そこまでは理解できるが、なんと二人で北海道へ行ったという。当時銀座から北海道へ行くのは大旅行だった筈。北海道では登別の旅館の夕食時に警官が踏み込んできて誰何されたが、秀麿が貴族院議員のパスを見せると警官は平身低頭して逃げ去ったという。

その秀麿氏がヨーロッパへ行くことになった。出発後半年くらいしてベルリンから秀麿の指揮するオーケストラの録音がラジオ放送された際、彼のスピーチがあり、その中に二人だけに分かる暗号を入れて話してくれて感激。毎日のように手紙の往復が続いた。二年して彼は帰国したが、しばらくして今度はヨーロッパ経由でニューヨーク赴任が決まった。彼は喜春を連れて行こうと考え学習院の学友であり、ニューヨーク総領事に内定していた本野盛一子爵に相談した。勿論本野子爵もお座敷での喜春を知ってる。しかし祖母も母も大反対。

このため大野子爵は祖母と母を説得するため、わざわざ会ってくれたそうです。その三日後喜春は、お兄様(近衛文麿首相)に呼ばれた。なんと祖母と母が事前に首相に面会し、喜春に洋行を止めるよう説得を頼んだというのです。そのため首相から諄々と説得され、ついに諦めてしまいました。「私の祖母や母にしたら、せっかく売り出しきたところなのに、アメリカなんかへ行くなんて、ということなのです。(中略)かれは1週間もしないうちにヨーロッパに行ってしまいました。それっきり数年して戦争になり、大切な大切なあたしのロマンスはこっぱみじんになってしまいました。」

その後時局柄色々と嫌な事もあり、芸者を止めて嫁に行こうと考え始める。六義園でのメキシコ使節団接遇に通訳として呼ばれた喜春はそこで会った外務省の若い役人である太田一雄と相思相愛の中となり、結婚を決意する。祝言もそこそこに彼の任地であるカルカッタの総領事館に向かうため横浜から出航。そのインドでも色々あったようです。

喜春は1956年からニューヨークで暮らしており、一時帰国した際にNHK朝ドラ「おはなはん」の作者で旧知の仲である林謙一から「喜春ちゃん今度帰ってきたら『喜春』ってのを書くよ。『おはなはん』よりもっと色っぽく面白くなるぞ」と言ってくれたのですが、それからニューヨークに戻って8年も帰国しなかったので、林謙一は亡くなってしまいました。「だから喜春ちゃんは自分で書いたんです。」 その後離婚し、晩年はニューヨークで一人暮らし。平成16年、ニューヨークの自宅で没

芸者というと京都が思い出され、江戸、東京では花魁に係る話の方が多い。それで「江戸っ子芸者」という題を付けたのかも知れません。この本は当時の新橋芸者衆の日常、お座敷、恋愛等々を、全部を紹介できませんが 本人で無ければ書きえない面白いエピソード満載です。何しろ近衛文麿をはじめ当時の有名人の名前が次々出てきます。政財界、文人墨客と知己を得る上にお座敷に呼ばれた落語家、講釈師の噺を聞けたという役得もありました。こんな話を読むと、この頃新橋の料亭で遊んでみたかったとしみじみ思う次第であります。尚、本書は昭和60年に出版され、現在は草思社文庫になっています。

下の地図は文庫本に挿入された昭和初期の銀座界隈です。(地図が小さく見にくいと思いますが、連絡いただければ大判をお送りします。)下の図の真中、築地川沿いに新橋演舞場があり、その西に昭和の料亭政治の大舞台だった「金田中(かねたなか)」があります。ここは今でも一見さんお断りです。図面の一番下「とんぼ」の左隣にあるのが芥川賞/直木賞選考会場の「新喜楽」です。近衛秀麿氏が通ったのは図面の右下、築地小学校の対面の「川喜」。私は新橋演舞場はす向かいの「花蝶」に一度行った事があります。有名な料亭でしたが、今は広間にテーブルを置いて和食レストランのようになっていました。

昭和初期の銀座界隈

不良役者/梅宮辰夫著

梅宮辰夫が亡くなったのは令和元年12月12日。この本は奥付に「2019年12月12日第一刷発行」とある。娘のアンナが12月12日以降最初にMXTVに出た時、この本は既に印刷済みで、父にサインをしてもらうため何冊か自宅に届けられていた、と語っていた。 自身の映画俳優人生と破天荒な交遊録を口述筆記したものであるが、不謹慎ながら間に合って良かった、という気がする。腰巻の裏表紙側には「俺が役者になった目的は次の4つ。いい女を抱くこと。いい酒を飲むこと。いい車に乗ること。きれいな海が見える一等地に家を構えること。」とある。最初の3つは当然とも思えるが、4つ目はやや意外で彼の家族に対するやさしさなんだろうと思う。

小学校4年で満州から引揚げ、水戸に定住。父は開業医で大学は医学部を受けるが失敗。やむなく日大法学部入学。昭和33年、行きつけのゲイ寿司屋の勧めで受けた東映ニューフェイスに合格。当時の東映は京都撮影所での時代劇がメインで東京撮影所は添え物とも言われた現代劇。しかし大スターの多い時代劇俳優になろうという気はなく、ひたすら役者になった目的を追い求めて東京で現代劇を演じることにした。

そのころは毎晩銀座へ行く。当時、銀座には日活の石原裕次郎、小林旭、大映の勝新太郎、田宮二郎等の大スターが闊歩していた。しかし高倉健は酒を飲まず、鶴田浩二は倹約家とあって、東映のスターは余り出てこない。そこで、自分は東映の看板を背負って銀座のクラブに通った。勿論役者になった目的を達成するためだ。当時は今のように気の効いたホテルは無く、店がハネた後は女のアパートに行き、まず冷蔵庫の中を見る。新鮮な食品が揃い、飲物や調味料が整然と整理されていればよし、そうでなければ「評価の対象外」だった。

不良番長シリーズが当たり仁義なき戦いの頃は一本当たり数百万のギャラを稼ぐ。当然のように銀座でモテまくり複数の女性と付合うのは当り前。不良番長シリーズを撮っていた頃、新人女優の芸名を頼まれ、考えた末に当時一番気に入っていた銀座ホステスの源氏名を付けた。すると本人が何かお礼がしたいと言う。そこで一回寝たら数日後股間がやばい。その話を聞いた山城新伍が俺もやばいと言う。例の新人女優を抱いたらしい。「えっ?なんでおまえがヤッたんだよ」と問い詰めると、迫ってみたがラチがあかず「君の芸名は俺と辰ちゃんが一緒に考えたんだよ」という嘘でなんとかなったらしい。「もちろん俺も新伍も映画のゴッドファーザーのように、その新人女優の面倒を生涯にわたって見たわけじゃない(笑)」

昭和43年クラブ「姫」のホステスと結婚したが、半年で離婚。その後銀座の有名クラブに居たクラウディアを菅原文太から紹介され、美人で気立てもスタイルも良くすっかり気に入ってしまった。しかしホステスとは以前失敗していることもあり、母親は結婚に反対し絶対に見合いをさせると言う。仕方なく3年付き合ったクラウディアに見合いをすることになったので別れてくれと言うと「二号さんで良いから分かれないで。一週間に一度でもいい。会ってくれさえすれば良い。」彼女の言葉に胸を打たれ結婚したいと両親を説得するが猛反対。仕方なく家を出て彼女のアパートで同棲生活。この時アンナを身ごもる。これがスポーツ・ニッポンに素っ破抜かれ、昭和47年に結婚した。

梅宮は何度もガンに犯されており、その都度克服してきた。そのためか クラウディア と結婚すると夜の遊びはプッツリと止め撮影が終わると真っすぐ帰宅する毎日を送っていた。妻と娘との時間を大切にしたかったのだろう。「前略おふくろ様」の撮影の頃、銀座の京料理の板長から板前の手捌きを習うにつれて料理に興味が湧き、晩年は毎日5時半に起きてアンナの弁当を作っていた。

昭和の時代の映画スターの破天荒な暮らしぶり、エピソード満載で面白い。本人以外にも勝新太郎、若山富三郎、高倉健、山城新伍、松方弘樹、菅原文太等々の横顔が見える。特に高倉健の包茎話は初出であろう。 そんな映画スターが輝いていた時代の真っ只中で思い切り演じ、遊んだ梅宮は役者になる目的を全て実現したように思われる。しかし、アンナについてだけは自分の躾云々と悔恨の気持ちが見てとれた。

クリスマスなんて、大嫌い‼なんちゃって/クレイジーケン・バンド

クリスマス・ソングの中には「クリスマスは嫌い」という歌も結構あります。この歌もクリスマス大嫌い、という歌かと思いきや「なんちゃって」がついていて、複雑な心境です。出だしで「クリスマスでトホホな思い出オンパレード」とこれまでの失敗を悔いていますが、段々気分が高揚してきて「おいしいレストラン」を予約して、君と二人きりで夜景を眺めながら「人生には決め時がある、それは今夜だから」と決死の覚悟を決めています。バブルの頃は皆こうだったんでしょうが、今聞いてみると微苦笑とトホホ感が何とも言えません。

クレージーケンバンドは結成して既に20年経過してますが、いまだに結成当時の元気を維持し横山剣も相変わらず一所懸命歌ってます。 ギター、ベース、ドラムスのバンドも良いのですが、このバンドやスカパラダイスオーケストラの様にブラスが入ると明るく盛り上がります。ジャズのビッグバンドが衰退した昨今、編成の大きなバンドは経営が大変とは思いますが、いつまでも頑張って欲しいものであります。

トホホ度 ★★★
お笑い度 ★★☆
意味不明度 ★★

当たれ!宝くじ/憂歌団

毎年、年末になると年末ジャンボ宝くじ売り出しの宣伝が始まり、今年は鶴瓶が「買わないという選択肢はないやろ」と煽っています。私は特に宝くじファンという訳ではないんですが、年中行事のお付き合いという積りで毎回20枚だけ買ってます。

そんな事を考えていたら、この歌を思い出しました。憂歌団は一世を風靡したブルースバンドで、「憂歌」はブルースの和訳だと思います。ブルースはロックの基本で、愛好家も多いんですが、令和の御代となってはこんなバンドはもう出てこない気がします。あれこれ面白い歌がありますが、「パチンコ」という歌ではボーカルの木村充揮が玉が出ろ!とばかり「パチンコ」と大声で叫んでいて笑えますが、この「当たれ、宝くじ」も同様に大声で「当たれ」と何度も叫ぶ声を聴くと、気持ちは良く分かるよ、と言ってやりたくなります。

宝籤の歴史は古く、江戸時代は富籤と呼ばれていました。落語にも「宿屋の富」、「富久」、「御慶」など、富籤を扱った泣笑いが沢山あります。相場は富籤一枚が一分で一等が千両。私流の換算で行くと富籤一枚2万円で一等千両富が8,000万円。富籤一枚が結構高いので、「御慶」の八五郎のように富籤を買うためにありったけを質に入れ、一文無しになった輩もいたようです。

この歌の頃は一枚百円で一等賞金が1,000万円でした。景品法で一等の上限金額が制限されていましたが、昭和55年に法律が改正されて3,000万円になりました。但し一枚300円になったのもこの年です。

ところで、宝くじの期待値は45%程度(売り上げの45%が賞金になる)なので競馬の75%に比べてかなり当たる確率が低いです。そのせいか私は300円以外当たったことがありません。300円は当たっても面倒くさいので、換金しない人は結構いるようですが、売る方も初めからこれを計算にいれているんでしょう。しかし宝くじは夢を買うそうなので、この300円は廃止して、その分高額賞金の本数を増やしてほしいものです。

トホホ度 ★★★★
お笑い度 ★★☆
意味不明度

日本の「老後」の正体/高橋洋一著

時折、新聞、TV等のマスコミで「日本は1,000兆円を越える借金があり、このままでは破綻する。よって増税せざるをえない。」とか「少子高齢化が進みこのままでは年金制度が破綻する。よって現在年金掛金を払っている人は将来年金が貰えなくなる。」というような論説を見聞きするが、これらは嘘です。

著者は元大蔵官僚で現在は嘉悦大学教授。専門は数学で最近は「数量政策学者」と自称している。経済政策的にはリフレ(Reflation)派と呼ばれ、政府(財務省)や日銀の誤った経済政策を糾弾している。大蔵省在職時代、初めて日本国の貸借対照表を作り、現在でも引き継がれているので財務省のホームページを検索すれば誰でも見る事が出来る。

まず借金であるが、日本国が破綻するか否かは普通の企業と同様、その貸借対照表(バランスシート)を見れば見当が付く。日本銀行は日本国の子会社なので、連結すれば2017年度において日本国の純債務は約40兆円となり、殆ど問題ない。(但し、財務省ホームページの貸借対照表では日銀は連結されていない。)

本書180頁(2017年度)

年金は年金数理という理論で設計されている。これの肝は「その人が納めた保険料」=「その人が将来貰える給付額」。例えば20歳から65歳まで保険料を支払い、仮に平均寿命が80だとすると「その人が45年間納めた保険料の総額」=「その人が15年間で受け取る年金の総額」。よって平均寿命より長生きした人は得するが、早死にした人は損する事になる。(給付年齢前に亡くなった人が支払った保険料は年金支払いに繰り入れられる。)

内閣府の「高齢社会白書」によれば今後少子化が進展し、2020年には年金受給者一人を2.0人で、2040年には1.5人で支える事になる云々。よって、このまま少子化が進めば年金制度は破綻する事になる。しかし年金は人数ではなく、金額の問題である。保険金を支払う現役世代の減少率は0.5%/年程度であるから、この程度以上に賃金が増加すればそれに伴い保険料も増収となるで問題ない。 実際、アベノミクス開始以降失業率が低下し、労働力人口は増えており総賃金は増加している。一方最近、賃金は上がってない、上がるどころか下がっていると平均賃金を見て言う人がいるが、以下の様に平均賃金でみると間違いやすい。

昨年
Aさん  失業中 月給0円
Bさん  月給20万円 
Cさん  月給30万円     
この場合平均給与は(20+30)/2=25万円

今年
Aさん  仕事が見つかって 月給15万円
Bさん  少し賃上げして 月給22万円
Cさん  少し賃上げして 月給33万円 
この場合、平均給与は(15+22+33)/3=23.3万円 
三人とも今年の所得は増えているのに平均賃金は下がっている。

では、なぜ、誰がこのような誤った情報を流布するのか?まず第一に増税したい財務省。「社会保障」の不安を煽れば増税もやむなしという空気を醸成できる。金融機関も「年金が危ない」という考えが浸透すれば、さらなる投資や年金保険等の商品が売りやすくなる。実際、年金を受給しても2,000万円貯蓄が無いと危ないという説が世に出てから、金融商品の売り上げはかなり増えているようだ。

本書は数学の塊のようなマクロ経済学を出来るだけ分かりやすく説明するため、高橋先生が高校生と対話するという形式で構成されている。著者は常に定量的で、数値をグラフにして説明しているので分かりやすい。他にも財務省の嘘を糾す本やネット記事も多数あるが、本書は高校生相手という事で専門用語の意味、定義を丁寧に説明してくれている分だけ分かりやすい。(といっても難しいものは難しい)。本書では最後に私的年金の選択指南をしているが、イデコが良いという結論になっている。

小説と違い、新書の書名は編集者が決める事が多く、売らんがために老後の不安に対処するというような意味合いでこの書名を付けたと思われる。それは腰巻の惹句にも良く表れている。しかしながら本書の主眼はバブル崩壊以降、 所謂「失われた20年」の間、デフレが続き、経済成長が停滞したのは 政府(財務省)、日銀の政策の誤り である事を明確に指摘する事にある。

米中は順調に成長しているが、
日本は1995年以降停滞している。

2012年末の衆議院選挙で大勝した安倍首相はアベノミクス第一の矢として大規模金融緩和を実施するため、日銀総裁に黒田東彦氏、副総裁に岩田規久男氏を起用した。これに対し著者は「(中略)この日は、日本経済にとって歴史的転換点であり、私にとっても忘れられない日となった。日銀が本当の意味で変わった日になったからね(後略)」と喜びを率直に披歴している。アベノミクスを悪く言う人は多いが、定量的にきちんと見て行けばかなりの成果が出ていると言える。惜しむらくは10%の消費増税であった。

ヒマつぶしの作法/東海林さだお

東海林さだお氏は漫画家であるが、エッセイも多数上梓されており、過去のヒマつぶしに係るエッセイを集めたのが本書である。

言うまでも無い事であるが、「ヒマ(な状態)にしている」と「ヒマつぶしをしている」とは全く違う。本書では著者がこれまでに経験した数々の「ヒマつぶし」が紹介されている。ルンバ(掃除機)を眺める、釣り堀、洗濯、はとバス、ダンス、テニス、キャバレー、料理、ストリップ、熱海温泉等々。これらをかなり正確に記録し、得意のイラストも使って半笑い(或いは企まざるユーモア)溢れるエッセイに纏められている。チコちゃんに叱られる程度にボーっとしていては決して出来ない仕事である。

極め付きは温泉旅行である。「正調温泉一泊作法」というエッセイの冒頭を引用する。「『たまには温泉にでも行って、ノンビリしてくっか』誰しもそう思う。そう思って、出かけて行ってですね、一度でも《ああ、ノンビリした。楽しかった。いかった》と、帰って来たことがありますか。なんだかひたすらあわただしかった。あれもしたい、これもしたい、と、ウロウロしたけど、結局何もできなかった。ちっともいくなかった。というのが、ごく一般的な、いつわらざる感慨だと思う。(中略)それはなぜか。それは誰もが、″正しい温泉旅行のあり方″というものを認識していないからなのだ。つまり、″正しい温泉旅行の教典″がないからなのだ。」

そこで編集部の二名を加え三人で正しい温泉旅行の規範を作ることになった。まず、泊数であるが「全体をキリリとひきしめたい」との理由で一泊が正統と決定。これより「表温泉旅行道一泊派」を名乗ることにする。宿泊地は熱海、移動は新幹線。宿泊は「当然和風旅館、畳の間、浴衣、丹前、頭に手ぬぐい、廊下スリッパペタペタの世界が現出されなければならない」。この調子で教義がどんどん定まって行く。「しなければならないこと」は射的、浴衣スリッパピンポン、芸者、パチンコ、スマートボール、湯の町遊弋、マッサージ、お土産、ホテルのレビューショー。これらを満足できるのは「ホテル ニューフジヤ」。そしてホテルには午後5時に着かなければならない。

これらの教義を定め最終的に決定した作法は;
5時:ホテル到着
6時:入浴
7時:夕食
8時:外出(射的)
9時半:OSK日本歌劇団レビューショー
10時:芸者到着
12時半:マッサージ到着
1時半:就寝
翌朝7時:起床直ちに朝風呂
7時半:朝食+朝ビール

そして温泉一泊旅行の神髄を悟る。曰く「温泉一泊旅行の神髄は、実は朝風呂ではなく朝ビールであると。朝風呂は朝ビールに至る道程であったと。われわれは遂に一泊温泉の奥義を極めたのだ。『温泉一泊旅行といふは、朝ビールと見附けたり』」。少々補足すれば前夜の所業は朝風呂への、朝風呂は朝ビールへの道程/助走であったと。

ヒマつぶしはボーッとしていては成らず、日程を考え、段取りを考え、予算を考え、その他、諸事百般を頭に入れ、真面目に本気で取り組まなければならない。そうでなければ、後世に語り継がれるような立派なヒマつぶしを成就する事は出来ない。本書の教訓を肝に銘じて自身のヒマつぶし人生の参考としたい。

余談であるが、本書には腰巻の惹句にあるように、いとうせいこうとの対談(2019年夏収録)がある。私は、彼の髪型が変なので余り良い第一印象を持っていなかったが、本対談で披露された発想力は素晴らしいと感じた。「いとう 僕は物事をものすごく忘れるんです。そこでど忘れしたことを思い出したら、その喜びを筆ペンで書いて残すことにしたんです。(中略、サンドウィッチという言葉が出てこなかったとすると)それを後から見てなぜサンドウィッチが出てこなかったんだろうかと自問する。なぜそういうことが起きてしまったんだろうかと。サンドウィッチ伯爵に対しての何かが僕の中にあって抑圧しているとか。自分の弱点を趣味化したんです。」

この提案にショージくんは大いに賛同し、いつでも記録に留める事が出来るように矢立を持って歩くべきだ等々、話が随分広がっていった。確かに面白い試みである。年々歳々ど忘れ、特に人の名前が出てこなくなった自分としてはそれを記録して振り返るのは一つのヒマつぶしになりそうだ。但し、忘れたことを忘れてしまってはどうしようもないが。

決算!忠臣蔵

「決算!忠臣蔵」という映画を見た。堤真一が大石内蔵助。勘定方の矢頭長助を岡村隆史が演じる。(但し矢頭は途中で死んでしまう)。浅野内匠頭は阿部サダヲであるが、どうも「いだてん」のマーちゃんのイメージが被り、何となく違和感があった。その他、脇役にも沢山人気者が登場し、豪華な配役である。

当時の蕎麦一杯は十六文であるが、現在の蕎麦一杯を480円として一文30円で全ての物価を換算するという字幕が冒頭に出る。一両=四分=十六朱=四千文。一文を30円で換算すると一分は千文なので3万円、一両は四分で12万円になる。

討入を決意するまでの経緯が結構笑えるが、討入と決まった時の予算は9500万円。ここから諸経費が引かれ、矢頭ら勘定方は予算内に収めようと頑張るが字幕に出る残金がどんどん目減りし、最後には討入志願の100名以上の侍をリストラして四十七士まで削る。それでも赤字になるところであったが、討入を浅野内匠頭の命日である3月14日から月命日の12月14日に変更し、三か月分の生活費、経費を浮かして何とか討入が出来た。映画では討入の演習はあるが、実際の討入場面は無い。なんでも討入の無い忠臣蔵映画はこれが2作目なんだそうです。

落語を聞いていると十六文の蕎麦を一文かすめる「時そば」から一文も無くなった宿屋の客が千両富を当てる「宿屋の富」等々金にまつわる噺は色々ある。それらを聞いていると何となくその当時の物価みたいなものが分かってくるような気がする。江戸時代の物価は討入のあった元禄十五年(1702)と幕末ではかなり違う筈であるが、元禄時代と限定してもこの映画で言うところの一文30円、一両12万円は少々高いのではないか。

落語には駕籠に乗る時、どこそこへ二百(文)でやっとくれ、とか五百(文)でどうだ、などと言う場面がよく出てくる。駕籠賃の交渉であるが、二百は6,000円、五百は15,000円になる訳で、今どきのタクシーと考えてみてもそれ程安くは無い。或いは吉原の宵勘で二分いくら取られたが女が来ないと嘆く場面でも二分は60,000円となり、高い感じがする。(宵勘とは女郎が来る前に玉代を払う。振られると誰も来ない)

一般的には一両10万円という人が多い。これは当時と現在の米価を比較して目算を付け、キリが良いという事でこの値にしたのだろう。これだと一分が25,000円になるが、私の感覚では一分20,000円位の感じである。そうすると一両が80,000円、一文が20円。よって二八蕎麦十六文は320円になる。今でも立食いかけ蕎麦なら320円で食える所はありそうな気がします。

映画としてはどうなんでしょう?私が最近見た邦画では中井貴一主演の「記憶にございません」よりは良いと思います。